穴が開くほど見る── 建築写真から読み解く暮らしとその先 (第10回)
妹島和世(建築家)×西沢立衛(建築家)
『新建築住宅特集』2024年10月号 掲載
第10回妹島和世(建築家)×西沢立衛(建築家)
「穴が開くほど見る──建築写真から読み解く暮らしとその先」と題して、史上に残る名建築の建築写真を隅々まで掘り下げて読み取ります(第1回はJT1802、第2回はJT1803、第3回はJT1808、第4回はJT1902、第5回はJT1908、第6回はJT2003、第7回はJT2210、第8回はJT2308、第9回はJT2312)。1枚の写真から時代背景、社会状況、暮らし、建築家の思いなど、読み取る側の想像も交えながら細部まで紐解くことで、時代を超えた大切なものを見つめ直し、未来に向けた建築のあり方を探ります。
第10回目となる今回は、妹島和世氏と西沢立衛氏のおふたりにお話しいただきました。
- ※文章中の(ex JT2212)は、雑誌名と年号(ex 新建築住宅特集2022年 12月号)を表しています。
物語の流れの中で見る
西沢:
この企画を始めた西沢大良さんと塚本由晴さんは、僕のすぐ上の先輩にあたり、学生時代僕は彼らの活動を間近で見てきました。ふたりが雑誌の写真を穴が開くほど見て議論していた様子が目に浮かぶようで、あの時代を思い出します。あの頃はインターネットもなく、情報も少なく、建築家も読み手も、誌面にかける思いがすごく強かった時代です。いろいろなものを必死に見ました。僕の場合は、写真1枚を取り出して穴が開くほど見るというより、むしろ雑誌のページをめくりながら展開していく物語の流れで見ていた気がします。
妹島:
写真には、本や雑誌をパラパラと見ながら、文脈など関係なくハッとさせられるものがあります。それはいつまでも好きな写真として記憶に残っています。そんな感じで写真に接していた私にとって、この企画はちょっと難しくて、穴が開くほど見る写真なんてあったかなー、何が語れるのかなーと迷いながら写真について考え始めました。そうして好きな建築などを思い浮かべながら写真を探しているうちに、「あれ、もしかしたら写真は私に大変大きな出会いをもたらしてくれたのではないか」と気付くことになりました。それがどういう写真であるかは本題で話すことにしますが、写真から学んだ思い出というと伊東豊雄さんの事務所にいた時のことです。私が在籍した当時、伊東事務所はまだ所員が5、6人しかいなくて、その中で私は事務所のプレス係をしていました。伊東さんがレクチャーをされる時のスライドの準備もその仕事のひとつだったのですが、私がポジフィルムのスライドを並べて伊東さんに見ていただくと、これはあっちと順番を変えてとか、これは夏の写真があったはずだと並び直されて、そうしてみると流れが変わって説明が分かりやすくなったり、あるいは美しく印象深いものになったりということが起こって、その経験はその後にも生きる勉強になりました。
西沢:
そうですね。後年、建築家になって、自分たちの建築作品が誌面に載る時も、ページをめくっていく流れの中でどう建築空間が表現されていくか、すごく拘っていた記憶があります。ル・コルビュジエは書籍を「第三の建築」と呼びましたが、それをまさにわれわれは自分たちの問題として感じていたと思います。誌面をつくるというのはほとんど建築をつくるのに等しいのだみたいな、そういう感じがありました。
「嚴島神社」

「嚴島神社」(593年、広島県廿日市市) 撮影:西沢立衛
西沢:
僕が選んだ1枚目は「嚴島神社」です。大学に入学して、古建築やモダニズム建築を見始めましたが、モダニズム建築はどれも真っ白で似ており、古建築は古建築で違いがよく分からず、建築は難しいなと思っていました。そんな時に授業で、「嚴島神社」を見ました。これはほかとの違いがよく分かりました。海上に建っていて、風が抜けていく開放感がありました。日本の寺は大体外周に回廊を巡らせて、伽藍が長方形に閉じていて、四角いものばかりでしたが、「嚴島神社」は大きく手を広げたようなオープンエンドな不定形のかたちで、陸と海に跨っていました。中も外もなく連続していく空間の広がりがあり、僕はインパクトを感じました。そういう写真を見たせいか、もう僕は「嚴島神社」のことは分かった気になって、実は一度も行ったことがなかったんです。素晴らしい建築がどのように素晴らしいかは、行かなくたって分かるんだ、と。それで、事務所の所員や学生に「嚴島神社」の素晴らしさを熱く語っていたのですが、先日、一度も実物を見ていないことがバレてしまって(笑)、顰蹙を買いました。そこで昨年、実際に行ってきました。大体は自分の想像通りでしたが、やはり行かないと分からなかったこともあった。そのひとつは神社の対岸、海上の鳥居のさらに先の陸地ですが、その陸地が大きく弧を描くように本殿が建つ入江に呼応していて、まるで海全体が「嚴島神社」の伽藍みたいに見えたことです。そのスケールの大きさ、雄大さに感動しました。やっぱり建築は行かねば分からないと思います(笑)。この写真はその時に撮ったもので、学生時に授業で初めて見た写真になんとなく近いアングルで撮りました。連続していく丸柱の太さと反復のリズムは王朝時代の大らかさを感じさせ、大変素晴らしいです。寝殿造りの面白さはほかにもいろいろあり、増田友也が書いている「聖俗一体」というのもあります。神社ですが、寝殿ですから住居でもある。理想と現実が一体化するというその一体の感覚が素晴らしいと思います。寝殿造のその聖俗一体感覚といい、親自然性といい、日本の建築の始まりというような建築だと思います。僕が妹島さんと建築を考えていく中で、いろいろな建築的アイデアを考えて実作でやってみようとするのですが、日本の古建築を見に行くともう既にそれが実現されていた、ということがあります。この「嚴島神社」でいえば、敷地を越えて陸海を繋いでいくという、境界を超えていくイメージがそれです。また、中も外もない一体感、全体の形状が非対称で雁行しながら自然に分け行っていくところ、空間の回遊性、風が通り抜けていくような透明感、構造体のダイナミズム、構造が空間を決めるというところ、屋根が連続性をつくり出していく造形、環境的建築などです。自分が面白いと思って取り組んできた題材の多くを、1000年前の建築が実現している。感動するというかなんというか、頑張ろうという気になります。妹島さん、どうしてわれわれが柱を選ぶ時に丸柱となるのか、それが「嚴島神社」にいるとよく分かる感じがしませんか。
妹島:
そうですよね。建築に方向性がないことや、行き止まりがないこと、角でぶつからないこととか。そしてこの柱の太さはいつ見ても素晴らしいと思います。私は3回行きましたが、行けば行くほどすごい建築だと思う一方で、行けば行くほど奥が現れてきて分からなくなるような建築ですね。訪れた時は、実際に体験しないと分からないであろうこのすごさを一生懸命写真に撮ってもち帰ろうとするのですが、帰ってきてその写真を見ても結局分からない。写真を見る経験と実際に行く経験は、別なものであることがよく分かります。
「スカイハウス」

「スカイハウス」 菊竹清訓(1957年、東京都文京区) 撮影:二川幸夫 出典:『婦人之友』1960年9月号/婦人之友社
妹島:
私が選んだ1枚目のこの写真は、1960年9月号の『婦人之友』に載っているものです。小学校1年生か2年生の時、家でこの雑誌を広げて見つけて「こんな家があるんだ」と驚いたものです。その記憶はずっと残っていて、高校3年生の大学の進路を考える時に「子供の頃に家の写真に興味をもったことがあったなあ」と、建築の道に進んでみることにしたのです。ただその時は、ある家をすごく印象深く思ったことを覚えていただけで、それが誰のどういう建築かは何も知らなかった。そもそも「建築」という言葉すら幼くて知らなかったですからね。建築を学んでみようと思った私は、本当は建築学科に行きたかったのですが落ちてしまって、日本女子大学の住居学科に入学しました。まだ入学して間もない頃、さて住居学科とはどういうものなのかと思っていた時に、面識のない先輩から「図書館に行っていろいろな本を見てみるといいわよ」といわれて、図書館に行きパラパラと本や雑誌をめくっていく中でこの家に出会ったわけです。それが「スカイハウス」。建築雑誌に載っていたこの建築を見て、「これは私が子供の頃見たあの家だ!」となって、この時初めてこれがとても有名な建築で、菊竹清訓さんという方が設計されたことを知りました。幼い頃に何の気なしに母がとっていた雑誌を見て受けたあの時の驚きは、とてもショッキングなものだったのでしょう。そのインパクトで建築を志すところまでいくのですからね。その時の図書館で、もうひとつ強く印象に残った写真が、この後にお話しする多木浩二さんの写真で、その後伊東豊雄さんのところに行くことに繋がりました。だから、私の道を決めたのはこの図書館で出会った写真といえるかもしれません。さらに今回のために確認すると、『婦人之友』に載っていたこの「スカイハウス」の写真は二川幸夫さんの撮影だということが分かり、それにも驚きました。私が伊東さんのところから独立してひとりで細々事務所を始めた頃は、まだ情報ネットワークが整備されていなくて、当時既によく海外にいらっしゃっていた二川さんや伊東さんが私のことを海外で紹介してくださっていたことを後で知りました。そういう意味でも建築を知り学ぶきっかけ、それから建築をつくって今まで続けてこられたきっかけをつくってくれたのがこの写真だったことを、今回クリアに認識しました。
昔から、「どうして建築を始めたんですか」と聞かれると、「スカイハウス」を子供の時に写真で見たことがきっかけ」といっていたのですが、それをどこかで聞かれた菊竹さんが私を「スカイハウス」に呼んで見せてくださったことがあって、本当に素晴らしかった。でも帰ってから事務所の人たちに何がどう素晴らしかったかを説明しようしても、自分が撮ってきた写真では説明できなかった。あんなにじっくり一生懸命見てきたもの、たとえばあの外側の回廊の外部性や、その内側のガラスの入った薄い建具と外側の扉の建具を開けたり閉めたりすると現れる暗さや明るさ、その体験は写真で説明できるものではなかったのです。なんだか手品を見て来た気分になって。厳格にできているのに、何ともいえない柔らかさをもっている。変わり続ける透明感の中で暮らしてるような家。そういうものが一体どういうかたちでつくられているか、図面をよく見ていたから分かっているはずなのに、そこに行ってみるとどうしてこんな空間になってるんだろうという気持ちになって、帰って写真で確認するとまた分からなくなる。素晴らしい建築を見ると私はそれを繰り返すのかもしれません。
西沢:
「スカイハウス」は、いろいろなアイデアが詰まった密度の高い建築です。屋根のシェルのアイデア、4枚の壁柱で全体をもち上げるアイデア、回廊と無双窓、ピロティ、ムーブネットなど、建築的アイデアがいっぱいあるのですが、それらが全部同時に誕生したかのような感じがします。まったく無駄というものがない建築だと思います。そして構築性の素晴らしさがある。炎が燃え上がるような勢いで、瞬く間に組み上げられていく力強さを感じます。
「スカイハウス」に行った時に印象的だったのは、菊竹さんが当時通われていたジムで、「スカイハウス」のお隣さんに「いつも見てますよ」と声をかけられた、というエピソードです。そのお隣さんというのが丘の向こう側に住む人だった、というお話を菊竹さんから伺いました。高く空中に浮かぶ住居で菊竹さんが生活しているのをその人は向かいの山から見ていたんですね。スケールが大きいというかなんというか、敷地境界線を感じさせない雄大さをもつ建築だと思いました。菊竹さんのスケールの大きさがそのまま建築になっていて、今もわれわれを感動させる建築だと思います。
「中野本町の家」

「中野本町の家」 伊東豊雄(1976年、東京都中野区) 撮影:多木浩二
妹島:
私が大学生の時に、坂本一成さんの「代田の町家」と伊東豊雄さんの「中野本町の家」が一緒に『新建築』に発表されました(『新建築』7611)。私の2枚目は、その時の写真です。
先ほどお話ししたように、大学に入ってすぐ図書館で出会ったひとつが、幼い時に見た「スカイハウス」の存在でしたが、もうひとつの出会いというのが『新建築』に掲載された篠原一男さんの住宅をモノクロで撮ったいくつかの写真で、それが多木浩二さんの写真でした。その時は建築も建築写真もまったく知らないし、多木さんの写真は抽象的で何が写っているかよく分からないところもあったから、こういう建築があるんだなと不思議に思いながらもとても印象に残りました。それから少し経って、『新建築』で「代田の町家」と「中野本町の家」のふたつの建築を見て衝撃を受けました。そしてそのふたつの発表誌面両方に多木浩二さんが撮られた写真が載っていました。「中野本町の家」の発表誌面の多木さんの写真は、中庭と空を切り取った写真で、それも素晴らしいものでした。コンクリートで囲まれて街から切り離されていながら、同時にすごく遠くにある自然、時間までの繋がりを感じさせる中庭の空間が写っていました。今回選んだこの写真は『新建築』の発表誌面にあった写真ではないですが、同じ時期に多木さんが撮られた内観の写真で、『流行通信』という雑誌に載った写真です。はっきりとした輪郭がありながら、いつも変わり続けて永遠に続いていくような、この建築のもつ独特の空気感が、女の子がふたりが走ってるその一瞬の情景も含めてをとらえられていると思います。伊東さんは後に「変容体」という言葉を使われていますが、あれだけ物質的に厚いコンクリートでつくられていても、この建築にはどこまでも浮かび上がるような軽やかさ柔らかさを感じます。そういうところをこの写真はすごく現していると思うんです。
坂本さんの「代田の町家」と、伊東さんの「中野本町の家」。多木さんの写真も相まって、建築を学び始めて間もない頃の私が、ふたつの建築とその写真に影響を受けました。恐れ多いことなのですが何となく坂本一成さんの方が自分には近いかな、伊東さんは何か自分とまったく違う人かもしれないと不安に思いながら、ある意味でとてもこの家と写真に惹かれて、伊東さんの事務所に入れていただくことに繋がったんです。そういう意味で私にはすごく思い出深い大事な写真です。
西沢:
篠原一男さんと多木さんの時代を僕は知らないのですが、すごい時代だったのだろうなと想像します。設計と批評の闘いがあって、それはほかの誰も真似できないような、創造的な関係だったのではないかと思います。この「中野本町の家」の写真は、多木さんが撮った篠原建築の写真とは異なる雰囲気です。イメージだけの世界というのでしょうか。走る子供が空間に溶け込んでいき、それを空中から見下ろしている。外界が写っていないので、実体感覚がありません。普通であれば必ず画面に入れるはずのトップライトもマッキントッシュの椅子も中庭もなく、どこまでも続く空間だけを撮っています。この建築のコンセプトをダイレクトに写真にしたという感じがします。この住宅の担当だった石田敏明さんから聞いたのですが、伊東さんが工事現場にいらして、斜め天井と壁の取り合いのところのコーナーの一方をアールに変えたいと伊東さんがおっしゃって、それが決定的だったそうです。コーナーがアールになることで天井と壁が連続して、かたちのない空間になる。伊東さんの感覚の鋭さを石田さんが賞賛していました。
妹島:
女の子たちが向かっているいちばん奥に、ひと筋の玄関の部分が写っています。それがスケールを与えていて、これがないと奥行きを感じなくなったのではないでしょうか。絶妙な写真だと思います。
私はその後、伊東事務所のプレス係をしていたこともあって、たくさんの伊東さんの建築の写真を見る機会に恵まれましたが、中でもこの写真はすごく好きな写真でした。それは今でも変わりません。
「サヴォア邸」

「サヴォア邸」 ル・コルビュジエ(1931年、フランス・ポワシー) 出典: 『Le Corbusier: Complete Works in 8 Volumes Vol.2 1929-1934』/Artemis
西沢:
この企画では複数枚を1度に見せるのはルール違反とのことですが、僕は写真を、本という展開する物語の中で理解してきたところがあります。その一例として『ル・コルビュジエ全作品集』の第2巻「サヴォア邸」の見開きページをもってきました。この作品集は全編にわたって、比例と生命が大きなテーマになっています。レイアウトも、比例と生命がテーマです。ここに挙げたのは「十字分割配列」で、ページを十字分割して、4枚の写真を2段2列に並べるレイアウトです。この十字配列でまず重要なのは、十字配列は写真4枚の距離がみんな等距離で、写真サイズも同じなので、4つの空間が同時に目に入ってくることです。この見開きページでは、左右頁各4枚で計8枚の、8空間が同時に登場する。まるで8つの空間を同時に経験したような感覚が生まれます。他方でよく見るとそれら8枚は、時間軸に沿った順序をもってもいます。左ページでいえばスロープ→玄関→ピロティ→遠景外観と、4枚相互に時間的順序があります。「建築的散策路」が見開き全体でつくられているといえます。面白いのは、この順序がひとつでなく、いくつもあるところです。十字配列レイアウトの個性のひとつである、4枚が等距離関係になるというそれを利用して、コルビュジエはいろんな順序をつくり出します。たとえば右ページを例にとると、2階に上がってきてまず居間に入って、屋上庭園に出るというルート、右上(2階踊り場)→右下(居間)→左上(2階屋上庭園)→左下(3階屋上庭園)の順序があり得ますが、しかしいきなり階段を使うとすれば、右上(2階踊り場)→左下(3階屋上庭園)→左上(2階屋上庭園)→右下(居間)もあり得ます。「サヴォア邸」の実物の方も、「建築的散策路」の経路はひとつでなく、複数あります。各階移動がスロープと階段のふたつあって移動経路を選べ、またすべての部屋にドアがふたつ付いて2通りの方法で部屋を出入りしたり、部屋を通り抜けたりでき、建築全体がネットワーク状の「建築的散策路」になっています。つまりコルビュジエは「建築的散策路」の複数的回遊性を、建築と本の両方でやっているのです。
本の「サヴォア邸」と実物のそれとは、違う点も多々あります。本では、空間が次々に現れてくる通時的空間と、4つの空間がすべて同時に現れる共時的空間、そのふたつが同時に起きるという、現実の建築ではできない空間経験を、十字配列形式によってつくり出しています。これは「建築的散策路」と「自由な平面」のふたつを同時に存在させる、といういい方もできるかもしれません。実物の「サヴォア邸」は、ドミノシステムという「自由な平面」と「建築的散策路」のふたつが全体の秩序をつくっていますが、コルビュジエは巨大スロープを建築のど真ん中に配置します。それによって「自由な平面」の床のど真ん中に大穴が空いてしまって、「自由な平面」の自由な広がりを「建築的散策路」が打ち壊します。しかし他方で各階が連続するので、「自由な平面」と「建築的散策路」が立体的に一体化したといえなくもない。そうやって現実の建築ではふたつの形式が一体になるのですが、それに近いことが誌面でも起きているといえます。
妹島:
たしかに8枚をいっぺんに見た時に、この建築での体験やその意図がよく分かりますね。私も自分たちの作品集をつくる時に必死に勉強しましたが、これを真似するのはとても難しい。自分たちの建築の写真を選んでやってみようとしても、8枚で説明できて、かつ8枚使って単調にならない建築はなかなかない。これは、上段の左から2枚目に森の中から見ている遠景を1枚入れていることで、奥行きを出すことに効いていると思います。それぞれの写真も素晴らしいと思うけどやはりこの編集があってこそで、どの写真がどこにあるかということもとても重要ですね。遠景がいちばん端にあると、いかにも外から中に入ってというルートを規定してしまうし、1階から順に並べてしまったら説明的にも感じてしまう。建物を説明しているようでありながら、新しい物語に出会っているようでもあります。
西沢:
そうなんです。本はいわば紙の束で、各ページが時間的順序をもって登場するという、その物的な形式性をコルビュジエはたいへん面白く使っています。たとえばこの作品集の第1巻では、建築作品が次の建築作品に展開していく。各建築作品はバラバラでなく、相互に繋がっていって、ひとつの大きな都市になっていく。本がもつ形式性を使って物語をつくって、立体的なものをつくり上げていくところは、たいへん素晴らしいと思います。形式が生きているというか、まったく実用的なのです。コルビュジエにとって形式とは、内容を縛るものではなくて、内容の自由のことなのだと思います。また内容とは、形式という枠組みに押し込められるものでなく、形式を創造するものなのだと思います。
写真のもつ力
妹島:
この企画をお受けした当初、写真1枚でたくさんのことを語れるものだろうかと不安でしたが、写真1枚のもつ力は大変なものなのだということを写真を探した数日で実感しました。
西沢:
妹島さんの建築で印象深い写真は他にもあります。たとえば大橋富夫さんが撮った「PLATFORMⅡ」(1988年)の写真は思い出深いものでした。影が濃い、しっとりとした抒情的な写真で、大橋さんの世界観を感じます。写真がすごいのは、ものの見方を提示するところだと思います。ものの見方というのは、ある意味で世界観ですから、写真1枚で世界を提示するということで、すごいことだと思います。
ものの見方で思い出したのですが、ヴィム・ヴェンダースが「ROLEX ラーニング
センター」(『新建築』1009)の映画を撮った時に、ロケハンで建築を見に来て、ひとしきり見終わった後に「この映画は内部から始める。僕はこの建築の角は撮らないけどいいよね。」っていわれて驚きました。あの建築でのわれわれの最大の反省は、外形が長方形で、角があることなのです。中から外まで続いていくような空間をつくりたかったから、外形は長方形ではない方がよかったし、角があるといかにも箱の中と外という感じで、よくないのです。そこにわれわれが苦しんだことをヴェンダースは建築を見て回って気づいたのかどうか、でき上がった映画は確かに角がない空間、ランドスケープが中から外に繋がっていくようなものになりました。
妹島:
写真と建築の関係ってとても面白いと思います。自分の建築が撮られた写真を見て、その写真によってそれまで考えたこともなかったことに気付かされることがあり、そうなるとその先のことをさらに考えられて、建築を新しくとらえられる気がしてきて元気が出たりする。次に設計する時にこうしてみようと楽しくなったりする。それと、私は完成写真っていう感じの写真があまり好きではないのですが、そうではない時間が感じられる写真がどうして好きなのかと考えると、ここまで建築をやってきて、私は建築自体がここで完成とはいえないものを目指してるのかなと、今日写真の話をたくさんして思いました。
(2024年8月1日、SHIBAURA HOUSEにて、文責:新建築社編集部)

東京都港区「SHIBAURA HOUSE」で行われた対談風景。撮影:新建築社編集部
INAXライブミュージアム「建築陶器のはじまり館」

LIXILが運営する、土とやきものの魅力を伝える文化施設「INAXライブミュージアム」(愛知県常滑市)の一角に、近代日本の建築と町を飾ったテラコッタを展示する「建築陶器のはじまり館」がある。
LIXILは、主に大正時代から昭和の初期(第2次世界大戦前)まで、鉄筋コンクリート造の建築に取り付けられた装飾のためのやきもの「テラコッタ」を譲り受け保存してきた。この「建築陶器のはじまり館」は、屋内と屋外の展示エリアで構成され、屋内展示では、関東大震災を契機に明治期の煉瓦造の洋風建築から鉄筋コンクリート造へと変わっていく建築の近代化の流れと当時の建築を彩ったテラコッタについて、社会情勢を紐解きながら解説し、近代建築の巨匠、フランク・ロイド・ライト設計の「帝国ホテル二代目本館(ライト館)」の食堂の柱など貴重な資料を展示している。屋外の「テラコッタパーク」では、長く建築物の壁を飾ってきたテラコッタを、本来の姿である壁面に取り付けた状態で展示し、ゆったりとした芝生広場で青空の下、日本の近代建築が花開いた時代の息吹や、人びとのものづくりへの熱意が伝わってくる。

左上:「建築陶器のはじまり館」展示風景。左は帝国ホテル旧本館(ライト館)食堂の柱。右上:「テラコッタパーク」屋外展示風景。左下:帝国ホテル旧本館(ライト館)「光の籠柱」のテラコッタ。右下:大阪ビル1号館にあった愛嬌のある鬼や動物の顔のテラコッタ。
企画展「なんとかせにゃあクロニクル ―伊奈製陶100年の挑戦―」
会期:2024年4月13日(土)~2025年3月25日(火)
※展覧会終了
会場:INAXライブミュージアム「土・どろんこ館」企画展示室
およそ千年の歴史をもつ六古窯の町、愛知県常滑市で設立した伊奈製陶(INAX、現LIXIL)は100周年を迎えました。本展では、伊奈製陶からINAXに至るものづくりの歴史を、年表とエポックメイキングな製品や技術などの実資料と共に展観し、先人たちの創意工夫を紐解きます。
所在地:愛知県常滑市奥栄町1-130 tel:0569-34-8282
営業時間:10:00~17:00(入館は16:30まで)
休廊日:水曜日(祝日の場合は開館)、年末年始
入館料: 一般700円、高・大学生500円、小・中学生250円(税込、ライブミュージアム内共通)※その他、各種割引あり
web:https://livingculture.lixil.com/ilm/

雑誌記事転載
『新建築住宅特集』2024年10月号 掲載
https://japan-architect.co.jp/shop/jutakutokushu/jt-202410/
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公開日:2025年03月26日