TOKYO STATION × LIXIL

東京駅丸の内駅舎復原にみる「タイルの原点」

「赤煉瓦駅舎」として名高い東京駅丸の内駅舎が、創建当時の姿に復原され、古くて新しいランドマークとして再び注目を集めています。空襲で破壊された3階部分が復原されたことにより、「煉瓦」の存在感はさらに増しました。この煉瓦の復原を担当したのが株式会社LIXIL(以下、LIXIL)の前身の1つである株式会社INAX(以下、INAX)です。10年に及ぶ化粧煉瓦の復原の道のりを紹介します。

F・L・ライトゆかりのタイルメーカー

1.土管のある常滑の風景 2.常滑焼急須 3,4,5.帝国ホテル旧本館(ライト館)に用いられた装飾タイル

LIXILの前身の1つであるINAX(伊奈製陶)は、常滑の窯元である伊奈初之烝(いな はつのじょう)・長三郎(ちょうざぶろう)親子によって愛知県・常滑の地で創業されました。もともと同地は1000年の歴史と伝統を誇る「常滑焼」の産地で、瀬戸・信楽・越前・丹波・備前と並ぶ日本六古窯のひとつです。この常滑に、フランク・ロイド・ライトが設計した帝国ホテル旧本館の外装タイルを製作する「帝国ホテル煉瓦製作所」がつくられ、この技術顧問に二人が招かれたことが創業に深く関わっています。
二人はその力量を発揮し、帝国ホテル旧本館は無事完成します。そして、当時経営していた土管工場に、その設備などを引き継ぎ、伊奈製陶(INAXの前身)を設立しました。以降、常滑を中心に高品質なタイルの製造を続け、やきもの文化をタイル文化として発展・継承し続けています。
そんなLIXILにジェイアール東日本建築設計事務所より、東京駅丸の内駅舎復原工事に使用する化粧煉瓦の復原に関する見本品作成などの依頼があったのは2000年ごろのことです。技術的に非常に困難な仕事となりましたが、その過程を紹介する前に、復原された東京駅丸の内駅舎について簡単に説明しましょう。

戦災で失われた創建当時の姿

東京駅丸の内駅舎の開業は1914年(大正3年)。設計は日本の近代建築の父といわれる辰野金吾です。竣工当時は、地上3階・一部地下1階建ての鉄骨煉瓦造。建築面積約10,600?Fという大きな建物でした。同駅舎は、関東大震災の被害は免れましたが、1945年5月25日、空襲による火災で屋根や天井部分が損壊します。そして、1947年3月には、2階建てに復旧工事がなされました。1952年には平屋部が宮城県雄勝産の天然スレートが、南北中央のドーム部は登米(とめ)産の同材で葺き直されました。同駅舎は今回復原される2007年まで、このとき改修された姿で長らく親しまれていました。
東京駅丸の内駅舎の象徴は赤煉瓦の外壁です。復原に際しては、現在ある外壁の姿を保存しながら、空襲により失われた3階部分(切妻部など)や線路側外壁、屋根、南北ドーム内部の見上げ部分を竣工当時の姿に復原するという方針が定められました。
この建物は鉄骨煉瓦造であり、鉄骨と煉瓦からなる躯体に、仕上げとしてさらに化粧煉瓦が外壁側に張られています。いわばタイル張り工法の原点といえるような建物です。そこで、まずこの躯体を構成する構造用煉瓦と鉄骨は保存・活用し、コンクリートスラブは現代の工法で打ちかえました。床はコンクリートに打ち変えることとなりました。その上で復原する3階部分はSRC造で増築し、新たに化粧煉瓦を張って復原することになりました。

既存の煉瓦の概要

躯体煉瓦と化粧煉瓦は製造者や積み方などがまったく異なります。構造用煉瓦は日本煉瓦製造株式会社によって製造され、イギリス積みで積まれています。その数は約833万個です。一方、化粧煉瓦は,品川白煉瓦株式会社で製造されたものが使用され、小口積みで積まれています。こちらは約94万個が用いられています。

化粧煉瓦は、ドイツより輸入された、当時の最新技術である乾式プレス製法によりつくられています。製造された煉瓦は、辰野金吾直々に厳しい管理がなされ、均質な色合いや寸法精度が求められました。合格率は 40%程度だったと記録に残っています。
構造煉瓦は、化粧煉瓦を固定しやすくするために、表面に凹凸を設ける「下駄歯積み」と呼ばれる積み方が採用されていました。凹部には厚さ45mmの化粧煉瓦が、凸部に厚さ15mmの煉瓦が交互に張られていました。

2・3階部分の煉瓦壁
既存の建物に使用されていた
45?@厚の化粧煉瓦