玄関から考える住宅の可能性(前編)

まちと繋がる玄関の未来形

畝森泰行(建築家)× 大西麻貴(建築家)× 門脇耕三(建築学者、進行)

『新建築住宅特集』2015年9月号 掲載

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門脇:

都市の連続として住宅を位置付ける、あるいは都市が住宅の中に自然に入り込むということに、積極的な意味を見出したのでしょうか?

大西:

そうですね。街に出ていく時、どんな玄関を通って、道に出るとどのような体験があるのかというように、建築から街までを連続的な経験として捉えることで、街もその経験の物語の中に含めたいのです。
また私は、玄関に対して住宅がいちばん無頓着だったのではないかという気もしています。「二重螺旋の家」は玄関を見てお店なのではないかと思って入ってくる人がいます。そこからも分かるように、住宅もどのように街から入るのかということに、もう少し意識的になる必要があると思います。

畝森:

緩やかに街と繋げようとすると、透明なガラス戸を用いる選択肢もあると思いますが、大西さんの面白いところは、体験の方を重視して設計しているところです。

門脇:

ガラスの連続性は視覚的なものだけで、扉を開けるという行為によって体験が切れてしまうし、温熱環境が違うので肌感覚も異なります。大西さんは五感を総動員して、内外の連続性を考えられているのですね。

畝森:

またドアを開ける、靴を脱ぐ、といった等身大の感覚と、街の構造を眺める広い視点が、シームレスに繋がっているところが面白いと思いました。このような感覚をもてるのは、僕たちの世代がどこかで現実を信頼しているからかもしれません。住宅を外部から遮断する傾向は、都市や社会に対する反発や否定から起きたものですが、僕たちは今あるものを肯定したうえで、玄関や入口の設計に取り組んでいるのだと思います。

門脇:

具体的に、畝森さんは玄関をどのように設計されていますか?

畝森:

「Small House」(『住宅特集』1102)では、アルミの引違いサッシを玄関に使いました。一般的な玄関ドアは外部と遮断するように、重く強固にできていますが、玄関もほかの窓と同じではないかと思い直し、テラスに出入りするように、気軽にカラカラっとサッシを引いて街へ出れるようにしました。またとても小さな敷地だったので、4mほどの細い前面道路も自分の庭のように感じるために、透明なガラス入りのサッシにしています。
カーテンを開け閉めし、また開け放したサッシから風を通したり、道沿いに植木鉢を置いたりと、建主は街と一体的な暮らしをされています。

門脇:

設えに着目されたのですね。玄関扉には断熱性・気密性・水密性・防音性などさまざまな性能が求められ、どんどん重厚になっていく。しかし街と住宅を繋ぐ装置だと考えると、その機能だけが適応するわけではないのかもしれませんね。

畝森:

「山手通りの住宅」(『新建築』1407)は玄関扉がふたつあります。 ひとつは山手通りに面し、台形敷地の角に設けた4m近い高さの大きな両開き戸です。もうひとつは住宅街に面し、駐車場の車の出入りのために設けた片引きのガラス戸で、将来1階が店舗になった時の出入口になります。この住宅では、ビルが建ち並ぶ山手通りと住宅街という異なる屋外環境をどのように内部に取り込むかを考えました。山手通りの巨大なスケール感は、1階の天井高と同じ高さの開き戸によってダイレクトに内部に取り込み、反対に駐車場のガラス戸は高さを1.8m程度に低く抑え、住宅街との人間的スケールによる連続を感じるようにしています。とても小さな住宅だからこそ、高さや見え方を意識的に設計することで、街も自分の場所だと思えるような広がりをつくりたいと思いました。この住宅の設計中に東日本大震災が起きたのですが、どこに住めばいいのか誰もが不安を感じる中、30代の若い建主はここに住むことを選択しました。この小さな敷地の中だけではなく、街全体も含めてここに住もうと決断されたのです。その決断に対し、街と繋がる建築をつくることが最も重要だと思いました。先ほど、街と連続する玄関のあり方は現実を肯定していると話しましたが、別の言い方をすれば、現実は変えることができない、受け入れたうえで何ができるかという意識が、建主も含め僕たちにもあったのかもしれません。

門脇:

それは世代的な側面もあると思います。戦後の焼け野原から都市がつくられていく姿を見た世代は、都市は自分たちの手でつくれるものだと思うのでしょうが、そうしたつくられた都市を当たり前の環境として育った世代は、都市の雑多なエレメントにもオーセンティシティを感じ取る。そこに認められるのは、現実は変えられないという諦念ではなく、周辺は尊重すべきであるという感覚で、そうした都市の捉え方が表出する場所が玄関なのでしょう。

大西:

さきほど畝森さんが、暮らしている人がどのような街に住んでいるかを感じられるような内外のあり方についてお話されていましたが、私もそこに共感を覚えます。私たちは都市さえも自分のローカルな場所にしていきたいという思いがある。そのローカルな場所をリアルに感じられる設えをどのように設計できるのか、住宅をつくる時に考えています。

これからの住宅の玄関の可能性

門脇:

では、最後にこれから住宅の玄関にはどのような可能性があると考えられているか、お話いただけますか?

大西:

どこまでが外でどこからが内か分からない玄関に、興味があります。たとえば廊下状の玄関がさらに枝分かれしたり、風よけの壁が蓑虫のようにいくつも重なりいつの間にか室内になっていたりと、環境としても、街との関係としても豊かに感じられる玄関に可能性を感じています。

門脇:

住宅の内部が外部に溶け込んでいくイメージですね。空間性の話ばかりではなく、街との繋がりというこれまでの話にも通じます。

畝森:

江戸時代、路地は共有の場であり、また大きな玄関でもありました。そこに暮らす人びとみんなで管理をしていたのですが、そのような家単体ではなく、集合から捉えた玄関のあり方に可能性を感じています。

門脇:

そうした路地を形成するにあたっては、建物の構えも重要です。構えを担う玄関という考え方には可能性があるのではないかと思います。

畝森:

また従来とは異なる集合体が生まれてくると、それに応じた玄関も生まれるような気がします。たとえば仲俊治と宇野悠里の「食堂付きアパート」(『新建築』1408)では、食堂が集合住宅の玄関の一機能を担っています。今までは扉で内外を調整していた玄関が、食堂という空間へと変化し、さらに食堂を運営する人たちがソフトなセキュリティ機能を兼ねています。そのようなあり方は単体の住宅ではできなかった新しいかたちだと思います。

門脇:

扉が空間化し中間領域化すると、住宅の要素として象徴的なエレメントが復活してくる可能性もあるのかもしれませんね。私たちが「玄関」といってイメージするものは、いわば標準語のようなものですが、地域や集合体に応じた方言のようなあり方を尊重することも大事だと思います。今は自分が住まう地域を自分でメンテナンスしていくようなことを考えるべき時期にさしかかっていて、そうした中で方言のように地域性が生まれることに期待をもっています。(2015年7月11日、新建築社にて。文責:本誌編集部)

次回、「新建築住宅特集」2015年10月号では、門脇耕三氏を司会に、マウントフジアーキテクツスタジオの原田真宏氏とTNAの武井誠氏に、数々の実作を通して、住宅における玄関の役割をどのように考えているか、お話しいただきます。
下段の年表にある玄関周りの商品変は「LIXIL資料館」で一部見ることが出来ます。住宅設備機器を製造・販売しているLIXILは、日本の住生活の歴史とともに歩み、街づくり、住まいづくりに貢献してきました。「LIXIL資料館」は過去の歴史から学び、これからの未来の暮らしを考え、新しい住まいづくりを提案し続けるために、2012年にオープンしています。(編)

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公開日:2015年09月30日

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