海外トイレ事情 1

ドイツ、ベルリン ──
都市の家具としてのパブリック・トイレ

川原達也(建築家、KAWAHARA KRAUSE ARCHITECTS)

Stadtmöbel

都市を観察するとき、例えばルイス・カーンの《フィラデルフィア交通スタディ》(1952、https://www.moma.org/collection/works/488参照)のドローイングのように、あるいは小嶋一浩の言う「小さな矢印」のように、人の流れやアクティビティ、空間の現象を、矢印の分布として捉えることはとても有効に思われる。

これは、都市を「場」として把握することにほかならず、ある場の顕在的、潜在的現象を等高線として「仮想」し、そのうえに現象の流れや淀みを矢印の群れとして描き出す、という「地形」の比喩としても読める。このように、都市は「仮想の地形」における、等高線と矢印の分布を注視する反復運動によって、観察あるいは構想されうる。それは、大局的(Macro)には街区やその上のブロック、そしてオープンスペースなどの総合的なジェスチャーのなかに傾向として見つけることができ、また局所的(Micro)には、ヒューマンスケールなしかけや人を招き寄せるしつらえなどによってもたらされる現象の「微地形」として観察され、それらMacroとMicroの統合によって都市にいきいきとした場が生まれる。

そして、そうした都市空間における微地形を表出するしかけのひとつに、Stadtmöbel(シュタット・ムーベル、直訳すると、Stadt=都市、Möbel=家具だから、Stadtmöbel=都市の家具)というしつらえがあり、都市に局所性(Locality)をあたえる役割を果たしている。シュタット・ムーベルには、その名の通りベンチなどのストリート・ファニチャーから、街灯、バス停、時計や街の案内板、水飲み場に噴水、さらにはキオスクや軽食屋台なども含まれ、それらはパビリオンのごとく街中に散らばり、局所的に人の動きを誘起する都市のしつらえとなって、無数の矢印を生成している。そしてパブリック・トイレもまた、そうした都市の家具のひとつに数え上げられる。

Café Achteck

ベルリンには、19世紀の終わり頃にデザインされたCafé Achteck(カフェ・アハトエック、直訳すると、カフェ・八角形)とよばれる八角形のパブリック・トイレが街中に散らばっている。パブリック・トイレであるにもかかわらず、洒落で「カフェ」と呼ばれ、長年親しまれてきたのは、都市のなかでの配置やその親しみやすさに起因していると思われる。ここではベルリンにおけるこのパブリック・トイレというビルディング・タイプの簡単な歴史と現在、そしてその意外なほど横断的、総合的な側面を紹介したい。

Café Achteck、立面図、断面図、平面図

Café Achteck、立面図、断面図、平面図
出典=Berlin und seine Bauten, Teil X A (2) Anlagen und Bauten für Versorgung - Stadttechnik, Wilhelm Ernst & Sohn, 1896
https://www.aiv-berlin.de/verein/berlin-und-seine-bauten

パブリック・トイレの発生および発達は、18世紀から19世紀にかけての産業革命に伴う都市への人口流入が引き起こした都市環境の悪化への対策、および、上下水道の整備の発達とよく符合する。その衛生設備としての機能的な側面はもちろん、パブリック・トイレという新しいビルディング・タイプが都市空間のなかでどのようなたたずまいを持ちうるのかということに対する人々の関心は驚くほど高く、19世紀後半には数度にわたって大きなコンペも開催され、建築家からは非常に幅広い解答が提出されたようだ。

そして、これらの建築家たちはみな一様に、パブリック・トイレという新しいビルディング・タイプの設計を、(a)その当時の最新の技術である鋳鉄を用いる絶好の機会だと理解し、また、(b)小さなパビリオンにおいていかにベルリンという都市の威風を表現すべきか、という、最先端の技術(a)と、都市の歴史への造形的、美学的解答(b)が高度に統合された問題として取り組んだようである。

Café Achteck全景

Café Achteck全景。

鋳鉄の壁面詳細

鋳鉄の壁面詳細。目隠し板にはランタンもついている。

内部空間

内部空間。ハイサイド・トップライトとガラスの天井からの光で満ち溢れ、非常に明るい。

こうして萌芽を見たパブリック・トイレに改良を重ね、開発されたのがCafé Achteckであり、その第1号は1879年に設置され、1920年までには約150カ所を数えるまでになる。

ガラス天井および透かし壁面上部

ガラス天井および透かし壁面上部。

近年改修された御影石の床と壁

近年改修された御影石の床と壁。壁面に向かって勾配が取られている。

上で述べたようにその発生の起源を考えると、その設置場所は人の流れの多い、すなわち矢印の群れた場所がほとんどで、広場や公園などのパブリック・スペースにはなくてはならない、まさしく都市の家具のような存在として、また都市生活の風景の一部として、人々から愛されてきた。

Rüdesheimer Platz

Rüdesheimer Platz

Leuthener Platz

Leuthener Platz

Gendarmenmarkt

Gendarmenmarkt

Stephanplatz

Stephanplatz

第2次世界大戦時にその多くが破壊され、現在は約30カ所を残すのみとなっているが、およそ100年経ったいまもそれらはまだ現役で、現在のスタンダードに合うよう衛生設備は更新され、それらのいくつかは文化財登録もされている(ちなみにプロトタイプ開発当初は男性の小便器に限られ、女性用は安全上またモラル上の理由から見送られているが、近年の改修により、女性用のキャビネット、男性用のキャビネットも加えられた)。

女性用も加え改修されたタイプ

女性用も加え改修されたタイプ。

内部は現代のスタンダードに合わせて改修されている

内部は現代のスタンダードに合わせて改修されている。

また、八角形のタイプ(7人用)のほかに、これと同じ意匠を用いた四角形のタイプ(10人用)のものがあるが、これなどはなんと飲食店にコンバートされ、いまでは街でも人気のハンバーガーショップとして人々を招き寄せている。矢印の流れに注目し、家具を置換することで(トイレ→軽食屋台)、都市空間での現象の種類が更新されたよい例だと思う。

高架下に絶妙なバランスで挿入されている

高架下に絶妙なバランスで挿入されている。

駅の前ということもあり、いつも多くの人で賑わっている

駅の前ということもあり、いつも多くの人で賑わっている。

もともとは10人用のパブリック・トイレだった

もともとは10人用のパブリック・トイレだった。

大きな道路に挟まれ、島状の高架下の空間が特別な場を生み出している

大きな道路に挟まれ、島状の高架下の空間が特別な場を生み出している。

つねに長蛇の列で賑わっている

つねに長蛇の列で賑わっている。
(以上、特記なきものは筆者撮影)

このようにパブリック・トイレの歴史を紐解くと、じつはそれは都市計画、土木技術、衛生設備、建築造形といったさまざまなテーマを横断しており、またその配置を注意深く観察することはすなわち、その周辺における活動の微地形を読み解くことにもなり、都市空間の分析、更新にも役に立つ。そうした意味で、パブリック・トイレはまだまだ開発されるべき可能性を存分に秘めているビルディング・タイプのように思われる。

川原達也(かわはら・たつや)

1979年、香川県生まれ。建築家。京都大学大学院修了、坂茂建築設計を経て2009年よりエレン・クリスティナ・クラウゼとともにKAWAHARA KRAUSE ARCHITECTS, Hamburg共同主宰。主な作品=「薪の礼拝堂」(2013)、「ライネ・コミュニティ書庫」(2015)ほか。