「パブリック・トイレ×パブリック・キッチンのゆくえ」後半をふりかえって

浅子佳英(建築家、タカバンスタジオ)

早いもので、当初は「パブリック・トイレ」というマニアックなテーマから始まったこの企画も、2年目の今期からは「パブリック・キッチン」が加わり、無事2期が終了した。第2期後半を振り返ってみると、じつに多様な書き手と内容が集まっていることに驚かされる。


まず、「国内トイレ×キッチン・サーベイ」は、岩崎克也氏(「パブリックとトイレをつなぐもの/あるいはその間にあるものを探ること 」)と松本真澄氏(「外出時、高齢者はトイレが心配」)以外のレポートはキッチンにまつわるものになった。ただ、2人のトイレレポートもたいへん興味深い。岩崎氏による、上智学院大学の明るく行き止まりのないトイレと、特別養護老人ホームの身体の不自由度に応じて3種類設けることで、建物全体でユニバーサルデザインを成立させたトイレは、研究を重ねた実務者でないと書けない、具体的かつ未来に向けたレポートだ。また、松本氏による高齢者のトイレのレポートも、高齢者と掃除という、パブリック・スペースを考えるにあたっては重要な点を改めて指摘している。最後に書かれた「トイレットペーパーを流せる小便器、洋式便器と小便器が両方あるトイレブース、丸洗いできるユニットトイレ、あるいは、服を汚さないようにいっそ脱いで使えるトイレ」という提案もまた具体的で、今後を考えると実現が待たれるものばかりである。


キッチンに関しては、いずれもプライバシーとパブリックの関係から再度パブリックについて考えるレポートが多かったように思う。中村健太郎氏(「パブリック・キッチンの、2つめの公共性──入居者向け食堂トーコーキッチンの場合」)による、入居者向け食堂という鍵のかかったガラス張りのスペースは、まさに半公共的なスペースとしてデザインされているし、岡部明子氏(「ゴンジロウ廃屋キッチンで見つけた分かち合いのかたち」)による廃屋をリノベーションしたキッチンも、一方で個人が使用するキッチンでありながら、多数で使える(多数に振る舞える)キッチンとしてデザインされている。伊藤香織氏(「ピクニック──歴史の探究から現代都市での実践へ」)はピクニックの歴史を振り返りつつ、都市生活者が他者と繋がる手法として、現在のピクニックの姿を、実践を交えて紹介している。また、落合正行氏(「街のスタンド──都市住宅を住み開く」)による街のスタンドは、細分化された小さな住宅地のなかで、周囲の人々と適度な距離で関係を築こうとする実践的な提案であり、特に旗竿状の隣地の駐車場とさらにその隣の駐車場を一緒に利用したバーベキューの写真は、どこまでが誰の敷地か判別不可能なほど溶けあっており、壮観だ。福留奈美氏(「作り手と食べ手を育てる『ライブ・キッチン』」)のライブ・キッチンは、レストランの厨房についてのレポートなので、これまでのキッチンとは少し離れるが、オープン・キッチンの最新の姿がレポートされている。そして、オープンであることは、パブリックを考えるうえでも重要なキーワードである。それが、レストランでも重要になってきているというのは興味深い。厨房と飲食スペースの垣根を取り払うというだけでなく、シェフ同士の交流という意味でのオープンも含まれている。

スタンド

《上池台の住宅 いけのうえのスタンド》(2016)。
隣3軒でのバーベキューの様子。スタンドが野菜を洗う場所になったり、隣家の駐車スペースが焼き場や子どもの遊び場に変わる
写真=落合正行

最後に、キッチンとは少し離れるが、岡部氏のレポートのなかに印象に残っている記述があったので紹介したい。それは、廃屋のリノベーションにトリアージと呼ばれる、事故や災害などで多数の患者が出た際に治療の優先度をつける手法が用いられていたことだ。政治理論・思想史家の齋藤純一氏の定義する公共性=パブリックの定義には、上述の「open=誰に対しても開かれている」に加え、「official=国家に関係する公的なもの」と「common=すべての人びとに関係する共通のもの」の3つがある。ただ、誰もが個別の環境で生まれ、育ってきた以上、すべての人々を同時に完全に分け隔てなく扱うことは原理的に不可能である。ただ、現在の社会は、平常時にはその差が可能な限り見えないように設計されている。それこそ、事故や災害時などに表出する。今後、日本では人口減や少子高齢化など厳しい時代がやってくることになる。トリアージという手法をとるべきかどうかについては、判断が分かれるだろうが、重要な視点であることは間違いないように思う。


連載企画の「明日のパブリック・トイレ×パブリック・キッチン」では、三浦展氏(「シェア型社会のパブリック──シェア・ハウスからシェア・タウンへ(前編)」「同(後編)」)によるシェアをテーマとしたレポートと、小野悠氏(「したたかに『生きる』世界のトイレ──ナイロビのスラムから(前編)」「同(後編)」)によるナイロビのスラムのレポートはともに、これまでの両氏の経験がなければ書けない濃密なものだ。前・後編にすることで、より深い議論になっているのでぜひこの機会に読んでほししい。


また、「海外トイレ×キッチン事情」では、ベルリン、ウガンダ、モロッコ、コペンハーゲンのレポートが新たに加わった。第1期と合わせると、すでに32本のレポートが集まったことになる。当初は、海外のトイレはどういうものか知りたいという、半ば素朴な好奇心から始まったこの企画だが、多彩な書き手のおかげもあって、世界のパブリック・トイレとパブリック・キッチンについての濃密なアーカイブになっている。これらのレポートを改めて読んでいて気づかされるのは、グローバル化によってフラットになったと言われて久しいこの世界は、いまだじつに多様であるという当たり前の事実だ。これらの貴重なレポートたちを、ここだけに留めておくのはもったいないので、どこかのタイミングで出版できればと考えている。


「パブリック・トイレ×パブリック・キッチンを提案する」は、板坂留五氏(「想像力のあるトイレ」「『食べる場所』から考える」)、増田信吾氏+大坪克亘氏(「不特定多数のための『キッチン』」「プライベートの先──戻らないトイレ」)、中川エリカ氏(「もしも交差点がパブリック・キッチンになったら」「『パブリック・キッチン』ってなんだろう?」)とどれも興味深いデザインが集まった。いずれの提案も、トイレとキッチンを出発点にしながらも、最終的にパブリックについての新たな提案になっていることは、監修者冥利につきる。特に、大上段に構えるのではなく、各自のある意味で等身大の視点から、現在パブリックが抱えている問題を脱臼するような、新たな視点を持った提案が集まっており、建築家の提案する力は素晴らしいと改めて気づかされた。また、すぐにでも実現できそうな現実的な提案も多く、もし興味がある方がいれば、ぜひ彼らに声をかけてみてほしい。そして、当たり前の話だが、研究者などと比べると建築家のデザイン能力は突出している。第3期でもこの提案企画は継続していきたい。


最後に、インタビュー企画の「パブリック・トイレ×パブリック・キッチンを創造する」では、谷尻誠氏(「ユーザーを“気持ちよく罠にはめる”水まわり──商業の領域からのメッセージ」)、馬場正尊氏(「作品づくりとネットワークを連動する『工作的建築』──未来のパブリック空間を模索する」)、西沢立衛氏(「実験的なプランニングに宿るリビングルーム、キッチン、お風呂の快楽性」)の3氏に話を伺った。どれもインタビュー形式で読みやすい記事なので、まだ読んだことのない読者はまずはここから読んでみてほしい。前半の山本理顕氏(「閾、個室、水まわり──そして未来のコミュニティへ」)も含め、一見すると繋がりのないメンバーだが、この人選は、すべてを読むと内容ともリンクするように設計してある。


そして、西沢立衛氏のインタビューについては、この企画が始まった時から、ずっと実現したいと思っていたインタビューであり、実際その内容もとても深いものになっている。西沢氏から発せられる言葉の一つひとつは平易でわかりやすいものでありながら、その内容はとても深く、時に遠い未来まで飛んでいく。西沢氏は間違いなく、21世紀に生きる最も重要な建築家のひとりだが、その姿を少しでも垣間見れたことは、この企画をやっていて本当に良かったと思った瞬間だった。


すでに少し書いてしまったが、第3期が続くことも決定している。第3期では「パブリック・スペース」を実際に見に行くツアー形式の企画や、公開イベントなど、より立体的な活動にすべく、現在、編集を担当しているスペルプラーツとともに内容を精査しているところである。ぜひ、2019年度の今後の活動にも注目してほしい。

浅子佳英(あさこ・よしひで)

1972年生まれ。建築家、デザイナー。2010年東浩紀とともにコンテクスチュアズ設立、2012年退社。作品=《gray》(2015)、「八戸市新美術館設計案」(共同設計=西澤徹夫)ほか。共著=『TOKYOインテリアツアー』(LIXIL出版、2016)、『B面がA面にかわるとき[増補版]』(鹿島出版会、2016)ほか。

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公開日:2019年06月26日