「建築とまちのぐるぐる資本論」取材16
古材のリユースから地域資源の循環へ
東野唯史、東野華南子(聞き手:連勇太朗)
特集連載「建築とまちのぐるぐる資本論」では、これまで15の取材をしてきたが、2年目の最後の取材先は長野県諏訪市の「ReBuilding Center JAPAN」(リビセン)だ。2016年の創業から現在まで、約3,300件もの「レスキュー」が行われ、古材・古道具の販売店には年間約5万人のお客さんが訪れている。近隣のカフェ、飲食店、雑貨店、パン屋などのデザインや施工を行い、ときには移住や開業もサポートする。リビセンのファウンダーであり、地域の資源を活かしながら循環を促す東野さん夫妻に話を伺った。

Fig. 1: 奥に見える建物が「ReBuilding Center JAPAN」(リビセン)。元工務店のビルをリノベーションして2016年にオープン。この日は1階の古材のストック・販売スペース改装のため、駐車場に古材が運び出されていた。
ReBuilding Center JAPANの始まり
連勇太朗(以下、連):
古材のリユースが注目され、徐々に広まりつつありますが、「ReBuilding Center JAPAN」(以下、リビセン)は、国内でそうした取り組みの先進的存在です。これまでにも数多くの取材を受けられてきたと思いますが、改めて事業について色々お聞きできればと思います。
東野唯史:
リビセンは「地域資源のリユースカンパニー」として、長野県諏訪市のJR上諏訪駅から徒歩約10分のところで、元工務店だった1,000㎡ほどのビルをリノベーションして、カフェと古道具・古材の販売スペースを設けています。周辺の空き家や古いお宅から古道具や古材を買い取ることを「レスキュー」と呼んでいます。基本的に販売可能な物は必ず値をつけて買い取ること、逆に販売できない物は無料でも引き取らないのが基本ルールです。
2016年9月に開業して、これまで約3,300件のレスキューを行ってきました。家屋の解体を伴うような大規模なものはそのうち10%ほどです。自分たちでレスキューに赴く場合もありますし、地元の方々が車で持ち込んでくださる場合もあります。レスキューしたマテリアルを使って空き家をリノベーションしたり、プロダクト製作も行っています。

Fig. 2: リビセン1階のカフェにて、左から東野華南子さん、東野唯史さん、連勇太朗さん。奥のサッシは様々な窓や戸のリユース。
連:
アメリカ・ポートランドの「リビルディング・センター」がモデルになっていると思いますが、創業の経緯はどのようなものだったのでしょうか。
東野華南子:
私たちは2015年に結婚して、新婚旅行として当時話題だったポートランドへ行きました。リビルディング・センターのことはあらかじめ知っていましたが、現地へ行ってみると、スタッフが明るくて、お客さんにも愛されていることが伝わってきて、心を動かされました。日本のリサイクルショップと扱っている物は似ていても、人々の雰囲気がまったく違っていたのです。
東野唯史:
思い返すと、2014年に博報堂の雑誌『広告』で「Tokyo River Story
東京、川ろうぜ。」という特集があり、架空の提案として、隅田川を挟んだ両岸にDIYセンターや素材と雑貨の店をデザインしたことがあります(★1)。東側の墨田区側にはクリエイターとマテリアルを扱う職人がいてものづくりの文脈があり、西側の浅草エリアには飲食店が沢山あって食文化があり、それらをつなぐ構想で、まさにリビセンの元になっています。
同じく2014年に「空家等対策の推進に関する特別措置法」ができて、「特定空き家」の撤去や修繕を命じること、行政代執行が可能になり、日本の古民家が加速度的に減っていくのではないかという危機感を抱いていました。
2015年にポートランドでリビルディング・センターに出会い、もう自分たちでやるしかないと思い至りました。日本版のリビルディング・センターができれば話題になってメディアにも紹介されるだろうし、廃材や古い物に対するポジティブな認識が広がるのではないかと考え、思いの丈を綴ったメールをリビルディング・センターに送ると、すぐに快諾の返信をいただきました。
場所の条件としては、人口が減っていて空き家が増えている地域で、かつ都市からのアクセスが比較的良いところが良いだろうと思っていました。古材のニーズは主に都市部にあり、また、発信してくれる人も都市部に多いだろうという予測からです。
上諏訪は、東京からも名古屋からも公共交通で2時間半程度です。2014年に下諏訪町の老舗旅館をリノベーションした「マスヤゲストハウス」をつくったときに諏訪市に移住していたこともあって、友人に相談してみると、上諏訪で売りにも賃貸にも出ていない20年間空室だったこの建物を所有していた工務店の社長さんを紹介してもらえました。企画書を見せると、ちょうど役員会議で決まったばかりの解体を取りやめてくださり、すぐに借りられることになりました。その方は諏訪商工会議所の会頭も務められていて、諏訪のためになりそうだと思ってくださったのです。新婚旅行から帰国して、会社をつくったりお金を借りたりして、リノベーションの着工まではわずか10カ月でした。


Fig. 3・4: ReBuilding Center JAPANの2階。レスキューされた多種多様な古道具などが並ぶ。

Fig. 5: 同1階のカフェ。左手奥にはキッズスペースも併設。左官や古材による仕上げは自主施工。
連:
ポートランドのリビルディング・センターとはどのような違いがあるのでしょうか。
東野唯史:
リビルディング・センターの名前とロゴの使用許可は得ていますが、何か運営のルールが定められているわけではありません。公共的なヴィジョンは共通していますが、社会的な文脈や制度の違いから活動形態が異なっています。
そのひとつは、ポートランドのリビルディング・センターはNPOで、僕らは株式会社だという点です。アメリカではNPOの社会的な意味が認知されていて、ボランティア活動が新しいスキルを身につけるためのカジュアルな文化にもなっていて、軽犯罪の罰則が免除されたり、古材の寄付が税金対策になったりと制度も整えられています。日本ではそうではないので、経済的に成り立っているように見えた方が良いだろうと考え、株式会社にすることを選びました。
また、売上げの比率は、おそらくポートランドでは古材がよく売れているはずですが、僕らは古材よりも古道具の方が売上げの割合が大きいです。
連:
リユース自体があまり注目されていないなか、日本でリビセンを始めるのに不安はありませんでしたか? また、商いとしてはいわゆるデザイナーのモデルとはまったく異なるので、創業当初はそのギャップや両立が大変だったのではないでしょうか。
東野唯史:
友人たち5人で会社を始めたのですが、僕は楽観的で、デザイン事業でふたり、カフェ、古材・古道具販売、家具製作でそれぞれひとりずつで、計5人が食べていけるだろうという荒いプランでした。当時の収支計画を見ると、現実離れしていますね(笑)。
オープン以来、売上げは右肩上がりで、お客さんの数も当初から3倍の年間5万人ほどになっています。
東野華南子:
現在、スタッフは役員と社員が13名、パートタイムが6〜7名の計20名ほどで、リノベーションやオリジナルの家具や什器を設計・施工するチーム、レスキューを行ったりリビセンの店舗を運営するチーム、カフェ運営や雑貨販売、イベント企画の計3チームがあります。私は主にマネジメントやチームビルディングに関わる仕事を担当していて、元来の世話焼きが役立っていますが、これ以上の規模拡大は難しそうです。
2024年9月に、これまで取締役だった私も代表取締役に就きました。社会にとってその方が良いイメージになると考えたからです。DIYや設計のスキル、不動産の知識などはあまりないのですが、普通の人の気持ちを理解するために意識的に素人であり続けようと思っています(笑)。
スタッフには、人との関わり合いにこそ心を配ってほしいので、それ以外の、例えば値付けなどは可能な限りシステム化を進めています。
上諏訪のまちの変化
連:
2016年からこの10年ほどで様々なことがあったと思います。まちにも変化が見られますね。
東野華南子:
大きな転機になったのは2019年で、リビセンの近所に「AMBIRD」、「カフェと暮らしの雑貨店fumi」、「あゆみ食堂」という3つの店舗がオープンしました。リビセンをやっていると、諏訪でお店をやりたい人、移住を希望する人が時折現れます。空き家は安く買える、借りられるので、リビセンから歩ける範囲内で物件探しから一緒にやりました。私たちは「この人と一緒に生きたい」とか「この人が近くにいたらいいな」という気持ちを大切にしています。


Fig. 6・7: 自家焙煎のコーヒー店「AMBIRD」は東野華南子さんのかつての同僚が開業。お茶や焼き菓子も扱われている。


Fig. 8・9:「カフェと暮らしの雑貨店 fumi」は築90年の元薬局をリノベーション。写真提供:ReBuilding Center JAPAN


Fig. 10・11: あゆみ食堂。店主のあゆみさんは、東京でケータリングを中心に活動していたが、リビセンのカフェで定期的にランチのイベントを開催するなかで移住を決意。
東野唯史:
リビセンをつくって以降も全国各地でお店のリノベーションの仕事をやっていましたが、できたお店になかなか行けないというもどかしさを感じていました。また、2019年に子どもが生まれたこともあり、意識的に出張をなるべく減らして近隣の仕事を増やしました。働き方を変えることで、自分たちが使ったエネルギーや時間を自身で享受することができています。
また、エリアリノベーションを進めれば進めるほど、リビセンの古材・古道具の売上げも伸びていきました。近隣の設計・施工を行い、新しいお店ができることで、結果的に上諏訪に来る観光客や出入りする人も増えるという相乗効果が生まれたのです。
東野華南子:
私たちにとって、栃木県那須塩原市の「1988 CAFE SHOZO」が憧れの存在です。オーナーの菊地省三さんのカフェがきっかけになり、その周囲に個性的で素敵なお店が沢山できています。行政の支援などがあったわけではなく、その自然発生的なあり方がとても好きです。


Fig. 12・13: 「太養パン店」。100年以上続く老舗で、2020年のコロナ禍による休業時にリニューアル。床は、オーナーが保管していたイタリア製の古いタイルと古材を組み合わせている。


Fig. 14・15: 花屋「olde」。太養パン店の向かいに2021年末にオープン。店内にはレコードショップも併設。壁と天井は薄いピンク色の土漆喰。

Fig. 16: 「上諏訪リビセンご近所まっぷ」。何度かリニューアルされ、その都度新しいお店が描き足されている。
東野唯史:
2022年に、諏訪信用金庫さんと地元の不動産屋さんとリビセンが共同出資して、すわエリアリノベーション社というまちづくり会社を設立しました。信金さんに空き家の情報が入ったときに、僕らが開業したい人や移住したい人を紹介することで、信金さんには融資の件数を増やすきっかけが生まれ、僕らの設計・施工の仕事にもつながっていきます。
実現したひとつ目のプロジェクトが「ポータリー」です。4軒続きの長屋なので規模が大きく、個人ではなかなか扱いにくい物件でしたが、購入した不動産屋さんに対してすわエリアリノベーション社がマスターリースの賃料を払い、複数の店舗や事務所へサブリースを行っています。すわエリアリノベーション社は儲けるための会社ではなく、まさに媒介・受け皿なので役員報酬は0円で、ポータリーの管理人に業務委託費を払っているというかたちです。
奇跡的なことに、ポータリーの隣かつ「AMBIRD」の隣にある角地の建物も、すわエリアリノベーション社のプロジェクトとしてリノベーションを進めています。


Fig. 17・18:「ポータリー」は、リビセンから徒歩5分ほど、築約90年の長屋をリノベーションして2023年にオープン。1階に飲食店、アロマオイルを使ったトリートメントのお店、物販店、AMBIRDの焙煎室が入り、2階は事務所やレンタルスペース。
デザイナーの存在意義
連:
唯史さんは元々、そして今もデザイナーなわけですが、リビセンをやるなかで、職能に対する認識の変化はありましたか。
東野唯史:
大学では建築デザインの勉強をして、卒業後にディスプレイデザインの会社で3年間働き、世界一周の旅に出ました。海外で実感したのは、パソコンを使わなければできないデザインの弱さです。極端に言えば、アフリカでボランティア活動をするときには、CADのスキルよりも歌を歌うスキルの方が役立ちます。
帰国後にデザイナーとして独立し、東京の蔵前にある「Nui. HOSTEL & BAR LOUNGE」をデザインしたことがきっかけで、現場で職人さんたちと一緒につくることに目覚めました。その後、全国を転々と引っ越して各地に住み込みながら現場に入り、大工仕事だけではなく、左官などの経験を重ねていきました。デザインの仕事は、図面を描くだけで終わりではなく、その場その場で使える素材や人を取り込む方がおもしろくなる可能性があると思います。
最近の諏訪周辺の現場のほとんどは、自分たちで施工にも関わっています。大工仕事も可能ですが、すべてやると大変なので、フリーの大工さんや工務店に下地までの工事を担ってもらい、僕らは左官や家具製作、造作などの仕上げに関わる部分をうまく収めていくことで、自分たちのデザインを実現しています。
連:
クライアントワークを受注するデザイナーではなく、リビセンの自主事業がプラットフォームとして存在し、そこから地域での仕事が生まれ、さらに地域の古材を使うことが独自性のある固有のデザインになる。新しいデザイナー像を体現されていると思いました。
東野唯史:
地域の古材を使うことの素晴らしさを特に実感したのは、2021年のウッドショックのときで、木材価格高騰の影響をほとんど受けませんでした。今後もさらなる原油価格の上昇や、円安へのリスク回避になると思います。
僕らの古材を扱うビジネスモデルは、大きく儲かるということはありませんが、自分ではどうしようもない外的要因をなるべく受けずに長く続けられる、地域の中で独立しながら豊かに生きることができます。
お金を稼ぐだけではなく、社会に貢献するために働きたいという人は少なからずいますから、そういう人にとっては良いと思いますし、そうした働き方・生き方は、不動産が安い地方の方が向いています。都会では、資本の大きな流れ、組織的な構造、分業を前提とした働き方に慣れてしまいます。
地方で生きるデザイナーは、やはり様々なスキルをもっていた方が良いと思います。多少の粗があってもDIY、不動産、グラフィックデザイン、イラスト、写真、ライティング、編集などができれば、クライアントに予算を上げてもらったり、外注することなく自分で最終的なアウトプットまで達することができます。
僕は、クライアントと一緒に収支計画や事業計画を考えてきたことで、不動産やサービス業についても多くを学んできました。建築に関わるデザイナーは、不動産投資や運営、お金の動きまで知ったうえで設計した方が良いはずです。今後さらに人口が減少していき、原材料費が上がるなかで、リノベーションは当たり前になりますが、場合によってはリノベーションすらもできず、空き家を掃除だけして住むというようなケースもあるでしょう。でも、その場で手に入るマテリアルを活用することで生み出せる新しい価値が必ずあるはずです。設計料は少額でも、ストックしておいた古材を使うことで、材料費や家具製作費などを売上げにすることができます。何より創意工夫が大事です。

Fig. 19: 改装中の古材のストック・販売スペース。
古材リユースの広がり
連:
近年、特に気候変動やサステナビリティといった社会課題からもリユースが注目されていると思いますが、実感としてはいかがでしょうか。また、そのなかでリビセンの社会的インパクトはどのようなものだと思いますか。
東野唯史:
コロナ禍以降、古材は単にかっこいい素材としての需要だけではなく、環境負荷の少ない材としても選ばれるようになってきたと感じます。より多くの人に価値が受け入れられるようになってきました。
ただ、リビセンの社会的な影響はそれほど大きなものではないと自覚しています。レスキューの件数は年間1,000件にも達しませんので、解体の総数とは比べものになりませんし、移住してきた人も20〜30人ですから。ずっと「種まき」をしているような気持ちです。
リビセンに来てくれるお客さんやその友人・知人関係でも、こうした事業をやりたいという人はたくさんいることがわかり、2023年から「リビセンみたいなおみせやるぞスクール」を始めました。これまで6回開催して参加者は計150人ほどです。月額制のオンライン・コミュニティ「Local
Reuse
Collective」には、スクールの卒業生50人ほどが入っていて、僕らの全体ミーティングにオンライン参加できたり、情報交換を行っています。群馬県みどり市の「ひの芽」や、福岡県北九州市の「Find」など、具体的な活動を始めている人もいます。レスキューのヴィジョンは共有しながらも、それぞれの人の特技や地域の特性を組み合わせた事業をやっていってほしい、もっと全国に広がっていってほしいと思っています。
東野華南子:
間口を広げるという意味では、リビセンでは古材を使ったプロダクトのブランドを立ち上げようとしています。古材は、材料の原価が安いので、最終的な製品が量産できるようになると、普通のマーケット上でも戦いやすいはずですし、選択肢を増やしていきたいです。古材を手に取りやすいものにする、普通の人が何かできるかもしれないと思える経験を提供するため、様々な技術も導入予定です。
連:
古材が良いと思える人々の感性や価値観が、新しい産業の創出にもつながっていくと思います。
東野唯史:
僕らが目指すゴールは、産業廃棄物のマニフェスト、廃棄物処理法(廃掃法)に則って木材を処分するときに、サーマルリサイクルと同じような扱いで古材のリユースが位置づけられることです。日本では、山の維持のための木の伐採は基本的に悪ではないので難しいところもありますが、チップにして燃料にするだけではなく、建材として使えるものはそのまま、もしくは製材されて地域の材木屋さんやホームセンターに並ぶという風景が当たり前になれば良いですね。地域の解体業者さん、産廃処理業者さん、デザイン事務所などが連携して、新しい事例をつくっていきたいです。
★1──『広告』はWebで公開されている。
https://kohkoku.jp/publish/vol396/HTML5/sd.html#/page/84
文責:富井雄太郎(millegraph) 服部真吏
撮影(特記なし):富井雄太郎
サムネイル画像イラスト:荒牧悠
[2025年1月27日 ReBuilding Center JAPANにて]
連勇太朗(むらじ・ゆうたろう)
1987年生まれ。明治大学専任講師、NPO法人CHAr(旧モクチン企画)代表理事、株式会社@カマタ取締役。主なプロジェクト=《モクチンレシピ》(CHAr、2012)、《梅森プラットフォーム》(@カマタ、2019)など。主な作品=《2020/はねとくも》(CHAr、2020)、《KOCA》(@カマタ、2019)など。主な著書=『モクチンメソッド──都市を変える木賃アパート改修戦略』(学芸出版社、2017年)。
http://studiochar.jp
東野唯史(あずの・ただふみ)
1984年生まれ。2007年名古屋市立大学芸術工学部生活環境デザイン学科卒業。2014年に空間デザインユニットmedicala設立。2016年、長野県諏訪市にReBuilding Center
JAPANを設立。2022年すわエリアリノベーション社設立。
https://rebuildingcenter.jp/
https://suwareno.com/
東野華南子(あずの・かなこ)
1986年生まれ。中央大学文学部卒業後、カフェの店長、ゲストハウスの女将経験を経て、2014年に空間デザインユニットmedicala設立。2016年、長野県諏訪市にReBuilding Center
JAPANを設立。
https://rebuildingcenter.jp/
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公開日:2025年02月26日