ジオポンティ設計「聖フランチェスコ教会」
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イタリア建築界の巨匠、ジオ・ポンティ設計「聖フランチェスコ教会」外装タイルをINAX が復原
修復後の教会全景
修復後の教会全景
左翼棟の外壁にINAX 提供のタイルが使用されている
近代教会建築の秀作「聖フランチェスコ教会」
ミラノ市の南西に位置する「聖フランチェスコ教会」。イタリア建築界の父と呼ばれるジオ・ポンティが設計したカトリック教会で、1963年の完成以来、地域の人々の教区教会として親しまれている。

この建築は、中央の礼拝堂と左右の附属施設の3棟から構成されていて、さまざまな見どころがある。まず、もっとも特徴的といえるのがファサードである。通常、建築のファサードは建物自身で完結しているのだが、ここでは3棟のファサードがつながっているのである。しかも、それぞれをつないでいる部分には六角形の穴がうがたれていて、空が見え、風か吹き抜ける仕掛けがつくられている。
この六角形の幾何学模様と穴がうがたれているファサード構成はジオ・ポンティが好んだもので、晩年の傑作である「ターラント聖堂」でも用いられている。

イタリア南部の都市ターラントの新市街に建つ聖堂もファサードに特徴があり、特に40mもある高層棟の壁面は、全面的に六角形と四角形の幾何学模様に穴がうがたれている。はじめて聖堂を訪れた者は、大きな壁面を前にして、色違いの模様が描かれているのか、それともガラスが張られているのかと思案しつつ、雲の動きを見て、穴がうがたれているのに気づく。それほど衝撃的なファサードの構成なのだが、この聖堂のイメージ、すなわち、実のファサードと虚のファサードの組合せが、すでに「聖フランチェスコ教会」で表現されていることは興味深い。

ファサードにおけるもうひとつの特徴がタイルである。このタイルもジオ・ポンティ自身のデザインによるもので、四角錘の形状をしている。グレーの色彩を帯びたタイルであるが、立体的になっているため、太陽の動きに合わせて表情を変える。見る角度によって明るさや色彩の違いを感じることのできる、きめ細やかな工夫が施されているのである。

教会内部もジオ・ポンティらしい空間に仕上げられている。軽くリズミカルに並んでいる柱梁と、妻側に設けられた六角形のステンドグラスから入る象徴的な光。教会という荘厳な空間を近代建築の手法でまとめていて、明るい中にも神々しさが漂っている。洗礼盤、家具、照明器具などもジオ・ポンティ自身がデザインしたことも、空間の完成度を高くしているといえよう。
左翼棟のディテール
左翼棟のディテール
四角錐型のタイルが見る角度によってさまざまに表情を変える
約1 年間の試作期間をかけて復原
しかしながら、時の経過による老朽化はどの建築も同様で、「聖フランチェスコ教会」も例外ではなかった。完成後すでに45年以上経っているこの建築でも外装タイルの傷みは激しく、長年、修復の必要性が訴えられていた。教会正面と右翼棟はすでに修復が終わっていたが、ミラノ・カトリック大学で学ぶ女子学生約100人の寮である左翼棟は修復の目処が立たずに、タイルの剥離や汚れがそのままになっていた。

そんな折、3年ほど前からジオ・ポンティ設計の南イタリア、ソレントのホテル「パルコ・デイ・プリンチピ」のブルーのタイルの復元研究を手がけていたINAXに相談が持ちかけられ、INAXライブミュージアムものづくり工房が窓口となり、タイル復原の計画がスタートした。約1年間の試作期間をかけて、オリジナルデザインを忠実に再現した約9万ピースのタイルが常滑のINAXで生産され、2008年6月に名古屋港を出港。7月〜8月に工事が行われ、1,000m2の外壁がきれいに修復され、9月に竣工を迎えた。
「聖フランチェスコ教会」内陣
「聖フランチェスコ教会」内陣
洗礼盤、家具、照明器具などもジオ・ポンティのデザイン
INAX という会社のDNA
INAXは1924年に伊奈製陶株式会社として創業したが、そのきっかけはフランク・ロイド・ライトが設計した帝国ホテル旧本館(1923年竣工)にある。

当時ライトは、帝国ホテルの内外壁に使用する黄色の煉瓦を求めて愛知県知多半島南部の採土場を訪れ、常滑の地に帝国ホテル直営の煉瓦製作所を設けた。製作所はスクラッチタイルなど数百万個を生産してその役割を終えたが、この工場の技術顧問をしていた伊奈初之烝・長三郎親子が全従業員を雇用して新しく創業したのがINAXの始まりである。

フランク・ロイド・ライトから教えられた建築家と共に研究開発して丹精込めた製品をつくるというDNAは、84年後の「聖フランチェスコ教会」の修復でも引き継がれている。

デザインと技術が表裏一体とならなければ、素晴らしい建築は生まれない。今回の修復作業は建築家の思いを汲み取りながら忠実に復元した技術力のたまものといえるだろう。
ミラノ副司教から記念プレートを授与されるINAX の川本隆一社長  
ミラノ副司教から記念プレートを授与されるINAX の川本隆一社長
  式典の後に催されたアンサンブルコンサート
式典の後に催されたアンサンブルコンサート
ジオ・ポンティについて
1891年ミラノ生まれ。1921年にミラノ工科大学建築学科を卒業したが、建築の仕事ではなく、製陶会社のリチャード・ジノリに入社し、陶磁器のデザインを手がけたのが、彼の将来にとって重要なことであった。職人と一緒にものづくりを経験する一方、〈デザイン〉と〈製造〉を厳密に分けて、デザインの重要性を説き、デザインの発展のために尽力を注いだ。このことが後の大工業化時代の製造業におけるインダストリアル・デザインの独立性と発展につながっていくのである。

その後も、建築を中心にインテリア、家具、自動車、衛生陶器など広範囲にわたってデザインを展開。1957年に発売された椅子「スーパーレジェーラ」は、弾力性のあるトネリコを用いることで軽くスレンダーな姿を実現させ、現在でも多くの愛用者がいる。

彼はまた『ドムス』誌を立ち上げたことでも知られている。生活のすべてにデザインが存在していることを意識させる活動は、『ドムス』の編集姿勢にも表れていて、現在まで引き継がれている。
ジオ・ポンティ
ジオ・ポンティ

代表的な建築としては「サンレモのカルメロ修道院」、「聖カルロ教会」、「ターラント聖堂」などがあげられるが、その中でもミラノの超高層ビルである「ピレリ・ビル」は特に有名だ。124mの高さを持つ、ヨーロッパにおける超高層ビルの先駆けで、下から上に行くにしたがい細くなるRC柱が端正な造形をつくっている。
1979年永眠。
株式会社INAX INAX ライブミュージアム ものづくり工房 後藤泰男氏が語る ----「聖フランチェスコ教会」の外装タイル復元にあたって----
修復前の教会 タイルの剥離や汚れが目立っていた
修復前の教会 タイルの剥離や汚れが目立っていた
修復後の教会 オリジナルタイルのイメージをそのままに再現
修復後の教会 オリジナルタイルのイメージをそのままに再現
日本で制作した試作品をミラノの現地で比較検討
日本で制作した試作品をミラノの現地で比較検討
外装にタイルを使うことが珍しいヨーロッパにあって、『建築を愛しなさい』の著書でも知られるジオ・ポンティは、ミラノ中央駅前の超高層ビル「ピレリ・ビル」など、数多くの建築に外装タイルを用いました。そんな彼が選んだ外装タイルを復元することは、タイル建材に携わる技術屋として興味のつきない仕事でした。

幸いにもジオ・ポンティ・アーカイヴが創建当時のタイルを保管していましたので、それをお借りすることで、イタリアと日本の距離感を感じることなく、色合いや形状の試作を繰り返すことができました。

まずは、借用したタイルを元に専用の金型を制作、乾式プレスで成形することから始めました。四角錐型の立体的な形状をしているので、中央部と周辺部では厚みが違います。そこで、ひずみを生じさせないように裏面を細工しました。また、グレーの色合いは、ジルコングレーの釉薬を用い酸化焼成で表現しました。特に釉薬の溶融粘性により、四角錐型の稜線がハッキリしてしまい、現代的になってしまうことから、釉薬の粘性を調整して、当時の手づくりのやわらかさが残るように調整しました。

試作を繰り返す中で、「なぜ成形の難しい四角錐の形状にしたのか?」、「どちらかといえば地味なグレーの色を選んだ理由は?」といった疑問を感じていました。しかしながら、晴れの日、曇りの日、朝と昼とで表情を変える完成後の教会の写真を見ていると、ジオ・ポンティがタイルに求めた役割が少しだけわかったような気持ちになりました。
写真クレジット
*1 © 梶原敏英
*2 撮影:佐藤タダシ(STYLEBOOK)
*3 Photo c Gio Ponti Archives

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