建築家メール・アンケート 4

Nene Tsuboi + Tuomas Toivonen

幅広い世代が利用してきた日本の公衆浴場は現在では数が減少していますが、長いあいだ地域のコミュニティ拠点となってきた経緯があり、他方ではミストサウナ(湿式低温サウナ)などホームサウナの普及が進んでいます。フィンランド、ヘルシンキにおける「パブリック・サウナ」はどのような歴史的、社会的な意味をもっていますか?

スウェーデンの支配下にあったフィンランドの首都は、もともと西海岸の都市トゥルクにありましたが、1809年にフィンランドがロシアに割譲されたため、1812年にヘルシンキに遷都されました。街が成長するにしたがってパブリック・サウナの数は急増し、1930年代にはその最盛期を迎えました。当時ヘルシンキ市内には250軒を超えるパブリック・サウナがあり、高密度な都市に住む市民はそこで家族や近所の人々と一緒に体を洗い、サウナは大切な生活の一部として機能していました。1950年代に入って郊外に新しい集合住宅が建てられ、それらの地域にはスイミングプールなどのサウナ付きスポーツ施設が併設されました。こうして人口が郊外に流出したことで都市中心部の人口密度が下がり、パブリック・サウナの数は減少しはじめ、さらに1970年代のオイルショックの影響でヘルシンキ市内のほとんどのパブリック・サウナが廃業に追い込まれました。その後1980年代に入って家庭用ホームサウナが流行し、集合住宅内において各アパートのバスルームにまで小さなサウナが普及しましたが、パブリック・サウナの文化は細々と生き延びました。2010年代に入り数軒の新しいパブリック・サウナが開業し、地域社会の交流の場として、またはサウナの効用(血圧を下げる、運動後の筋肉の緊張をほぐすなど)を目的に定期的に通う場としてのパブリック・サウナの存在意義が見直されはじめています。また環境への配慮という観点からも、少人数で電気ストーブを使うホームサウナよりも、大きなストーブを薪(もしくは木質ペレット)で暖め、大人数でシェアをするパブリック・サウナのほうを選ぶ動きも出てきています。

ヘルシンキ市カッリオ地区のパブリック・サウナ(1976年に撮影されたもの)

ヘルシンキ市カッリオ地区のパブリック・サウナ(1976年に撮影されたもの)。
(撮影=Nils Andersson、提供=Helsinki City Museum)

Kotiharjun Sauna(1928年設立)の女性サウナ内部

Kotiharjun Sauna(1928年設立)の女性サウナ内部。
(撮影=Soile Tirilä、提供=National Board of Antiquities)

「Bain Finlandais(フィンランドのサウナ)」

「Bain Finlandais(フィンランドのサウナ)」。
出典=Giuseppe Acerbi, Travels through Sweden, Finland, and Lapland, to the North Cape in the years 1798 and 1799. Vol. II, 1802(フィンランド国立図書館所蔵)

「パブリック・サウナ」とのご関係をお教えください。

ヘルシンキ市内に自分たちで設計・建設したパブリック・サウナの運営をしています。2005年に建築・デザイン事務所NOWを始めた当初から、なんらかのパブリック・スペースを自分たちの住む街につくりたいというアイデアをもっていたのですが、それが美術館なのか、図書館なのか、食堂なのか、学校なのか、決めかねていました。ところが2010年の夏、外国から訪れていた友人とパブリック・サウナに入っている時に、自分たちでサウナを建てるという案がひらめきました。「サウナ」というフィンランド語が世界中で使われているにもかかわらず、当時ヘルシンキ市内に残っていたパブリック・サウナは3軒のみで、60年近く前にオープンしたサウナが最も新しいという状況でした。直感でしたがこれが自分たちのやるべきプロジェクトだとわかりました。また、市やクライアントから依頼されたわけでもなく、2人きりの小さな建築事務所がパブリック・ビルディングを街のなかに建てるためには、「サウナ」でなければおそらく不可能であることも。実際に、市と土地を借りる交渉をする際でも、銀行でローンを組む際でも、近隣住民組織とのやりとりの際でも、「新しいパブリック・サウナ」という言葉の発するポジティブな力が、実現への大きな助けになったことは間違いありません。2013年の春にオープンして以来パブリック・サウナの運営が私たちの収入源であり、労働時間の約80%を充てています。残りの20%でその他のプロジェクト(建築やデザイン、教育など)を行なっています。

建築家・デザイナーとして考える「パブリック・サウナ」という場所、空間、そこで過ごす時間などについて、お考えをお聞かせください。

フィンランドではサウナはもともと神聖な空間として、いろいろなルールやタブーが決められていました(例えば、サウナのなかでは汚い言葉を使わない、大きな声を出さない、歌わないなど)。またヨーロッパにおける公衆浴場の歴史をみても、みんなが無防備な裸で過ごす空間であることから、武器の持ち込みの禁止が徹底されていたことや、浴場内での窃盗に課せられた処罰が重く定められていたことなど、公衆浴場は教会と並ぶ特殊な場所であるという認識がされていたことがわかります。現代においても、知らない人々と裸で時間、空間をシェアするという行為は洗練された社会的スキルを要します。リラクゼーションを目的に来る人、病気の回復のために来る人、家族と水入らずの時間を過ごしに来る人、ひとりになる時間をもつために来る人、旅行中に初めてサウナに入る体験をする人……。それぞれみんながよい時間を過ごすことができる場所をつくるためには、参加者全員(入浴者、建築家、デザイナー、運営者)がそれぞれに課せられた役割を果たすことが重要です。

パブリック・サウナは建物自体がつくりだす熱と空気を提供するという点で、建築がとても直接的な役割を演じます。パブリック・サウナの心臓部となるキウアス(サウナストーブ)は建物のなかの小さな建物と言ってもよいほどです。また湿度と温度の極端な上下の繰り返しに耐える設計、都市部においてどのようにしてストーブを暖めるかの問題(燃料、またその管理)など、建築家、デザイナーにとってはごまかしのきかない点が多いです。しかし公式なスポーツ施設などに比べると、運営スケールや立地にバリエーションがあり、さまざまな方法でアプローチが可能なため、取り組む課題としてはたいへんおもしろいと思います。

カラカラ浴場跡

カラカラ浴場跡。(筆者撮影)

「パブリック・サウナ」はまた地域やローカルコミュニティの維持、発展の拠点となる可能性をもつ場所でもあると想像されます。どのようなつくられ方、どのような使われ方が望ましいでしょうか。

ローカルコミュニティの発展の拠点となるには、地域に溶け込みつつも、そのなかで独自の文化を強く確立することが必要だと思います。その場所へ行くことによって、ほかにはない時間をもつことができる、その独特な文化を味わうことで日常生活にもよい影響を与えることができるといったようにです。そのような場所をつくる際に重要なのは、自然な発展速度を守ることと、地道な日々の積み重ねです。しかし、拠点として発展することによる環境の変化に対して、どうすれば望ましいかたちでその文化を維持し、前に進めていくことができるのかをつねに考えていなければなりません。

運営するサウナの中庭で行なわれたNEW ACADEMYでの授業風景

運営するサウナの中庭で行なわれたNEW ACADEMYでの授業風景(2015)。(筆者撮影)
筆者コメント:私たちのパブリック・サウナは内部の写真を公開しないポリシーなので、画像にはぼかしをかけさせていただきました。でも雰囲気は充分お伝えできるかと思います。

Nene Tsuboi

グラフィック・デザイナー。Tuomas Toivonenとともにヘルシンキでパブリック・サウナの運営を行なう。主な仕事はBlack Squareのためのレイアウトなど。

Tuomas Toivonen

建築家。建築事務所NOWの代表。Nene Tsuboiとともにヘルシンキでパブリック・サウナの運営を行なう。NEW ACADEMYで教師を務める。