「建築とまちのぐるぐる資本論」コンクルージョン

微圏経済という試み──ぐるぐる資本論序説

連勇太朗(建築家、CHAr)

「ぐるぐる資本論」とは何か──最初から明確な定義があったわけではない。気になる現場に赴き、実践者に話を聞くことで、「人・物・事・お金の循環系のデザインがいかに可能か」という問いを深めてみたいという思いからスタートした。明確な定義がないまま見切り発車したわけだが、旅を重ねるうちに、少しずつ考えは整理され、今、ようやくその輪郭が立ち上がりつつある。そういうわけで、本来ならば最初に示されなければいけない文章が、最後に書かれることとなった。読者は、取材・鼎談・対談・論考と合わせて読むことで、より立体的にこの試みの全体像を捉えられるはずだ。

頼れなくなった巨大な社会システム

2008年前後の世界金融危機は、グローバル資本主義の脆弱さを露呈する出来事であった。2020年の新型コロナウイルスのパンデミックでは、人がまちに出て消費しなければ社会そのものが機能しないという現実を、身をもって感じさせた。これらの経験は、お金の流れが社会の根幹をかたちづくっているという基本的な事実を私たちに再認識させた。また同時に、その根幹とされているものが、いかに不確かで崩れやすいものであるかということも浮き彫りにした。多くの人はその危うさに以前から気づいていたかもしれない。それが、とうとう見て見ぬふりをしてやり過ごすことができなくなった。今、私たちはそうした状況を生きているのだろう。
資本主義の限界は、ニュースで取り上げられるような事象にとどまらず、日常生活の隅々にまで浸透している。日々のお金のめぐり方が、私たちの生活や精神状態にまで影響を与えているのだ。産業社会における「労働」という枠組みそのものが、多くの人々の精神を損耗させている。デヴィッド・グレーバーのベストセラー『ブルシット・ジョブ──クソどうでもいい仕事の理論』(岩波書店、2020年)は、そうした感覚の広がりを示す何よりの証左だ。GDPなどの経済指標上は豊かになったのかもしれないが、その裏で、息苦しさや生きづらさを抱える人が増え続けている。
こうした現実を踏まえれば、産業社会や巨大な社会システムにすべてを委ねることの危うさは明らかだ。 だからこそ、自らの手で、自分たちを包摂する社会的なセーフティネットを編み直す必要がある。そんな仮説が浮かび上がってくる。


私は、そのための具体的な方針として「社会を複層化する」という考えを提案してきた(★1)。
現行の社会システムを否定するのではなく、その枠組みのうえに、自分たちの手で別のレイヤーを重ねていくという発想である。そもそもインターネットの登場以降、かつてのように「国」「自治体」「まち」「家」といった上部が下部を一方的に規定する階層的な共同体や社会像は大きく崩れている。代わって現れたのは、互いに自律し、実環境と情報環境を横断しながら、複数のコミュニティが重なり合う状況である。荒廃する社会を生き抜くうえで、自分たちを支える仕組みを意図的に複層化していく──そうした戦略こそ、今必要とされているのではないだろうか。複数の社会的レイヤーは、不測の事態に耐えられる余白になり得る。「建築とまちのぐるぐる資本論」の取材を通じて、この「複層化の戦略」がより具体的なかたちをともなって見えてきた。

「微圏経済」という方法──ぐるぐる資本論の実践へ

本特集は、「誰もが自分自身で経済システムを創造することができる」ということを強く確信する旅であった。経済システムという言葉には、国家レベルの制度やグローバル資本の流れといった、スケールの大きなイメージが常につきまとう。だが取材を通して見聞きしたのは、もっと小さく手触り感のある自律的な経済圏の多種多様なバリエーションである。場所や人によって、「地域拠点の立ち上げ」から、「既存ストックの再生」「プラットフォームの構築と運営」「新たな不動産事業の仕組み化」「制度や政策の設計」まで、その方法は様々だ。共通しているのは、こうした小さな経済システムが、利潤の最大化を目的としているのではなく、人・物・事・お金の新たな関係のデザインを目的としているということである。経済的仕組みをもつことによって、今まで見過ごされていたものに新たな価値が見出され、それに紐づいて様々な資源がつながっていく。この関係性や循環を、ひとつのまとまりある圏域・領域・基盤として捉えると、そこに共通した構造が見えてくる。それをぐるぐる資本論を実践するための概念として、「微圏経済」と名づけてみたい。微圏経済とは、現行の巨大なシステムとは異なる規模と論理で動く、小さく、自律的で、DIY的に構築可能な、もうひとつの経済の循環であり、経済圏である。「微」とは、単にスケールが小さいという意味ではない。それは、巨大な経済構造のなかに埋もれていた関係性や手触りを、もう一度すくい上げるために必要な解像度であり、見えにくいものを浮かび上がらせるための視点である。
微圏経済の創出は、局所的な実践であるということにとどまらず、私たちの生活を支える社会的レイヤーを増やす営みと言える。ゆえに微圏経済を増やしていくことで、巨大な社会システムへの依存がわずかにでもゆるまっていくことを期待している。

経済圏がつくる風景

新たな経済圏が特定の場所で立ち上がるとき、その場所の風景そのものが変化する。経済と空間の間には、見えにくいが、強固な連関がある。例えば、グローバル資本主義のロジックで駆動する場所には、管理しやすく、交換可能で、機能的であることなどの空間的共通点がある。ビニールクロスで包まれた賃貸物件、空港のラウンジ、マクドナルドのインテリアなどは、その典型例だろう。経済がそれぞれの「空間の現れ方」をもたらすのだ。
では、微圏経済における「現れ」とはどのような特徴をもち、どのような風景をつくり出すのだろうか。実のところ、この問いついては本特集で十分に掘り下げることができなかった。だからこそ、今後の課題は、微圏経済から立ち上がる空間の「現れ」を捉える感性を鍛え、その感覚を他者と共有するための表現や言葉を育てていくことにある。
ここで確認しておきたいことは、「ぐるぐる資本論」は単に経済やお金の話ではないということである。それは意匠や形態を扱う狭義の意味での建築設計やデザインの問題に直結し、重なっており、それどころか特定の空間や場所を成立させる前提条件になっている。つまり現代において、経済システムへの介入がないところに、真に創造的な仕事はないと言える。これは今まで、建築やデザインの世界においては長らく見過ごされてきたことである。極論ではあるが、これからのデザイナーにとって問われるべきなのは、意匠そのものではなく、経済圏の仕組みをどう構想し設計できるかということにある。

異なるシステム同士の関係のデザイン

「建築とまちのぐるぐる資本論」の実践としての「微圏経済」はそれ自体では閉じ気味だ。だが、取材を通して感じたのは、人里離れた場所でコミューンを形成しているというわけでは決してないということだ。むしろ、他の社会レイヤーとの接触や干渉が確保されていることで、循環系そのものが変化し、外部にも影響を与えるという相互作用がある。
例えば、空き家を改修して拠点をつくろうとするとき、単に自己資金を投下するわけではなく、外部の金融機関から融資を得て実現するという場合。金融機関はその地域とはまったく別のネットワークをもっている。ふたつのシステムが関わり合うことで空き家の改修が実現する。このように他の経済圏との接点があることで、ぐるぐる資本論から生まれるプロジェクトはダイナミックに変化し展開していく。
このことは、既存のシステムに回収されることなく、自律的な経済圏としての輪郭を保ちつつ、他のシステムと戦略的に関係を結ぶということが、実践的にも成立し得ることを示している。完全に閉じることなく、しかし容易に飲み込まれない、そのような「関係のデザイン」こそが、ぐるぐる資本論の中核にある重要な特質なのかもしれない。そもそも、同じ物がある領域を等価にぐるぐると巡っているだけでは、余剰の発生が前提となる「資本論」という枠組みのもとで語ることができなくなってしまう。別の系との関係がどのように生み出され、どのように維持されているかという視点が、ひとつひとつの実践を観察する際には重要になりそうである。

資本主義の再編集

今、資本主義という巨大なシステムそのものが変容の只中にある。2008年のリーマンショックの際に、各国の中央銀行や政府が市場に大規模な資金を注入した光景は、言わば資本主義の内側に社会主義的ロジックがもち込まれた瞬間であった。また、GAFAMに代表される巨大なデジタルプラットフォームによる「デジタル封建制」とも呼ばれる新たなシステムが台頭し、従来の自由市場や競争原理とは異なる秩序によって社会が動かされつつある。あるいは中国で起こっていることを見てみてもよい。もはや、現行の資本主義はその純粋さを保ってはいない。「資本主義」という言葉のもと、何が行われ、何が語られているのか、あらためて問うべき段階に来ている。

こうした状況のなか、二年間の特集の最後に、あえて「資本主義を正しくやる」ということを提案してみたい。ここで言う「正しさ」は、道徳的な意味ではなく、仕組みとしての資本主義がもっているはずの本質的な可能性を十分に発揮させるということである。大澤真幸の言葉を借りれば、人間の「相克性」を前提とするのではなく、「相乗性」を引き出す経済のことだ(★2)。競争による淘汰ではなく、共感や利他性によって価値が創出される経済のあり方である。特集で見てきた事例はどれもそのような性質を内包していた。リスクを共有する共済的な仕組みや、利益の一部を次の実践に循環させるような事業構造、あるいは、労働や時間の価値を定量的に測るのではなく、関係性の触発によって価値を生成していくような場づくり。こうした動きのなかに、「資本主義の再編集」と呼び得る萌芽は既に立ち上がっている。

「ポスト資本主義」や「脱資本主義」といった言葉が希望として語られる場面も増えてきた。理念的には深く共感する。しかし、これらの言葉は、人々の思考を停止させるものでもあるから注意が必要だ。資本主義というシステムはそう簡単に脱することができるような代物ではない。資本主義は、私たちの日々の生活に深く根を張っており、想像力を規定している極めて厄介なものだ。ゆえに資本主義の外側に出ることを目指すのではなく、内側にもうひとつの論理をもち込むことで、現行の資本主義の性質や指向性を変えていくことを提案したい。ぐるぐる資本論はそのための開かれた議論と対話のプラットフォームであり、微圏経済はその実践のための概念である。破壊や脱出ではなく、既にここにあるものから始める。そうした視点から、次の社会の萌芽が立ち上がってくると信じている。


★1──「住まいとセーフティネット──複層化する社会を生きる」
https://www.biz-lixil.com/column/urban_development/sh_review002/
★2──大澤真幸『資本主義の〈その先〉へ』、筑摩書房、2023年

連勇太朗(むらじ・ゆうたろう)

1987年生まれ。明治大学専任講師、NPO法人CHAr(旧モクチン企画)代表理事、株式会社@カマタ取締役。
主なプロジェクト=《モクチンレシピ》(CHAr、2012)、《梅森プラットフォーム》(@カマタ、2019)など。主な作品=《2020/はねとくも》(CHAr、2020)、《KOCA》(@カマタ、2019)など。主な著書=『モクチンメソッド──都市を変える木賃アパート改修戦略』(学芸出版社、2017年)。
http://studiochar.jp

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公開日:2025年03月27日