山を登ることと建築──判断という装備、手がかりとしての建築

小黒由実(建築家)

山と都市、私が往来するふたつのフィールドは地続きだ。しかし、その連続性のなかには、確かに「尺度の変化」が存在する。これを私は、ふたつの異なる経済圏として捉えている。
都市における建築は、市場のシステムのなかに置かれている。そこでの材料選定は、性能的な価値に加えて、コストや調達の効率性が重要な判断基準となる。高度に発達した流通網によって、必要な部材が必要な時に届くことが前提となり、ものの移動に伴う物理的な労力や困難さが、設計者の意識を占有することは少ない。
一方で、山岳地においてその構造は大きく異なる。ここでの根本的な尺度は市場の論理ではなく「重力」である。街のホームセンターでは数十円で売られているボルト一本も、それを標高数千メートルの現場まで運び上げる労力(人工)を加味した途端、得難い貴重品へと変わる。都市では「安価な消耗品」として扱われるものが、山では「代替不可能な資本」となるのだ。

山岳地での切実な経済活動

山小屋への運搬手段は、歩荷(人力)かヘリコプターが主となる。現在は、建設資材のような重量物はヘリに頼らざるを得ないが、重量バランスや現地の樹木の高さによって運べる量や地域は厳密に決まる。何より、山も下界も天候が良い日でなければヘリは飛ばない。山小屋が避難施設である以上、生命維持のための物資輸送が優先されるのは必然であり、建設資材は1ヵ月近く届かないこともある。山小屋の建設はおよそ5月から10月の間に風雪に耐え得る状態にまで仕上げて、越冬しなければならない。1ヵ月の遅延が工期やコストだけでなく、形状や建築の存続そのものに関わる。
都市においては、工程の複雑さと人件費の高騰が重なり、既存材を保護して再利用する改修よりも新築の方が経済的な解となることも少なくない。しかし、流通と過酷な環境が大きな影響を及ぼす山岳地では、既存の部材を長く使うこと、あるいは施工時に余った端材を捨てずに保管し、次の需要や補修のために転用し続けることが、最も合理的な判断である。私はこれを、環境への配慮だけではなく、切実な経済活動として捉えている。

建築を「手の届く範囲」に戻す──身体の延長としての建築

建築を「手の届く範囲」に戻し、確かな感覚をもってものをつくるための実践として、私はこのふたつの経済圏を往来している。私はそれらの尺度を意識的に切り替えるのではなく、ふたつの環境で得た判断の手立てをそれぞれに応用していくことを実践の核としている。
その動機の根底には、建築が「手の届かないもの」となってしまっている現状、あるいは、建築がつくり手や使い手の手から遠い存在になってしまっていることへの違和感がある。建物の保護を目的とした「原状回復」が、いまやビス一本打つことさえ許されない極端な不可侵性を帯びたルールになっている状況は、私たちが建築の使い手として振る舞うことを、社会全体で諦めてしまっているようにも見える。結果として、部屋に一枚の壁を追加するのにも、施工者が来るのを待つことが前提になっている。生活の最も身近な場所であるはずの住まいでさえ、私たちの手から離れ、他者に委ねられた領域となってしまっているのではないか。
そうした状況を目の当たりにするなかで、建築が本来もっているはずの身体的な切実さが、見えにくくなっている。建築が、使い手だけではどうにもならないような、人の手から離れたものになってしまっているのではないか。その違和感が、山と都市の往来につながっている。
群馬県の妙義山の麓で生まれ育った私にとって、山も山を登るという行為も生活の一部で興味の対象ではなかった。しかし、10年ほど前、建築実務を始める目前の大学院生の頃、建築をつくるということに茫漠とした不安(建築が手の届かないものになっていく感覚)を抱え始めた時、生活の一部でありながら関心の対象ではなかったはずの山を登るという行為が、妙に鮮やかに見えた。理解をしないと手を動かすことができない私が指針として選んだのが、「山を登ること」と「建築」を結びつけることだった。それから、現在は東京・群馬を拠点として実践を続けている。山と都市を往来するなかで得られる感覚を、ものをつくることの支えとしている。
山を登ることと建築をつくることにどこか関係があるのかもしれないと、山を登ることにまつわる研究を始めた頃、いくつかの文章と出会った。ひとつ目は、梅棹忠夫の『山をたのしむ』(山と渓谷社、2009年)の一節だ。「スポーツ用品店の美津野が、大阪のデパートで登山具の展示会を開催した時に、(この)小屋を出品した。」と書かれていた。小屋を京都の中学校山岳部が譲り受け、解体して船や荷車で運び、最後は人力で峠を越えて山へ建てたという記録が残されていた。建築が装備品として扱われたことを知った時、身体の延長線上に建築が見え始めた。思えば、山を登りながら担いでいるテントは住居であり、その延長線上に山小屋がある。この線を辿ることで、建築をつくることを手の届く範囲へ戻すことができるのではないかと考えた。
ふたつ目は、当時、LIXILギャラリーで展示されていた「南極建築1957-2016」とそのブックレット(LIXIL出版、2016年)だ。1957年の南極昭和基地建設について「建設は素人の観測隊員が行う(中略)パネル同士をつなぐのに釘は使わず、特殊なコネクター(結合金物)を採用。分厚い手袋をはめたままハンマー一本で作業でき、誰がやっても一定の精度が保てるよう考慮されていた」という文と共に、施工時の写真や結合金物の図面、南極観測隊が着ていた衣類が展示されていた。結合金物ひとつに、誰がどのように手を動かすかの想定と、それによる精度の担保とが設計されている。当時最先端の極地建築でさえ、技術者どころか建設においては素人の身体感覚によってつくられていたことに、驚きと同時に納得と安堵を覚え、こういうものをつくりたいと駆り立てられてしまった。
ものをつくることを手の届く範囲に戻していくために、日常生活から極地建築に至るまで、「どこか山を登る行為に似ている」と思うものを収集し、いくつかの視点から整理する、という行為を繰り返すことにした。

山を登ることと建築の考察集

その収集・整理の実践が「山を登ることと建築」の研究だ。山を登るという行為と建築を結びつけるもののひとつとして山小屋に目を向けてみる。山小屋は天候・立地・資材・人材など、あらゆる厳しい制約のなかでつくられる「生きるための最小限」の建築である。そして、宿泊施設・避難施設としての需要や環境の変化に対応するため、建築の専門家ではない、小屋番の手によって仮設や手入れを繰り返す。山小屋を観察すると、その都度出会う問題に対してひとつひとつ回答をしていくような明解さと工夫があることがわかる。
例えば、同じ山岳地の雪氷対策ひとつをとっても、その判断は多様で明解だ。上高地より6時間ほど歩いた涸沢カールに建つふたつの小屋は対をなしている。穂高連峰の眺望を重視する涸沢ヒュッテ(新館設計:吉阪隆正+U研究室)(★1)は、雪崩の集積地に位置するため、石積みに埋まるように建ち、雪崩を屋根の上へと「受け流す」形状が選択された。対して涸沢小屋は、岩壁を背にすることで雪崩の通り道を「避ける」立地を選んでいる。(★2)

穂高連峰側より見た涸沢ヒュッテ。

涸沢ヒュッテより見た涸沢小屋。

さらに白馬鑓温泉小屋においては「山を下りる」ことが選ばれた。毎年雪の降る日が少なくなった5月頃に建設され、雪が降る前の10月に営業を終了し、解体と荷下げをする。白馬鑓温泉小屋を観察すると、解体・建設を繰り返してきた履歴が随所に見られ、使い回す部材には所在のわかる記号が記されていたり、建材は重機を使わず人力で運べる大きさが選ばれていたりと、プラモデルやテントのような組立て容易性をもちながら、外壁材となる板と板の間には水切りを設けるなど、最低限の所作で性能を高める工夫が施されている。

白馬鑓温泉小屋全景。

毎年解体・建設を繰り返す白馬鑓温泉小屋の壁パネルには、四隅に座標のわかる印と設置する高さが記されている。

これらの山小屋を観察するなかで収集した、ものの扱い方や建築にまつわる判断、手の動かし方が見えるものを、ひとつひとつシートに書き起こしていく。山小屋に限らず、登山道、人の動きや装備も、大小問わず、すべて等価に一枚一要素とする。そうしてそれらを「等価に並べてみる」と、過去に見た山小屋と類似する工夫であったり、実は都市の建築と考えの根本は一緒だったり、山小屋の工夫が装備の工夫と似通っていたり、現地調査だけでは気がつかなかった関連性が見えてくる。
どんな関連性があるのか探るため、①類似するものを集める、②言葉を当てはめる、③再度収集するという順で収集・整理を繰り返す。言葉を当てはめて分類していくことで、山を起点に極地の場合、都市の場合、小さなものの場合、と一見まったく異なる領域で、横断的に判断の手がかりを得ることができる。これらを通して山を登るという行為と、建築(もしくはもの)をつくるという行為の類似性を探り、「手の届く範囲」として建築を確かな感覚でつくっていくための考察集をつくり続けている。

天候の悪い日に小屋やテントでの時間に使う装備のひとつとしてのトランプ。

山を登る人が小屋を観察するためのツールでもある。

領域を設計する──登山口から山小屋まで

現在、私が再生プロジェクトに関わっている北アルプスの「岩魚留小屋」は、まさに冒頭で述べた重力の経済学によって建てられ、それによって状態が変わってきた。

岩魚留小屋既存外観。

岩魚留小屋既存内観。

ふもとの集落の島々から上高地へ向かう徳本峠クラシックルート(島々明神線)の中間地点に位置するこの小屋は、農商務省の官舎として建てられたものに由来する。上高地は江戸時代前期より材木伐採の場であったが、その後、イギリス人宣教師であり登山家のウォルター・ウェストンが峠を越えて上高地に入り、山を登ること自体を楽しむ「近代登山」の概念を日本に広めたことで、山への眼差しは生業から観光へと大きく変わった。この小屋は、そうした時代の転換点において、山林管理のための拠点から登山者のための宿へと役割を変えながら、約130年間の歴史が刻まれ続けている。登山史における歴史的価値の保存活用と、登山者の安全確保のために再生プロジェクトが立ち上がった。
現地へ行くと、小屋は老朽化が進み、柱は傾き、床や壁は抜けていた。一方で、原形とされる部分の立派な小屋組や、登山客が記したであろう年代物のサインがあった。壁に貼り付けられた新聞紙の日付は明治四十二年と書かれていた。同じく徳本峠に位置する徳本峠小屋は国登録有形文化財ということもあり、信州大学の梅干野成央先生の協力を仰ぎ、増改築の履歴と歴史的価値の調査を行った。柱に残された貫の痕跡や、継ぎ手の位置、風食による木材の凹凸、梁行2間×桁行3間の原形から、前オーナーによる増築に至るまで、個別の機能を段階的に追加させながら増築が繰り返された履歴が見えてきた。
最小限の建築から増改築を繰り返してきた履歴をもつ建築に、次の一手を打つことになる。過去の小屋番たちが下してきた無数の切実な判断のうえに、現代の技術と視点をもって、新たな判断を重ねる行為だ。過去から今までの判断が建築の使い手と後世に伝わるように、建築をつくる手つきと、歴史家による建築への目つきがわかる改修を模索している。

島島の集落に建つ「西山邸」(設計:吉阪隆正+U研究室)の現状。

さらに、この活動は山岳文化を介して領域を拡張する。現在、岩魚留小屋の再生と並行して、上高地への登山口となる島島の集落に建つ「西山邸」(設計:吉阪隆正+U研究室)(★3)の調査も始まろうとしている。かつて山小屋関係者が集ったこの住宅を、岩魚留小屋の新オーナーが引き継ぐこととなったのだ。登山口にある「西山邸」と、山の中腹にある「岩魚留小屋」。標高も環境も異なるこのふたつの建築は、一本の登山道によって物理的にも歴史的にも結ばれている。これまで個別の「点」として存在していた建築が、私のなかで「線」となり、やがて山岳地とその麓の集落を包摂する「面」として立ち上がりつつある。

限られた環境の中で一連の計画と実践をまとめ上げていくこと

極限の状況において、ものは本来の「名称」や「用途」から解放されることがある。例えば山の現場で、古びた端材の重さと物理的な可能性を手で確かめる時、宇宙船の帰還を思い出す。アポロ13号が酸素タンクの事故に見舞われた際、ビニール袋、ダクトテープ、宇宙服用のホース、フライトマニュアルのボール紙などの船内のあり合わせの備品を転用した応急用フィルターをつくって地球に帰還した。そこで生死を分けたのは、「これは何に使うための道具か」という情報ではなく、目の前にある物質が「どのような形をしていて、どのような性質をもっているか」という、ものそのものの可能性と直に向き合う判断と地上での試行であった。
山を登るという行為を「限られた環境のなかで一連の計画と実践をまとめ上げていくこと」だと考えると、複雑に絡み合う与件のなかで判断を繰り返す設計行為と判断を繰り返していくことは似ている。私が山と都市を往来し、設計と並行して模索しているのは、どこでも通用するひとつの汎用的な解をつくることではなく、問われ続ける無数の選択肢を前にした時、確かな感覚をもって判断していくための「手立て」である。ものの手触りと重力を伴ったその判断の蓄積こそが、私の建築を、そして私自身を、地面に繋ぎ止めている。

★1──吉阪隆正『吉阪隆正集 第14巻 山岳・雪氷・建築』(勁草書房、1986年)
★2──丸岡祐一、梅干野成央、土本俊和「涸沢ヒュッテにおける雪氷対策の方向性」 『日本建築学会技術報告集』20 (45) 、pp.767-772、日本建築学会、2014年 平瀬有人、長森博人、古谷誠章「山岳地建築の空間構成に関する研究(その1) : 北アルプスにおける山小屋建築を事例として」『学術講演梗概集. E-1, 建築計画I, 各種建物・地域施設, 設計方法, 構法計画, 人間工学, 計画基礎』、pp.1113-1114、日本建築学会、2005年
★3──間下奈津子、鈴木恂、古谷誠章「吉阪隆正の住宅」『日本建築学会大会学術講演梗概集』日本建築学会、2000年


写真・図版提供:小黒由実

小黒由実(おぐろ・ゆうみ)

1994年群馬県生まれ。
2016年千葉大学工学部建築学科卒業。
2018年東京藝術大学大学院美術研究科建築専攻修了。
2018-22年竹中工務店設計部勤務。
2023年より、YOGU(ようぐ)として 建築/山/包にまつわる研究・制作。東京・群馬を拠点に活動。
https://yumioguro.studio.site/

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公開日:2025年12月24日