特別記事

穴が開くほど見る

建築写真から読み解く暮らしとその先

(『新建築住宅特集』2018年2月 掲載)

  • facebook
  • twitter

第1回  塚本由晴( 建築家、東京工業大学教授)× 五十嵐淳(建築家)

「穴が開くほど見る──建築写真から読み解く暮らしとその先」と題して、2回にわたり名作住宅の建築写真を隅々まで掘り下げて読み取ります。時代背景、社会状況、暮らし、建築家の思いなど、読み取る側の想像も交えながら写真の細部まで紐解くことで、時代を超えた大切なものを見つめ直し、未来に向けた建築のあり方を探ります。第1回目は、塚本由晴氏を五十嵐淳氏の地元である北海道に招き、公開対談でお話しいただきました。(編)

建築写真を穴が開くほど見る

塚本:

今回のタイトル「穴が開くほど見る──建築写真から読み解く暮らしとその先」は、私が提案しました。「穴が開くほど見る」というのは、 1枚の写真を時間をかけて細かいところまで徹底的に見尽くすことです。 建築だけではなく、部屋に置いてある小物や人の仕草、影や光の具合から写真を撮った時間やシチュエーションまでを想像する。学生時代に同級生の西沢大良さんたちと『新建築』、『建築文化』、『SD』など建築雑誌のバックナンバーを読み漁っていて、1枚の写真を「穴が開くほど見る」ようになりました。写真にはカメラマンが意図していないものまで写っているので、建築のかたちを見るだけではなく、その時代や、場所や暮らしの雰囲気まで想像しようとするようになりました。1960年代の日本や海外の建築シーンを実際に体験することはできないけれど、そのように想像したほうが、建築自体も輝いて見えてくる。以前、五十嵐さんから雑誌をよく見ていると伺っていたので、対談したいと思いました。

五十嵐:

僕の「穴が開くほど」という体験は、塚本さんとはずいぶんと違う出発点です。 北海道の田舎で生まれ育ったので、新しい文化に触れる機会が身の回りにありませんでした。10歳頃になってお洒落なものに憧れて、『POPEYE』や『Hot-Dog PRESS』、『BRUTUS』などを読み始めたのですが、そこには最先端の店舗などの内観写真が小さく載っていて、その頃の自分の琴線に触れる写真をスクラップしていました。情報はその写真1枚で、東京へ行くこともできず、どんな空間か想像するしかない。それが建築や空間に興味をもつきっかけでした。そして専門学校時代に、隣の席の人が見ていた安藤忠雄さんの書籍に魅了された。学生時代は安藤さんの本ばかり見ていましたが、プランと写真から、その先はどうなっているんだろうと妄想と想像をする毎日でした。設計事務所に就職すると建築雑誌に触れる機会が増えましたが、写真を見て妄想する癖は続きました。こんなふうに光が入ってくるのは、窓はどのくらいの大きさでどんな高さについているのか、この写真を撮っているカメラマンの背後にはどんな空間が広がっているのか妄想し、空間を構築していった。それが私のベースにあるので、まったく情報がない状態で建築をとらえることが今でも好きです。

食堂が外にある家/レーモンド自邸

「レーモンド自邸」アントニン・レーモンド「レーモンド自邸」アントニン・レーモンド(1951年、東京都港区) 提供:レーモンド設計事務所

塚本:

まず、私が選んだ1枚目。これはアントニン・レーモンドが設計した「レーモンド自邸」で、夫妻が朝食をとっているシーンです。彼が戦後アメリカから戻ってきて麻布に建てた職住一体住宅なのですが、私はこの写真が本当に好きで、これまで穴が開くほど眺めてきました。レーモンドはフランク・ロイド・ライトの事務所で働いていた時に「帝国ホテル」に関わり、日本が気に入ってその後も日本で設計を続けていたのですが、 戦時中は帰国していました。戦後の復興期には住宅の面積制限があったはずなんですが、1951年にできたこの家はかなり大きいので、優遇されていたのかもしれません。それはさておき、この家、食堂が家の中にありません。図面によると、この写真に写っているところが「食堂」です。長い建物の真ん中が中庭のようになっていて、ガラスがあるか分からないけれど母屋や垂木が露出した庇の空間。ここで毎日食事していたんでしょうね。この写真はおそらく日本で最初の、人が外部空間で食事している建築写真だと思います。そもそも日本ではあまり日常的には外部空間で食事をしません。農家などにこういう庇の場所があっても、大体はものが置かれた作業場になっていて、食事を楽しむわけではない。日本建築の大きな特徴は内部と外部の連続性で、確かに畳の敷かれた座敷と縁側と庭は繋がっていますが、縁側には食事を広げるような幅はない。事実はどうか分かりませんが、テレビの時代劇で、勝海舟が縁側で湯豆腐を食べながら酒を嗜むシーンがありました。でもひとりです。こういうふうに家族や友達と一緒ではないんです。この写真は、どちらかといえば地中海的な食事のとり方、暮らし方です。レーモンドの自邸は床があまり上がっていなくて、外と中の段差が10〜12cmくらいしかない。日本だと庭から床までは40〜45cmですよね。そしてここには家具が置いてある。日本は風が強くて埃が立つし、湿気も多いから家具が外気にさらされることはない。

五十嵐:

奥さんがノースリーブだから、季節は夏ですね。東京だから7月か8月でしょうか。雨が降ったらどうしたんでしょうか。

塚本:

テーブルを左の寝室に入れて食べていたはずです。犬が2匹気持ちよさそうにひんやりした石の床に腹をつけている。木陰の気持ちよさが伝わってきますね。
次は五十嵐さんが選んだ1枚目にいきましょうか。

北に広い庭がある家/田上義也自邸

「田上義也自邸」田上義也「田上義也自邸」田上義也(1926年、北海道札幌市) 提供:角幸博

五十嵐:

今回、北海道の建築をというリクエストでしたのでずいぶん探しましたが、北海道の古い建築に人の暮らしが写っているものは本当に少なくて、この「田上義也自邸」は北海道大学の角幸博名誉教授に相談して見つけたものです。1926年に札幌で撮影された写真で、写っているのは田上さんご自身。彼は大正から昭和にかけて北海道で活躍した建築家で、洋風建築を多く残しています。この自邸もレーモンド自邸同様、職住一体住宅。写真の左側が事務所で机が6つくらいある。地面に落ちた影と植物の感じから初夏だと思います。写真は北側から撮影していて、広い庭があり、南の庭は割と狭く配置されている。 まず、北になぜこんなに広い庭をとるのかが不思議です。北海道で設計していると、敷地面積は70〜100坪で今でも割と大きいのですが、建て坪は大きくても30坪くらいで、北側に家を寄せて南に庭をとろうとするのですが、 この写真を見ると田上さんはまったく違うことをやっていることに驚きました。アプローチがありテラスが設けてあり、人を迎え入れる場所をきちんとつくっている。田上さんの背後の切妻屋根部分が食堂で、その左側にあるのがテラスです。テラスの奥に玄関があり、エントランスホールを抜けた南側にもテラスがあるのですが、エントランスホールから左に行くと事務所、右に行くと階段ホールがあり、さらに食堂へ続きます。ということは食堂が北側に面していて、反対側にはリビングがあって、真南に突き出してベッドルームがある。水回りも西へ突き出るかたちになっています。
現代の北海道の設計者の立場からすると本当に不思議な構成だったのですが、よく見ていくと、田上さんは栃木県の那須塩原出身なのに、こんなに北海道のことを考えて設計したんだと気づかされました。札幌は西北の風が強い。この人は西に対して緩衝帯つくっているんです。台所やトイレ、物置を西側に配して緩衝帯になるつくり方が読み取れます。ベッドルームを真南に配しているのも、実は緩衝帯なのではないかと思います。なぜなら昼間は事務所にいて人がいない部屋なので、夜だけ使う部屋が緩衝帯として南につくられた。庭は夏しか使えないことを理解したうえで、テラスや食堂、台所を設置し、勝手口からも庭を楽しめるように計画されている。テラスが北側にもあるのは必然性がある。北海道も夏はそれなりに暑いので、日があたりすぎると居心地の悪いテラスになってしまうけど、ここは北に面しています。太陽の高度は上がるので、それほど長い影はできずに明るい庭になるんですよね。それが分かった時、この人すごい!と思ったんです。怒られるかもしれませんが、この写真に出会うまで、田上さんってフランク・ロイド・ライトのテイストだけを受け継いで、北海道で設計を始めたら人気が出た人だと思っていました。しかし、この写真から自邸を読み解くと驚きばかりです。

塚本:

先ほどの北の庭の考え方は理に適ってますね。バルセロナでも北側にバルコニーを設けます。北海道は雪が風で飛んでしまうようですが、この玄関回りの雪かきは大変ではなかったでしょうか。

五十嵐:

フラットルーフのアトリエを配置して雪止めにしています。

塚本:

なるほど、よく考えられてますね。

五十嵐:

北海道の建築は、この時代がいちばんよかったのではないかと思います。僕が子供の頃、茶色の建材を壁や天井に貼り、暖炉に見せかけたストーブが置いてあるような、フェイク建材が大ブームで、その後もそんな家がどんどん建てられました。実家は工務店だったのですが、春になると膨大な建材やシステムキッチンが問屋から実家の倉庫に届いて、それを切り売りしながら家をつくる。建主に建材を選択する幅が少ない。そういう時代でした。

塚本:

今は機械化が進み専門性が高まって建築が細分化されて、それぞれの研究者がいる。しかし1920年代にはまだ分離されてないから、建築計画や意匠、環境性能の問題といろいろなものを同時に考えられた。そういう計画原論にもう一回戻したほうがいいと思います。

五十嵐:

その通りだと思います。この写真が撮られたのは、裸で勝負するしかない時代。だからこそ、田上さんも北海道の風土に合った建築というものを必然的に考えられたのだと思います。

  • 1
  • 2
  • facebook
  • twitter