海外トイレ取材 7

西海岸とパブリック・スペース(後編)──
ハリボテの世界

浅子佳英(建築家、タカバンスタジオ)

The Broad(ザ・ブロード)

近年、ロサンゼルスとサンフランシスコには世界的に見ても巨大な美術館が次々とオープンしている。

The Broadは2015年にロサンゼルスにオープンした現代美術館だ。設計はディラー・スコフィディオ+レンフロ。この美術館が興味深いのはイーライ&エディス・ブロード夫妻という大富豪の個人美術館だということだろう。要は彼らの個人コレクションを集めた美術館なのだが、その規模とコレクションの幅は普通の美術館の規模を悠に超えている。しかも現在もそのコレクションは増え続けている。そして、最も重要なのは入館料が無料なことだ。そもそも日本でも公立の美術館は、博物館法(美術館もこのなかに含まれる)で「公立博物館は、入館料その他博物館資料の利用に対する対価を徴収してはならない」と定められている。ただこの後に「維持運営のためにやむを得ない事情のある場合は、必要な対価を徴収することができる」という文が加えられてはいるのだが、原則として公共の美術館は無料にすべしと法で定められているのである。The Broadが素晴らしいのは民間でそれを実現させていることだ。

The Broad 外観

The Broad 外観

建築的な説明もしておこう。有機的なファサードが眼を引くが、じつは建築としてはきわめてシンプルなつくりである。まず、1階にエントランスやミュージアムショップやテンポラリーのギャラリーを並べる。その上に収蔵庫やオフィスなどのバックスペースを積み、さらにその上の3階に展示室を積んでいる。1階から3階へは長いエスカレーターで2階を飛ばしてエントランスと展示室を直結させ、斜め方向に移動させることで、3階の展示室では部屋のちょうど真ん中に開けられた穴から顔を出すようなかたちとなっている。動線を部屋の端ではなく、中央からスタートすれば、回遊動線をつくったり、複数の展示を両立させるのに有利になるうまい方法だ。

The Broad内観
The Broad内観
The Broad内観
The Broad内観

The Broad内観。行きは3階の展示室まで長いエスカレーターで直接アプローチする。帰りは階段、収蔵庫のある2階を通る際に中が覗けるようになっている

話は少し脱線するが、サンフランシスコにあるデ・ヤング美術館も同じく中央から動線を始められるように工夫されている。斜めに切り込みの入ったプランが特徴的だが、エントランスはこれらの切り込みでできた中庭を通って、建物のちょうど中心付近から入るかたちになっている。やはりThe Broadと同じく、回遊動線をつくるのにこのエントランスの位置が重要な役割を果たしている。また斜めの切り込みは対角線上にある最も遠い場所同士を視覚的に一気に繋ぐので、基本的に四角い箱を延々と歩き回ることになる「美術館」というプログラムにおいてはとても効いている。

デ・ヤング美術館内観
デ・ヤング美術館内観

デ・ヤング美術館内観。四角い展示室を歩いていると、ちょうど疲れたあたりでふいに斜めに視界が開ける

その逆に同じサンフランシスコにあるSFMoMAはこれが上手くいっていない。SFMoMAは敷地が限られていることもあって同じ形の展示室を複数階、上に重ねた積層型の美術館なのだが、エレベーターが部屋の端にあるので、展示室を見て回ったあとはエレベーターまで帰ってこなければならない回遊性に乏しい動線になっている。それが複数階続くので、体験としてはどうしても単調なのだ。

エレベーターやエスカレーターの位置は展示には直接関係がないが、展示室の内部の壁とは違い、動かすことのできない要素である。いくら展示室に工夫を凝らしても、それらの動線がいつも同じだとどうしても体験が似たものになる。The Broadは、縦動線を部屋の中央に集めるというきわめてシンプルなかたちでこの問題に答えている。

もうひとつ、The Broadで面白いのは、帰りは階段で降りることになるのだが、その階段と収蔵庫のあいだの壁が一部ガラス張りになっていて中が見えるようになっていることだ。ちょうど見える位置にある絵は毎日変えているとのことで、普段なら隠れて見えない収蔵庫やコレクションの使い方としても面白い。そしてこれはある意味で個人のコレクションだからこそできるという部分もあるだろう。公立の美術館であれば、保存の観点から実現することが困難だろうと予想されるからだ。

正直に言えば、The Broadの展示は、どこかちぐはぐな印象を拭えない。たしかに有名な作家のコレクションが集められてはいるのだが、それこそMoMAと比べるとその差はやはり感じる。しかしながら、現在の美術館の役割を考えた時、無料で公開していること、さらには収蔵庫まで公開している点は、いくら強調してもしすぎることはないほど重要だろう。上述のように、グローバリズムによって都市には膨大かつ多様な人々が集中して暮らすようになっており、その結果として実空間でもフィルターバブルを可能にする技術が進行しつつある。現代のアートは、世界の多様性を尊重し、寛容で自由で平等な社会の到来を受け入れるものではあるだろう。もちろんアートの存在意義はそれだけではないが、少なくとも拒むものではないはずだ。そして、アートは原理的に見る側にその解釈が開かれているという特性がある。答えはひとつではないので、訪れた人は学び続けることができる。だからこそ、それが一部の人だけでなく無料で誰にでも開かれているというのは重要なことなのだ。

Exploratorium(エクスプロラトリアム)

さらに「学び」という観点においては、サンフランシスコにはExploratoriumという興味深い施設がある。Exploratoriumは1969年にオープンした科学博物館で、2013年から現在の桟橋にある巨大な建物に移設している。桟橋だけあって周囲を海に囲まれたたいへん気持ちのよい場所で、並びにはAutodesk(CAD、3DCG開発)やIDEO(デザインコンサルタント)のオフィスもある。Exploratoriumの活動についてはYCAM(山口情報芸術センター)の菅沼聖氏、今野恵菜氏によるレポートに詳しい(「『実験場としてのミュージアム』のつくりかた──科学博物館エクスプロラトリアム」、artscape、2017年9月1日号)。

Exploratorium内観

Exploratorium内観。作品は科学的知識を理解させるだけにとどまらず、自ら考えることを促すものが多い

Exploratoriumはホームページで「Exploratorium is a public learning laboratory exploring the world through science, art, and human perception(エクスプロラトリアムは科学、芸術、そして人間の知覚を通して世界を探検する公共の学びのための研究所)」と、館のミッションを表明している。真正性ではなく、感情で動かされるポスト・トゥルースの時代に、そしてなにが正しくてなにが正しくないかということを誰かが一方的に決めることが難しい時代において、科学的に、そして芸術的に学ぶということの重要性はかつてないほどに高まっていると言っていいだろう。しかもそれを遊びながら、体験しながら学べるようになっていることの意味は重ね重ね大きいと思う。

空間としても興味深く、静的な展示室とはかけ離れた動的な実験場という雰囲気で、壁を使った展示はほとんどない。どの展示も自立して360度どこからでも見ることができるようになっている。可動式なので展示替えが容易で、実際頻繁に展示替えがされている。さらにほぼすべての展示物の製作もExploratorium内部の工房で行なわれており、その工房もオープンで外から見えるようになっている。かつてデザイナーの川久保玲は自身のつくった店舗Dover Street Marketを「Beautiful Chaos(美しき混沌)」と形容していたが、Exploratoriumはまさに美しき混沌として存在していた。

しかし、科学と教育といえば、かつての情報技術はまさにそれらを実現させる技術だったはずだ。思えば1990年代から2000年代にかけ、blog、Wikipedia、Googleなど、インターネットを代表する情報技術は、世界中の情報を誰もがリアルタイムで知り、活用することのできる、いわば魔法のツールとして現われた。しかも、その情報は一方向ではなく、だれもが情報を発信できる双方向のメディアでもある。だから古い世界を変えるのだと信じられていた。そして、Appleに代表されるIT企業の多くは自宅のガレージから始まっている。サイバー・カルチャーはカウンター・カルチャーでもあった。しかし、どういうわけか近年のIT企業はまったく逆の方向に舵を切っているように見える。それは彼らのオフィスのあり方に表われているように見えるのだ。

Apple Park(アップル・パーク)

現在、IT企業はこぞってサンフランシスコ郊外に巨大なオフィスを建てている。Appleはクパチーノにノーマン・フォスター設計のオフィスを、Facebookはメロンパークにフランク・ゲーリー設計のオフィスを完成させ、Googleは現在マウンテンビューにBIGとトーマス・ヘザウィックの共同設計による半透明の膜で覆われた新社屋を建設中だ。

Googleは建設中なので、レンタカーを借りてAppleとFacebookの新社屋を見に行くことにした。どちらも場所はサンフランシスコからは車で40分ほど。近くにはスタンフォード大学もあり、IT企業が集中するシリコンバレーと呼ばれる地域である。Apple Parkに車で近づいて行くと、緑に溢れた敷地の奥に完璧にデザインされた円盤が現われる。カーブした窓は巨大で、飛び出した庇は通常ではありえないほどなめらかで目地がほとんどない。外から見るだけでもApple Parkはある意味では理想のそして完璧なデザインのオフィスであることは伝わってくる。しかしながら、オフィス内部の見学は許されておらず、見学のためのビジターセンターがその替わりの役割を果たしている。ビジターセンターも巨大なガラスで覆われた建物で、Apple製品と同様、完璧にデザインされ尽くしている。ともかく、あらゆる収まりがスムーズで材料はすべて巨大だ。

円形のオフィスをビジターセンターの屋上から見る

円形のオフィスをビジターセンターの屋上から見る。樹木が写りこんでいるのはビジターセンターの屋根。鏡面に磨き上げられている

ビジターセンター外観
ビジターセンター階段部分

ビジターセンター外観と階段部分。周囲をガラスで囲んだシンプルな建築だが、きわめて高い精度でつくられている

ただ、一通り見学し終えて思ったのは、この完璧さは一体なんのためにあるのかということだった。

Appleは数あるIT企業のなかでも最も空間のデザインに力を入れている企業だろう。スコット・ギャロウェイが『the four GAFA──四騎士が創り変えた世界』(渡会圭子訳、東洋経済新報社、2018)のなかで述べているように、大成功を納めた現在では想像し難いが、2001年にスティーブ・ジョブスがApple Storeをはじめた時、「アップルは立派な店を開くことで、運動靴と同等のものを高級品に位置づけようとしている」と批判されていた。なぜパソコンショップという日用品を扱う店が派手な店舗を、そしてこれからはeコマースが重要になるにもかかわらず物理的な空間をつくる必用があるのかと。

Apple Storeの戦略は既存の街の最も重要な地域に出店するというものだ。ニューヨークの5番街、パリならシャンゼリゼ、日本でも銀座や表参道など高級ブランドが並ぶ目抜き通りの最も目立つ場所を狙って出店している。そして、あれから18年が経ち、社名もApple ComputerからAppleに変え、今となってはApple自身が高級ブランドとなった。ジョブスの戦略はある意味では正しかった。実際、最新のiPhone XSの最上位機種はAppleCareを入れると20万円以上になる。パーソナル・コンピュータはもとより下手な宝飾品よりも高価なのだ。しかもiPhoneは毎年新たな機種が出て、約2年で買い替えを促される。腕時計や指輪はこれほど寿命が短くはない。もはやiPhoneは高級な、格差を象徴するようなプロダクトとなっている。

現在、世界中の人々がスマートフォンを手に入れはした。デジタル・ディバイドはもはやない。しかしながら、ロバート・D・パットナムは『われらの子ども──米国における機会格差の拡大』(柴内康文訳、創元社、2017)で、その使い方に格差があるのだと指摘している。上層階級出身の若者はインターネットを仕事、教育、社会参加、教育およびニュース収集に利用する傾向がある反面、教育水準の低い層はゲームなどの娯楽に利用する。だから現時点では、情報技術は機会格差を拡大させる可能性が高いように思われると警告している。

オフィスに話を戻そう。AppleもGoogleも緑豊かなキャンパスにはその社員しか入ることができない(ついでに言えば、Facebookも見学ツアーをやってはいるが、社員の紹介がないと入館することはできない。訪れた際も外から写真を撮っていたらセキュリティに追い出された)。Apple Parkはたしかに内部に完璧な世界をつくりあげている。しかし、それが社会にとってなんのためになるのだろう? それは社会を変えるだろうか? もはや格差を象徴する場所になってはいないだろうか?

再び思い出してみれば、かつてのApple Computer社は、最新のテクノロジーを誰にとってもわかりやすく、使いやすく、なにより美しいものとしてデザインした企業だった。テクノロジーによって人々の能力を促進させ、古い社会を破壊し、新たに自由で平等な社会をつくりだす、ある意味ではカウンター・カルチャーの象徴としてApple Computer社は存在していた。実際、安価でわかりやすいパーソナル・コンピュータのiMac、さらには直感的に操作できるスマートフォンiPhoneを生み出した。そのデザインはたしかに世界を変える役割を果たしただろう。しかしながら、現在のAppleはその完璧さを求めるがあまり、50億ドルという歴史上最も高額なオフィスを建設することとなった。美しく完璧な世界をつくること。それは原理的にそれ以外の世界からの隔離を意味する。完璧な世界を求めることは危険なのだ。その逆に例えば、前編で触れたTwitter社は、テンダーロインというサンフランシスコのダウンタウンの治安が悪くて有名な場所にある既存の建物のなかに本社を構えている。訪れるとたしかに周囲には浮浪者がいる。と同時に、新しい店が少しずつでき始めてもいる。Twitterは派手な建築物をつくってはいないが現実的かつ具体的に都市を変えている。ただ、Twitterは新築ではなくリノベーションであり、建築として新しい試みがあるわけではない。では、どうすればフィルターバブルに陥ることなく、オープンで寛容な建築をつくることができるだろうか?

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公開日:2019年01月30日