格式と優美の館「旧渋沢邸」が移築・復原
多くの職人の技術が結集
3つの暖炉のタイルを復原する

<広間の暖炉>
玄関を入り、何組もの訪問者を迎えていたと思われる広間。古写真などをもとに、おもに寄木床、漆喰壁が復原された。化粧梁などの木部はチーク。左手のマントルピースは大理石トラベルチーノロマーノ。下/暖炉内は擬石調布目タイル、同じ表情の床タイルが復原された。



左/意匠性豊かなマントルピース。右/暖炉内のタイルも網代と布目の2種類で構成され、味わい深い。既存タイルはLIXILやきもの工房で裏足に山茶(つばき)窯製陶所の印があることが確認された。

<書斎の暖炉>
渋沢敬三が使っていた書斎。客間と引戸でつながっており、装飾は客間よりも抑えられている。暖炉内は客間と同じ柄のタイルで壁に網代、床に白い布目タイルが張られている。


上/壁面はオークのウッドパネル。大理石パオナッツオのマントルピースは創建時のもの。マントルピースの上の鏡に、対面の出窓に設けられたステンドグラスが映り込んでいる。下/炉内のタイルは創建当初ではないと推測され、遡れる状況で復原された。
どのようにつくられたタイルかを紐解きながら
LIXILやきもの工房が洋館内部で復原を手掛けたのは、広間、客間、食堂の暖炉内部に張られているタイルだ。「復原の方針は、現場によって、クライアントの考え方や条件によっても違ってきます。今回はそれぞれの暖炉の既存タイルが数枚ずつ提供され、そのテクスチャーの再現を目指しました」とやきもの工房の芦澤忠さん。それぞれを観察し、寸法を測って図面に起こし、もともとの製法、表情や凹凸の状態、どのような釉薬が施されているかなどを推測しながら、復原にどのような方法がふさわしいか、総合的に検討していった。
暖炉タイル──客間の網代タイルと布目タイル
3つの暖炉のなかでも、客間の暖炉内にはとくに表情豊かなタイルが張られている。「観察すると、網代タイルは型押しで成形されていると推測できました。そこで既存のタイルを3Dスキャンして面の表情を石膏型で形に起こし、型押しで復原しました」と芦澤さん。凹凸部の色合いは、濃い茶色と明るい茶色の釉薬を筆で二層に塗ることで、凹部には釉薬が流れて溜まり、凸部は釉薬が透けて下色が見える効果を出している。
さらに網代タイルに発見があった。「裏足を見たときにはハッとしました。ツバキの花の印があったんです」と芦澤さんは嬉しそうに言う。それは大正から昭和にかけて日本の美術タイルの分野を拓いた小森忍(1889(明治22)〜1962(昭和35)年)の山茶(つばき)窯製陶所の印だ。「これまでも阪急百貨店などで同じタイルを復原したことがあるので、工房で記録しているデータを役立てることができました」。布目タイルに印は見られなかったが、釉薬の表情から見て、同じく山茶窯製の可能性があると推測している。

<復原したタイル>
下/網代タイル。上2点/布目タイル。3Dスキャンし、石膏型を製作し手で型押し。施釉方法も網代タイルと同じ。左は客間の暖炉床と腰。右は書斎の暖炉床。

<山茶窯製の既存タイル>
左/客間の創建時からの網代タイル。型押しによる成形と推測された。
右/モルタルを落とした網代タイルを裏返すと、裏足の中央に山茶窯製陶所の印が現れた(左2点)。グレーの部分はモルタル。右4点は布目タイルの裏足。
暖炉タイル──広間と食堂
広間の暖炉床のタイルは、観察の結果、白い素地に黒い小さな斑点材を練り込んで擬石調とし、さらに布目を型押しした無釉タイルだという。既存と同様に素地に鉄粉を練り込んだ。「既成の金型でつくれる形状寸法だったので、押出し成形機を使うことができました」と芦澤さん。押し出してから、表面にローラーで布目を転写した。
食堂の暖炉タイルは創建時から変わっているとみられている。既存タイルは乾式プレス製法の素地に、黒と緑の釉薬が施されたもの。工房では施釉方法を推理し、スポイトで緑の釉薬を回しかけた。「2つの色が溶け合う感じを再現するために、釉薬の濃度と色の調整を何度も繰り返しました。やきもの工房は釉薬の技術に長年の経験があるので、自分たちが納得のいくまで攻めて、クライアントの方々に見てもらうことになります」と芦澤さんは笑う。

<復原タイル>
上/広間の暖炉床の擬石調布目タイル。下/食堂の暖炉のタイル。



左/押出し成形機で素地を押し出す製法でつくられた。2枚のタイルを一体で、裏足を境に押し出される。中/成形後に布目ローラーを押し付けて復原。右/上は押し出しの金型。下は2枚に分離した状態。

スポイトで施釉し、表情をつくり出す。地色のグレーと黄色の釉薬は、焼成するとそれぞれ黒色、緑色に変わり、釉薬が溶け合う。
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公開日:2025年03月25日