穴が開くほど見る
── 建築写真から読み解く暮らしとその先 (第5回)

平田晃久(建築家、京都大学教授)×中山英之(建築家、東京藝術大学准教授)

『新建築住宅特集』2019年8月号 掲載

複数の自分をそのまま形として 表現する発明/「ゲーリー自邸」 フランク・O.ゲーリー

「ゲーリー自邸」 フランク・O.ゲーリー「ゲーリー自邸」 フランク・O.ゲーリー(1979年、アメリカ・カリフォルニア州、ロサンゼルス) 『Domus 599 / October 1979』より転載

平田:

フランク・O.ゲーリーの「ゲーリー自邸」でみなさんがよく知っているのは、トップライトが見えるキッチンの写真だと思うのですが、『Domus』というイタリアのデザイン雑誌の記事の中では、なぜかそのキッチンの写真がとても小さくレイアウトされていて、この窓を写した写真が妙に大きく使われていました。そこに編集の意図を感じ、2枚目に選びました。敷地はカリフォルニア州のサンタモニカで、ゲーリーは当時このあたりではよく見られるありふれた中流階級が住むような住宅を購入し、その外側を囲むように増築しています。この住宅で僕が素晴らしいと思うのは、日常的にありふれたシーンと、新しい建築が違和感なく融合しているというところです。現代を生きる僕たちは、多様な建築や文化に触れることで自分の中には雑多なものも含めていろいろなものが共存しているにもかかわらず、ポストモダン以降、建築の主たるストラクチャーにはそういった雑多性は入らないようにしてきたと思うのです。しかし、ゲーリーの自邸はコアがいちばん雑多なもので、そこに新しいものが絡まっていて、構えがまったく異なるのです。この写真には既存の窓と外側だけ剥がして下地が見えている既存の壁があり、その前にベンチが置かれ、アメリカの住宅らしい花柄のクッションがある。窓の向こうにはフラワーベースに生けられたドライフラワーがあり、現代美術の作品が壁に架けられているのが見えます。これをよくよく見ていくと、古いものも新しいものも雑多なものも、共存させてよいんじゃないかという気持ちになり、その考え方は非常に現代的だなと思いました。

中山:

この窓は、元は外壁の外側の世界を切り取っていたものですかね。当時周りにはきっとこのクッションのような壁紙のインテリアがあったりしたのでしょう。建築が、それ単体で何らかの様式性や美学を謳うのではなくて、今こことは違う文化に属していた趣味のようなものをも取り込んだ編集として、デザインがある。そうした感覚はこの頃の日本のリノベーションの事例にも通じるところがありますね。この建築は1979年竣工ですから、時代は繰り返すというか、ゲーリーすごいというか、『Domus』という雑誌が追求してきたデザイン言語の底知れなさを思い知らされる1枚ですね。

平田:

ゲーリーは、非常にアバンギャルドな建築家でありながら、同時に、カリフォルニアに住む普通のアメリカ人でもあり、そういったひとりの人の中に共存しているさまざまなものを建築にしてしまう発明が、現代のわれわれにとって今注目すべきポイントなのではないかと思います。そういう意味では、建築は統一的なコンセプトでできていないといけないという強迫観念から、どんどん自由になっていく時代がくるかもしれない。その端緒がこの写真にあるような気がします。

ドミノシステムに暮らしのヒエラルキーを設定する/「吉阪隆正自邸」 吉阪隆正

「吉阪隆正自邸」 吉阪隆正「吉阪隆正自邸」 吉阪隆正(1955年、東京都新宿区) ※1954年7月撮影 アルキテクト 提供

中山:

僕は2枚目に、吉阪隆正さんの自邸の工事中の写真を選びました。写真を探して彷徨う中で偶然見つけたものですが、ル・コルビュジエの元から帰国した吉阪さんは「ドミノシステム」を本当に実現させてしまっていたのですね。しかもこれ、単純に建設中のスナップではなくて、吉阪さんは1950年に発足した住宅金融公庫の融資でこの自邸を建設しているのですが、ちょうどコンクリートのスケルトンをつくった段階で資金が尽きてしまった。仕方ないからお金が貯まるまで、しばらくこの状態のまま使っていたのだそうです。よく見ると椅子が置かれているのが分かりますね。記録を読むと、雨が降ると隣に残していた空襲後に建てられたバラック小屋に逃げ込んで、天気のよい日はここで食事をしたりしたとありました。
この架構がドミノシステムのイラストと違うのは、さらにピロティという考え方が重ねられている点です。吉阪さんは、「地面は住まい手のものではなく、地球のもの」と言って、「人工土地」という概念を提唱しています。なのでこの写真は、ドミノシステムの概念が、地球と、その上に予算の都合で決まった枚数のスラブの関係として立ち上がった図、ということになりますね。ドミノシステムのイラストと違う点がもうひとつあって、それが階段の扱いです。ここでは「人工土地」としての持ち上げられたスラブにのみ、「地球」からの階段が躯体の一部として打設されています。写真には梯子が写っていますが、実際にそこから上へ上がる階段がプライマリーなエレメントとしては考えられていないという点で、吉阪さんが、均質なシステムの展開として架構を考えているわけではなさそうなことが窺われます。梯子があるのが2階から3階に上がるのための開口で、屋上へは小さな人通口サイズの開口が見えますね。小さい穴はパイプスペースなので、屋上も設備の置かれる床と見なしている。
それからもうひとつ。この写真がカラーなのって、どうなんでしょう。何気ないスナップに見えますが、1954年にカラーフィルムでスナップなんて、誰でも撮っていたのでしょうか。僕にはなんだか、「資金が尽きたから」などと言いつつ最先端の建築モデルに自分の論理を重ねた純粋モデルを立ち上げてみせる、海外帰りのとびきりハイカラな紳士としての吉阪さんが見えるような気がします。

平田:

なるほど、内務官僚の息子で、ヨーロッパで子ども時代を過ごした超洗練された人だからこその複雑なワイルドさですね。ある意味で最も純粋な「ドミノシステム」ですが、最終的にできてきたものは、その対極と言っていいような、ごろんとした違和感を放っている……。それは吉阪さんが集団で建築をつくるということを考えていたこととも繋がるのでしょうね。互いに矛盾したものがなぜかひとつのものになってしまうというような不思議さが建築にはある。そういうハイブローな志向性と、何とも言えないドロ臭さが共存していますね、この写真には。
他方で、こういう感じってなかなか楽しそうでもありますね。この自邸もセルフビルドに近いかたちで、学生たちも協力しながらつくっていったのだと思います。中には、着工から10年くらいかかって学生たちが一緒に住んでつくった住宅もあると聞いたことがあります。フレームだけは自分でつくり、後は投げ出して、集団でつくってどんなものができるか、非常に面白いと思います。

これまでの思考を乗り越えた先にある可能性を、建築家の自邸に見る

京都市にある新建築社 北大路ハウスで行われた公開対談風景。京都市にある新建築社 北大路ハウスで行われた公開対談風景。 撮影:京都大学平田晃久研究室

中山:

やはりというか、観察者としてよりも設計者の視点からの話になってしまいましたね(笑)、ごめんなさい。でも、今回平田さんと僕が選んだ4枚の写真には通底したものがあったように思います。それは、建築が持つ、あるいは建築家の思考回路にある「階層構造」の現象としての建築を、そろそろ書き換えなければならないのでは、という予感です。そういう意味では、それがかなり強いかたちで規定された吉阪さんの写真は、乗り越えるべき対象として選ばれたようにも思います。たとえばこの「吉阪隆正自邸」の写真には木製の足場が写っていますね。本体と足場。それは僕たち建築家にとっては自明の分節です。でも、たとえばAIの目でこれを見たらどうでしょう。それは多分、質量とプロポーションの異なる材料の、付かず離れずの関係でしかありません。こうした新しい眼差しで、建築のプライマリーな骨格や、そこに加えられるであろうセカンダリーな要素、そしてそれらを空中に成り立たせるために必要な作業足場や副資材の存在を全部ひっくるめてひとまとまりの対象とした時、それらが予算の都合で切断された風景は、もしかしたらすべてが分かちがたく融合しながら最適化された、ある不思議な立体物の姿をしているかもしれません。そういう建築の姿を、僕たち人間が不器用ながらも想像しようとした時に、もしかしたらその姿は、どこかでオルタの建築のようなかたちをとるのではないか。僕が2枚の写真を見つめながら考えたのは、そんなことでした。

平田:

フィジカルなストラクチャーがあり、それに対して別のものが付いていく、というシステムは非常に強力なもので、近代以降の建築のつくられ方を規定しています。今僕らの時代では、そういったフィジカルなストラクチャーよりも、意識の中で共有できる共有思考のストラクチャーの方が強く、そこから提案できるつくり方も面白いかもしれません。多様な人がそこに関わりながらひとつのことを共有し、先にフィジカルなストラクチャーを規定しない方がよいこともあるかもしれない。
オルタの自邸で出てきた手摺りは自由な曲線を描いていましたが、細い材でもクニャクニャと面をつくると実は強度を持つということがあります。構造の分野ではFEM解析が登場したことで、「なぜその構造がもっているのか分からないけれど、解析したらもっている」状態が出てきましたが、これからの時代、ストラクチャーとしてモデル化できるものだけを取り出すような思考性のあり方がほとんど無意味になるくらい、いろいろなものがシミュレーションできるようになってきます。これは構造に限ったことではなく、これまでの建築を構成していたヒエラルキーの合理的な意味合いがなくなっていく可能性であり、それと代わる別の単純性が発明されるはずで、きっとそれが新しい建築になっていくのでしょう。

(2019年6月9日、新建築社 北大路ハウスにて 文責:「新建築住宅特集」編集部)

建築陶器のはじまり館

建築陶器のはじまり館

やきものの街であり、INAXブランドのふる里でもある愛知県常滑市に設けられた、株式会社LIXILの企業博物館「INAXライブミュージアム」。その一角に、近代日本の建築や街を支えた「建築陶器」と呼ばれるタイルとテラコッタを展示する「建築陶器のはじまり館」がある。
「建築陶器のはじまり館」は屋外と屋内の展示エリアで構成され、屋外展示エリア(テラコッタパーク)では、「横浜松坂屋本館」(1934年竣工、2010年解体、設計:鈴木禎次建築事務所)のテラコッタや、「朝日生命館(旧常盤生命館)」(1930年竣工、1980年解体、設計:国枝博)の巨大なランタン、鬼や動物などの顔が壁面に10体並ぶ「大阪ビル1号館」(1927年竣工、1986年解体、設計:渡辺節建築事務所[村野藤吾])の愛嬌あるテラコッタなど、13物件のテラコッタが、本来の姿である壁面に取り付けた状態で展示されている。屋内エリアでは、フランク・ロイド・ライトの代表作のひとつとして知られる「帝国ホテル旧本館(ライト館)」(1923年竣工、1967年解体)の柱型の実物展示を中心に、明治時代につくられた初期のテラコッタから、関東大震災を経て1930年代の全盛期に至る、日本を代表するテラコッタ建築とその時代背景が紹介されている。このような、近代建築で実際に使用されたテラコッタを長年にわたり継続して収集・保存・公開してきたことなどが評価され、「INAXライブミュージアム」は2013年「日本建築学会賞(業績)」を受賞している。
また、「建築陶器のはじまり館」の建屋のファサードには、同ミュージアム内の「ものづくり工房」で製作されたテラコッタが使用されている。建築陶器の歴史的価値だけでなく、現代の建築におけるやきもの装飾材の可能性も体感できるため、屋内外をぐるりと散策しながら見学されてはいかがだろうか。

「建築陶器のはじまり館」外観

「建築陶器のはじまり館」外観

屋外展示エリア(テラコッタパーク)

屋外展示エリア(テラコッタパーク)

所在地:愛知県常滑市奥栄町1-130
tel:0569-34-8282
営業時間:10:00 ~ 17:00(入館は16:30まで)
入館料: 一般700円、高・大学生500円、小・中学生250円(税込、ライブミュージアム内共通)
※その他、各種割引あり
web:https://livingculture.lixil.com/ilm/terracotta/

雑誌記事転載
『新建築住宅特集』2019年8月号 掲載
https://japan-architect.co.jp/shop/jutakutokushu/jt-201908/

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公開日:2020年04月30日