特別記事:住宅をエレメントから考える

窓をめぐる現代住宅の考察

吉村靖孝(建築家、進行)× 藤野高志( 建築家)× 海法圭(建築家)

(『新建築住宅特集』2016年12月号 掲載)

住宅のみならず、窓は建築の重要なエレメントです。そしてその窓のつくり方をそこに関連するさまざまな部位や空間、そして都市との関係とともに詳細に見ていくと、建築家の思いが見えてきます。住宅の個の問題から脱して、窓を風景や都市や社会を豊かにする存在として捉えた時、住宅の窓はどんなものであるべきなのでしょうか。既存の機能を満たし、外観を決定する以上に、窓を介して人の行為をいかに誘発し、風や音や温度など目には見えないものをどのように調節する存在となるべきでしょうか。また、軒や床、建具といった他のエレメントと共に窓を考えた時どのような可能性があるでしょうか。
今回は吉村靖孝氏、藤野高志氏、海法圭氏の3名の建築家に、窓に注目して戦後日本の現代住宅を見直していただき、それぞれ3作品選んでいただきました。それぞれの思考で選んだ作品とその選出理由をキーワードに、これからの住宅の可能性を窓にフォーカスして探求します。 (編)

外を対象化する強度をもった窓

※文章中の(ex.『新建築』5901)は、雑誌名と年号(ex.1959年1月号)を表しています。

吉村:

窓には社会・環境・技術など、さまざまな文脈が集約するようなかたちで現れます。たとえばオランダの住宅は1階の窓を人通りの多い道に向かって大きく開けているのですが、その理由は、オランダの宗教をリードするプロテスタントのカルヴァン派という、清貧の思想をもった人たちが、自分が慎ましく清らかな生活を送っていると外部に対しアピールしたいからだといわれたりもするし、あるいはもともと海で運河も多いため地盤が悪く、建物をできるだけ軽くつくるために窓が自然に大きくなったといわれたりもする。また、大開口の実現には技術の発展が不可欠で、小さくしか開けられなかったものが大きく開けられるようになったと表現することもできるわけです。ひと口に大きな窓といってもその意味は重層的なものです。
今日本の各メーカーがつくる窓はどんどん高機能化し、眺望や換気の性能向上はもちろんのこと、防火や防犯、断熱においてもその性能が壁に近づきつつある。さらなる機能の集約が起こり、壁と窓という従来型の境界線が薄れつつあるといってもよいと思います。しかしそういう局面だからこそ、果たしてこの高機能化の過程で取りこぼしているものがないか今一度検証しておくべきなのではないかと思います。あるいは私たちが今性能と捉えている領域をもう少し広げて考えることができれば、窓のあり方や、ひいては建築自体のあり方が変わってくるのではないかとも思います。今回は、私を含め3名の建築家が日本の現代住宅を「窓」にフォーカスして振り返り、印象に残っている窓を3つ選びました。そこから議論を始めたいと思います。

窓から選ぶ現代住宅3作品

海法圭

スカイハウス 菊竹清訓 1958年
上階内観。4本のコンクリートの壁柱によりもち上げられた、菊竹の自邸。
白の家 篠原一男 1966年
広間。対談中で言及されているのは磨き丸太の柱後ろに見える、広間と2階の寝室を繋ぐ窓。
スモールハウスH 乾久美子 2009年
セカンドハウスとして購入された農家の、裏庭に設計された小屋。母屋や離れ、フェンスといった要素が雑多に存在する風景を、正方形平面と対角線の間仕切りにより区切り、4つの部屋から見える風景がそれぞれ明確な特徴をもつようにする。

海法:

僕は菊竹清訓の「スカイハウス」(『新建築』5901)、乾久美子の「スモールハウスH」(『新建築』0912)、篠原一男の「白の家」(『新建築』6707)を選びました。建築家は住宅を都市に対して開こうとしてきましたが、それがなかなかうまくできていないジレンマを抱えてきたと思います。ジェイ・アプルトンは人に見られずして見たいという、人間の根本的な欲求を「眺望──隠れ場理論」と名付け論じました。「スカイハウス」は、アプルトンの理論に合致する隠れ場でもあり、眺望でもあるという空間の質を同一平面上で実現していると思います。外から中に向かう同心円状の平面の奥行きと、それに対して窓という要素をどうレイヤー状に重ねていくかということでそれを実現しているのです。具体的にはいちばん外側に雨戸を置き、その内側に人が通れる半外部の回廊を挟む。その内側にガラス戸、さらにその内側に障子とカーテンという断面構成の中で、人の動く空間を多様に内在させていて巧妙です。これは意外と日本建築にはない構成で、発明的だと思うのです。住宅は人間が根本的に欲する隠れ場も備えていないと、都市に対して開くことはできないとした時、そのヒントがここにあると思いました。
窓にはふたつの種類があると思います。自分がどこにいても窓により切り取られる風景があまり変わらない窓と、動いたら見えるものや風景の構成が全く変わってしまい、その窓の印象や特徴が定まらない窓です。「静的な窓」と「動的な窓」といえるかもしれません。日本建築における借景など、対象を動かさずに見せるための窓は「静的な窓」といえるでしょう。「静的な窓」は少しだけ模様に動きのある壁紙のようなものと考えることもでき、窓がインテリアの仕上げのひとつのようになるのです。「スモールハウスH」では、その「静的な窓」を奥行きに合わせて狭まっていく直角三角形の部屋という平面構成で実現している。日本建築では枯山水のように外の風景もつくり込みますが、ここでは乾さんの言葉を借りれば「積極的に見たいほどでもない中途半端な景色」しかなかったという前提の上で、それを4つの事象に切り取り、動かぬ景色をつくり出すことで何気ない風景を壁紙よりも豊かなインテリアのように扱うことに成功している。この窓から絶対この風景しか見えないという、強度をもった窓です。とりわけ都市においては、見る場所によって変化したり現れては消えたりする、流動的で不安定な風景にさらされ続ける生活を送っています。その中でその流動性をいったん枠で括ってくれるような窓の存在は、外との接点を感じつつも安心して生活していける素地を提供しているのではないでしょうか。
「白の家」は、大きな広間と相対的に小さい寝室が2層になって隣接している構成です。各部屋で都市に対してどう開くかということが根本的に違う原理で成立している。この住宅で面白いと思うのは、2階の寝室の、広間に対して開く窓です。内部に開く窓なのに障子を付けて、外部に対して開く窓のように扱っている。これはそれまでの個室群とリビングとの関係性、いわば個人と家族との関係性とは違う住宅の可能性を示していると思います。
この窓があることで内と内の問題が、外と内の問題にすり替わる。内と外の境界面を考える時は性能上、気密性や精密性といった制約を受けますが、一方で、内と内の繋がりでは空気は繋がっていてもよいし、違う要件ゆえに通常全く違う設計をしてしまいがちです。その内と外という圧倒的な二項対立に求められた課題に素直に答えてきたことが、今の現代住宅の窓や建具を画一化してきた要因のひとつだとも思うのです。昔はもっと蔀戸や欄間や多様な建具があったのに、今はフラッシュ戸が大半を占めています。

藤野:

サッシの性能が上がることで、今までは雨戸、ガラス戸、障子と、制御したいパラメータによって何層にも分かれていた境界面がひとつに集約され、内外に断絶があるのだけれど1枚で済むという状況になってきましたよね。最近のサッシは、ガラスの透明度を変えられたり、外側に付けたルーバーが開閉できたりすることで、視線や明るさの制御まで可能になった。ひとつの境界面に、必要に応じてたくさんの役割をもたせられる。サッシの構成自体がレイヤー化してきているともいえるかもしれません。
「スカイハウス」の同心円状の境界面や、「白の家」の障子の話も、窓をレイヤーの重なりとして捉えていますよね。現代の窓が担っているさまざまな役割を一旦解体し、それぞれのレイヤーの組み合わせ方を操作することで、空間同士の関係性をもっと多様にできるかもしれないと思いました。
ただ、建築作品として捉えると、3作品とも正方形の強い平面形をもっているので、空間の中で窓がもつ意味や象徴性を感じざるを得ない。そういう意味で「スモールハウスH」は、窓の役割を平面からでも説明できる。

吉村:

3つとも方形屋根の住宅ですが、窓と空間との関係だけで建築ができているともいえるような、原理的なものに興味があるのでしょうか。

海法:

確かに象徴的で強い空間によって人の想像力が喚起され、きっとその空間で行われる活動は豊かなものになるだろうなと思って選びました。
窓がどうやって街に開いていくかという時に、単純に透明性や窓を開くということではなく、窓回りの風景や人の活動がどう展開されるかということに意識的でいたいです。窓辺での行為を触発する隠された構造に注目して、これらの建築を分析してみたところがあるかもしれません。

吉村:

正方形の対称性や自己完結性は、窓の本義である「つなぐ」性能と相反するといってもよいように思います。原理的、原型的で独立性が高く、そしてそれ故に、それぞれの窓が洗練されかつ個性的であるように見える。海法さんも、眺望礼賛という人が多い中で、あえて隠れ場をつくらないといけないといったり、動的な窓の方がよいと思われがちな中、あえて静的な窓の方が大事じゃないかといったり、逆説的に浮かび上がってくる窓の可能性に言及しています。極端な話、閉じることこそが窓の可能性といっているようにも感じました。