「微圏経済のつくり方・もち方・描き方」レポート6

ケアをまちで分配する──長野県上田市「のきした」の関係性

金田ゆりあ

最奥に見えるのが「26bldg.」で、左手前のミントグリーンの建物がNPO法人リベルテが運営する「屯-ton-」。この通りが古道具市「261(にーろく市)」のメイン会場となる。

利潤の最大化を目的とするのではなく、人・物・事・お金の新しい関係から立ち上がる、小さな圏域としての「微圏経済」。ここでの「微」は、既存の経済構造に埋もれてきた関係性や手触りを浮かび上がらせるための視点でもある。本稿では、その入口としてケアを手掛かりに微圏経済を考えてみたい。

ケアは、医療・福祉の領域に限らず、日常のなかで互いを気にかける小さな関係性まで幅広い。微圏経済におけるケアがあるとすれば、それは資本主義のもとでサービス化・専門化が進む過程でこぼれ落ちた関係性の領域に立ち現れるのではないか。そんな仮説をもって、長野県上田市を訪れた。

きっかけは、かつて筆者が携わったケアに関する調査で耳にした「うえだ子どもシネマクラブ」の存在だった。不登校の子どもたちを映画館が日常の延長として受け入れる取り組みは、制度の外側にいる人に寄り添う実践のように思えた。調べてみると上田には、映画館、福祉施設、劇場、ゲストハウス、本屋、工務店など、多様な担い手がそれぞれの仕事の延長線上でケアに関わっているという。

2025年11月下旬、東京から北陸新幹線で約1時間半の上田駅に降り立つと、やわらかな日差しに迎えられた。駅から10分ほど歩いてうん町商店街へ向かう。名物「゛まんやき」の店には行列ができ、古い商店の合間には新しい店や高層マンションも見える。複数の時間軸をもった商店街の風景が印象に残った。

「映画館」だから居場所になれる

上田映劇。左下:上田映劇がある通り。上田映劇は、1917年に建てられた。右下:劇場内。

商店街の裏手に入ると、「上田映劇」のアーケード看板が現れ、その奥に建物が姿を見せる。すぐ近くには、旧でんき館「トラゥム・ライゼ」が建ち、現在はいずれも映画館として稼働している。上田映劇の空調故障時に、閉館していたトラゥム・ライゼが代替の上映を担った。以降、二館体制が継続し、地域の映画文化を支える拠点として機能している。

今回話を伺ったのは、上田映劇のスタッフであり、「うえだ子どもシネマクラブ」の発起人でもある直井恵さんだ。直井さんは上田市出身。国際協力分野のNGOなどでの勤務を経て地元に戻り、子育てをしながら当時休館していた上田映劇を活用した市民企画の映画祭に関わっていた。2017年、NPO法人上田映劇の再始動の際に理事として参画した。

「うえだ子どもシネマクラブ」は、映画館が学校と連携することで子どもの居場所になるのではという発想で、2020年に始まった。子どもたちは映画館に来て、楽しく映画を鑑賞し、時にはポスターの張り替えやチラシ配りなどを手伝う。

直井さんは、学校とは異なる「地域の場」であるからこそ、子どもたちが気負わずに通うことができると考えている。また、こうした取り組みがあることで、普段は子どもと関わる機会のなかったスタッフが、子どもや社会のリアルに触れる契機にもなっているという。それは、社会やまちに生きる人を知ることであり、上田で映画館を営む意味にもつながるのではないか、と直井さんは語る。

トラゥムのスタッフ事務所兼、子どもたちが作業を手伝う部屋にある棚の一角。就労支援団体「マイサポ」を通じて来訪した人が漫画を寄贈したほか、バリューブックスのブックギフト制度によって本が集まっている。

一方で、「うえだ子どもシネマクラブ」は助成金によって上映費用を賄っているが、単体では事業として成り立っていないため、常に継続のあり方を模索しているという。信州型フリースクールの認証制度が始まったものの、それを申請するにはカリキュラムや子どもの数などを管理する必要があり、現在のような「いつでもどうぞ」という形式を維持できなくなってしまう。今日は映画館、明日は本屋といった選択肢が、学校教育の枠組みに寄せることで失われてしまうのではないかと直井さんは懸念している。

まちはあらゆる人に出会うためのもの

上田映劇でのインタビューを終え、昼食を取るため徒歩で「屯-ton-」へ向かった。店先の黒板にはランチメニューと並んで、「豚汁は人の心を温まるもとである」と添えられていた。

屯で話を伺ったのは、運営団体であるNPO法人リベルテ代表のしゃ和貴さんだ。武捨さんは、上田市に隣接する真田町の出身で、高校時代は上田に通っていたという。就職を機に上田へ戻り、社会福祉法人で8年間勤務した後、2013年に独立してリベルテを立ち上げた。

「屯-ton-」は、海野町商店街を抜け、大通りから裏通りへと10分ほど歩くと、ミントグリーンの外壁が印象的な建物が現れる。

リベルテの特徴は、4つの施設をまちなかに分散させている点にある。対象は精神障害のある人々で、自宅周辺に活動が限られがちな状況に対し、郊外型の大規模施設では地域との接点が薄れ、地域から障害のある人が見えなくなることに危機感があったためだ。小さな拠点から始まり、利用者とともに少しずつ場を増やすことで、通える場所の選択肢も広がっていった。

その背景には、制度からこぼれ落ちる居場所を地域につくりたいという思いがある。武捨さんが以前働いていた現場は、元々利用者が思い思いに過ごせる場所だった。しかし制度改正で、通所人数や技能に関わった時間が数値化され、お金の流れがそれに連動するようになると、施設は利用者管理を避けられず、過ごし方の自由度がなくなった。「病院や入所施設が手厚くなる一方で、その間にあるはずの居場所が失われていく。だからこそ、地域の中に、病院とは違うかたちの、ただ居られる場所をつくりたかった」と武捨さんは語る。

拠点を増やす際の物件探しも、まちなかにこだわった。その過程で、屯と同じ通りにある「26bldg.」を営む、石井工務店の宮嶋絵美子さんと出会った。アートプロジェクトの発表会の場を「まち歩きしながら探す」ため、コーディネートを宮嶋さんに依頼したという。その体験が、後にリベルテのメンバーと行うまち歩きワークショップの原型となった。

分散した拠点を申請するため、道を挟んだふたつの建物を「二部屋」として扱うなどの工夫もしている。制度上は、就労継続支援B型の作業場と生活介護の空間を利用者は提供サービス以外利用できないとされているが、食堂部分をつくることで、両方を利用できる仕組みをつくり出している。社会福祉制度の決まりのなかで、利用者が自由に行き来できる環境を整えている。インタビューの間も、メンバーが自然に行き交い、空間に人の動きが絶えなかったのが印象的だった。

左:通りに面した食堂と、隣接する作業所を行き来するメンバーの姿。車通りが多いため、必要に応じてスタッフが付き添うが、施設自体の鍵は常時開放しているという。右:上階は就労支援の作業場。黙々と作業したい人、複数で取り組みたい人など、様々な過ごし方に合わせ、空間の使い方を柔軟に変えられる構成としている。

その後、武捨さんとともに屯以外の施設も巡った。いずれも徒歩圏内に点在し、散歩のように行き来できる。各拠点の空間の印象は少しずつ異なり、それゆえに利用者が「今日はこの場所で」という選択が、日常のなかに組み込まれていることを実感した。

左上:スタジオライト丸堀(生活介護)。右上:スタジオライト柳町(就労支援継続B型)。左下:roji (特定相談支援)。右下:屯-ton-(就労支援継続B型)。

ゲストハウスであり劇場でもある場所

上田映劇での取材を終え、徒歩で宿泊先「犀の角」へ向かった。海野町商店街にあるこの施設は、ゲストハウスであり、劇場であり、カフェであり、さらにはレンタルスペースやコワーキング、印刷所としての機能まで内包する。天井の高いカフェとして普段は活用しているが、公演時には空間全体が劇場へと一変する。

「犀の角」。普段はカフェスペースとして使われ、奥の一段高くなった部分は劇場の舞台としても活用されている。

左:レンタルスペース。右:右側が元銀行の建物、左側がゲストハウス棟。

この日は、犀の角を運営する荒井洋文さん、「やどかりハウス」を運営するNPO法人場所作りネットの元島生さん・塩野美里さんに話を伺った。犀の角は元銀行の建物をリノベーションした施設。2016年のオープンにあたり、上田へ戻って就職活動をしていた荒井さんに声がかかったという。商店街に面し、広いフロアを有する三階建ての家賃は安くない。劇場運営だけでは採算が取れないため、宿泊と飲食を組み合わせた複合運営に方針を定めた。

順調に軌道に乗りつつあったが、2020年のコロナ禍で複数の事業が一斉に停止。経済的には補助金で賄う見通しもあった一方、劇場から人の気配が失われることが最も苦しかったと荒井さんは振り返る。

元島さんが犀の角を訪れた際、NPOの現場で見てきた若年層の自殺や、暴力から逃れる女性たちが安心して身を寄せられる場所の不足を荒井さんに相談した。まちに逃げ込める場所が必要だという話を受け、犀の角が「やどかりハウス」の宿泊先として貸し出すことになった。元島さんは、専用のシェルターを一ヵ所につくるよりも、まちの中に複数の小さな避難先が散らばり、そこから関係や営みが育っていくかたちのほうが望ましいと考えていた。犀の角は、そのイメージに自然と重なる場所だったという。

同じ頃、リベルテや上田映劇のスタッフにも交流が生まれ、「まずは集まって話そう」という場が定期的に開かれるようになる。これが、のちに「のきした」と名づけられる活動の出発点となった。

まちにあるゲストハウス、劇場が、社会資源になる

「やどかりハウス」は、1泊1,000円で滞在でき、年間約500人が利用する。ほぼ毎日のように誰かが駆け込んでくる場所だという。お金がない、家がない、暴力から逃れたいなど理由は様々。スタッフたちは当初、支援的なスタンスで接していたが、支援する/されるという構造が壁をつくってしまうという課題が出てきた。そこで「助かり合う私たち」というコンセプトに舵を切り、演劇の準備や本屋の仕事を手伝うなど、一方的な支援に依らない関わり方を模索し始めた。

元島さんは、困難を抱えた人が集まることで、トラブルが発生し周囲に迷惑がかかるのでは、と不安も感じていたという。しかし、荒井さんは「そういう人たちが来るようになって、むしろ場が豊かになった」と語り、その言葉に背中を押されたと元島さんは話す。犀の角が発行する「家出チケット」を目にしたとき、元島さんは、まちにあるゲストハウスや劇場が、社会資源になったと実感したという。困りごとを抱えた人が助かる場所がまちの中に増え、まさにのきしたがひとつ増えたように感じた、と話す。

「犀の角」が発行する「家出チケット」。3枚綴り(3泊)で販売。購入した券を他者に譲ることもでき、家を出て休んでほしい人に手渡せる仕組み。コロナ禍で苦境にあった犀の角を支える寄付という側面ももつ。写真提供:やどかりハウス

例えば、上田映劇に通い始めた人が話す困難なエピソードをきっかけに、映画館スタッフが市役所へ働きかけ、ケース会議が開かれるといったことも生まれた。相談所は話を聞き、制度を教えることはできるが、それ以上の行為には踏み出しづらい。まちにある映画館だからこそ、支援というかたちに縛られず、垣根を越えて動き始められたという。「困っている人を社会に適応させたいのではない。その人が生きられる社会に、まちが変わるべきだ」という元島さんの言葉は印象的だった。まちが変わるという言葉は、大規模な制度改革だけを指すのではない。困りごとを抱えた誰かに対し、手を差し出せる関係性を、まちの中で育てられるかどうか。この積み重ねこそが、上田で起きている変化なのだと感じた。

まちの様々な場所で、少しずつ受け止める

書店「NABO」。

翌日、犀の角から徒歩5分ほどの場所にある、バリューブックスが運営する書店「NAネイBO」を訪ねた。話を聞いたのは、バリューブックスの社員であり、NABOの店長でもある池上幸恵さんだ。バリューブックスは上田出身の代表が立ち上げた古書事業の会社で、現在は上田市に本社を構えつつ、NABOと「バリューブックスラボ」というふたつの書店を運営している。NABOは新刊と古本を扱い、ラボでは安価な古本に特化するという役割分担がなされている。

NABOがオープンしたのは2015年。当時は上田映劇も犀の角もまだ存在せず、まちの風景も現在とは大きく異なっていた。開業当初、東京・下北沢の本屋「B&B」を参考に、まちの人とともに毎日イベントを企画することから場づくりを始めた。池上さんはバリューブックスのスタッフの力を借りながら、日々様々な人に声をかけ、イベント出演を依頼した。リベルテに出張して似顔絵を描いてもらう企画、犀の角オープン前の荒井さんによる戯曲を読む会、後の上田映劇関係者によるイベントなど、2017年頃まで、毎日イベントを行う書店として営業していた。

手書きのカレンダーは池上さんの制作。後半が埋まらないため、前半・後半に分けてつくることでスケジュールを成立させていたという。

毎日イベントを続けたことが、バリューブックスの店舗がまちに受け入れられるきっかけになったと池上さんは語る。この場を通じて知り合いが増え、移住につながった例も少なくなかった。やがて2店舗目の「ラボ」がオープンし、NABOの役割は徐々に変化する。現在、NABOは県外からの来訪者が多く、上田のまちを紹介するマップを制作するなど観光拠点のような機能も担う。一方のラボは、1冊50円、100円といった古本の価格帯もあり、地域住民が日常的に利用する場として位置づけられている。

左:ラボの外観。右:店内の「無人です」という看板。

「のきした仕事事業」で、やどかりハウスと連携しているのは、このラボだ。のきした仕事事業とは、映画館や本屋等と連携し、週1回働く機会をつくり、就労への一歩を支援する取り組み。現在は、バリューブックスが委託費をやどかりハウスに預け、そこからラボに人を派遣する。

ただ池上さんは、当初このかたちが職業支援として成立するのか懐疑的だったという。会社に対しても「職業支援になります」と言い切れなかった。しかし、1年間助成金で運営していたなかで、週5日で働くことを目指していない人もいれば、週1回の勤務が確かな最初の一歩になる人もいると実感した。

バリューブックスとしても、店番を担ってもらえることで助かる面が多いという。病気でたくさんの本を持つことが難しい人や、スマホを持っていない人など、マニュアル化しようとしても想定の外側にある事情が常に現れる。そのため、あえて細かくルール化せず、大変なときは「無人です」という看板を出して帰ってもよいといった、開き直りのルールを設けているという。

興味関心やできることで関与する

古道具店「26bldg.」。

最後に、まちのキーマンである宮嶋さんに話を聞いた。宮嶋さんは、こうしたケアの取り組みを下支えしている石井工務店に勤め、先述したように「リベルテ」の近隣にある「26bldg.」を運営する。空き家だった屯の建物を紹介し、屯やrojiの改修工事も行った。近年、上田にオープンした店舗を見ても、物件紹介から設計・施工など、石井工務店が関わっているケースは多い。

上田には、「この人についていけばよい」といった明確な旗振り役がいるわけではない。むしろ、おもしろさや自分にも関われそうだという感覚から人が集まり、小さな関与から、まちに広がっていく。宮嶋さんが企画した古道具市「261(にーろく市)」も、その流れの延長にある。会場となる通りには屯があり、時に犀の角も加わって、まちの担い手たちとともに場がつくられていく。古道具を目当てに市や店を訪れた人が、気づけば物件の相談をしているような、自然な距離感を大切にしているという。

のきした事業との関わりも同じ文脈にある。やどかりハウスが物件を探していた際には紹介役を務め、石井工務店が手がけた「KOKAGE bldg.」に関わる作業についても、のきした仕事事業の参加者に関わってもらえないか、といった話がもち上がっている。

それぞれがもつ職能や興味に応じて、ゆるやかにつながり、できる範囲で連携する。こうした自律的な関与の仕方が、上田というまちの特性をかたちづくっている。

制度と民間サービスのなかでこぼれ落ちたケア

まちには、誰もが利用できる病院や施設が整備されている。しかしその一方で、日常的に人々が互いを気にかける関係は、私たちのまちから姿を消しつつある。ケアは制度とサービスの領域へ押し込められ、対価を払えば得られるものへと変質した。だがその裏側では、制度に収まりきれない「あいだの領域」が見えなくなり、家にさえ居場所がない人を「いなかったこと」にしてきたのではないか。上田での滞在で、そんな問いを突きつけられた。

生活圏の中に手を差し伸べてくれる人がいること、そして居場所がいくつかあることは、まちで安心して暮らすには必要不可欠だ。まちに無数の「のきした」が点在することで、「あそこへ行けばあの人がいる」という実感が、ゆるやかなセーフティネットとして可視化されていく。リベルテの武捨さんはこう語っていた。「ケアの現場でできることは、生活全体のごく一部にすぎない。でも一部だけを見ていると、どうしても射程が短くなる。その後に地域でどのように生活していくのか。そこまで見据えて考えなくてはいけない」。

ケアの場を一ヵ所に集中させないことも重要だ。ケアの現場は時に負荷が大きい。だからこそ複数の場所が、ケアされる人を少しずつ受け止めることで、お互いに選択肢が生まれ、依存しすぎない関係性が育つ。池上さんが語った、のきした仕事事業は「週に1回の受け入れだからなんとかなる」という感覚も、まちに多様な場があるからこそである。それはケアをまちで分配するという考え方だ。

経済構造のなかで見えにくくなっていた、まちの生活に根づくケアの関係性を取り戻すには、専門性や制度の枠に閉じず、できることを日々の営みのなかで差し出していくことが欠かせない。まちの店や小さな活動が重なり合い、多様な居場所として機能していくことで、福祉施設もまた同じレイヤーで溶け込み、生活の延長線上にケアの環境が立ち上がる。そうして細部にケアが編み込まれたとき、貨幣やサービスだけでは測れない小さな経済圏=微圏経済が立ち上がる。

上田で出会った営みは、その暮らしの萌芽を感じさせてくれた。

撮影(特記なし):金田ゆりあ
取材コーディネート:山川陸
サムネイル画像イラスト:荒牧悠

金田ゆりあ

1994年鹿児島生まれ。2018年慶應義塾大学総合政策学部卒業。2024年より株式会社リ・パブリックに所属しながら、フリーのデザインリサーチャーとしても活動。

このコラムの関連キーワード

公開日:2025年12月24日