乾いた風景/場当たりの喜劇
伊藤維(建築家、名古屋造形大学准教授)

岐阜県本巣市の風景(2025年8月)。旧実家の近所で田畑が買収され、大規模な造成を経て高速道路が開通した。
岐阜県岐阜市を主拠点に設計活動を本格化させ、丸5年が経った。このタイミングで自らの実践について書く機会に、拡散する思考や行動をなんとか整理し、共有できる何かを見出せたら、と原稿に向かっている。
アメリカ、スイスから岐阜へ
筆者は高校まで岐阜(本巣市と岐阜市)で育ち、東京で10年、大学で建築を学びアトリエで修行し、その後大学院と実務のためにアメリカ(ボストンとニューヨーク)で3年、教職のためにスイス(チューリッヒ)で3年を過ごした。そして、動き回りながらも軸足の設計拠点を岐阜にして本格的に始めてみよう、と2020年に本帰国した。こう思い至ったのはスイスでの経験が大きい。多くの人がチューリッヒなどの都会で働きながら、休日は登山やスキーに出かけ、暖かくなれば街の湖でワイワイとビールを飲むように、自然体で都会的でも田舎的でもあるさまが素敵だったし、そのような環境で魅力的なスイス現代建築が生み出されていることがとても励みになった(岐阜市はちょうどチューリッヒと同じ人口規模である)。同時に、山奥ではピーター・ズントーやジョン・カミナダなどの事務所を垣間見る機会もあり、どのような立地でも気高く現代建築をつくることはできるのだ、と強烈に思わされたことも影響している。
そんな具体的実感もありつつ、概念としては、自分が「非近代」の世界を捉えながら(あるいは巻き込まれながら)制作に向かいたい、と思っての岐阜であった。アメリカにいた頃、ブルーノ・ラトゥールの『虚構の「近代」:
科学人類学は警告する』(新評論、2008年、英題:We Have Never Been
Modern)に登場した、「非近代」世界の事物の表れである「ハイブリッド」の概念に可能性を感じ、「無数に広がった関係性の網としてのハイブリッド」をそのまま建築として立ち上がらせ、それを社会・世界に位置づけるような実践をしたい、という仮説を漠然と立てた。そのなかで、自身の昔からの地元の関係性、広い事務所面積、岐阜がもつ農村・生産地・大都市・海外への等しいアクセス、といったことによって、(つくるものだけでなく)自分自身や制作の場自体も「ハイブリッド」として捉えられるはずだ、と、岐阜の可能性を感じたのである。
もちろん、育った場所が良いまちであり続けることに貢献したいと思ったし、地方公務員だった自分の両親のような人たちと共有できる建築をつくりたい、という気持ちもずっとある。スイス連邦工科大学チューリッヒ校で、貝島桃代さんのもとで岐阜を舞台にしたスタジオを企画させてもらったことや、大学院時代の恩師イニャキ・アバロスに「Good
architects live in good cities」と言われたことも印象深い。そのような諸々が、自分を、建築家として岐阜に連れ戻してきた。
この5年の経験は、想定内と想定外が半々くらいであったと思う。帰国を決めた直後にコロナ禍になり、商業的な案件がいくつも頓挫するところから活動が始まったが、紆余曲折がありつつ、岐阜に構えて良かったと思える出来事も多かった。結果的に、家具や仮設空間から、住宅、医療福祉施設、物流産業施設まで、これまで大小30を超えるプロジェクトが完成し、現在も10ほどの案件が進んでいる。東京圏でも複数の設計の機会を得たし、また福井や山梨、新潟など、異なる地方に足を運ぶことも多くなっている。妻は実家のある東京に住み、筆者自身は名古屋で教えているので、東京と岐阜・名古屋、そして様々な地方を行ったり来たりして日々を過ごしている。
乾いた風景
振り返ると、実現したプロジェクトは美辞麗句の並ぶ物語からほど遠く、何かしらの課題にしぶとく向き合った結果、形になったものがほとんどだった。原広司の言う「均質空間」が都市的状況として現前した世界、と概ね包括されるかもしれないが、都会・田舎問わず、プロジェクトのたびに、高度経済成長や都市化、産業構造、商慣習などが慢性的に蓄積してきた負の側面に向き合ってきた。
大都市の経済原理からすれば解体してもおかしくない空き家・空きビルを使い続ける、あるいは使えるようにする改修プロジェクトは数知れないし、持て余している広大な農家住宅をいかに住み継ぐか(または終えるか)の相談も少なくない。隣地で進むマンション開発工事に擁壁を崩された古い家屋を部分解体・再増築したこともあれば、粗悪な施工による漏水を根本的に解決するめどが立たなかった賃貸住宅の解体・新築を行ったりもした。割ける予算が実現したい場の想像に当初まったく追いつかないと思われることもままあり、耕作放棄地にパワービルダーの宅地開発が進む農村郊外で、個人農家としての6次化拠点をいかに究極的な低予算で実現できるか、というプロジェクトが、2022年に完成した「岐阜のいちご作業所・直売所・遊び場」だった。
もちろん、幾度か得られた恵まれた枠組みのプロジェクトの機会にも大きなやりがいを感じている。ただ、大局としては変わらずで、穏やかに、しかし確実に少しずつ衰えていく乾いた風景に直面し、近視眼的には切迫しながら、大きく見れば漠として捉え難い状況に応答していくことの繰り返しである。情勢や具体的な状況を批評家然と批判しているだけでは何も進まず、むしろ笑いながら逆手に取って組み替えるくらいの心持ちで、物事を少しずつ前に進めてきた。
「岐阜のいちご作業所・直売所・遊び場」。ビニールハウスのパイプを屋根構造に転用し、破格で手に入れたCLT・LVL等の端材で木造部分を建設した。撮影:奥田正治
場当たりの構え
今、建築をつくる指針として、計画的でありながらも、様々な状況やモノに「場当たり」でいられるよう構えることに手ごたえを感じている。これはリノベーションに限らず新築でも同様である。計画が煮詰まるほど論理や連関は閉じていこうとするが、都度遭遇する、計画できる以上の物事にもなるべく応答していくイメージである。当初の計画通りにはいかないが、計画自体が無効にならないくらいには信頼できる大枠をつかんでおく、あるいは遭遇自体を含み込めるような大枠にすること。そのうえで、大抵の遭遇は笑い飛ばして昇華できるかどうか。そのような構えが、先の見えない時代になんとか地に足をつけ、歩を進める術なのではないかと思っている。
例えば先述の「岐阜のいちご作業所・直売所・遊び場」は、可能な限り安価な材料調達が至上命題であった。廃棄予定だった曲がったいちごハウス構造パイプの屋根材への転用にとどまらず、直売所のシンクが無料で手に入ったのは、近所で閉店し廃屋になっていた喫茶店を放課後デイサービスにリノベーションする現場が同時進行していたからだった。1.2m
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6.5mという巨大な「CLT端材」が破格で手に入ったのは、ゼネコンの設計による大断面木造高層ビルの材加工を付き合いのある岐阜の製材所が手がけていて、その端材の処理に困っていたからであり、大量のコンクリートブロックが無料で手に入ったのは、知人の知人である倒産したコンクリート二次製品業者のストックヤードが近くにあったからだった。こんな調子である。
文化財からは遠いようなインフォーマルな木造の改修にも関わってきた。既存架構・空間は全体としてどう合理性を見出せば良いかわからないが、それは逆に、ひとつの見方にとらわれない多角的な見立てのきっかけをもたらしてくれた。2022年に完成した(先述の「いちご」のシンクを得た)「岐阜の放課後デイサービス」は、まさにそのような架構・空間であったが、調査解体の際、3連の窓、半分露出した小屋組み、隠れた柱の並びなどの規則的な反復に遭遇し、それらを手がかりにスケルトンまで解体しないままで空間的なリズムを再構築した。施工者からすれば意外な既存部ばかりを残そうとしていたようで、現場で何度もスケッチとコミュニケーションを重ねて完成に至った。
「岐阜の放課後デイサービス」。既存の3連窓に呼応する床段差、柱の反復を強調する天井床の分割線、梁材を上がり框に用いた架構の輻輳化、などを試みている。撮影:奥田正治
金華の修繕
再びインフォーマルな木造改修に取り組んだ最近作「金華の修繕」は、事務所近くにある、10年以上前に壁・天井が床の間まで真っ白に塗られるなど、ラフに手が入れられた築70年超の木造空き家を、探究教育や学童を手がけるオーナーと議論し、インターン学生が寝泊まりできて、同時に近くの子どもが立ち寄れる場にしたプロジェクトである。限られた予算で、必要なところに耐震補強・修繕をし、その「リペア」そのものが空間更新になることを考えた。元々の架構や改変に込められたかもしれない意図を読み解き、(正解はどこにもないが)誤読もしながら、断片的なリペアを、しかし全体に敷衍させて構築した。
「金華の修繕」計画図(赤が工務店施工、青が自主施工)。2階内観。
「岐阜の放課後デイサービス」との違いは、2022年から3年を経て、相変わらず「場当たり」を良しとしながらも、自分たちなりの「構え」の蓄積が実り、「場当たり」と「計画」の間にもう少し輻輳した関係性が生まれたことだと思う。(以下に例示するような)ひとつひとつでは脈絡がないように見えるいくつかの物事が編み込まれ、つながっていくような、そんな実感である。
枠組みとして、このリノベーションは資金面も含め香港大学建築学部との共同プロジェクトとして実現した。アメリカで知り合った友人の建築家(チャン・スー)の授業として何度か学生をワークショップ的に岐阜で受け入れるうちに、空き家リノベーションの助けになるくらいの予算がつくようになった。香港や名古屋造形大学の学生とも議論しながら、耐震補強など日本の実務的な部分をまず事務所で担い、工務店による耐震補強や設備工事を行った。それ以外の部分を、香港大の学生が2週間岐阜に滞在し、サマースクールとして日本の学生・スタッフとともに自主施工に取り組んだ。
事務所・香港大・名古屋造形大による自主施工の光景(2025年6月)。
事務所の材料置き場をハブにした、プロジェクトを横断したマテリアルの出入り。右下に「金華の修繕」が位置づく。
造作や補強用の木材の多くは、新規材をなるべく購入せず、事務所に年々溜めていた現場の端材・解体材を用いた。そうした材料を留め置ける倉庫を求めたのも岐阜を拠点とした一因である。自身の現場の端材や解体材、紙一重で建築に定着しなかった木材や建具などを、直近の使い道が見えないながらも保管していた。断片的なエレメントの散在によって全体をつくるリノベーションにとって、古材の束はひときわ宝の山に見えた。また、樋や内部造作の各所にあしらったガルバリウム鋼板の曲げ加工品は、香港の職人街で発注しつくられたものである。その縁はチャン・スーが香港で探究し始めたもので、1年前に彼が希望して鋼板をスーツケースで持ち込み、岐阜で木材と組み合わせ屋台をつくった。今度は建築のエレメントとして私が希望し、二次的な構造の役割も果たすべくチームで設計したものを、香港の職人が製作し、学生に持ってきてもらったのである。
テーブルの脚や水回りの棚構造になったガルバリウム鋼板曲げ加工品(2025年7月)。鋼板と木軸のハイブリッド構造による屋台(2024年3月)。
現場以外で彼らの作業・加工場となったのは、私の事務所1・2階である。事務所の打合せや作業の空間でありながら、大学教員の家主さんも使えて、イベント等もできる共用の場として整備してきた。また、英語のやりとりでプロジェクトを支えたひとりは、ドイツのバウハウス大学から留学・インターンに来ていた学生だった。この時点までに事務所のメンバーが海外学生やインターンとのコミュニケーションに慣れていたのは、2024年からカナダ・スイスなどから少しずつインターン受け入れを始めたことが大きい。最初に借りた事務所にシャワーを追加して居住可能にし、外国人向けシェアハウスなどがない地方でも滞在場所に困らないようにし、自分たちの裁量で受け入れられる可能性を高めていた(今回のバウハウス大生は名古屋に留学に来たので名古屋住まいだったが)。
事務所1階の木工スペース兼古材倉庫と事務所2階の共用スペース。
喜劇を積み重ねる建築
「場当たりの構え」が可能にするのは、規格化・産業化が浸透して静かに停滞する風景や状況に対して、文脈や空間を新たに読み替え、別の物事と接続することで、他にあり得る世界の想像を共有することである。歴史や伝統文化、お墨付きを得た景観がなくても、あるいはそのような明らかな物語がない多くの場所にこそ、「場当たり」を伴う設計が必要であると思う。実践を振り返ったとき、新築・改修や規模を問わず、発注者から施工者、職人まで、一緒に取り組んできた多様な人々と共有できるあり方で予定調和や前提を読み替え、ひっくり返すことは、おのずと突っ込みどころ満載の、ある種、喜劇的な展開として現前してきたように思う。悲劇でなく喜劇だから、建築は希望になれると思うし、多様な人々と状況や風景に対してそのような眼差しを一緒にもてるのならば、それはきっと建築の可能性・尊さと言ってよいものだろう。
目の前の穏やかで乾いた風景を直視する。そのうえで、場当たりの喜劇を重ねていく。社会や世界がより良い方向に向かっていく実感をもって建築をつくり続けたい、という思いと、リアルな有象無象を引き受け向き合う行動とが交差する地点に「喜劇」を立ち上げ、積み重ねることが、今の世界において建築家としてできること、そしてもう少しやり続けてみたいことだと感じている。
特記なき写真・図版提供:伊藤維・伊藤維建築設計事務所
伊藤維(いとう・たもつ)
1985年岐阜県生まれ。
2008年東京大学工学部建築学科卒業。
2016年ハーバードデザイン大学院建築学修士課程(M.Arch.Ⅱ)修了。
2017年コロンビア大学GSAPP 特任助教。
2017-20年スイス連邦工科大学チューリッヒ校 建築学部助手。
2020年帰国。
2020年シンガポール工科デザイン大学建築学部特任助教。
2022年より名古屋造形大学専任講師。
2023年より同准教授。
https://www.tamotsuito.com/
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公開日:2025年09月25日

