国内トイレ×キッチン・サーベイ 6

ゴンジロウ廃屋キッチンで見つけた分かち合いのかたち

岡部明子(東京大学)

茅葺きゴンジロウ

たまに無性に大量の料理をつくりたくなる。5キロほどの肉を丸ごと焼きたくなる。立派な鯛に出会うとまるごと塩釜焼きにしたくなる。だからオーブンを買った。念願の業務用のクラシックなガスオーブンで、それは「ゴンジロウ廃屋キッチン」に鎮座している。

ゴンジロウとは、房総半島の南端にある館山市の塩見という集落の、昔からあるイエの屋号である。私はゴンジロウと付き合って、かれこれ10年になる。屋敷の主屋は茅葺きだ。最初に出会ったときは、茅葺きの屋根の下には卓球台とキックボクシング用具があった。今は道を挟んで近代的な住宅に住むゴンジロウの家長が、スポーツルーム代わりに使っていたらしい。

彼は塩見の区長さんでもある。日当りの悪い裏側の屋根には穴が開き、大きな梁の腐朽がかなり進んでいた。茅葺きの職人さんに指導してもらって、学生たちと2週間程度寝泊まりし、屋根全体の1/5程度を毎年葺き替えていった。集落のおじさんたちに作業の仕方を教えてもらったり、ご近所から野菜や釣ってきた魚などをいただいたりした。気づいてみると、ゴンジロウは、すっかり私の暮らしの一部で、なくてはならない空間になっている。

茅葺きゴンジロウの鳥観図。手前右が「廃屋キッチン」

茅葺きゴンジロウの鳥観図。手前右が「廃屋キッチン」
森光太郎作成

学生たちとの茅の葺き替え作業

学生たちとの茅の葺き替え作業
以下、すべて岡部研究室提供

別棟の炊き場に竃と風呂

こうした昔の型に則った、いわゆる田ノ字型平面を基本とした民家では、竃が土間にあるのが一般的だが、南房総地域では、竃は別棟の炊き場にある。炊き場には、台所と風呂釜と小部屋がある。小部屋では、農作業途中に長靴を履いたまま昼食を取ったという。要するに、炊き場は、ダイニングキッチン+バスである。気候が温暖なため、火を使う機能を別棟にしたという説がある。

海に開いた谷戸地形の塩見は、都にアワビを届けていた記録にその名が残っており、古来からつい数十年前まで自給自足の集落だった。戦後はどこの家でも乳牛を飼っていた。牛乳の集荷小屋の廃屋がその記憶をとどめている。でも、生活が豊かになって近代化し、家族にひとりはサラリーをもらえる仕事をもつようになった。燃料が薪からガスになり、井戸から水を汲んでこなくても蛇口を捻れば水が出るようになると、民家はライフスタイルに合わなくなって建て替えられていった。民家に住み続ける場合は、主屋を増改築して台所とトイレと風呂がつくられた。炊き場はいつのまにか使われなくなって忘れられていった。

廃屋になっていた炊き場

廃屋になっていた炊き場。キッチンとして復活した今も、その姿は変わっていない

ゴンジロウの「廃屋キッチン」

私がゴンジロウと出会ったときは、炊き場は蔦に覆われた廃屋で半分自然に回帰していた。しかし、屋根の葺き替え期間中、屋根仕事をしている十数人のために日々三度の食事を用意していると、増築された家庭用の台所では手狭でものたりなかった。こういうときは、大鍋で豪快に煮炊きするほうが似合っている。「そうだ、炊き場だ」と思った。

でも、炊き場の建物は、四隅の柱の根元が腐って足下は宙に浮いている。中の数本の柱と建物全体に絡み付いている蔦でアクロバティックに形を保っている状態だった。キッチンとして蘇らせるにあたり、なにを優先していいかわからず途方に暮れた。このプロジェクトを修士設計の題材としていた当時学生だった森光太郎さんと悩んだ末、トリアージ(事故や災害で多くの傷病者が出た際に治療の優先度をつけること)の発想を建物に援用してみようということになった。手の施しようのないところととりあえずなにもしなくても大丈夫そうなところを後に回し、今処置しないと全壊の引き金となりそうなところを優先することにした。仮に梁が落ちてきたとしてもそれを支えてくれることを期待してL字型にコンクリートブロックの壁を挿入した。この壁を手がかりに業務用厨房設備を据えた。これが「ゴンジロウ廃屋キッチン」である。

主屋の土間を改築してつくられていた台所を壊して、土間に戻し、大人数で料理するときの作業スペースにした。

炊き場の平面図

炊き場の平面図。トリアージの考え方を採り入れ、優先度の高い部分から手を加えた

コンクリートブロックの壁を挿入し、廃屋キッチンとして蘇らせた

コンクリートブロックの壁を挿入し、廃屋キッチンとして蘇らせた

キッチンから庭先を望む

キッチンから庭先を望む

大人数の調理ができる業務用のガスオーブン

大人数の調理ができる業務用のガスオーブン

みんなで料理するのは楽しい??

日常的に「廃屋キッチン」は、ひとり+手伝いで、大人数の食事をパワフルにぱっとつくるためにある。
そしてたまに、私が大量に料理する。豚のロースを長いまま、前の晩からタイムとオレンジの皮とタマネギのみじん切りに漬けておいて、オーブンでじっくり焼く。廃屋キッチンに甘く香ばしい香りが満ちてきたら焼き上がりだ。こういう料理をつくるとなぜかとてもスカッとする。あとは余熱でじっくり待つ。この手の料理はみんなでわいわいつくるものではない。でも、できたものは、ひとりでも、家族でも、とても食べきれないから、みんなに食べてもらう。

年に二度ほど、夏に流しそうめん、冬に餅つきのときは、地元のおかあさんたちも学生たちも、わいわいみんなで料理し、そのときに廃屋キッチンは大活躍する。私ももちろんつきあう。でも、慣れない人たちがみんなで料理すると、効率は悪いし、できたものも特段おいしいとはいえない。

福島に住んでいたときに、河原の芋煮会というものを知った。みんなでひたすら根菜類を切る作業。楽しいというよりは、人によって流儀が違って、みんなで作業するのは結構しんどい。慣れないキッチンで料理するときには、最低でも「マイ包丁」は持参することにしている。

幼少のころ、祖母の家で炊事の手伝いをしていて、にんじんの乱切りをしたときのことである。切った後に包丁をまな板の端に置いたところ、「刃を内側に向けて置きなさい」と注意された。以来、今になっても、まな板に包丁を置くたびにそのときのことを思い出す。古典的な嫁姑問題の発端はそんなものだ。キッチンをみんなで使う、キッチンをシェアすることはしんどい。

「廃屋キッチン」では、1~2人で大量の食事をパワフルに調理する

「廃屋キッチン」では、1~2人で大量の食事をパワフルに調理する

シェアはしんどい、シェアしないのもしんどい

「廃屋キッチン」はいわば、自身で散財して築いた私の自慢の城で、できればシェアなんかしたくない。でも、そもそもゴンジロウの屋敷を私は使わせてもらっているだけで私のものではないから、集落みんなのキッチンであることが至極当然だ。私に、他人に使わせない権利はない。集落に開かれた構えの炊き場を蘇らせた廃屋キッチンだから、みんなに使ってもらいたいという思いがある。それに、廃屋キッチンで思いっきりつくったご馳走を気前よく多くの人と分かち合えるのがなによりも楽しい。それができなかったらとても苦しいし悲しい。

人類学者の丸山淳子さんは、アフリカの狩猟生活習慣を継承しているブッシュマンとよばれる人たちの研究をしている。彼らは20世紀後半まで狩猟採集生活を維持していたが、定住のための住宅が供給され、生活空間が大きく変わった。以前は、定住せず、テントを張って集団ごと集まって暮らし、獲物や収穫があった場合には集団内で必ず分かち合う風習だった。しかし、定住した町では、住戸が無作為に家族単位で与えられたため、異なる集団の人と隣接して住むことになったり、同じ集団で獲物を分かち合う仲間内だった人とそうではない人と混在して住むことになった。「分かち合うことは疲れる、分かち合わないことも疲れる」状態が出現しているという。すなわち獲物があると必ず分かち合うのは疲れる。他方、隣接して住んでいる人と獲物を分かち合っていない関係であることも疲れる。

「みんなでつくってみんなで食べると、人のつくったものも食べられるからいろんなものが食べられるし、いつも食べないものが食べられるからお互いにお得で楽しい」というのは、人類学的には本物の分かち合いとはいえない。損得勘定や楽しいから分かち合うのではない。分かち合うのは疲れることだが、集団で生きていくためには仲間を確認することが不可欠だからその手段として分かち合うのが本物だ。そういう意味では、私の「ゴンジロウ廃屋キッチン」は、真の分かち合いかもしれない。これなら「悪くないかなあ」とゴンジロウの家主さんもじわっと私の存在を認めてくれるようになってきた。

冬になると屋敷の庭先では餅つきが行なわれる

冬になると屋敷の庭先では餅つきが行なわれる

地元の人たちも集まってにぎやかな雰囲気の茅葺きゴンジロウ

地元の人たちも集まってにぎやかな雰囲気の茅葺きゴンジロウ

岡部明子(おかべ・あきこ)

1985年東京大学工学部建築学科卒業。東京大学大学院新領域創成科学研究科教授。博士(環境学)。主な著書に『メガシティ6 高密度化するメガシティ』(東京大学出版会、2017)、『バルセロナ』(中公新書、2010)、『サステイナブルシティ──EUの地域・環境戦略』(学芸出版社、2003)、『ユーロアーキテクツ』(学芸出版社、1998)など。

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公開日:2019年01月30日