福江島との往還から

石飛亮(建築家)

2015年の夏、初めて五島列島の地を踏んだ。当時はまったく予想もしていなかったが、それから現在に至るまで継続してこの地域に関わらせてもらっている。ちょうど10年目という節目にこれまでの活動をまとめてみたい。


飛行機から見た福江島。中央に活火山の鬼岳が見える。

縁もゆかりもない島との出会い

WANKARASHIN (ワンカラシン) は、横浜と長崎県五島列島を拠点として活動している設計事務所である。その地域の文化や歴史に接続した新たな地図を描くように建築をつくっていきたいと考え、かつて伊能忠敬が日本測量の際に自ら発明・使用した杖状の羅針盤である「彎窠羅針わんからしん」から名付けた。
なぜ横浜と五島列島という西の果ての島を拠点としているかと言えば、すべてはひとつのプロジェクトから始まった。大学院を卒業してJunpei Nousaku Architectsで働き始めて2年ほど経った年に、古民家のリノベーションのプロジェクトの依頼が舞い込んだ。敷地は長崎県五島列島の福江島。私は存在すら知らない土地であった。現在は世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産になり、様々なメディアで紹介されるようになったが、当時はまだインターネットで調べてもあまり情報が出てこないような、ある種未開の地であった。「島のモノで、島のつくり方でつくる」というコンセプトを掲げたのは良いものの、限られた予算のなかで調査をするために島と東京を行ったり来たりすることは難しく、担当スタッフであった私が単身で島に短期移住し、リサーチと設計、現場監理とを同時に行うこととなった。まさに突然の島流しであった。

島の可能性を再発掘する

島に常駐するにあたり、プロジェクトの情報を発信するための現場ブログを立ち上げた。一般的な現場ブログでは現場の進行状況を淡々と綴っているものが多いが、ここでは現場の話だけでなく、島で見つけた素材や産業、行ってみた場所やおすそ分けしてもらった野菜など、ジャンルにとらわれず、滞在期間のあらゆる出来事を一緒くたに書いていった。ブログを通して俯瞰的に島全体を見つめることで、見落とされがちな島の魅力やポテンシャルをリサーチ、再発掘することができるのではないかと考えたのであった。


「さんごさん」の現場ブログでは島で発見したものを分け隔てなくアップし、そこからマインドマップのようなものを作成した。図版提供:Junpei Nousaku Architects

島のスケール感とスキルの領域

この古民家を改修した「さんごさん」(2017年)というプロジェクトでの島の滞在期間は延べ半年以上に及んだ(★1)。リサーチを進めるなかで、島についてふたつの大きな特徴を感じていた。1点目は島のスケール感である。福江島は離島でありながら、人口は3万人強であり、久賀島や奈留島、その他小さな有人島とともに五島市というひとつの自治体を構成している。その規模感は絶妙であり、全員が知り合いではないものの、なんとなく顔の見える関係性が構築されている。リサーチを行う際もこのスケール感が有効で、キーマン同士がつながっているため、島民Aに島民Bを紹介してもらい、そこからさらに島民Cへという具合に、ロールプレイングゲームさながら島中を網羅していくことができた。
2点目は、島民のスキルである。これは上記のスケール感に由来するが、島には大きな企業やチェーン展開しているお店はほとんどなく、各々が個人のスキルによって島のシステムの一部を担っている。生産者と消費者に二分されるのではなく、相互扶助的な協働性のうえに生活が成り立っている。この分野だったらあの人だね、というような具合にお互いが顔とスキルを認知しているようなネットワークが業種を越えて構築されているのである。それらは島内の資源と直結しており、各ジャンルで扱っている領域がはっきりとしているように見えた。その分、各業態はそれぞれの陣地に留まっており、それらを横断的に組み合わせていけば、産業の裾野はより広がっていくであろうという印象をもった。

独立、そして島へ通う

島から東京に戻り、2019年に独立してからも、ありがたいことに当時のご縁から、様々なプロジェクトに関わらせてもらっている。2025年に至るまで、島内に竣工したプロジェクトは8件あり、現在進行中のものも複数ある。それだけたくさんのプロジェクトがあるのならば、島に移住してしまった方が早いのではないかという疑問の声もあるだろう。独立のきっかけとなったのも五島でのプロジェクトで、当然島に移住するという選択肢もあった。島に住むことで、些細な相談事から始まるプロジェクトも増え、町医者的に深く関わる可能性も容易に想像できた。しかし、ひとつの懸念があった。それは島に対する距離感である。「さんごさん」では工事が二期に分かれていたこともあり、現場常駐も二度にわたり行われた。1期工事の翌年に再び短期で常駐したのだが、新鮮な眼差しで島を観察することができなくなり、何か予定調和的に工事が進んでいるように感じたのである。同時期に東京での仕事もあったことから、そのまま移住はせずに定期的に五島へと通うかたちで仕事を進めることにした。
結果的に、島への距離感を保つ点では功を奏していると感じる。現在は、島へ月に1〜2回程度の頻度で通っている。五島列島と横浜とを行き来するなかで、自分のなかに二種類の人間が醸成されていくような感覚を覚える。ひとつはローカルに入り込み、地元の職人さんたちと共に現場で即興的につくり上げていくような自分であり、もうひとつは島の様子を俯瞰し、観察し、冷静に分析していくような自分である。島へ通い続けることで、この二極化した軸をもつことが可能になっている。


島内でのプロジェクトのネットワーク。竣工した建築がモデルハウスのような役割を担い、次なるプロジェクトへとつながるサイクルを生んでいる。

島でつくる方法、島をより深く理解するための設計

島でプロジェクトを進めることは、都心部のそれとはまったく状況が異なる。当初はそのギャップに面食らってしまった。特に改修の現場では、まず図面というものが大して意味をなさなかった。これは私が共通言語としての図面を過信してしまっていた部分も大きいが、島内の大工さんたちは常に現場で考え、最適な答えを見つけ出しながらつくっていくのだ。そこには材料の特性や施工性、島の気候に対する知恵による土台がある。現場で議論しながら思いもよらぬ方向に発展することもあり、その創造的な衝突は刺激的でもある。現場に常駐していればその都度、軌道修正は可能であろうが、通いで現場監理をするには限界がある。そのため、ある時点ですべてをミリ単位で制御することは諦めた。このことを今ではポジティブに捉えており、本当に守るべき部分が何なのかを炙り出すためのフィルターのようなものになっている。設計の際には始点と終点だけを設定しておき、途中はどうとでもなるよう遊びをつくっておくようなイメージである。
島で設計するにあたり重要視していることが2点ある。ひとつはプロジェクトを進める際に、その枠外まで含んだ島のリサーチをすることである。言い換えれば、プロジェクトのためにリサーチをするのではなく、島の解像度を上げるために数々のプロジェクトに取り組むようなイメージである。そしてもうひとつは、島の風景や文脈のうえで設計しながらも、特異点となるような建築をつくることである。島のコンテクストに応えながらも突然変異的な建築をつくることで、島の文化を伝えていくようなメディアとしての機能を備えることができるのではないかと考えている。つまり、島を深く調査し、それらを表出させるための建築をつくっていくのである。
独立して初めて取り組んだものは「椿茶屋」(2019年)というプロジェクトである。これは炉端焼きの飲食店をリニューアルするものであった。元々は移築された茅葺き屋根の古民家が建っており、そこで炉端焼きの店舗が運営されていたのだが、建物の老朽化や雨漏りなどにより建て替えを余儀なくされた。そこで既存建物の雰囲気を踏襲しながらも、五島らしさを兼ね備えた新しい建物が求められた。
五島らしさを考えたときに、最初に思い浮かんだのは民家の建ち並ぶ風景であった。そこで福江島の民家を調査し、この地域特有の民家の建築形式を再解釈して用いることで、風景の連続性をつくろうと試みた。多くの民家は切妻屋根の平屋であるが、そこに下屋が取り付き、寄棟のような屋根がぐるりと四方を回っている。この建築形式を拡大解釈し、切妻と寄棟を一体化した屋根を設計した。それによって、軒を低く抑えながらも内部空間の気積を大きく確保することができた。また、低く伸びた軒は夏の強い日差しを遮りつつ美しい眺望をより鮮明に映し込む。切妻屋根の妻面からは、採光を確保するとともに煙突効果によって囲炉裏の煙を効率良く排気することが可能となった。島では当たり前のように存在している民家の形式を島外からのまっさらな目で見ることによって、そのポテンシャルをより違った角度から引き伸ばせたのではないかと考えている。


「椿茶屋」では島の民家の立面的な建築形式に着目し、リサーチと設計を行った。撮影:平山忍


島の民家のリサーチ。

「五島つばき蒸溜所」(2023年)では、教会を中心としたキリシタンの歴史や敷地の条件など、様々な物語をフラットに紡ぎ合わせることで建築を立ち上げることを試みた。敷地は島の中でも奥地の半泊という集落であり、かつては潜伏キリシタンが生活していた場所であったが、現在は5世帯のみが静かに暮らしている。 その名残としてこの地には、祈りの場である「カトリック半泊教会」が建っており、その隣地に蒸溜所は計画された。ジンは、かつてイタリアの修道院で薬用として生み出されたという歴史がある。また隣接する教会を維持管理する役割も求められたため、その歴史や建物の配置関係から、教会を聖堂として、蒸溜室を生産の中庭と見立てて、その周囲を回廊で囲んだ修道院のような建築とした。敷地には車1台がやっと通れるような狭く険しい山道でしか辿り着けないため、大型車での材料の搬入は非常に厳しい条件であった。一方で、蒸溜スペースには巨大な蒸留器やたくさんのタンクを収容する必要があり、柱のない気積の大きな空間が求められた。そこで、現場に搬入可能な小径材を挟み梁のようにしてアーチ状に現場で組み立てることで、プレカット工場のない島内において、できるだけ地元建材を用いながらも天井の高い無柱空間を実現した。

「五島つばき蒸溜所」。小径材をアーチ状に組んだ蒸溜室を半屋外の回廊が囲む。撮影:大竹央祐


「五島つばき蒸溜所」のネットワーク図。この地域の歴史や敷地条件、素材などを丁寧に紡ぎ合わせながら建築を組み立てていった。

産業とともにつくる

島へ通いながら数々のプロジェクトを進めるなかで、どのようにして島の産業とともにつくるかということが課題となっている。離島である福江島では、島内で手に入るものと手に入らないものが存在する。入手可能な素材を用いた産業もいくつか存在するが、限られた用途のためだけに加工と消費を繰り返し、そこからあぶれてしまった廃棄物が多量に生じてしまっているという状況もある。建築がそれぞれの産業の媒介となり、島にある素材を産業と合わせて川上から川下までくまなく使い倒すことで、産業の裾野を広げていくことができるのではないかと考えている。
島の山間部には五島鉱山という採石場があり、製鉄に用いる耐火レンガの原料となる蝋石を主に生産している。しかし、なかには鉄分が多く含まれているため耐火物として使用できない蝋石も大量に採掘されており、8割以上が再び埋め戻されてしまっている。一方で、鉄分を多く含む蝋石はその成分が表出して赤や黄色や青っぽいものなど多様な色味を有し、五島の地脈を表すポテンシャルをもった素材である。 「knit.」(2021年)という商店街の元毛糸店兼住宅をシェアスペースへとリノベーションするプロジェクトでは、この廃棄されていた五島蝋石の小粒材を建材として活用した。1階は、シェアキッチンやコワーキングスペースなど様々な用途に使えるように、中央に大きなしゃもじ型のカウンターを造作した。天板はテラゾー仕上げとし、骨材として五島蝋石を用いることで、建物を貫く大きな面としての一体感と、豊かな表情をもち、手で触れる感触を楽しめるような素材感を獲得することができた。

「knit.」では建物の中央に大きなカウンターを設え、五島蝋石を骨材として用いたテラゾーで仕上げた。 撮影:大竹央祐

また「五島つばき蒸溜所」でも別のかたちで採用した。隣地に建つ半泊教会は、今では信徒がたったひとりになり、教会の存続も危ぶまれていた。蒸溜所のメンバーは、この教会を維持管理するための教会守としても活動していくことを決めた。蒸溜所が着工する年がちょうど教会の100周年と重なることもあり、蒸溜所と敷地境界を仕切る、ひび割れて崩壊しかけていたブロック塀を解体してつくり直すことになった。教会の海側には強い風雨に耐えられるよう、かつて信徒たちが協力して積んだ石垣が今も残っている。この石垣との連続性を考え、廃棄予定であった五島蝋石を積んで塀をつくった。また、教会に寄り添うように建つ蒸溜所を目指し、建物の腰壁も塀と同じ石を用いた石積み壁とした。それらによって、教会守という関係性をもち、空間としても一体感のある佇まいになったと思う。

「五島つばき蒸溜所」では島で採掘される五島蝋石を活用して、教会の塀と蒸溜所の腰壁を石積みとすることで風景の連続性をつくっている。撮影:大竹央祐

ふたつの往還から建築をつくる

島内に並存している一見すると交わらないような事象同士を丁寧に紡ぎ合わせ、島の文脈のうえに新たな建築を立ち上げることができないかと日々取り組んでいる。それはおそらく、島に移住していたら難しいだろう。 現在は、横浜に事務所を構え設計に向き合う自分と、五島列島へと通い続けてフィールドワークを進める自分というふたつを往還している。それぞれ対極的な立場の相互批評によって設計が加速しているように思う。様々な視点から島を捉え、それらを紡ぎ合わせた紐帯の重なりのうえにこそ、目指すべき建築の姿があるのではないかと考えている。

★1──「さんごさん」については、以下参照。
「小さな経済とメンバーシップの建築化」能作淳平(聞き手:連勇太朗)
URL:https://www.biz-lixil.com/column/housing_architecture/gr1_interview_002/


特記なき写真・図版提供:WANKARASHIN

石飛亮(いしとび・りょう)

1987年栃木県宇都宮市生まれ。
2011年横浜国立大学卒業。
2013年横浜国立大学大学院Y-GSA修了。
2013-19年Junpei Nousaku Architects勤務。
2019年WANKARASHIN設立。
2021-24年横浜国立大学大学院Y-GSA設計助手。
2025年より関東学院大学非常勤講師。
https://wankarashin.jp/

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公開日:2025年10月28日