特別鼎談
これから「建築」を語るために──ポスト大阪・関西万博から建築の批評を考える
市川紘司(建築史・建築論)+谷繁玲央(建築生産・建築構法)+木原天彦(近現代美術史・近現代建築史) 司会:連勇太朗(建築家)
それぞれが考える建築批評の可能性
連勇太朗:
ここからは会場で参加してくださっている方々からの質問や意見を交えながら議論を深めていきたいと思います。よろしくお願いします。
木村佳菜子(質問者):
素朴な質問なのですが、みなさんが建築批評や文章を書くことにどのような可能性を感じているのかお聞かせください。
谷繁玲央:
私がかつて「10+1 website」に「グラデュアリズム──ネットワークに介入し改変するための方策」を書かせてもらったとき、考えていたのはドキュメンテーションということでした。連さんの「モクチンレシピ」や秋吉浩気さんが率いるVUILDの実践など、若い世代の建築家たちが色々とおもしろいことやっているけれど、それらは1枚のかっこいい建築写真によって理解できるようなプロジェクトではない。誰かが位置づけをして歴史的に残さないといけないと思っていました。そういう意味では、批判精神が動機ではありませんでした。
最近では、建築家の間にどのような差異があるのかについてちゃんと説明したいと思っています。空間的な装飾や同時代的な精神など、様々なものが建築作品には含まれているにもかかわらず、楔を打たれずに漂流してしまっている状態を気持ち悪く感じています。
市川紘司:
おそらく同世代(1980年代生まれ)のなかでは批評っぽい文章をそれなりに書いてきたほうだと思うのですが、可能性というと難しいです。自分のことを「建築評論家」と名乗ったことはないし、そのような才覚があるとも思っていない。建築文化全体に資する何か、それをより良くする何かに期待してきて書いてきたのだと思いますが、現実的にはそうはなっていないですね。一方で、文章を書くことで稼げたらそれで困らないわけですが、狭い専門領域に過ぎない建築においては、そもそも評論一本で食べられた人は歴史的にもごく少数です。浜口隆一さん、佐々木宏さん、川添登さんあたりでしょうか。宮内嘉久さんも「無頼」のように振る舞っていますが、実態としてはスポンサードを得ていましたし、建築分野における評論という職能の難しさを象徴的に示しているように思います(★1)。なので、建築批評というのは、基本的には設計実務をやっている建築家と、大学で歴史研究をしている建築史家が中心となってある種の「余技」として実践されてきたものだと考えたほうがよいと思います。
木原天彦:
私の場合は、批評的なことは本職、つまり展覧会をつくることのなかにもち込もうとしています。仕事では既に亡くなられた作家を扱うことが多いですが、過去のなかから現代の問題を考えるうえで有効な要素を抽出し、展覧会という形式で見せていくということをやろうとしていて、しかもそれを税金で運用している公益を目的とする組織が行うところに可能性があると思っています。常々、批評というのはパフォーマティブであるべきだと考えています。受け取った人を動かさなくてはいけない。展覧会は展示だけでなく、カタログ、ウェブでの広報展開などマルチメディアなので、不特定多数の来場者に対してアプローチできます。展覧会というかたちで批評のパフォーマティブな可能性を広げていくことが辛うじてまだ可能ではないかと思っています。
会場となった本屋B&B。
ポリティクスの語りと建築作品の語り
立石遼太郎(質問者):
先ほども議論に出ていましたが、個別の建築作品について語られていないという危機感を覚えています。建築界というニッチな業界ならではの批評が減ってしまった状況をどう受け止めればいいのでしょうか。
谷繁玲央:
個別の建築が、何につながっているかをなかなか言いにくい状況があると思っています。建築の批評が成り立つためには、つくり手・書き手・読み手のラリーのなかで、言説が育まれていく必要があると思うのですが、それぞれが個別競技化してしまっている印象があります。例えば、立石遼太郎さんの自邸「北鎌倉にて」(2025年)と能作淳平さんの「工作の家」(2025年)を同じ日に見る機会がありました。同年に竣工した住宅で、地理的にも近いのですが、問いの立て方からしてまったく違う種類の建築になっている。これらを同じ言語で語ることは不可能だと感じました。問いを束ねることには関心があったので、これまで「グラデュアリズム」と言ったりしましたが、建築家みんなが別々に孤軍奮闘しているなかで、そのひとつひとつを語ることに乗れないのです。でも確かに個別の建築に対する批評が大事だという気持ちはあります。
市川紘司:
個別の建築に対する批評と聞いて、思い当たったのは、乾久美子さんが釜石市で設計された「唐丹小学校・唐丹中学校・唐丹児童館」(2018年)に対して青木淳さんが書いた「シン・ケンチク」(「10+1 website」2019年8月)です。建築ひいては世界の見え方が変わる、といのが批評の醍醐味ですが、そういう文章として記憶に残っています。立石さんの問題意識もよくわかります。個別の建築批評はもっとあったほうがよい。読んでいて楽しい。ただ自分の役割は違う、と感じています。
連勇太朗:
『新建築』の月評は個別の建築作品に対する批評ですが、掲載された作品の設計者以外に誰が読んでいるのだろうかという疑問もあります。私が担当していた時、頑張って読み込んで書いていたのですが、それ自体が議論になるというケースはありませんでした。
市川紘司:
建築を「フォーム・ナレッジ・ポリティクス」という三角形で考えるべきではないかと思っています。単純化すると、「フォーム」は建築物の物的構成や空間、その方法論に関する議論で、「ナレッジ」は建築史や建築環境など専門世界に共有されている議論(ディシプリン)、そして「ポリティクス」は建築界の外側で建築に影響する政治・社会・経済云々です。この三要素の緊張関係のなかで建築を考えてみたい、というのが私の建築史・建築論研究者としての立場です。なので、建築そのものに対する個別の批評というのが、フォームの問題とナレッジの問題に終始するのではなく、ポリティクスの観点からの検証もきちんとされるようであれば、すごく良いのだと思います。ただ、そうならないことも多いです。「ディテール談義」的な議論とか。それはそれでもちろんあってよいのですが、繰り返しになりますが、自分の役割はそこにはないのだろうと思います。
連勇太朗:
そういうことがあって一緒に『建築をあたらしくする言葉』(市川紘司・連勇太朗編、TOTO出版、2024年)をつくったという経緯もありますね。これまで建築が考えてこなかった領域のキーワードを取り上げ、解説と批評を若手実務者・研究者に執筆してもらうという内容でした。私も市川さんも建築物や作品そのものにまつわる批評は好きな人間ですが、結果的に選んだ39の言葉は、建築に内在する言葉ではなく、建築の外側にある言葉の割合が多くなりました。
市川紘司:
私個人の仕事としては『天安門広場──中国国民広場の空間史』(筑摩書房、2020年)も、近年行っている戦後賠償や政府開発援助(ODA)における建築の振る舞いを考える研究も、基本的にはポリティクスがフォームやナレッジに与える緊張関係にフォーカスしてきたつもりです。おそらく「政治と芸術」が渾然一体となる中国を専門としていることも大きいのでしょう。
木原天彦:
一方でポリティクスの問題が肥大化していくと、すべてがポリティクスの原理に回収されてしまい、建築とはいったい何なのかという声が生まれてくると思います。建築だけの歴史、建築側が用意する、自立した物語としての正しい歴史が虚構でもいいからあるべきではないでしょうか。それが絶えずレファレンスになっていかないと、個別の建築を語り得ないような気がします。それはどこまでも虚構でしかないのですが、そのなかでのゲームを引き受けることでしかジャンル批評というものは成立し得ないので、批評言説の弱体化はもしかするとポリティクスの肥大化と表裏一体かもしれません。
谷繁玲央:
この鼎談にあたって、長谷川堯『神殿か獄舎か』(相模書房、1972年)を読み直していました。長谷川の議論はわかりやすく、二元論を用いて様々な建築や建築家を語っていきます。明治・昭和/大正とか、今では問題になるようなオス/メスといった二元論も出てきます。これ自体は虚構ですが、それでも二項対立を置いてみることで、従前と違う評価が生まれたりするわけです。万博に参加した若手建築家20組についても、語られていないけれども、色の決め方とか空間のつくり方に何かしらの同時代的な手つきがあることは事実です。しかし、実はそういったことを語ってこなかったし、それを評価するための枠組みが用意できていないという問題はあると思います。
木原天彦:
私自身もこれまで、芸術文化をどこか社会決定論的に語ってきたきらいがあるので最近は少し反省しているのですが、ポリティクスを語る人たちと、フォームやナレッジを語る人たちの関心が離れてしまっているのかもしれませんね。それぞれのスタンスから、同じ対象を語るような本ができるといいのかもしれません。
領域横断はいかにして可能か?
南島興(質問者):
藤本壮介さんはわかりやすく「森」というメタファーを用いている強さがあるように思います。こういったことに対して誰かが打ち返すようなことがあると、美術界を含め多くの人が議論に乗りやすいなと感じます。この「森」についての議論があまりないように思うのですが、みなさんはどう考えていますか?
谷繁玲央:
私は乗れないですね。建築家個人の欲望のように語られている特定のアナロジーとか、ポピュラリティを獲得するための言葉に与しないということが、批評としては大事だと思っています。でも、「森」という言葉をあえて無視したりすることによって、美術批評とか他の人たちが入りづらいというのはよくわかります。
市川紘司:
谷繁さんと同じ意見です。そういうワンフレーズのコンセプトは建築家と大衆の間のコミュニケーションには有効だと思いますが(それこそ「みんな」という東日本大震災以後のキャッチフレーズがそうでした)、専門家同士のコミュニケーションに資するものではないでしょう。建築と美術など、専門世界の領域横断は非常に重要ですが、そのためにこそ必要なのは理論と批評。要するに組み立てられた「言葉」。それがないと生産的な結論にはたどり着けないと思います。
木原天彦:
戦後に遡ると、竹内好が目に見える支配力ではなく、それぞれの庶民が営む共同体維持の活動を指して「一木一草に天皇制がある」(「権力と芸術」 『講座現代芸術 第5』1958年)と言っています。藤本さんの言う「森」も、それが対立を忘却し共同体を維持し続けるためだけにつくり出された耳障りのよいキーフレーズであるからこそ、これもまたある種の体制だと指摘できると思います。「森」は人々の側のように見えて、意外とその親しげな笑顔におそろしさがある。打破すべきものがあるとしたら、そういった意味での天皇制なのではないだろうかと。私なら「森」に対して打ち返すとすれば、そのようなことを言いたいです。
四宮駿介(質問者):
批評がジャンルに閉じてしまうのは限界があるのではないだろうかと思います。どのようにしたら領域横断ができるのでしょうか?
市川紘司:
むしろ批評は本質的にはジャンルを横断するものだと思います。実際過去の建築批評においては建築専門外から、美術、文学、哲学、社会学……等々の専門家が参画していたはずです。一般的には、専門的な研究や実務を横断してかき混ぜるような役割こそが批評なのではないかと。
一方で閉じているという印象を覚えるのはわかる気もします。私は2026年の『住宅特集』(新建築社)の月評座談会に参加させてもらっています。同誌は一般書店にも置かれる雑誌なので様々な種類の読者の視線を想定するべきだと思うのですが、実態としては『新建築』以上にゴリゴリの「建築専門誌」で、相当ハイコンテクストです。専門的な議論を行うにはそれで良いのですが、他方で公刊媒体である以上、いつでも・誰でも読者として参入できる間口の広さは意識する必要はあります。このバランスが難しいし、建築メディアは歴史的に失敗してきたとも言えます。例えば建築の展覧会は無料のものも多くきわめて「開かれた」メディアなのですが、建築関係者だけを想定しているような設えや文言に出会うことも少なくありません(『SD 2024』で「SDレビュー」という展覧会に対してその点を批判的に記しました)。外部者の目線をもつことが重要で、この点では私は日建設計の林昌二さんによる1970年代の一連の評論(「歪められた建築の時代──1970年時代を顧みて」など)は傾聴に値すると思っています。
谷繁玲央:
隈研吾さんによると、愛知万博のときに通産省が100人の文化人をヒアリングしたときに、官僚たちがおもしろいとピックアップしたのが建築家3人と中沢新一さんだったようです。広告代理店的な人々は軒並み落とされたようで、建築家が提出するコンセプトが斬新だった時代が存在したわけです。その後コンテンツやアプリやサービスをつくる人たち、あるいは代理店的なものが強くなっていったのだと思います。かつての大阪万博のときは建築家がやっていたはずのものから、建築家は撤退しているという悲観的な状況があります。
ですが、まだまだ実空間に対するおもしろさとか、プラクティスのおもしろさっていうのはあるはずで、それを建築家同士に閉じずにやっていくことは大事だと思います。例えば、建築コレクティブのGROUPが様々なアーティストと一緒にプロジェクトやっているのは、実空間のデザイナーとしての建築家に可能性を感じてもらえているからだと思います。かつてのネオダダと磯崎新のような関係性は実際に起きていると思います。まだ明確にかたちになっていないかもしれないけど、メディアが乗っかったり、場をつくったりすれば、建築の人々も領域横断できるようになるのではと期待はしています。
会場参加者との質疑応答。
ポスト万博の批評に向けて
大田祥悟(質問者):
私は学生なのですが、今後建築家としても頑張りたいし、批評にも興味があります。これから建築家はどうすればいいのか、批評家はどうすればいいのか、について教えてください。
谷繁玲央:
南島興さんがやられている市民向けのアートライティング講座や、福尾匠さんがやられているエッセイ講座など、普段書くことを専門にしていない人たちに文章を書いてもらう取り組みがおもしろいと思っています。大手メディアで書ける場所は減っているけれども、ZINEも含め書く人は増えていると思います。でも読むシーンってまだあまり生まれていないと感じます。素朴ですが、建築についての文章を書き、読み合うような場所をつくりたいなと最近思っています。アメリカには「Architecture Writing Workshop」という団体もあるみたいです。
連勇太朗:
市川さん、悩ましい顔をしていますね。昨今のZINEブームのはるか前から同人誌『ねもは』やっていました。
市川紘司:
建築家がそれぞれ自分たちで本をつくったり作品集をまとめたりする活動を『建築をあたらしくする言葉』では、「勝手メディア化」あるいは「ポストメディア化」と位置づけました。連さんが挙げてくれた『ねもは』というのは、文学フリマブームなどがあった2000年代に、私が同世代の仲間とつくっていた建築同人誌です。戦後日本で隆盛した大手建築メディアは多くがゼネコンやメーカーに支え荒れてきたわけですが、経済不況によってその体力も落ち、当時のような建築メディア環境が復興することはまずあり得ません。懐古的になっても仕方ない。だから議論や記録のための場所、器は自分たちでつくるしかない。そういうメディアのDIY精神をもった建築家の方々は既に出てきていますし、今後もしばらくはそうなのだろうと思います。
谷繁さんの話を聞いて、年齢差を痛感しました。谷繁さんは私より10歳ほど若いからこそ未来の展望を明るく語れるのだなと。私は40歳ですし、子どももいるし、これまでの実践を踏まえた未来しか、もう考えることはできない。可能性も少しはあるでしょうし、今後も続けていくつもりです。ただ、もっと巨大な限界というものも実感しています。勝手メディア化した建築メディア環境を横断・接続するアリーナがあったほうがよいと痛切に思いますが、まあ自分にやれるのかは端的に自信がない。それをやるのは谷繁さん・木原さんたちの世代か、あるいはそれよりも若い世代になるのだろうなあと思いました。
ただ、暗い話をすれば、そもそも建築メディアや批評の衰退というのは今に言われ始めたわけでは当然なく、20年も30年も前から言われていることです。こんな衰退業界に関心をもつ若い建築学生なんて、ますます少なくなっていくのが現実だろうと思ってしまいます。
木原天彦:
自分が美術館に勤めているということもありますが、将来が先細りしていく時代だからこそ、建築のアーカイブは重要だと思います。これまでの近現代建築の歴史は、メディアやジャーナリズムがベースになって書かれてきました。しかしアーカイブが充実してアクセスも容易になることで、一次資料をベースにした新しい切り口や語り方みたいなものが起こるかもしれません。それはつまりレファレンスが変わる、過去の把握が変わるということなので、建築のつくられ方や論じ方も変化するかもしれない。人間は過去にしか学べない以上、現状に即応しようとするのではなく、時間的スパンを長く見て吟味するための批評をつくり上げていきたい。SNS上で歴史修正主義的な情報が拡散している現在では、かなり理想論的な観測ですが、そんなふうに変わってくれたら嬉しいなと、自分の職能に引き付けて思います。
連勇太朗:
アーカイブの問題もちゃんと議論したいですね。日本のアーカイブと批評の衰退に関しては考えなくてはならないと思います。私と市川さんと谷繁さんは一緒に『ダイアローグ 〈危機〉の時代の長谷川逸子・原広司・伊東豊雄』(millegraph、2025年)に関わったメンバーでもあります。この本はCCA(カナダ建築センター)によるリサーチとインタビューのプロジェクト「Meanwhile in Japan」のオリジナル言語版で、1970年代、80年代の日本の建築界を代表する3名との対話とその貴重な資料が収められています。CCAは世界の建築アーカイブを牽引する存在ですが、日本人建築家の資料が国外に流出しているという状況があります。
市川紘司:
最後は明るい話で終わりたいと思うので、谷繁さんに聞いてみたいです。先ほどの質問者の大田さんへの回答もそうですが、谷繁さんは批評というものを書き、それが読まれることに対して、率直に良いものだと思っているように感じます。これはもしかしたら、「本を読むモチベーションを上げる」とまっすぐに言える文芸評論家の三宅香帆さんと似たような態度なのかもしれません。しかし私は、少なくとも建築分野においては、批評とはそんなに良いものだろうか、必要なものなのだろうかとも、一方では思ってしまいます。昔の建築雑誌を読めば誰しも分かると思いますが、そこにはある種の豊饒さはある一方で、意味も意図もよくわからないテキストも相当多いです。この20〜30年の建築メディアと批評の失調というか信頼感のなさは、端的に、そういう無駄打ちの多さに読者──主には設計を志す建築学生だと思いますが──が愛想を尽かして離れただけなのではないか。これ読まなくてもいいんじゃない?と。だとすれば(露悪的に言いますが)批評に気を取られることなく研究や実務に向かう現在のほうがマトモなのではないか。
連勇太朗:
建築批評が信頼を失ったのは、「語り方」の問題も大きいのではないかと思います。つまり建築家が、建築をつくるときの関係者のことを言説のうえでは無下にしてきたことと関係していると思います。お施主さん、プロジェクトの枠組みをつくった専門家、サポートしてくれた人、事務所の所員など、様々な力が組み合わさって建築が成り立つわけです。だけれども、最後に建築の批評となった瞬間にいきなり、建築家コミュニティの内部でしか通じない語り方をしてしまう。そしていつの間にか一緒に建築をつくってきた人たちは登場人物として現れることなく、先鋭化した言葉が現実社会との適切な距離を見失い、建築批評が力を失っていったという側面があるのではないかと思います。なので、私はそういう人たちを含めた新しい語り方を鍛えていく必要があると思います。専門外の人とか、自分の両親とか友人にわかる言葉で建築のおもしろさを伝え、共感してもらうことは大事なのではないでしょうか。個人的には最近そのトレーニングをしています。
市川紘司:
建築を建築家から解放すべきだという視点はとても重要です。この点は建築メディアと評論家の問題が多分にありますね。建築をファインアートのように、つまり「建築家の表現」として粗雑に論じる傾向が強かった。改めて大阪・関西万博の話に戻れば、「大屋根リング」もまさにそうです。いろんな関係者がいろんな名義で参加しているものの、「建築家・藤本壮介の作品」として多くの場合語られるだけです(だからクレジット問題にこだわるわけですが)。もちろん建築の制作者を建築家から解き放って無数の関係者に開いていくと、ピンボケしてしまうリスクはある。建築家を解体するアクターネットワーク理論系の建築論は、「物語」としては退屈で読むに耐えないものも多い。建築家から解放しつつ、しかし同時にそれとは異なる建築の魅力的な物語を語ることは、「ポスト万博」という意味ではとても大事な論点だと思います。
谷繁玲央:
市川さんの諦念と同じようなものは私にもあります。ですが、私は悲観的だけど理想主義的に考えようとしているのかもしれません。
単純に書きぶりとか、語り口を優しくすれば、何かアプローチできるかっていうと、そうでもない気がしています。おもしろい批評とは、必ずしも書きぶりや語り口の問題ではないはずです。そこに発見があり、建築の新しい見方を教え、行ったこともない建築を行ったような気にさせる……。直感的な読み物としてのおもしろさを希求することは大事で、そのための場所はつくっておきたい。市川さんと連さんは、これまでそういう実践を続けてこられて、10年間分の諦念はあると思いますが、諦め自体をバトンタッチしていく必要はないと思います。
注
- ★1──「メディアとコミュニティ(インタビュー:布野修司)」「建築討論」2022年
https://medium.com/kenchikutouron/メディアとコミュニティ-3504611589f7
文責・撮影:studio TRUE
企画:連勇太朗 millegraph studio TRUE
協力:LIXIL 岩波書店
[2026年2月3日、本屋B&Bにて]
市川紘司(いちかわ・こうじ)
1985年生まれ。建築史家。博士(工学)。東北大学大学院工学研究科都市・建築学専攻助教、桑沢デザイン研究所非常勤講師。著書=『天安門広場──中国国民広場の空間史』(筑摩書房、2020、2022年日本建築学会著作賞)、『建築をあたらしくする言葉』(連勇太朗との共編著、TOTO出版、2024)。共訳書=王澍『家をつくる』(みすず書房、2021)など。
谷繁玲央(たにしげ・れお)
1994年生まれ。建築設計事務所にて既存建築再生のための調査・設計に従事。東京大学特任研究員兼務。博士(工学)。専門は建築構法、建築理論、ハウスメーカーによる工業化住宅の構法史・商品史。個人として建築に関する批評活動を行っている。建築メディアプロジェクト・メニカン共同主宰。
木原天彦(きはら・あまひこ)
1992年生まれ。東京藝術大学大学院美術研究科 芸術学専攻博士後期課程。
2019年から渋谷区立松濤美術館学芸員。専門は日本近現代美術史/建築史。「白井晟一入門」展(2021)、「井上有一の書と戦後グラフィックデザイン:1970-1980s」(2025)など、建築・デザインに関する展覧会を企画している。
連勇太朗(むらじ・ゆうたろう)
1987年生まれ。建築家。博士(学術)。明治大学理工学部建築学科専任講師。特定非営利活動法人CHAr代表理事。株式会社@カマタ取締役。2012年NPO法人モクチン企画を設立、代表理事に就任。2018年@カマタ法人化、2021年CHArへ改称、同年明治大学専任講師に着任。著書=『モクチンメソッド│都市を変える木賃アパート改修戦略』(学芸出版社、2017)など。「社会変革としての建築」をテーマに実践と研究を往還しながら活動している。
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公開日:2026年03月10日

