フラットな社会の先にあるもの ──
パブリック・トイレ×パブリック・キッチンのゆくえ

浅子佳英(建築家、タカバンスタジオ)

第2期「パブリック・トイレ×パブリック・キッチンのゆくえ」をはじめるにあたり、まずはこの企画のなかで使用している「パブリック・トイレ」という言葉の定義について再度確認しておきたい。ここでは、パブリック・トイレをいわゆる公衆便所だけではなく、商業施設やオフィスなども含めた不特定多数の人々が使うトイレというように広く定義することとする。そして第1期「パブリック・トイレのゆくえ」(2017年5月号?2018年5月号)を通じて見えてきたのは、スターバックスやコンビニやバールなど、その種類は国によって差異があるものの、実際にそれらの商業施設のトイレが世界中でパブリックなトイレとして機能しているということである。

また、第2期ではパブリック・キッチンを新たに取り上げる。そして「パブリック・キッチン」も、シェアオフィスやシェアハウスのキッチンをはじめ、不特定多数の人々が使うキッチンというように広く定義することとする。さらに、パブリック・キッチンは、実際には調理はしないが「日常の食事を提供する場所」というように、より広く定義することとしたい。というのも、核家族が減少していく現在、母親が家庭のキッチンで家族の食事の用意をするという形態は、さまざまな意味で変化の時期を迎えており、パブリック・キッチンをその代替物として捉えたいからである。例えば、同時に公開している中村航氏による「ストリート、屋台、パブリック・キッチン」は、パブリック・キッチンの役割について視座を与えてくれる。

また、筆者は第1期の最初の文章「なぜいまパブリック・トイレを考えるのか」を「トイレという最小のスペースから、これからの社会や都市、ひいては公共について考えることを始めたい」と締めくくっている。キッチンを新たに加えることにしたのは、これからの公共について考えるにあたり、食が大きなヒントになると思われたからである。

食事は場所と切り離せない。
かつて『思想地図β vol.1』(合同会社コンテクチュアズ、2010)のなかで東浩紀が看破したように、現在、アジアでもヨーロッパでもアフリカでも人々はかつてないほど同じ服を着て歩いている。そして、スターバックスやマクドナルドのようなファストフード店は世界中のどこにでもある。ただ、注文があったものをその場で調理して提供するという、この最後の調理という行為がある以上、そして、その調理によって料理の善し悪しに差がでる以上、逆にファストフードをのぞけば食は世界中で完全に同じものを提供することはできない。さらに、生魚などを使用した素材の鮮度が求められる料理であれば、なおさら場所とは切り離せない。世界がフラットになっても残るこの食の差異にこそ、未来の社会へのヒントがあるのではないか。

そもそも、社会は近代化とともにそれまでの封建社会から、身分や制度に縛られないよりフラットな社会へと変化してきた。さらに、グローバル化──とくに1990年代以降のIT技術の発展や世界的な航空網の発達──により、人、物、金、情報が世界中に瞬時に行き来することになり、さらに、公共サービスも民営化が推し進められ、大きな政府から小さな政府へと変化し、社会のフラット化はますます進行していった。

小さな公共空間が分散配置され、それらがネットワーク化された社会。いまやそれは譬え話ではなく、きわめて現実的な光景である。考えてみれば、パブリック・トイレはその最たるものだ。それまでの公衆トイレのように、男女別の数台のブースと「みんなのトイレ」と洗面スペースが用意された完全なものではなく、一つひとつはたった1台の便器だったとしても、それらが街のなかに一定の間隔で存在し、それらの位置と情報が集約、整理され、さらにその情報をあらゆる場所から引き出せることができる社会。これは、コンビニエンスストアのトイレをスマートフォン上でグーグルマップのアプリで見ているという、まさに現在の日常の光景である。そして、コンビニのイートインスペースをパブリック・キッチンと見なせば、さらにUBERやAirbnbなどに目を向ければ、トイレだけに留まらず、小さな公共空間+サービスと、情報空間+サービスによるネットワーク化はますます進行していることに気づくだろう。

半分が情報空間なので目に見える変化は少ないが、現在、社会は大きな変化を迎えている。少なくとも、都市部に関していえば社会はますますフラットになっていると言っていいだろう。トイレに関しても、この企画をはじめた2017年はジェンダー・ニュートラル・トイレが話題になるなど、これまでの性差に偏らない、よりフラットな方向に社会は進みつつあるように見える。

ただその一方で、2017年はドナルド・トランプが米大統領に就任、前年の2016年にはBrexit(イギリスのEUからの離脱)をめぐる国民投票で離脱への票数が残留を上回るなど、世界各地で排外主義的なナショナリズムも同時に進行している。そして、世界のフラット化と排外主義というこの2つの方向は真逆の事態というよりも、ある意味ではグローバル化が浸透したからこそ引き起こされた事態だとも言える。なぜなら、グローバル化が、国や地域の垣根を超え、あらゆるものが地球規模でやりとりされる状態だとすれば、原理的に排外主義的な国や地域ともやりとりされなければならないからである。

フラットな社会の先にあるもの。
排他的な思考に陥ることなく、それでいてすべてを同じにしてしまうのではなく、世界の多様性は維持したまま、その差があることこそが価値であると、誰もが感じられるような社会はどうすればつくれるだろうか。大きく言えば、ここで考えたいのはそのような未来についてである。

上述のように、そこでは食事がひとつのヒントになるだろうと考えている。現在は、インドカレーを東京で、寿司をパリで、ラーメンをニューヨークで食べる。しかも、そこで食事するのはさらに違う国から来た観光客たちかもしれないのだ。

最後に。第2期では提案型の企画もスタートする。ムトカ、増田大坪、板坂留五、中川エリカの4組によるパブリック・トイレとパブリック・キッチンの提案が次号から順次掲載されるはずである。リサーチだけにとどまらず、実践へと繋ぐ架け橋となることにも期待して欲しい。

浅子佳英(あさこ・よしひで)

1972年生まれ。建築家、デザイナー。2010年東浩紀と共にコンテクスチュアズ設立、2012年退社。作品=《gray》(2015)、「八戸市新美術館設計案」(共同設計=西澤徹夫)ほか。著書=『TOKYOインテリアツアー』(共著、LIXIL出版、2016)、『B面がA面にかわるとき[増補版]』(共著、鹿島出版会、2016)ほか。

このコラムの関連キーワード

公開日:2018年06月29日