「建築とまちのぐるぐる資本論」取材15

都市のヴォイドを探し、価値をバグらせる

中村圭佑(聞き手:連勇太朗)

JR亀有駅と綾瀬駅の間の高架下に、「SKAC(SKWAT KAMEARI ART CENTRE)」という新しい芸術文化センターがオープンした。先導したのは設計事務所DAIKEI MILLSを主宰する中村圭佑さん。2019年から、都市の遊休スペースを時限的に占有し解放する「SKWAT(スクワット)」というプロジェクトを行っており、SKACはその一環である。SKWATの展開を中心に、中村氏の活動とその背景にある思想や東京という都市に対する問題意識について話を伺った。

Fig. 1: 「SKAC(SKWAT KAMEARI ART CENTRE)」。単管や足場で組まれた内部に、アートブック専門のディストリビューター「twelvebooks」のストックが並ぶ。

原宿のVACANTから

連勇太朗(以下、連):

2024年11月に、オープンしたばかりの「SKAC(SKWAT KAMEARI ART CENTRE)」へ訪れ、亀有というエリアで、駅から徒歩10分ほどの高架下という空間にアートブックやレコードショップなどが並ぶ風景には驚きました。まずSKACという場所について教えてください。

中村圭佑(以下、中村):

SKACは、その名の通り亀有の芸術文化センターです。アートブック専門のディストリビューターである「twelvebooks」の倉庫兼ショップ、約5,000点のレコードを扱う「VDS」、ギャラリースペース併設のカフェ「TAWKS」、そして僕の設計事務所であるDAIKEI MILLSが入居し、共同で運営しています。
扱われている本、レコード、コーヒーなどはどれも質の高いものですが、働いているスタッフ一同は、多くの人たちにリラックスして楽しんでほしいという思いと、刺激を与えたいという思いをもっています。犬の散歩に来てもいいし、カフェでのんびりするだけでもいいし、まさに公園のような場所です。

Fig. 2: SKAC内を案内してくださった中村圭佑さん(中央)。

Fig. 3: 中村さん(左)と連勇太朗さん(右)。DAIKEI MILLSの事務所にて。

連:

東京の北東部にできた新しい場所としてとても賑わっていますね。ここに至るまでの中村さんの活動について教えていただけますか。特定のジャンルにとらわれず領域横断的に活動されている印象をもっているのですが。

中村:

現在の活動の主軸は3つあります。ひとつは僕の設計事務所DAIKEI MILLSの運営、ふたつ目は思想を表現する活動としての「SKWAT(スクワット)」で、このSKACもSKWATのプロジェクトの一環です。もうひとつは多摩美術大学美術学部建築・環境デザイン学科の非常勤講師です。
活動を振り返ると、学生時代はイギリスのアートスクールに留学していて、同時期にアートスクールに留学していた友人たちと帰国後、原宿で「VACANT」というスペースの運営を始めました。共同運営していたメンバーは全員20代前半でしたが、本当に幸運なかたちで活動をスタートさせることができました。

連:

実は、かつて私の結婚式の二次会をVACANTでやらせていただいたのですが、どうやって運営されているのか不思議に思っていました。

中村:

VACANTは文字通り「空っぽ」で、建築が機能を決めるのではなく、内容、イベントやアクティビティによって定義が変わるというコンセプトの空間でした。運営メンバーの専門は、グラフィックデザイン、プロダクトデザイン、ファインアートなどそれぞれ異なっていましたが、明確な役割分担はなく、みんなで話し合いながら運営していました。とても良い立地でしたから、箱貸しをすると、1日あたり数十万円の収入がありました。
VACANTでの様々な活動を通じて、空間を扱う仕事が好きだということを自覚していきました。まさか設計事務所をやることになるとは思っていませんでしたが。当時は神奈川県の方に自分のアトリエがあって、夜はそこに帰って制作をしていましたが、次第にチームでの仕事、互いにインタラクションしながら何かをつくっていくことの方によりおもしろみを感じるようになりました。分岐点になったのは、「CIBONE Aoyama」(2014年開業)の店舗デザインで、移転前の既存の什器をそのまま再利用したり、白色の左官仕上げを施して使いました。既存の物に向き合うという発想は今にもつながっています。
VACANTは2009年にオープンして、2019年にクローズしましたが、僕は2015年まで関わっていました。VACANTでの経験はその後のすべての活動に影響しています。自分にとって最も大きかったのは、「当たり前の感覚」がバグったことです(笑)。著名なアーティストを間近に感じることができ、権威やキャリアによる障壁を感じなくなっていました。誰が相手であっても、同じ目線に立って協働できる、おもしろいコミュニティを生み出すことができるという実感を得たのです。

価値観を提示するためのデザイン

連:

中村さんおよびDAIKEI MILLSのデザインは、即物的な物の扱い方、置き方、組み合わせ方に特徴があると思います。そうした方法はリノベーションが当たり前になった今では広く受け入れられると思いますが、最初はすごく挑戦的だったのではないでしょうか。どのようにそうしたデザインに対する感覚を培われたのでしょうか。

中村:

そうですね。ヨーゼフ・ボイスが提唱した「社会彫刻」に大きく影響を受けていて、単に物をつくるということだけではなく、社会一般に流通している価値観の転換や再定義が関心の中心にあります。今は施工費の高騰などの要因をデザインの根拠にすることもできますが、それだけではなく、身の回りにあるもの、見慣れたものを使うだけでも豊かな空間が生み出せるということを圧倒的に示したいのです。決してカラフルなカーペットやシート、単管といったものが好きなわけではなく、むしろ自分の好みや感覚とは異質なものを積極的に受け入れていきたいと思っています。
また、イギリスで見ていたスクウォッティングの影響も色濃くあります。イギリスでは2012年まで空き家占拠は犯罪ではありませんでした。リアリティや必然性をもった空間や場の魅力に打ちのめされ、いわゆる「デザイン」など要らないのではないかとも思わされました。

連:

なるほど。私も幼い頃ロンドンに住んでいたので、おっしゃるようなロンドンの空気感や都市風景からの影響というのはよく理解できます。

中村:

店舗デザインの仕事であっても、ある意味では彫刻をつくってインスタレーションをしているような感覚があります。ディテールをもった家具や什器をデザインするのではなく、物と物の関係性によって場を生じさせる、物を什器に見立てるような発想です。扱うスケールが大きくなれば建築になるし、最小の単位としては抽象的な彫刻のようなものになります。
図面化しにくい部分は自分たちで手を動かしてつくっています。SKACでも、単管は自分たちで組んでいますし、DIYでつくったところは少なくありません。DAIKEI MILLSのスタッフも、業者に相談するより前に自分の手が動く人ばかりです。
クライアント、設計者、職人といった上下関係をなるべく崩し、フラットで領域横断的なものづくりをしたいと常に思っています。

思想としてのSKWAT

連:

SKACの前提となっている「SKWAT(スクワット)」というプロジェクトについて教えてください。

中村:

SKWATは僕個人の思想から始まっています。都市の隙間やヴォイドにアプローチして一時的に占拠し、その価値や意味を転換することを目論むプロジェクトです。いわゆるクライアントワークではなく、自主的にやっています。
店舗デザインなどの仕事には恵まれていましたが、その一方で一般のお客さんと関わることなく場所をつくっていること、直接的に反応を感じられないことに物足りなさも感じていました。アートやファッション、デザイン業界、文化的なコミュニティに閉じることなく、興味関心がまったく異なる人たち、地元の普通の人たちも参加できるものにしたいという思いもあります。
また、背景のひとつには東京発のムーブメントの停滞もありました。2020年に東京オリンピックが予定されていたこともあり、各地で大規模な再開発が進行していて、一言で言ってしまえばジェントリフィケーションによってつまらないまちになっていると思いました。何か大きな天変地異のような出来事が起こるのではないか、何か新しいことを始めた方がいいという個人的な直観もありました。実際に、2019年末にSKWATを始めた直後の2020年にはコロナ禍があり、様々な企業が先行きの見えない状況になりましたが、僕たちはフレッシュな気持ちをもって周囲とは別の方向に向かっていきました。
最初は、渋谷区神宮前の遊休物件を一時的に占拠して、仮設的な設えでもって、自らコンテンツを持ち込みました。小さなスケールの建物であっても、その活用方法やコンテンツ次第で、業界や地域へ大きなインパクトを与えることができます。改修費は自分たちで負担しましたが、気負いはまったくなく、VACANTの経験から回収は難しくないだろうと考えていました。プロジェクトとしては、例えばtwelvebooksと組んで、流通させることができないダメージ本を主として、2カ月限定ですべての本を1冊1,000円で売る「Thousandbooks」などがあります。
SKWATを始めてから、DAIKEI MILLSのクライアントワークとしても依頼や相談の内容が変わり、店舗の場所探しから関わったり、ソフトからハードまでを提示する機会が増えました。自らリスクテイクをして実践を示しているので、説得力をもった提案が可能になりました。

亀有に深く関わり、地域を変革する

Fig. 4: ヨーゼフ・ボイスらの作品・資料を収集していた清里現代美術館のアーカイブが展示されている。奥に見えるサインは、「CCA(Canadian Centre for Architecture)」によるステートメント「THE MUSEUM IS NOT ENOUGH」。

Fig.5: 2階。奥にDAIKEI MILLSの事務所が入居。

Fig. 6: twelvebooksの倉庫でもあり、荷解きや仕分け、発送なども行われている。

Fig. 7: レコードショップ「VDS」。

Fig. 8: ギャラリースペース併設のカフェ「TAWKS」。田中義久氏が率いるグラフィックデザイン事務所centre Inc.とSKWATの協業による「WHEREABOUTS(サインの行方)」展が設営されていた。廃棄予定だったサインを再構成。

中村:

SKWATはヨーロッパからの引き合いもあります。そのひとつは、ミラノ拠点の建築家アンドレア・カプートが手掛けている「Dropcity」のプロジェクトへの参画です。Dropcityは、ミラノ中央駅の高架下で人々が出会い、議論し、デザインや建築、社会のより良い実践を想像するための場所です。

連:

具体的にはどのようにSKACのプロジェクトは始まったのでしょうか。一連のSKWATのプロジェクトとは場所性が異なり、都心から離れたところで、規模もとても大きいですね。

中村:

東京で誰も目を付けていないエリア、企業が頑張ってもうまくいかないエリアを探していました。また、渋谷区や港区でのプロジェクトではあまりなかった、行政や企業との連携も求めていました。そうしたなかで、ジェイアール東日本都市開発さんのWebサイトに、この亀有駅と綾瀬駅の間の高架下再開発プランが出ているのを見つけました。現地に見に行ってみると、現在SKACになっている建物が建っていて、3カ月限定の賃貸契約の募集広告が貼ってあったので、そこに書いてあった電話番号にかけて、「借りたい」という話をしました。2023年8月にDAIKEI MILLSの事務所を移し、スタッフ数人も近所に引っ越してきました。3カ月だけではなくもっと長く借りたいという話などをしながら、徐々にアプローチをしていったのです。

連:

既に発表されている再開発のプランを変えるのはとても困難だと思いますが、どのように提案を具現化していったのでしょうか。

中村:

当初は新しい計画をプレゼンテーションしたところで、現場担当者には響いたとしても、上層部には受け入れてもらえませんでした。SKWATについてより理解してもらうきっかけになったのは、多摩美術大学で担当していた授業です。ある場所の特異性を見出し、既存の価値を転換するようなソフトを考えて、その副産物としてのハードをつくるという設計課題で、まさにSKWATの思想に沿ったものでした。既存の建物を取り壊し、更地にして新しく建築を建てるという方法ではありきたりのものになりますが、よく観察してソフトを考案することで、ポテンシャルやオリジナリティが浮き彫りになり、結果的には場所の価値が上がるのです。課題の敷地として亀有の高架下を指定して、ジェイアール東日本都市開発の人たちにも講評者として一連の授業に参加してもらいました。学生や大学を巻き込みながら、これからの時代の場の使い方について意思共有ができたのです。
僕は事務所を亀有に移して以降、頻繁に近所のお店に飲みに行ったり、スーパーでお弁当を買うときにレジの人と話し込んだり、様々なかたちで地元の人たちとコミュニケーションしていたので、この場所に普通の機能は要らないということがよくわかっていました。いきなりよそから業者が来て、地元の人たちとのコミュケーションをせずに再開発のプランをつくり、完成したら出ていってしまうのではうまくいくはずがありません。人と交わること、コミュニティをつくることの重要性をジェイアール東日本都市開発さんにも訴え続け、時間をかけて互いのギャップを埋めていきました。
SKACは、Instagramでしか告知していなかったにもかかわらず、自然に情報が広がっていき、2024年11月のオープン以降、本当に沢山の人が訪れています。そうしたオープン後の様子を見て、SKWATが実現したかったことを、よりリアリティをもって感じていただけたのかなと思います。

Fig. 9: 北側の前面道路からの夕景。

Fig. 10: 南側のスペース。公園のように常時開かれている。

Fig. 11: 亀有駅側のエントランス。単管で組まれたフレームにDAIKEI MILLSの資材が置かれている。手前の石も過去のプロジェクトで用いられたもの。

Fig.12: コンクリート平板によるベンチ、パレットによるテーブル。

連:

運営を始めてからの感触はいかがですか。

中村:

SKACでは毎日が実験、トライアンドエラーの連続です。何かをつくる、お客さんのリアクションを見る、フィードバックをするのが日常で、その成果をクライアントワークに展開することもありますし、逆に、クライアントワークで成立したものをSKWATのプロジェクトのなかで再解釈したりと、良いバランスで成立しています。
DAIKEI MILLSのスタッフは10名ですが、全員が設計だけではなく、SKACの運営に関わっています。ありがたいことに、SKWATの思想に共感してくれて、長くいるスタッフも多いので、みんなが当たり前のように近所に引っ越し、手を動かしながら生活しています。

連:

最近は、建築家が近隣とのコミュニケーションの場をつくったり、自ら設計した場所の運営に関わることも珍しくなくなっていますが、中村さんの取り組みはそのなかでも規模が大きくかつダイナミックな動きをしているのでとても刺激的です。

中村:

僕らは、使えるお金はすべてSKWATのプロジェクトに投資しています。東京では小さなスケールでは色々なアクションがありますが、それらがなかなかムーブメントにならない要因は、インディペンデントな個人が結局打算的に考えてしまい、ハイリスクを避けるからだと思います。
関わるみんなが気持ちいい関係性のなかで、年齢や職能のヒエラルキーもなく、相応の仕事とお金が循環していくことが理想ですし、それが可能だと信じています。

連:

今後の展開について教えてください。

中村:

さらにエリアを拡大させ、今とは異なるコンテンツや協業者とともに中長期的にこの場と向き合っていく予定です。
SKACは、まさに都心から外れたところにあるヴォイドです。地域の人たちや行政、ジェイアール東日本都市開発との関係もあり、自分個人の思想から始めて、どこまで他者を巻き込んで大きなムーブメントにできるのかという挑戦です。自らの表現の限界を打開するには、外的な要因、困難さを許容して取り込むことが必要です。東京は、僕にとっては既に魅力があまりないからこそ、SKWATの実践があり、この場所で新しい価値を提示し、既成概念をバグらせたいと思っています。

Fig. 13: 沢山のマテリアルが並ぶDAIKEI MILLSの事務所

文責:富井雄太郎(millegraph) 服部真吏
撮影:富井雄太郎
サムネイル画像イラスト:荒牧悠
[2025年1月9日 SKWAT KAMEARI ART CENTRE内のDAIKEI MILLSにて]

中村圭佑(なかむら・けいすけ)

1983年静岡県浜松市生まれ。2011年設計事務所DAIKEI MILLS設立。2019年に遊休スペースを時限的に占有し解放するSKWATを開始。2021年から多摩美術大学美術学部建築・環境デザイン学科非常勤講師。
http://daikeimills.com
https://www.instagram.com/skwat.site/

連勇太朗(むらじ・ゆうたろう)

1987年生まれ。建築家、博士(学術)。明治大学専任講師、NPO法人CHAr(旧モクチン企画)代表理事、株式会社@カマタ取締役。
主なプロジェクト=《モクチンレシピ》(CHAr、2012)、《梅森プラットフォーム》(@カマタ、2019)など。主な作品=《2020/はねとくも》(CHAr、2020)、《KOCA》(@カマタ、2019)など。主な著書=『モクチンメソッド──都市を変える木賃アパート改修戦略』(学芸出版社、2017年)。
http://studiochar.jp

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公開日:2025年01月28日