国内トイレ・サーベイ 4

「個性的なパブリック」を導きだすトイレのあり方

冨永美保(建築家、tomito Architecture)

行為の多様性と空間の均一性

冬の寒い日にあたたかい便座に座りほっと一息ついたとき、この国に生まれてよかったと思った。
海外のトイレ事情と比較してみると、日本のトイレは恵まれているのだということにあらためて気づかされる。水洗トイレや温水洗浄便座の普及率が世界の中でもトップレベルであるのはもちろん、そのほかにもドアに鞄をかけるフックや傘立て等にみられる細やかな気配りに至るまで、トイレに行き、排泄し、手を洗って戻るまでの行為すべての流れが、より快適であるように綿密に設計されている。その小さな空間からは、まるで千利休が発明した茶室のようなおもてなしの精神を感じとることができる。

快適に過ごせる空間と時間が保証されていることから、個室内ではどのような現実が繰り広げられているかが気になり、前回の記事で調査を実施した。調べてみると、トイレという秘密の花園の内実は思っていたよりもたくさんの行為にあふれていて、その最小限の広さの個室に期待されている要求の多様さが浮き彫りになった。一方、発生するアクティビティがいろいろあるということは、排泄以外にもトイレでの時間の費やし方がそれぞれにあり、個室内外に限らずそこに期待する空間的な性質(もしくは起こりうるドラマ性)がもっと多様であるはずということである。それにもかかわらず、現状の「トイレ」として現われている空間は、便器を個室に割り当てて置いたような、わりとどこも同じようなものであると感じる。

空間としてのトイレは、既存のいわゆる「トイレセット」のままでよいのだろうか。そうではないとすれば、時間による利用方法や要求が違うという個人の要求を起点とした、異なるキャラクターの存在する新しいトイレのあり方とはどんなものだろうか。

今回は、より多くの主体に対して時間を問わず開かれている公共のトイレをケーススタディとして取り上げ、利用者や利用形態、利用時間帯を考慮したうえで、トイレの変化によって、そこで起こる出来事や人のふるまいや居場所、公共性までが転換する可能性について考えてみたい。

パブリック・トイレ利用者のふるまい

トイレのなかで最も公共性が高いのは、公園のトイレなのではと考える。
24時間、誰でも立ち寄ることができ、何時間でもいることができる。公園の中にはいつも誰かがいるわけでもないし、他者からの無関心さとその自由度から、事件の現場として度々ニュースに登場するような悲しい現実もあるが、いつ何時、誰にでも門戸を開いている極めてオープンな存在である。ただ、どこの公園のトイレもだいたい同じで、男女+多目的トイレの個室が並列しているつくりである。機能性の観点から見れば特に問題なく利用することができるが、あらためてみると没個性的だ。

鮫洲運動公園 敷地状況

鮫洲運動公園 敷地状況

今回ケーススタディとして取り上げたいのは、京急鮫洲駅近くにある公園である。この公園にも、いかにも普通を極めたような公衆トイレがある。しかし、この場所を観察していると、じつに多様な主体が利用していることがわかる。朝はご老人たちのゲートボールの練習に始まり、幼稚園が終わる昼下がりには保護者と幼児のサロン、主婦たちの情報交換の場、小学生たちの野球スタジアムにもなる。定期的に清掃員が掃除していたり、夕方には近所の中高生がデートにやってきてブランコでゆらゆらしていたり、部活帰りの高校生が隣接しているコンビニで調達した唐揚げをほおばり、夜はランニングするおじさん、深夜にはタクシー運転手が路肩に車を止めてトイレに駆け込んでいる。この公園は駅から近く、幹線道路や住宅地に面し、かつ商店街に近接しているから、特に多様な種類の人々がやってくるのかもしれない。そうしてやってくる人たちは、公園内のトイレに立ち寄る可能性をおおいに持っている。

公園のトイレを見ていると、たいてい道路からアクセスしやすい位置に配置されている。ひとつは防犯・管理上の観点から、奥まった位置にトイレがあるとホームレスが居座ったりしてしまう等の理由であろう。もうひとつは、アクセスしやすい位置に置くことで、公園とは関係ない市民にも利用しやすくなる。しかし、こういった合理的に思える公園内のトイレ配置が、公園での行動範囲を図らずも制限し、個性を殺してしまっているのではないだろうか。

調査した鮫洲の公園も例に漏れず、最もアクセスしやすい道路に近接してトイレが設けられている。しかし公園の前面にトイレのヴォリュームが登場してしまい、公園内のアクティビティの目隠しとして働いてしまっていた。そこで、このトイレの位置を仮想的に動かし、場の状況や多様性にどのような変化が起きるかについて想像してみることにした。

公園内の様子

公園内の様子[クリックで拡大]

現在のトイレの位置

既存トイレの位置

1. いろんなキャラクターのトイレがいっぱい点在する案

例えばトイレを分散させてみる。ぽつぽつと公園内に点在し、男女関係なく利用することができるトイレを考えてみる。こうするとまず既存のもののように、道路から公園内への見通しが大きなトイレ・ヴォリュームで遮られてしまうことがなくなる。道から公園内の活動を眺めることができるようになるため、より開放的で入りやすい公園計画とすることができるだろう。
また、公園内には、お弁当を広げられるようなテーブルセットエリアや幼児が遊ぶエリア、砂場コーナーなどのいろいろな場が地面のテクスチャーや樹木ですでに分節されており、その場所ごとにいる人の種類も異なる。例えば幼児たちが遊ぶ遊具のそばに幼児用の小さなトイレを設けると、トイレ教育に役立つかもしれない。また、ママ友が集まるランチテーブルの近くには授乳コーナーやパウダールーム付きのトイレがあると幼い子どもがいても公園に出ていきやすい。タクシードライバーが深夜に駆け込むトイレには喫煙ルームや自動販売機などが眠気覚ましの場として設えられていると、居眠り運転による事故を減らせるかもしれない。需要や場所の性質ごとにさまざまな要素を拾い、それに寄り添うようにトイレ空間の内容が変わっていると楽しい。24時間多目的に利用できる公共のトイレだからこそ、さまざまな種類の都市生活者の生活の質を担保できるようなしかけが用意できるはずである。利用時間帯の食い違いによって出会うことのない他者の利用の残像がうかがえるような公共空間のあり方を考えると、トイレは、単なる排泄目的ではない、そこで過ごす時間と公園、人間の具体像を映す鏡となるだろう。

1. いろんなキャラクターのトイレがいっぱい点在する案

1. 男女関係なく利用できるトイレが公園内に点在している。

2. 中央に立つ指揮者としてのトイレ案

思い切って中央に置くパターンを考えてみる。先ほど、すでに公園内は地面のテクスチャーや樹木でいくつかの場に分節されており、場所ごとに遊具があったりベンチがあったりと、異なるキャラクターがそれぞれに時間を過ごしていると述べた。この複数の質の中間にトイレを置くことで、より場ごとの性質が強まるのではないかと考えた。
トイレを単なるヴォリュームとして悪者的に公園の隅に追いやるのではなく、公園全体の指揮をとるような、積極的にアクティビティを引き出す空間装置として捉えてみる。その場合、トイレの形は現在のような単純な直方体ではなく、場ごとの性質をより引き出すような空間的なしかけがあるとよい。
例えば広場に面した壁はボルダリングができるような遊具として機能したり、陽射しの強い南面にはパラソルのような伸びやかな庇があったり、運動場を眺められるようにベンチが設えられているなどの応答の方法があるかもしれない。それぞれの居場所の可能性をより引き立てるような設計をしていくことによって、公園内を回遊する動線にシークエンスが生まれ、散歩をしていても異なる活動が順番に見え隠れするような楽しい体験になるだろう。

2. 中央に立つ指揮者としてのトイレ案

2. 中央に建つトイレが、公園内の場所ごとの可能性を引き出していく。

3. 周りを頼ることで生まれる新しい公共への展開可能性

少し変化球的であるが、トイレを公園内につくらず、隣接している敷地の建物の一部のトイレを利用する案もある。公園内から見通しがよい場所にあり、かつ道路からもアクセスができて、公園を利用しない市民も気軽に入れる場所としてつくると、現状の公共性を確保しながらも新しい利用を促せるのではないだろうか。道路から建物を介して公園へと通り抜けができ、その一部にトイレがあるというイメージである。
この場合、公園内にトイレ・ヴォリュームが出てこないので、視覚的に分断されることがなくなり、一体的で伸びやかな公園空間とすることができる。公園を広々と利用できることも魅力的だが、それに加えて、トイレをきっかけとして公園に隣接するひとつの建物が町へ開かれることに可能性を感じる。そこに日常的な動線としての利用や近道としての利用も含めると、排泄という目的だけではなく、道としての性質を帯びることになる。さまざまな人物が通り抜けることを想定すると、室内空間を有効活用しながらより多くの目的を公園に展開させることも可能なはずである。例えば公園と一体的に利用できるシェアキッチンやレンタルスペースを建物内に計画すると、近隣住民たちの公園利用の幅も広がるだろう。トイレを起点として、既存のストックを活用しながら、公園や公共の可能性の広がりまで展開できる可能性をもっている。

3. 周りを頼ることで生まれる新しい公共への展開可能性

周辺に建つ建物のトイレを利用すれば、それをきっかけに公園と近隣のつながりが生まれるかもしれない。

おもてなしの先へ

設備や技術の発展や日本人的おもてなしの精神からか、私たちはすでに恵まれたトイレ環境のなかを生きている。トイレはとても快適で使いやすく、個室で眠ってしまうことがあるくらいに親密な存在であるからこそ、トイレで過ごす時間から人間の要求の多様性をうかがい知ることができるほどのアクティビティが展開されている。

トイレを生理的な目的だけではなく、さまざまな目的が同居している場所だと再定義し、その箱の中だけではない周辺や前後の時間、人間のおもしろさを鑑みながら再考することで、その場を超えた広がりや展開が期待できるのではないだろうか。

その先には、単なる個人の感覚や要求を超えた、公共空間としての豊かな質に溢れた「個性的なパブリック」を導きだすヒントが詰まっているように思う。

今回原稿を執筆するにあたり、松尾隆史さん(トイレ愛好家)にご協力をいただきました。

冨永美保(とみなが・みほ)

1988年、東京都生まれ。建築家。2013年横浜国立大学大学院Y-GSA修了。2013-15年、東京藝術大学美術学部建築科教育助手。2014年より伊藤孝仁とともにtomito architectureを主宰。主な作品=《丘の町の寺子屋ハウス CASACO》(2016)、《庭が回る家》(2016)ほか。