東日本大震災復興支援活動

「女川温泉ゆぽっぽ タイルアートプロジェクト」── タイルアートをLIXILがサポート

坂 茂(建築家、坂茂建築設計)

『新建築』2015年9月号 掲載

休憩室の壁に設置されたタイルアート「家族樹」。花のデザインを全国から募り、千住博氏の描く大樹の幹と組み合わせてつくられた作品。
花の配置などのディレクションは水戸岡鋭治氏。 撮影:新建築社写真部(特記を除く)

東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県女川町。住宅の7割が流出、人口の約1割の方が亡くなり、町はガレキと化し、人びとの賑わいは聞こえなくなった。その後、一歩一歩復興に向けて動き出し、震災から4年後の2015年3月21日にJR石巻線が全線開通。「おながわ復興まちびらき2015春」のイベントとともに「JR女川駅」と「女川温泉ゆぽっぽ」が開業。多くの町民、支援者、観光客で賑わい、人びとの笑顔があふれた。

この「女川温泉ゆぽっぽ」の復興再建プロジェクトに賛同し、その一環として行われた「女川温泉ゆぽっぽ タイルアートプロジェクト」でタイル壁画の制作に協力したのがLIXILである。これまで数多くのタイル復原や、建築家、デザイナーとのコラボレーションによるタイル制作を手がけてきた「LIXILものづくり工房」がタイルアートの制作を担当した。

LIXILがタイル制作を協力することに至った経緯や、タイルアートプロジェクトの背景をインタビューを交えてレポートする。(編)

「女川温泉ゆぽっぽ タイルアートプロジェクト」ストーリー

※文章中の(ex.『新建築』1502 )は、雑誌名と年号(ex.2015年2月号)を表しています。

スペインタイルで町を彩る

「自分たちで何とかしなければというのは土地の気風なのかもしれません」。須田善明女川町長のインタビューでお聞きした言葉である。この言葉にあるように、震災後、すぐに住民の手で復興連絡協議会がつくられた。震災3カ月後にはコンテナ村商店街、2012年4月には「きぼうのかね商店街」がオープンする。

浴室に設置された「霊峰富士」と「泉と鹿」。千住博氏の絵をタイルアートとして仕上げた。
「家族樹」の部分を見る。

また、復興連絡協議会の中で興味深い動きがあった。スペインのガリシア地方もリアス式海岸の地形で、過去に津波の被害を受け、立ち直ったという歴史があるので、文化交流を始めたいという話が持ち上がっていた。その文化交流に参加したのが、NPO法人みなとまちセラミカ工房代表の阿部鳴美さんである。震災前は趣味で仲間と陶芸サークルをしていた阿部さんに、同じ焼き物なので、スペインタイルを制作してみないかという呼びかけがあった。東京の教室に通い、さらにはスペインでの研修で、タイルの魅力に引かれていったという。「町の至る所にタイルが装飾として使われていて、光が当たるとキラキラと輝くんです。その色と鮮やかさが、私が思う女川の未来のイメージと重なり、明るい町だったら楽しいのになと思いました」(阿部氏)。
女川に戻り、政府の支援を受け、NPO法人を申請してスペインタイルの制作が始まった。タイルを制作する窯は、当時京都造形芸術大学学長だった千住博さんの提案で、大学から寄贈されたものである。
阿部さんの「色を失くした町をスペインタイルで明るく彩る」という思いを乗せて、タイルづくりが始まった。ひとつひとつ手づくりで仕上げられたタイルには、女川の懐かしい風景が描かれ、さらには色の鮮やかさに、徐々に町に受け入れられていく。「きぼうのかね商店街」の店先の看板や、災害復興公営住宅の「女川町営運動公園住宅」(『新建築』1502)では101枚のタイルが飾られた。

「女川温泉ゆぽっぽ」計画までの道のり

「JR女川駅/女川温泉ゆぽっぽ」の設計者である坂 茂さんが女川に関りはじめたのは、東日本大震災直後の避難所でのプライバシー確保のための紙管による間仕切りである。東北各地の避難所を巡り女川にたどり着いた。その際、女川では余震の影響で十分な数の仮設住宅をつくる土地がないという相談があり、狭い土地でも住戸を確保できる、コンテナによる3階建ての仮設住宅「女川町コンテナ多層仮設住宅」の提案をした。

行政との調整を経て「女川町コンテナ多層仮設住宅」(『新建築』1112)が2011年11月に完成。千住博さん寄贈のさまざまな教室ができるアトリエ、坂本龍一さん寄贈による日常的な買い物ができるマーケットや集会所もつくられた。
完成後、坂さんは学生たちと一緒に「どういうものがほしいのか」というアンケートを行い、その結果、銭湯がほしいという回答がもっとも多く寄せられた。秋元康さんも銭湯の寄付を希望していたが、仮設では設備的な費用がかかりすぎるため断念せざるを得ない時に、駅舎再建の話があり、震災前まで駅そばにあった「ゆぽっぽ」という町営温泉を合築するアイデアが浮上。そこから「JR女川駅/女川温泉ゆぽっぽ」の計画が動き出した。

タイルアートプロジェクトをLIXILがサポート

お風呂には絵があるほうが楽しいという坂さんの考えと、先述の阿部さんなど、タイルで町おこしをしている活動を新しいゆぽっぽに反映するため、タイルアートの制作が始まった。この活動に共感したのが、「女川町仮設住宅」でアトリエを寄贈した日本画家の千住博さんと、デザイナーの水戸岡鋭治さんである。
2014年4月にタイルアートプロジェクトがキックオフされ、関係者が一堂に会した場で千住さんがスケッチを描き、即座に全員のイメージがひとつになった。

作品は「霊峰富士」「泉と鹿」「家族樹」の3つ。「家族樹」は花のデザインを全国から募り、千住さんの描く大樹の幹と組み合わせてひとつの作品にする一般参加型プロジェクトで、水戸岡さんが花の配置などのデザインを担当することになった。
タイル制作については、当初、阿部さんたちの工房で制作できないかという打診があった。ただ、陶器のスペインタイルは耐水性が弱く、しかも小さな窯がひとつしかないことなど難しい面が多かった。そこで、タイル制作の新しいパートナーとしてLIXILに白羽の矢が立った。LIXILもこの活動に賛同、復原やアーティストのコラボレーションにより数多くのタイル制作をしてきた「LIXILものづくり工房」が制作に協力することになった。

キックオフから1カ月後、ニューヨークのアトリエで千住さんが制作した原画が日本に到着。千住さん専属のカメラマンによるデジタルデータ化の作業が行われた。ものづくり工房の小関雅裕さんも撮影に立ち会い、色合い、微妙な線やグラデーションの表現など、作者の思いを肌で感じた。「描いた方の意思がそこに表れているので、原画を見るのは重要です。グラデーションやタッチも原画で確認して、100%再現できるよう、悩みながらつくりました」(小関氏)。また、並行して2014年5月から始まった花の絵の公募では、約900点の個性的な花の絵が寄せられた。集まった絵は水戸岡さんのディレクションのもと、大樹に花が組み合わされ、「家族樹」の原画が完成した。

坂氏、千住氏、水戸岡氏、須田町長など関係者が一堂に会した2014年4月のキックオフミーティングで、坂茂建築設計が用意したCGパース、展開図に千住氏が筆ペンで描き込んだイメージ。* (*提供:坂茂建築設計)

千住氏の描いた大樹に、水戸岡氏のディレクションで公募の花を配置し完成した「家族樹」の原画。*

写真転写技術「フォトタイル」で制作

タイルに絵を描くために使われたのが「フォトタイル」という写真転写技術である。転写紙という専用のフィルムに絵を印刷して、それをタイル表面に張り、焼き付ける技術で、高精細の再現ができる。ゆぽっぽで使用するタイルの大きさは150mm角で、水戸岡さんの指示でタイル割りが決まった。タイルは3作品で約6,000枚ある。施工でのミスをなくすために一枚一枚に番地が付けられた。

下準備を終えて、ただちにテストが始まったが、「霊峰富士」のグラデーションの表現が難しかった。「青色だけなので簡単そうに見えますが、トーンを変えるのが難しかったです。転写紙に印刷する色は掛け合わせでつくります。カラープリンターと同じような感じです。はじめにもっとも濃い部分を掛け合わせでつくるのですが、グラデーションで徐々に薄くなる表現は、単純に濃度を下げてもダメで、違う色に偏っていきます。青色が自然に薄くなるように、掛け合わせの配合を変えるのですが、これには経験が必要です」(小関氏)。また、タイルは焼成しないと本当の色が確認できないため、詳細なデータを取りながら、印刷、転写、焼成を何度も繰り返してつくり込んでいった。

転写作業と検品

すべてのタイルの調整が終わり、2014年11月に生産が開始される。最初に行うのは転写作業で、そこに阿部鳴美さんとメンバー 5名が駆けつけた。LIXILがこのプロジェクトに参画したのも「色をなくした町をスペインタイルで明るく彩る」という阿部さんたちの思いがきっかけになっている。「転写作業のお話しをいただき、うれしくて手伝いに行きました。長時間の作業でしたが、花を応募していただいたみなさんの思いを受け止めながら取り組みました」(阿部氏)。
2日間にわたり780枚の転写作業が完成した。

すべてのタイルの焼成が終わり、2014年11月下旬に検品が行われた。「霊峰富士」「泉と鹿」「家族樹」のタイルを床一面に広げ、千住さん、阿部さん、須田善明女川町長の立会いのもと、丁寧に検品され、無事出荷。2015年3月21日に開業した。

「JR女川駅」の改札を出ると、駅舎以外に建物らしいものが見えない。目の前に仮囲いがあり、駅と海を結ぶ軸に沿って、賑わいの拠点となる商業エリアができる予定である。まだ何もないところに、女川の新しいまちづくりのシンボルとして、いち早く、この駅舎はつくられた。JRの列車も温泉目当ての観光客で増えたという。訪れたのは7月の土曜日だったが、「女川温泉ゆぽっぽ」も多くの人で賑わっていた。

全国から寄せられた花の絵がデザインされた「家族樹」を前にすると、「タイルで町を明るく彩る」という阿部さんの思いや、千住さんの復興への願い、それをかたちにしたLIXIL担当者の努力など、さまざまな人の協力が、この建築を誕生させたと思う。「市民に愛される公共建築でなければならない」というのは坂さんの言葉である。これからも愛される建築でいて続けてほしい。(編)