タイル探訪 その4
タイル復興
石原愛美(建築家)×田熊隆樹(建築家)×井上岳(建築家)
『新建築住宅特集』2025年2月号 掲載
『住宅特集』ではLIXILと協働し、建築の素材やエレメントを考え直す企画として、機能だけでなく、それぞれがどのように住宅や都市、社会に影響をもたらしているのか探り、さまざまな記事を掲載してきました。今回はタイルです。2024年は伊奈製陶設立100周年でした。それを記念し、建築家の塚本由晴氏を中心に、INAXライブミュージアム主任学芸員の後藤泰男氏にも参加いただき、3回にわたり3つの視点で日本の建築史の中でタイルがどのような存在であったかを探訪してきました(JT2309、JT2403、JT2409)。
今回はその探訪を終えたおふたりに、これまでの知見をもとに30代の若手建築家3名と議論していただき、現在INAXライブミュージアムで開催中の企画展「なんとかせにゃあクロニクル 伊奈製陶100年の挑戦」、そして常滑の街歩きを通し、タイルの可能性を拓く建築的提案を求めました。それぞれはアンビルドな提案ですが、この先を照らす示唆に富んでいます。タイル探訪連載の締めくくりとしてご覧ください。
- ※文章中の(ex JT2212)は、雑誌名と年号(ex 新建築住宅特集2022年 12月号)を表しています。
提案1
素材の所在
石原愛美
やきものの産地に見る「土」の可能性
建築とはあらゆる材料の組合せによって構成される。私たち設計者はさまざまな建築材料をカタログから選択し、組み合わせ、適する場所に配置していく。そうして当たり前のように空間に分配される材料は、時に何千、あるいは何万という途方もない時間をかけて醸成された、連綿とした人びとの営みによる資源であることに気がつくことは少ない。
たとえば、手のひらににコロンと納まる愛らしいタイル。この原料である「土」は、足元ずっと深くに広がるマグマが冷えて固まり、地上に隆起し、風に吹かれ、水に運ばれるなどして途方もない時間をかけて変容した大地だ。私たちはこの資源の源である地球という地続きの大地を共有し生活を営む。その営みは場所の地勢や、それに起因する特有の産業によって大地をあらゆるかたちに変えながら成り立っている。
伊奈製陶の始まりの地である愛知県常滑市は、古くからやきものの産地として発展してきた。かつて愛知県と三重県に挟まれる伊勢湾のあたりには、約700万年前頃から始まった地殻変動によりできた「東海湖」という湖が存在した。周囲のさまざまな河川から風化した花崗岩が流れ込むことで偶然にも豊かな粘土層を抱えることとなったこの湖は、何百万年もの時間をかけて分布域を愛知県知多半島のあたりからユラユラと北上し、その土地それぞれの地勢に応じて性質の異なる粘土を各地に生み落とし、その後消滅した。

東海湖域に長らく位置した常滑では、鉄分を多く含んだ焼くと深い赤みのある粘土がつくられ、一方で東海湖の支流流域に位置した瀬戸では鉄分が分離した白い土が生まれた。常滑の土はその鉄分の含有量から低い温度でも焼き締まる性質をもち、甕や壺、土管といった大型のやきものを大量生産するのに適し、瀬戸の土は可塑性が高く成形しやすかったため細やかな意匠の多様な作品が生まれた。「土」という共通の原料をもとにしながら、やきものは各土地の来歴に呼応し、さまざまなかたちを伴ってつくられてきた。
今回の記事執筆に先立ち、「なんとかせにゃあクロニクル
伊奈製陶100年の挑戦」の展覧会では伊奈製陶が100年という歴史の中で常滑の「土」という大地を時代背景に応じて甕、茶器、土管、タイル、衛生陶器とさまざまにかたちづくっていった経緯を、常滑の街歩きではその製品たちが建築材料にとって変わり、あらゆる場面で常滑の街そのものをかたちづくっている様子を見た。このように、常滑や瀬戸といったやきものの生産地では、各地の微細に異なる性質を引き受けた「土」が、その各時代の人びとの営みによりあらゆる特徴をもって定着してきた。私はそんな土地独自に発達した素材やその使い方、それらがつくり出す土着的な風景に大きな魅力を感じている。
①~③の図は、もしも、ものづくりの資源の主成分がすべて「土」となった場合、建築の姿かたちがその土地々々でどのように発展するのか、ということを想像したものだ。もしも常滑でコンクリートが流通しなかった場合、耐水性や保温性に富み、容易に連結可能であるという土管の特性を利用し、それは主要構造部の構成材として台頭しているかもしれない。さらには基礎として利用される土管は鋼管杭やコンクリート杭の代替品となり、粘土質の比較的緩い常滑の土地に応答する術となっているかもしれない。もしも金属やプラスチックという素材が流通しなかった場合、建築の二次部材がやきものでつくられるかもしれない。
少し話は飛躍するが、「水回り」という概念は、水を許容できない領域があるからこそ存在するのではないかと考える。水分が留まることでカビが生えたりするような不都合が生じないよう、水を使う風呂などの場所はタイルなどの耐水性に富んだ素材で仕上げ、区画される。もしも居住空間が外部のように通気性がよく、水分を容易に取り去ることができるような素材で一様に仕上げられていたならば、そもそも水回りとそれ以外と領域を区画する必要性はなくなり、現在の私たちが暮らす間取りとは異なる住空間がつくられていたかもしれない。
こうしたたくさんの「だったかもしれない」は、素材ひとつによって空間、ひいては建築とはこんなにも変わり得る、というそのデザインの振れ幅の大きさを見せてくれる気がする。また当然、揺れ動く世界の情勢からもその供給ラインが明日も保持されているという確証はない。私たちは今一度それぞれの足裏に広がる大地とのやり取りを振り返ることで、今後眼前に広がり得る未来をうっすらと視ることができるのではないだろうか。
常滑の資源のフロー図
変成岩による粘性土がつくり出した緩やかな傾斜の土地として生まれた常滑。丘の雑木林は窯業を維持するための十分な燃料として重宝し、緩やかな丘陵地という地形に適応して次第に連房登窯が発達した。登窯の普及により大量の大型製品の焼成が可能になり、製品は窯のある場所からほど近い港から廻船によって日本各地へ流通した。また製造過程で出たB級品は地元に還元され、土留めや塀などに使用された。

常滑焼の土管を用いた公衆浴場
もしもコンクリートが流通しなかった場合、土管が主要構造部の構成材料として台頭している可能性を想像し、基礎や壁、設備配管が一体となった土管造りの建物の例を描いた。壁体の土管内に暖気を送り温めることで、その保温性を利用し壁体自体が熱源となる建物。土管は明治時代より常滑の産業を支える主力製品であり、常滑の街中でもインフラ整備という本来の役割のみならず、さまざまに使用されている。

伊奈製陶で製造していた土管。

①
常滑焼の土管を用いた建物
もしも金属やプラスチックという素材が流通しなかった場合、常滑や瀬戸では建築の二次部材がやきものでつくられるかもしれない。私たちがよく見かける軒先の雨樋は、その重みから屋根ではなく地上に設置され、軒は低く深くなる可能性がある。
基礎として利用される土管は鋼管杭やコンクリート杭の代替杭となり、粘土質の比較的緩い常滑の土地にも適応する。

②
瀬戸焼を用いた雨樋と風呂回り
もしも金属やプラスチックという素材が流通しなかった場合、瀬戸ではやきものでその代替品がつくられるかもしれない。お椀のような部材は竪樋に接続する集水器としての役割を担いつつ、陽の光を柔らかく透過させるトップライトとしても機能する。耐水性に富む仕上げ材で一様に空間を仕上げた場合、そもそも水回りとそれ以外といった領域の違いはなくなり、空間を一体的につくることができるかもしれない。


③

土留めの土管(すべて愛知県常滑市)。

焼酎瓶による擁壁。

電らん管による腰壁。

土管による基礎。

土管による支柱基礎。
画像・写真提供:石原愛美
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公開日:2025年06月24日