対談 3

震災復興から学んだこと ── 水まわり、公共、観光

千葉学(建築家)× 塚本由晴(建築家)| 司会:浅子佳英

住宅の水まわりからパブリック・トイレへ

浅子佳英

本日は公開対談ということで、建築家の千葉学さん、塚本由晴さんをお招きしました。今回、お二人と議論していくにあたり、次の3つのテーマを用意しました。

ひとつめのテーマに関連して、まずは今回お二人にお声がけした理由についてお話しします。昨年僕は「住宅のユーティリティ再考」(『住宅特集』2016年8月号)という雑誌企画で、過去25年間に発表された住宅作品のトイレのプランを調べたのですが、千葉さんと塚本さんは水まわりのデザインまで新たなプランを積極的に模索していた数少ない建築家だったという強い印象を抱きました。そこでまずはお二人が手がけてきた住宅について、あらためて水まわりという観点から設計思想やその共通性などを伺いたいと思います。

2つめのテーマはこの企画のメインでもあるパブリック・トイレについてです。千葉さんは釜石で複数の復興公営住宅を手がけていらっしゃいますが、そこでは過去の集合住宅での実践が活かされていると思いました。一方、塚本さんはマイクロ・パブリック・スペースのリサーチからはじまり、近年はより大きな公共空間も設計されています。そこでトイレの話を起点としながら、過去の住宅での試みと近年の公共プロジェクトとの連続性についてお聞きしていきます。

最後に、先の2つのテーマとも絡んでくる別のキーワードとして「観光」を取り上げたいと思います。塚本さんは最近発表した「観光に包囲された家」(『住宅特集』2017年9月号)と題する論考のなかでAirbnbを引き合いに出しながら、観光を起点とした開かれた住宅の可能性を考察しています。他方、千葉さんは具体的な実践として、東北の牡鹿半島で観光に関するイベントを継続的に行なわれてきました。このように住宅や復興の問題にも関係している「観光」が、これからの建築にもたらす可能性について最後に議論できればと思います。それではよろしくお願いします。

千葉学と塚本由晴

千葉学(ちば・まなぶ) 左
1960年生まれ。建築家、東京大学大学院教授。千葉学建築計画事務所。主な作品=《和洋女子佐倉セミナーハウス》(1997)、《黒の家》(2001)、《MESH》(2004)、《日本盲導犬総合センター》(2009)、《釜石市大町復興住宅3号》(2017)ほか。2014年より「ポタリング牡鹿」を企画。著書=『人の集まり方をデザインする』(王国社、2015)、『rule of the site――そこにしかない形式』(TOTO出版、2006)ほか。

塚本由晴(つかもと・よしはる) 右
1965年生まれ。建築家、東京工業大学大学院教授。貝島桃代、玉井洋一とアトリエ・ワン主宰。主な作品=《ハウス&アトリエ・ワン》(2006)、《みやしたこうえん》(2011)、《アンチパロス・ツリーハウス》(2017)、《まちや・アパートメント》(2017)ほか。主な著書=『メイド・イン・トーキョー』(鹿島出版会、2001)『空間の響き/響きの空間』(LIXIL出版、2009)、『Behaviorology』(Rizzoli、2010)、『図解アトリエ・ワン2』(TOTO出版、2014)、『Windowscape』(フィルムアート社、2014)、『コモナリティーズ』(LIXIL出版、2014)ほか。

塚本由晴

水まわりはその役割上とても保守的な性格を持っています。そのため住宅のなかで最も閉じられ、衛生上も隔離された場所として扱われてきました。しかし戦後の復興期、住宅に面積制限がかけられるなか、清家清が《私の家》(1954)を設計します。家の内部に扉がないワンルーム型で、流しも庭側にあり明るく開放的という、新しい家族像やライフスタイルを想定したものとして、世間を驚かせました。しかしトイレやシャワーにもドアがない衝撃が強すぎて、面積制限を逆手にとった奇策、と映ったかもしれません。面積制限がはずれたあとは、そのような興味深い事例は見られなくなりました。新たな試みが再び現われるようになるのは1980年代後半で、たとえば伊東豊雄は仮想の集合住宅ユニットの設計に際し、通常は北側の廊下側に小さくまとめられる水まわりを南面の窓側に温室のように収め、半透明の建具の開閉でリビングルームと連続させる提案をしています。限られた時間だけ使用する水まわりを閉ざすのではなく、光や風を通す内部と外部の緩衝帯として捉え直す試みです。またそのことで風呂での時間の過ごし方も変えようというものです。それを引き継いだ妹島和世の《アパートメントのプロトタイプ》(1991)は、奥行きより間口が狭い標準的なマンションの平面を縦に3分割することで、両側の帯を「キッチンリビング」と「バスリビング」とし、寝室や収納が収められた中央の帯と、建具の開閉による多様な繋がり方を提案しました。また《岐阜県営住宅ハイタウン北方》(1999)では奥行より間口が広い住戸単位とし、その南側を廊下にして水平連窓を最大化し、そこに洗面台を組み込みました。脱衣所とバスルームは、北側に並ぶ個室の間に極めて小さくとられています。これらは水まわりを考えなおすことで暮らしのイメージを変える提案と言えます。

《岐阜県営住宅ハイタウン北方》妹島和世棟の3DKの間取り

《岐阜県営住宅ハイタウン北方》妹島和世棟の3DKの間取り(引用出典=岐阜県公式ホームページ「清流の国ぎふ」)

アトリエ・ワンが《アニ・ハウス》(1997)を考えていたのもこの頃のことです。建物を半階沈めて3層とすることで建ぺいを小さくし、隣家との隙間が2?3mになるようにしました。建物の四周が等価に外に面するよう平面は正方形です。極端な言い方をすれば、パッラーディオの《ヴィラ・ロトンダ》、あるいは庭園の四阿や寺院のお堂の建ち方に近い。内部を仕切らないほうがコンセプトは強まるので、水まわりを隣家との隙間のGLに追い出し、階段の踊り場でつなぎました。これで浴室は庭の一部になりました。

アトリエ・ワン《アニ・ハウス》
アトリエ・ワン《アニ・ハウス》

アトリエ・ワン《アニ・ハウス》(ともに提供=アトリエ・ワン)

《ハウス・タワー》(2006)は間口3m、奥行6m、RC4階建ての塔ですが、プランが小さすぎるため各階とも壁で仕切らないようにしました。すると3階すべてがバスリビングになりました。小さな家のほうが普通の家よりも水まわりがゆったりして大きいという反転が起こっています。《ダブル・ゲーブル・ハウス》(2012)では南の小さな庭に面する方向に2層の温室を設け、その2階部分をバスルームにしました。隣接する2階のリビング側をガラス張りにすることで、ここを厚みのある窓としました。このように住宅のなかでも水まわりはいろいろ新しい暮らし方を考えやすい。水まわりとしての機能性が担保されていれば、案外こちらのアイデアをポジティブに受け入れてくれる住まい手が多いですね。水まわりが明るく開放的になることによる暮らし変化を楽しんでいるようです。

アトリエ・ワン《ハウス・タワー》
アトリエ・ワン《ダブル・ゲーブル・ハウス》
《ダブル・ゲーブル・ハウス》の水回り

アトリエ・ワン《ハウス・タワー》(上)、《ダブル・ゲーブル・ハウス》(下)の水まわり(いずれも提供=アトリエ・ワン)

千葉学

これまでの作品をすこし紹介させていただきます。僕の場合は独立して間もない頃、たまたま賃貸の集合住宅の設計の機会があったため、あらかじめ居住者が特定できないまま計画を進める状況に向かい合うことになりました。住み手の個別のライフスタイルから計画を導くことができないわけで、ならばなるべく自由な場を環境との関係性だけでつくりたいと考えるようになりました。言い換えると、インフラ的に建築をつくろうとしていたわけです。けれども設計にとりかかると、水まわりだけはどうしようもないんですね。その場所と行為の関係が自動的に決まってしまう。その状態からいかに脱出できるかは、自由な場にとって避けて通れない大きなテーマだったわけです。そこで、水まわりの配置だけでその場のアイデンティティが決まってしまうことを逆手にとり、そのことだけを手がかりに設計をしようと考えたのです。たとえば《split》(2003)ではまず2枚の均質な床を用意し、その端部に水まわりを配置するだけで場をつくろうとしました。

《MESH》(2004)では水まわりを建物の外周部に配置しています。場所と行為が固定的に一対一対応している場所を中央の空間からなるべく追い出すという考え方は、塚本さんの《アニ・ハウス》と近いといえるかもしれませんが、ここで重視したのは、閉鎖的な水まわりの持つ空間のスケールと開放的な開口部を絡ませることでした。つまり水まわりを追い出すことで行為と場の関係をニュートラルにしつつ、水まわりの閉鎖性を、開口部を形成する壁のようにも機能させ、居住空間として必要な開放と閉鎖をうまくバランスさせています。建築の周長と水まわりに必要な面積、敷地環境などのパラメータがちょうどうまくいく関係だということを発見できたからこそ実現できたことです。このように、水まわりは生活のうえで不可欠な存在であることは引き受けつつ、そこでの行為が空間を支配することがないよう設計することを考えていました。

千葉学《split》
千葉学《MESH》

千葉学《split》(上)、《MESH》(下)(ともに写真=ナカサアンドパートナーズ)

浅子

千葉さんは《黒の家》(2001)でも「開口部のような水まわり」を設計されていましたね。塚本さんの《アニ・ハウス》とは解き方こそ異なるものの、住み手の使い方を限定しないようにしつつ、閉鎖的になりがちな水まわりの配置を起点に住宅を解こうとしている点で、問題意識は共通しているなと思いました。

千葉学《黒の家》

千葉学《黒の家》(写真=ナカサアンドパートナーズ)

他方で塚本さんは90年代のうちにすでに公共トイレのプロジェクトも手がけています。熊本のトイレについてもお聞かせください。

塚本

20年近く前ですが、熊本県阿蘇町の国立公園内に《草千里トイレ》(1998)を設計しました。敷地の手前には草千里駐車場が、背後には山の斜面があり、大きなコンクリート擁壁で造成してつくられた平場に火山博物館やレストランが建っています。その状況を踏まえ、造成と建築を分けるのではなく、擁壁と一体となったトイレにしようと考えました。火口付近であることから屋根はコンクリートにしなければならなかった。そこでその屋根を斜面と連続させ、その下にトイレを収めました。

国立公園内なので、外観は切妻屋根にすることが求められていたのですが、L字のプランを斜面に対して45度傾け、三角の切り込みを入れて斜面をめくり上げるような構成とすることで、片流れなのに正面からみると切妻に見えるように工夫しています。こうすると建物のファサードは2面だけになるので、それぞれに男子と女子を割り振りました。公衆トイレには、落書き対策と臭い対策が求められます。前者については木目の壁は落書きされにくいという既往研究があったので、これを踏まえて間仕切りや立面を木でつくりました。後者についてはアンモニアの比重が空気より重く床側に溜まることがわかっていたので、小便器のライニングの足元から排気、ファサードの木造縦ルーバーの足元から給気し、上の空気と混ざることなく床近くで臭気を排気する空気の流れをつくりました。空間が男女で分かれていることから銭湯のような雰囲気にするのもよいだろうと思い、天井高をけっこう高くしましたね。当時の建築界では横ルーバーが流行りはじめていましたが、縦ルーバーを意識的に用いたのはこれが初だと思います。

浅子

最近、西沢大良さんの《今治港駐輪施設・今治港トイレ》(2016)を見たのですが、《草千里トイレ》と同じく上層部で男子トイレと女子トイレとをつなげて採光と換気をまとめて行なっていました。千葉さんはパブリック・トイレのプロジェクトについてはいかがでしょうか。

千葉

そうですね、公衆トイレ単体ではありませんが、《敦賀駅交流施設 オルパーク》(2014)では、駅の待合室と合築して24時間使用できる公衆トイレを計画しました。公衆トイレで一番大きな課題は管理の問題で、当初の計画ではトイレは外から自由にアクセスできるものだったのですが、最終的には建物内にすべて取り込むという判断をしました。建物全体が第三者管理となり、掃除などのメンテナンスはそこが定期的に行なうので、そこに委ねることで管理の問題を回避しました。

千葉学《敦賀駅交流施設 オルパーク》

千葉学《敦賀駅交流施設 オルパーク》(提供=株式会社千葉学建築計画事務所)[クリックで拡大]

塚本

《草千里トイレ》は観光地ということもあり、管理組合が一日3?4回ほど清掃しています。この場所に公衆トイレができる前は、駐車場に面したレスト・ハウスにトイレだけ借りにくる人がたくさんいた。木島安史さんが設計した公衆トイレがもう少し山を上がったところにあるのですが、そこは阿蘇山が噴火すると進入禁止になることがあります。それで草千里駐車場にも公衆トイレが必要ということになった。「くまもとアートポリス」のプロジェクトでしたが、建築ではなくて土木発注でしたね。

浅子

土木と建築で異なる点はありましたか。

塚本

このときは予算以外では特に違いを感じませんでした。

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公開日:2017年10月30日