穴が開くほど見る
── 建築写真から読み解く暮らしとその先 (第3回)

内藤廣(建築家、東京大学名誉教授)× 藤村龍至(建築家、東京藝術大学准教授)

『新建築住宅特集』2018年8月号 掲載

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空間を追求してつくる/「マイレア邸」 アルヴァ・アールト

「マイレア邸」アルヴァ・アールト「マイレア邸」アルヴァ・アールト(1939年、フィンランド、ノールマルック) 提供:アルヴァ・アールト財団

内藤:

私が選んだ2枚目は、アルヴァ・アールトによる「マイレア邸」です。写真左の女性が建主であるマイレ&ハリー・グリクセン夫妻のハリー夫人、右がアルヴァ・アールトの妻でパートナーでもあったアイノ・アールトです。ふたりの女性の後ろ姿が写っている写真ですが、そこにはこの住宅がつくられた背景と思いが写っています。私は「マイレア邸」を2度訪れたことがあります。1度目は外から眺めるだけだったのですが、2度目はアルヴァ・アールトシンポジウムに講師として招かれ、マイレ&ハリー・グリクセン夫妻の子息であるクリスチャン・グリクセンの配慮で、その打ち上げパーティーが「マイレア邸」で行われ、昼過ぎから夜半まで滞在し、夢のような時間を過ごすことができました。写真の手前にこの住宅の重要な要素となっている階段が写っています。階段の踊り場にはロートレックのオリジナルの大きいポスターが貼ってあり、2階の寝室の廊下にもロートレックのオリジナルスケッチが飾ってありました。文化に対する至高の贅沢とはこのようなものなのかと思いました。写真の奥にある木造の小屋はサウナで、その手前がひょうたん型のプールです。写ってはいませんが、この左手にある書斎も素晴らしい空間でした。
2016年に、アイノ・アールトの展覧会が日本で開催され、私もそれに関わっていたのですが、よく考えると私が「マイレア邸」で感動したディテールや家具などの多くはアイノ・アールトによる仕事であることが分かりました。もともとヘルシンキにあるグリクセン夫妻の自宅をアールト夫妻が設計しているのですが、多分アイノと主人のマイレさんとのコミュニケーションがうまくいき、それがこの仕事に繋がっています。「マイレア邸」のさまざまなところにアイノの素晴らしいアイデアが入っているのです。アールトがデザインした家具を販売しているアルテック社は、グリクセン夫妻の資金援助があってこそのものですが、ハリー・グリクセンは北欧のモダンデザインをどうすべきかを考えていたため、アールト夫妻をサポートしたのでしょう。建主の夫人と建築家の夫人という関係だけど、この写真にあるふたりの距離感がさまざまなものの成り立ちを表していると思って、「穴が開くほど見る」という企画に適切かどうかは分かりませんが取り上げてみました。

藤村:

人と人の強い関係がこの名作を生んだという写真ですね。この庭を囲むように「マイレア邸」が建っていますが、この庭は眺めるためのものなのか、それともここに出て何かをして使うような庭なのでしょうか?

内藤:

「マイレア邸」はL字型平面で、写真右側にも建物が建っています。そこの1階には半屋外空間のテラスがあって、椅子とかテーブルとかが並んでいて過ごしやすい空間でした。そのため、庭に出て何かをするということは考えられていなかったのではないかと思いますが、冬場にはサウナから雪原の庭に飛び出したかもしれませんね。
私は今まで見たアールトの建築の中で、「マイレア邸」がいちばんよいと思っているのですが、「マイレア邸」はプランニングが上手いわけではありませんし、エレベーションが美しいというわけでもありません。ではどうして感動するのかということをずっと考えてきました。建築の形状を先行させてプロジェクトを進めると、明快で分かりやすくコンペも通りやすい。一方で最初にこういう空間をつくりたいという強い思いがある場合、その場所をつくるためには建築の形の整合性を壊していく必要があります。建築家が持つ真のポテンシャルとは、空間から建築を考えていく時にこそ活かされると考えていて、「マイレア邸」はこのような場所をつくりたいというアールト夫妻が考え抜いてつくられた建築だからこそ生まれている空間であり、すばらしい建築になっているのだと思います。

都市と建築を繋ぐ建築家/「グイン・ホーム」 水谷穎介・小林郁雄

「グイン・ホーム」 水谷穎介・小林郁雄「グイン・ホーム」 水谷穎介・小林郁雄(1967年、兵庫県神戸市東灘区) 撮影:新建築社写真部

藤村:

私の2枚目は水谷穎介さん、小林郁雄さんによる「グイン・ホーム」です。この建築は神戸の六甲山の山裾に建つ30人の孤児のための住宅で、「個室と広場」というコンセプトでつくられました。ダブルグリッドで9つのスクエアを収めたプランで個室群と大きな食堂が内包された、システマティックな平面が特徴です。傾斜地にコンクリートブロックでできたボックスを並べたように建っており、写真右側に見えるのは木製の段状のタワーの階段室でそれらのボックスを立体的に繋いでいる構成です。木製の建具の向こうに転落防止用の手摺があり、水谷さんの建築ではおなじみの対角線が交差するデザインが見えます。水谷穎介さんは宮脇檀さんと同世代の建築家で、神戸市の「ポートアイランド」や福岡市の「シーサイドももち」の計画に関わった都市計画家でもあります。私は、個人的に都市と建築を繋いでいる建築家に興味があるのですが、水谷さんの事務所である都市・計画・設計研究所(UR)には、都市計画やまちづくりを手がける計画部門とオフィスや住宅を手がける設計部門があり、安藤忠雄さんが独立される前に在籍し湊川地区の再開発のパースなどを描いていたそうです。「グイン・ホーム」にも安藤さんの「小篠邸」のような、傾斜地にコンクリートのボックスを並べた住宅の佇まいに似ている部分もあります。

内藤:

この段状のタワーですが、どうしてこのようなデザインになったのですか?

藤村:

このデザインは謎なんです(笑)。よく見ると階段の踏面の幅で外に開く木製建具が取り付けられています。システムだけでできてもよさそうなところに、なぜかヒューマンなテイストの非合理的なエレメントが挿入される。槇文彦さんや宮脇さんなど、アーバンデザインを手がけるアーキテクトに共通する作風だと思うのですが。

内藤:

この建築はコンクリートブロック造ですね。コンクリートブロックの上には臥梁を載せますが、地形に合わせて手前のボックスはレベルを変えたので、奥のボックスの臥梁を手前まで伸ばすと壁にぶつかってしまうので、どうしても切らなきゃいけなかったのでしょう。そこで空いた隙間をどうしようかと考えて出てきたような気がしますね(笑)。

藤村:

そうですね。そこをどうデザイン的に処理しようかと考えた時に、階段を反転したランドマークのような造形が出てきたのでしょう。

内藤:

面白いですね。段状のタワーがデザイン的にすごく効いてると思います。これがなくて、ただコンクリートブロック造のボックスが連なっているだけだと、少し幾何学的すぎるように思います。これがあるおかげで幾何学の強さが少し崩れ、デザインに幅を持たせています。右側のボックスに扉が見えますね。ここに水切り用の小庇を付けるのが普通だと思うのですが、そういうところは無頓着だったのでしょうか。でも、そのようなことを気にしないというような建築があってほしいとも思います。正方形のグリッドが独立性を持って、斜面地に適正に配置されて連なり集合体になっていますが、このつくり方はあり得るアプローチです。ユニットが子どもたちのひとつの居場所として意識されることを重要視していたのでしょう。そのユニットの外のことには、あまり注意を払わなかったのではないでしょうか。

藤村:

灘生協がクライアントで孤児のための施設なので、相当なローコストだったのでしょう。水谷さんがつくる建築には、四角いボックスに丸窓が並ぶ「四国物産本社」などにも顕著ですが、ミニマルなフォルムにチャーミングなエレメントが組み合わされるところがあるんですね。ポンピドー・センターのキュレーターであるフレデリック・ミゲルーは「JAPAN ARCHITECTS展 1945-2010」をまとめる際に、相田武文さんや藤井博巳さんなどのポストモダンから安藤忠雄さんや妹島和世さんなどのミニマリスムへ回帰する転換点に水谷さんの「四国物産本社」があったと位置づけて菊竹清訓さんと篠原一男さんの間にいた長谷川逸子さんと並んで日本戦後建築史の2大転換点であるとしていました。阪神間の住宅地で展開した「アーバン・コートハウス」や福岡に移住した晩年に設計した能古島の住宅群は宮脇さんにも通じる趣きが感じられますが、「グイン・ホーム」には当時の水谷さんのストレートな感覚みたいなものが出ていると思います。

内藤:

たぶん屋根のコンクリートは1度フラットに打って、その後にパラペットの立ち上がり分、後から配筋してモルタルで被せたような感じですね。本当は防水もしたくなかったのではないでしょうか。コンクリートそのままにラディカルな建築のつくり方をしたかったのでしょう。

藤村:

そこは安藤忠雄さんがその後発展させた部分ではないでしょうか。「小篠邸」のようにパラペットを立ち上げ、内側の防水の上に砂利を敷いてディテールを消し、ミニマルに仕上げる。傾斜地なので屋上がよく見えるのでそこを何かデザインしようとする意図は「グイン・ホーム」の屋上の、ストライプ状の凹凸にも強く感じられますね。

本当によい暮らしとは何か、過去に置いてきた大切なもの

LIXIL:GINZAで行われた公開対談風景LIXIL:GINZAで行われた公開対談風景。 撮影:「新建築住宅特集」編集部

藤村:

私が選んだ2枚の写真は、住宅に都市を埋蔵させることが意識されていた時代の作品です。現代でも、住宅における都市性というものが語られていると思いますが、宮脇さんの住宅や住宅地の計画、さらに水谷さんの「グイン・ホーム」の個室と広場というコンセプトなど、社会と都市に対する理念みたいなものが表に現れている空間であることに共感できます。

内藤:

今日穴が開くほど見た4つの建築は、どれもハウスメーカーが台頭する以前の時代の建築ですね。「ドーモ・セラカント」の後くらいから、ハウスメーカーが市場調査を徹底し、広告露出を増やし、住宅をマスプロダクトとして販売するようになりました。その後、それが加速してこの30年くらいでハウスメーカーによる住宅が一般的だと考えられるようになった。別の言い方をすると、冷暖房が付いて白い壁で板張りの床で、組み合わせやスペックで住宅を考えるようになったとも言えます。つまり建築家が本当によい暮らしとは何だろうと考え大衆に問いかけても、伝わりにくくなってしまったのです。この間、この国の建築界は住宅に関するとても大切なものを置いてきてしまったようにも感じました。

藤村:

他方で、宮脇さんは晩年に「六甲アイランド」をはじめとする戸建て分譲地街区の宅地造成設計をハウスメーカーと数多く仕事をしていますが、それら住宅地はどれもとても豊かで、最近計画された住宅地とはレベルが違い驚きました。今、建築技術はどんどん上がっているのにもかかわらず、また1件あたりにかるコストもそんなに変わらないのに、なぜ現代の住宅地より40年前の方が豊かなのか。

内藤:

もちろん消費社会と住宅産業のマッチングの話だから一概に否定しているわけではありません。しかし、今は建築家はそれらをすごく意識して考えないといけない。宮脇さんは愛知県小牧市にある「桃花台ニュータウン」の一角の住区も設計しています。そこは「高蔵寺ニュータウン」に続く新しい団地のモデルとして開発されたのですが、以前そこを訪れた時に街を見渡すと、高齢化もあって人口が減って空き家だらけで街が閑散としていました。しかし、宮脇さんが設計した住区だけは住人が減らず、住民はその街を愛して住み続けていました。その住区は街として価値が目減りしない、街として育っている。関係性が上手くできているからなのでしょう。それがすごく大事で、それを可能にするのは建築家の役割なのかもしれません。
今回の企画で、1960〜70年代の建築写真を穴が開くほど見ましたが、住宅に関する大切なものを、この時代の建築写真から拾ってきて、もう一度現代の文脈の中で考え直してみる必要があるのではないかと思いました。

(2018年6月12日、LIXIL:GINZAにて 文責:「新建築住宅特集」編集部)

雑誌記事転載
『新建築住宅特集』2018年8月 掲載
https://shinkenchiku.online/shop/jutakutokushu/jt-201808/

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公開日:2019年06月26日

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