対談 3

震災復興から学んだこと ── 水まわり、公共、観光

千葉学(建築家)× 塚本由晴(建築家)| 司会:浅子佳英

小さな流通の美学に向けて

浅子

そろそろ終わりの時間が近づいてきたので、会場からのコメントを聞きたいと思います。

会場の様子

会場

今日はとても興味深い話をお聞きすることができました。千葉さんと塚本さんの取り組みは、いずれも建築家として「時間の捉え方」を再考する試みだと思います。より広いスパンで時間を捉えることが重要になりつつある一方で、それは産業に捕われがちなものでもあるという問題がつねにあります。たとえばリノベーションやシェアハウスのプロジェクトも、最初は既存のものを活用していくという話だったのが、次第に産業に捕われ始めているなと感じています。そのなかでこれからの建築家は、大規模ではない小さな流通や産業についてもっと思考していく必要があると思うのですが、このことについてお二人の意見をお聞きしたいです。

塚本

おっしゃる通り、流通の話はたいへん重要です。石山修武さんのかねてからの主張でもあります。小さな流通をつくり出すことは大きな問題に向き合うことにつながるはずで、その問題は最近とくに深刻化しています。わかりやすい実体験として「地域にある森から木を切って使いたい」と言ったら、施工者からは「木材屋が仕入れている外来材をプレカットしたほうが早いし安い」という反応がありました。つまり生産のネットワークが、地域の森林資源へのアクセシビリティの障壁になっている。だから「単に高い・安いの問題ではなく、どんな事物のネットワークをつくるかが問題なんだ」と根気強く説明したところ、協力してもらえることになりました。これはわかりやすく言うと、なりたい自分の像があっても、流通のような社会システムのほうが、「あなたたちはそうはなれない」と言ってくるようなものです。コストや効率の問題と思いきや、じつは産業側にもなりたい自画像、しかも誰の責任でもないような非人称的な自画像があり、それが人々に押し付けられている。それを少しずつ受け入れているうちに、人々もそれに合わせて自画像を組み立ててしまう。だから自画像を疑うところから始めないと、何と、誰と一緒に、どうやって生きるのかという、暮らしのエコロジーを再考することはできないのです。

千葉

復興プロジェクトを通じて感じたことですが、僕としては産業に浸ること自体を問題視するよりも、むしろ産業に取り囲まれるなか、つまり流通や資本の問題を引き受けたうえで、その内側から建築家には何ができるかを考えたほうが建設的なのではないかと思っています。戦う土俵そのものを変えるよりも、土俵を敷き直す感覚を持ったほうが、単に撤退するか否かという二者択一に陥らないのではないでしょうか。

塚本

そもそも二者択一に陥ることなど不可能で、民族誌的連関と産業社会的連関のハイブリッドにしかなれないというのが私の認識です。そこからどんな美意識が出てくるかも議論したいところです。例えばそれまで住宅に使われてこなかった素材を用いた80年代のインダストリアル・ヴァナキュラーは、産業に完全包囲された社会のなかで建築家がなすべきことを提示するひとつの方策であるのと同時に、ある種の美意識の表明でもあったわけです。翻って現代の情報化社会においては、小さな単位でモノをつくる仕組みが登場しはじめ、私たちを包囲する産業のすべてを受け入れる必要のない状況に変わりつつある。だからこそかつてとは異なる美意識があるはずで、それは資源へのアクセシビリティを回復させる建築表現を考えるうえで必要になると思う。

そんななか私が最近興味を持っているのは、今の仕組みではメーカーの保証は切れてしまうけれど、製品を取扱説明書どおりに使うのではなく、少しひねった使い方をすることで、単なるモノとみなすやり方です。ユニバーサルな製品をローカルな事情でカスタマイズするのです。

それから「観光」の文脈では、新旧のモノが異文化交流という名のもとにほぼ同じバリューをもつことも重要です。たとえば牡鹿半島で漁師から過去の話を聞いたり、その片鱗が残っている風景を見たりすることも、海外旅行と同等の異文化交流になる。このあいだ元ジャーナリストの稲垣えみ子さんと対談したのですが(『住宅特集』2017年7月号)、彼女は天野太郎さんが1960年代に設計したアパートに住んでいて、それを「タイムマシン」だと言っていました。つまり60年代の暮らしに触れるという、それも異文化交流なわけです。社会が情報化するということは、そのようなさまざまなバリューの平準化につながっていて、ハイブリッドなものを議論する下地形成期なのだといえます。

千葉

これまでの話にどのくらい結びつくのかはわかりませんが、牡鹿半島では去年ぐらいから少し面白いことが実際に起こりはじめています。萬代基介さんによる鮎川の《おしか番屋》(2016)は、もともと漁師の仕事場として防潮堤の外側につくられた建物で、漁師の人たちが仕事の合間に食事などをする場所です。このような場所を、イベントのときに別の用途で使えないかということでやりとりを続けてきたところ、去年になってこの地の漁師の奥さんたちから漁網を使って編んだミサンガのプレゼントをもらったんです。もともとは自分たちが生業としていた漁業が立ち行かなくなり、弁当屋をはじめる資金源をつくる手始めとして自分たちが使っていた漁網を染め直してミサンガをつくって売り始めたのだそうです。今年は僕たちもそのお返しとして、彼女たちに「ポタリング牡鹿」のための朝食づくりをお願いして、当日にイベント参加者たちが《おしか番屋》でご馳走になるという仕組みを立ち上げました。萬代さんもまるで里帰りした息子のように一緒に弁当をつくってくれました(笑)。

雪化粧の《おしか番屋》
ポタリングの様子

雪化粧の《おしか番屋》(写真=萬代基介建築設計事務所)とポタリングの様子(写真=さとうあきほ)

このように既存の漁網を従来とは違う用途で販売したり、番屋を従来の用途以外の目的で使ったりする状況が生まれつつあることに大きな可能性を感じています。こうして地域の資源、食材、場所に対する新たな価値や流通の回路を地元の人たちが見つけていくきっかけとして観光が定着すれば、建築も、まずハコモノをつくってから使い方を考えるのではなく、ごく自然にその土地に生起する活動にアジャストして進化していくでしょうし、それこそ「トイレをつくりましょう」という話も持ち上がるかもしれません。従来の建築設計は「どのようにつくるか」が議論の中心にありましたが、「そこで何をやるか」という出来事から考えていくことが必要になってくるのではないかと思います。

そのような小さいながらも新たな産業や経済の仕組みを端緒として、今までとは違う流通や資源の使い方を発見し、新しい地域の在り方の発掘につなげていくことを、観光を通じて今後も考えていきたいですね。

塚本

都会から来た人間が地域の資源にアクセスすることは、震災前は既存の市場が機能していたためなかなか難しかったはずです。その意味で千葉さんの今のお話は、地域資源に対する新しいアクセシビリティをつくることだといえます。資源のアクセシビリティをつくりだし、産業がつくっていた障壁を崩し、新しいふるまいや人間関係を生みだすことを今後は「建築」と呼んでもいいのではないかと思う。

そもそも明治以降の日本の社会システムは、パブリックとプライベートにすべてを切り分ける法学的な図式でつくられており、基本的にコモンをなくしていくという思想に基づいていました。一方、エントロピー経済学の考え方からすると、資源そのものと、それに対するアクセシビリティを利用するためのスキルがコモンとしてベースにあるからこそ、パブリックもプライベートも可能になるという考え方です。資源の問題として観光を捉えると、そのようなコモンをいかにして再構築するかという話にもつながるはずです。

浅子

ここ10年ほどで世界各地の観光客数が急増している状況のなか、塚本さんがおっしゃる「ハイブリットなもの」を考えるうえで重要だと思うのが、例えば──下世話な話に聴こえるかもしれませんが──観光客が現地で恋に落ちて結婚することもありえるという話です。極端な話、アメリカ人が観光で北朝鮮に行き、そこで現地の人と恋に落ちて子どもを授かれば、その子どもは文字通りのハイブリッドとしてこの世に生を受けることになる。彼らは両国に戦争してほしくないという気持ちを持つでしょう。じつはそこにこそ観光の可能性があるのではないか。東さんがそのように書いているわけではないのですが、『観光客の哲学』も最後は家族の話で終わります。つまり教科書的なことをなぞるだけで「他者を理解」した気になるのではなく、実際に現地に行って、数日でもその場で生活し、今までつながることのなかった文化圏の人と出会うこと。そして、その幾人かがある確率で家族を持つこと。原理的に出会うことがなければ恋愛することはないし、恋愛は時に、さまざまな文化やルールや障害をも乗り越えて行なわれます。これはあまりに具体的な例ですが、抽象的な意味でもハイブリッドの存在こそが、多様な社会の実現に近づくきっかけになるのではないでしょうか。

というわけで、多様な議論の展開が楽しかった本日の対話を終わりにします。みなさんお越しいただきありがとうございました。

2017年9月12日、LIXIL:GINZAにて

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公開日:2017年10月30日