穴が開くほど見る
── 建築写真から読み解く暮らしとその先 (第7回)

吉村靖孝(建築家) × 長谷川豪(建築家)

『新建築住宅特集』2022年10月号 掲載

「すまい」 藤木忠善

「すまい」 藤木忠善「すまい」 藤木忠善(1963年、東京都新宿区) 撮影:村井修

長谷川:

卒論で住宅の研究をした時に、図書館に2週間籠もって『新建築』『新建築住宅特集』に掲載された戦後の住宅作品を見て分析したのですが、その時に知って好きになった住宅のひとつが、藤木忠善さんの自邸「すまい」(SK6501)でした。これは2階の居間の写真です。左側に見えている開口の先には、この部屋と同じ幅の大きなテラスが東側にどんと突き出ていて、1階の前庭、3階のバルコニー、さらに屋上庭園まであって、屋外と共にある生活をテーマにした都市住宅です。まるでオフィスのようなフレキシビリティを意識して設計していて、この写真の階段奥にはキッチンや洗濯室をまとめた水回りのコアがあって、この構成はどのフロアでも共通にしながら、行き止まりのない回遊動線にしている。だから用途の入れ替えは自由というわけです。それから天井高2.2mという低さなのですが、フィボナッチ数列で全体の寸法体系を統合したと書かれています。屋外と共にある生活、回遊動線、寸法体系の統合といったら、ル・コルビュジエですね。坂倉準三の事務所に勤めていた藤木さんは、コルビュジエの「国立西洋美術館」(SK5907)の実施と現場を担当して、さらにこの住宅を設計しながら坂倉事務所の「新宿駅西口広場」(SK6703)にも参画されていたようです。コルビュジエの思想、そして様変わりしていく東京の風景に影響を受けながら、この先進的な住宅を設計していたと考えるとなんだか納得できるような気もします。
ところで僕は卒論の資料を白黒コピーしたものをファイルに保管していて、この写真はモノクロだと思い込んでいたのですが、念のため『新建築』を読み直したら、この居間の写真だけがカラー写真で掲載されていて驚きました。『新建築』は1960年代前半からカラー写真が少しずつ使われるようになったそうなのです。1作品につきカラー写真を1枚だけ使えるということで、このカットは建築家や編集者にとって特別な1枚だったはずです。実際にカラー写真だから見えてきたことも多く、例えばテーブルに置いてある果物は柿だから季節は秋、右手の障子の光が微かに西陽がかっているのでおそらく夕刻前です。また目を引いたのは薄紫色のカーペットを基調にして、階段裏の壁、座布団、テーブルの花と柿は全て赤く、観葉植物、絵画、花瓶、演出的に置かれたテーブルの湯呑みは全て緑で統一されていること。モノクロームなコンクリートの空間に鮮やかな赤と緑だけを浮かべていて、緊張感すらある配色の統一に、この1枚に賭ける意気込みが伝わってきます。でも、こうしたことは自分も白黒コピーした写真からは知覚できなかったわけで、カラー写真が始まったこの時代が、建築家や編集者はもちろん、読者も大興奮の情報量の変化だったことが分かります。
右側には「主婦の書斎」と図面に示されたテーブル。クレジットを見ると藤木さんの奥さんが置き照明のデザインをしているので、おそらくデザインの仕事をここでされていたのでしょう。長大作の椅子やイサム・ノグチのAKARIなどが置かれ、またコンクリートの梁に障子、カーペットの上に座布団など、西洋的なものと東洋的なものを意識的にミックスさせています。意外なのは天井面を黒く塗っていることで、右に見える間仕切りのカーテンも黒。なんでだろうかと想像してみたのですが、この住宅が建つ新宿区の牛込は、当時は街灯も少なくて夜は真暗だったはずです。だから夜になると室内は天井とカーテンだけでなく開口部分も黒くなり、このコンクリートフレームだけが浮かび上がったと思います。天井を闇=夜空に見立てることで低さを忘れられるという視覚的な効果に加えて、藤井さんはこれから家族が増えて家の中がどれだけ雑多になっても、家の骨格としてのコンクリートの抽象性を担保しておきたかったのかもしれません。
それからカーペットをよく見ると、真ん中に何かをどかしたような跡が見える。撮影の時に物をどこに置こうか、あれこれ迷いつつ写真家と模索しながら撮っている情景が思い浮かびます。

吉村:

僕はそのカーペットのシミは、タバコの燃え跡じゃないかと思ったんですよ。テーブルに灰皿が置いてあるし、座布団もあるから、床座で晩酌しながらタバコを蒸していたら灰が落ちてしまったとか。それからカーテンの黒は、掛かっているのが西側だけだから、奥さんがここで仕事するための西日対策だったのではないかなど、実は現実的な暮らしのチョイスであったかもしれないとも思いました。

長谷川:

たしかに座布団を2枚重ねているので、晩御飯の後はこれを枕にしてごろりとするシーンは想像つきますね。
藤木さんはこの家を、後に「サニーボックス」と呼ぶようになります。テラスで食事をしたり、今でこそ当たり前になった、太陽と共にある明るい生=地中海的ヘドニズムを取り入れた日本の先駆的な都市住宅ですね。

「中銀カプセルタワービル」 黒川紀章

「中銀カプセルタワービル」 黒川紀章「中銀カプセルタワービル」 黒川紀章(1972年、東京都中央区) 撮影:大橋富夫

吉村:

暮らしの「穴見る」とはやや離れてしまうのですが、これは1972年に完成する「中銀カプセルタワービル」 (SK7206)の施工中の写真です。先日とうとう解体されました。この写真に写る50年前の銀座8丁目は、道路と歩道橋以外、この建築を含めすべて建て替わっています。僕はこの建築と同じ年に生まれたので、少々切ないですが、いかに東京の更新速度が早いか、その特徴がこの写真に凝縮されていると感じます。11階建てと13階建てのふたつのタワーの工事に足場がまったくなくて、カプセルの上に職人がひとり写っているけれど、安全帯もしていない。このカプセルは滋賀の工場でつくったのですが、滋賀を夕方に出発して、途中で載せ替えたりしながら都内の大型車規制の解除を待ち、朝6時から現場が始まっていたといいます。影の様子からこの写真はちょうど作業が始まった朝の写真ですが、大移動してきた割に、現場はものすごく少ない人数で回っていることが、今見ても新鮮です。またこの写真には、カプセルのジョイント部分までしっかり写っていて興味深い。ひとつのカプセルに4つのジョイントがあり、上ふたつはボルト締めしますが、手が入らない下ふたつはボルト接合でなくダボになっている。解体時、このダボを外すのが難しかったと聞くので、建築を短命にした理由のひとつでもあるでしょう。今回、ほかの写真でも「コア」の話が何度か出てきましたが、八束はじめさんの「メタボリズム」(1997年、LIXIL出版)に黒川さんだけがカプセルに生活を入れ込んだと書かれています。ほかは設備カプセルだったという意味で、その末裔がユニットバスですね。ここでは生活と設備が一体化していて、中央のタワーのいわゆるコアは上下移動のためのコンクリートのシャフトでしかない。

長谷川:

「谷川さんの家」で篠原さんは設備の棟をユニット、生活の場をコアと呼んでいました。黒川さんが中央の設備コアにカプセルの生活ユニットを取り付けているのと真逆なのが興味深いですね。つまり、住宅のコア=核を、暮らしとするか、あるいはシステムとするか。
この話と繋がると思うのですが、僕は「穴見る」でこの写真を選んでいることが吉村さんらしいと思いました。僕は暮らしから当時の社会を見ているのに対して、吉村さんはその逆で都市や社会から暮らしを見ようとしているんですよね。そのアプローチの違いが互いの住宅観の違いを表しているようにも感じて面白いなと思いました。

見えないものを見ようとする力

常滑市にある「LIXILやきもの工房」で行われた対談風景。常滑市にある「LIXILやきもの工房」で行われた対談風景。
収録動画はLIXILビジネス情報サイトのセミナーページにて10月1日より視聴申込可能(期間限定)。

長谷川:

今回の4つの家はどれもよく知っている作品でしたが、改めて見ていくと新しい気づきが多くて、さらに吉村さんと見ていくことで新鮮な発見がありました。現代人はどんどん、実際に見えるものしか見なくなっていると思います。いまはウェブや動画がメディアとして力をもっていますが、ウェブの記事は流し読みするし、動画も1回再生したらまず戻らない。情報が一方向に流れていくのを眺めているだけです。でも生きていく上で必要なのは、見えないものを見ようとする力だと思う。対象を穴が開くほど見て、その向こう側を、見えてないところまで見ようとすること。特に建築の設計は、建主の将来や、まだ見ぬ社会の関係、風や光や熱の流れなどを想像したり、スケッチや模型で視覚化して共有したりすることで、少しずつつくり上げていくものですが、すべては見えないものを見ようとすることから始まる。今その力が改めて問われていると思います。

吉村:

今回の4枚の写真は、どれも見れば見るほど面白くなる、「穴見る」に耐え得る写真でしたが、SNSに載せてもバズったりしないし、インスタ映えするものではないと思います。建築雑誌という古き良き紙メディアの、行きつ戻りつしながら読み進めるスピードに合っている写真なのだと思いました。さらにいうなら、それは設計するスピードに合っている。メディアや技術が変わっていくことは仕方ないけれど、鑑賞者ではなく設計者になりたい学生は、それぞれ「穴見る」を実践して紙をめくる速度で情報を自分のものにした方がいいと改めて思いました。今回は、溢れる情報をスクロールして浴びるように見るのでなく、時間をかけじっくり建築写真を眺めるよい機会をもらいました。

長谷川:

僕はフィルム写真からデジタル写真への移行期の2005年に設計活動を始めたのですが、デジタル写真は時間さえあれば無限にシャッターを切れる。今回「すまい」の写真に見たような、1枚のフィルム写真にかけるエネルギー、シャッターを切る時の緊張感とはだいぶ違うものになっていると思いますが、デジタル時代のメディアの可能性は情報量やスピードだけではないはずです。読者がじっくりと向き合い、考えたくなるような建築の届け方はきっとあるはずで、そこを自分も改めて考えてみたいと思いました。

(2022年8月22日「LIXILやきもの工房」にて インタビュー文責:本誌編集部)

INAXライブミュージアム「世界のタイル博物館」

INAXライブミュージアム「世界のタイル博物館」

株式会社LIXILが運営する、土とやきものの魅力を伝える文化施設「INAXライブミュージアム」(愛知県常滑市)の一角に、タイルの魅力と歴史を紹介する「世界のタイル博物館」がある。
タイル研究家の山本正之氏が、約6,000点のタイルを1991年に常滑市に寄贈し、LIXIL (当時のINAX)が常滑市からその管理・研究と一般公開の委託を受けて、1997年に「世界のタイル博物館」が建設され、山本コレクションと館独自の資料による装飾タイルを展示している。
オリエント、イスラーム、スペイン、オランダ、イギリス、中国、日本など地域別に展示されていて、エジプトのピラミッド内部を飾った世界最古の施釉タイル、記録用としての粘土板文書、中近東のモスクを飾ったタイル、スペインのタイル絵、中国の染付磁器にあこがれたオランダタイル、古代中国の墓に用いられたやきものの柱、茶道具に転用された敷瓦など、タイルを通して人類の歴史が垣間見える。また、5,500年前のクレイペグ、4,650年前の世界最古のエジプトタイル、イスラームのドーム天井などのタイル空間を再現。タイルの美しさ、華やかさが感じられ、時間と空間を飛び越えて楽しむことができる。
この博物館でもうひとつ興味を引くのは古便器コレクションだ。木製から衛生的で耐久性のある陶磁器製に変わり、青や緑の釉薬や染付が施されたものなど、トイレを清らかな空間に設えた工夫が見られる。

イスラームのタイル張りドーム天井の再現。

イスラームのタイル張りドーム天井の再現。

メソポタミアのクレイペグによる壁空間の再現。

メソポタミアのクレイペグによる壁空間の再現。

常設展示室風景。

常設展示室風景。

古便器コレクション。

古便器コレクション。

土・どろんこ館では、やきもの用粘土を使って作る「光るどろだんご」体験教室を開催(要予約)。

土・どろんこ館では、やきもの用粘土を使って作る「光るどろだんご」体験教室を開催(要予約)。

世界のタイル博物館
QRコード クリックすると公式サイトへリンクいたします。

所在地:愛知県常滑市奥栄町1-130
tel:0569-34-8282
営業時間:10:00 ~ 17:00(入館は16:30まで)
休廊日:水曜日(祝日の場合は開館)、年末年始
入館料:一般700円、高・大学生500円、小・中学生250円(税込、ライブミュージアム内共通)
※その他、各種割引あり
web:https://livingculture.lixil.com/ilm/

雑誌記事転載
『新建築住宅特集』2022年10月号 掲載
https://japan-architect.co.jp/shop/jutakutokushu/jt-202210/

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公開日:2022年11月28日