インタビュー 2

建築家として、生活者として──プログラムとパラダイムの先にあるもの

乾久美子(建築家、乾久美子建築設計事務所) 聞き手:中川エリカ(建築家、中川エリカ建築設計事務所)+浅子佳英(建築家、プリントアンドビルド)

乾久美子氏+中川エリカ氏+浅子佳英氏

浅子佳英氏(左)、中川エリカ氏(中)、乾久美子氏(右)



中間領域の変遷に見るプログラムとパラダイム、そしてアブダクション

中川

本シリーズではこれからの住まいと社会を考察するキーワードのひとつとして、「建築の内外、もしくは建築と街の中間領域」もテーマに据えているのですが、乾さんの場合は、お母さまのご実家の農家のように、土間や軒先といったかたちで中間領域を体感されていますね。

「京都市立芸術大学」設計案(乾・RING・フジワラボ・o+h・吉村設計共同体)でも分棟の間を開放性の高いゾーンにされていらっしゃいます。日本建築特有の中間領域をどう現代的に読み解くか、興味のあるところです。

中間領域には、空間的・機能的な面と制度、すなわち公私をいかに解釈するかという2つの視座がありますが、中川さんがおっしゃっているのは前者ですね。まず空間的な話で言えば、たとえば軒下などは身体感覚としても認識しやすいですし、建物のメンテナンスなど機能的な面でも、あるとうれしいものですよね。

そうした空間的なものに興味を覚える一方で、私は中間領域を制度面から考えることも大切だなと思っています。私はここ数年「小さな風景」と称して、住まい手の活動や設計する敷地周辺で出会ったもの、日々の暮らしでハッとしたささやかなものなどを採集し続けているのですが、そのほとんどが中間領域に属するものなのです。たとえば近所の人たちが寄り合ってゴミ置場をものすごくきれいに組み立ててつくったとか、パブリックスペースだけれども私有化されているような場所だとか。そうしたところからヒントを得て、中間領域としてのコモンズのあり方を考えています。

また都市計画の範疇においては、中間領域は法制度と絡んだきわめて実践的な話になります。最近は制度の新設が顕著で、例えば、道路法等が改正されて生まれた「歩行者利便増進道路(ほこみち)」はその一例ですが、歩道にカフェやベンチを置いて滞留できる空間をつくるとか、道路空間を街の活性化に利用するなど、これまででは考えられなかった制度が生まれていっています。

京都市立芸術大学

京都市立芸術大学

京都市立芸術大学C地区芸大通りの様子
提供=京都市立芸術大学及び京都市立銅駝美術工芸高等学校移転整備工事 乾・RING・フジワラボ・o+h・吉村設計共同体

浅子

社会は制度設計なくしては動かないことはわかりますが、それが建築家側からの発信ではないことには不満を覚えています。建築家が中間領域は気持ちいいから設計に取り入れようとしても、どこかで社会という視点を欠いているもどかしさがあって。本来はもっと議論されるべきテーマですよね。

制度の発足は脱法的な試みがスタート地点にあることが多いのですが、それは、制度の問題が建築にかかわることを考えるヒントになるかもしれません。道路での滞留時間を長くするという制度は、先に制度があったわけではなく、誰かが法など気にせず滲み出しをやり始めるわけです。その後、そうした行為なり設計なりが、意外と街全体に良い効果を生んでいることがわかって制度化されるという流れがあるのです。少々乱暴な言い方ですが、制度設計は、脱法をいかに認めるかということと同義的とも言えるかなと思うのです。道路だけではなく福祉施設などでも同様です。障害者支援法と介護法の違い乗り越えて、知的障害者と高齢者が集まるような場づくりが、とある法人の脱法的な活動から生まれて、法制度化されたりしています。制度設計は現実の後追いであることのほうが多いこと、その先に実践者いるということは、その実践者と付き合うかもしれない建築家としては、知っておいていいことかなと思います。

中川

ところで、空間としての中間領域について言えば、最近、学生さんが大学の課題で設計する建築に、土間や縁側という中間領域が非常に多い傾向があるんです。

たしかに! 多いですよね。

中川

私は、学生がつくるプランの傾向の移り変わりは、いいか悪いかは別にして、その時代の空気をダイレクトに反映しているのではないかと考えています。たとえば私が学生の頃、2000年代は、土間と縁側という空間の質よりは、カフェとギャラリーというどうとでも使える場所の名前が席巻していました。当時はプログラム限界説とでもいうべきか、何らかのプログラムを設定しても時間が経てば限界を迎えて、限界以降は何に使われるかわからない。だったら、あらかじめ何にでも使えるような多目的な空間をカフェやギャラリーと称して設けよう、という風潮があったんですね。それが世代が変わって、今や土間と縁側という場所の名前を超えた中間的な場の質になっている。いずれにせよ中間領域への渇望が感じられると言えないでしょうか。

浅子

中川さんがおっしゃった中間領域の変遷を辿ると、建築家がプログラムやプランニングをどのように捉えていたかということを如実に示しているとも言えます。僕が建築を学んでいた1990年代はプログラムへの強い希求があり、そこでどのような活動が営まれてどのような空間が必要とされるかということが盛んに議論されていた。ある意味、図式的なプランが多かったのも、プログラム志向とリンクしていたからでしょう。そして今振り返ると、旧態依然として変わらない建築をプログラムという新たな手段で変えようという部分もあったと思うのです。

その後、中川さんが学生だった2000年代は、プログラムから逃避するような自由な空間が求められ、カフェ・ギャラリーはその象徴でもあった。2010年代になるとそれすらなくなってどこかで懐かしさへの渇望なのか、土間・縁側が求められるようになる。こうしたプログラムやプランにおける変遷を乾さんはどのようにご覧になりますでしょうか。

たしかに1990年のプラン重視の風潮や図式的プランは何だったのか、私自身も、もやもやするときがあります。それを解く最近みつけたヒントが、北山恒さんの著作『未来都市はムラに近似する』(彰国社、2021)のなかで取り上げられている論説です。「都市デザインの作法」という節にある、コーリン・ロウの「プログラム対パラダイム」なのですが、コーリン・ロウは建築のつくり方をプログラム的な手法とパラダイム的な手法に分類しており、前者が機能性・合理性に基づく操作であるのに対し、後者は演繹的、正確には「何かに従事する集団に対し雛形となる問題とその解決方法を当面のあいだ提供する根拠」と定義しています。そしてコーリン・ロウはそのどちらも否定して第3の方法を示唆するのですが、ともあれ、90年代の図式的なプランは日本においてはプログラム建築と呼ばれたものは、プログラムに仮託しつつも、プログラムそのものを100%信じているわけでもなく、じつはパラダイム的だったのかなと思いました。

そして2000年代の縮退の時代に入っていくと、日本ではまちづくりにとっての建築の役割を問うことが多くなり、建築のプログラムそのものを真剣に問う必要がでてきました。そもそも音楽ホールのようなプログラムを体現する建築って街にとって必要なんだろうか、美術館は街に対して何ができるんだろうか、ということを考えないと、建築を構想することすら難しくなったのかなと思います。つまりプログラムそのものでも、パラダイムのような形さえあればいいというものでもなく、本当に使えるもの社会的に要請される時代に入ったと思います。

ちなみにコーリン・ロウが示唆した第3の方法は、「計画案なきプログラム」というもので、これは今で言うところの「アブダクション」という仮説的な手法に近いのかと、私は解釈しています。本当に必要なものとはいっても、それはあらかじめどういうものかがわかっているわけでもないので、一種の仮説を立ち上げなくてはいけない、そういうつくり方を時代は求めていると思うのですが、そうした状況になることを、コーリン・ロウが予言していたのかなと、勝手に妄想しています。

浅子

例に挙げられた音楽ホールは、プログラムや機能から離れて自由に設計することが特に難しいビルディングタイプですよね。日本は純粋な音楽ホールやオペラハウスは少なく、それらを併用した多目的ホールが多いのですが、空間のつくり方がそれこそプログラム的というか、管理も含めて旧弊なところがあると思うんです。ここが変わってくると、社会や公共建築のあり方に何か風穴を開けられるような気がしています。

中川

音楽ホールは音響から規模や形状が決まってしまい、設備も絡むので、踏み込みにくい建築のひとつですよね。快適さ・合理性と空間のサイズの関係に物理的な正解がある。演目の内容に応じた変則的な使い方ができるような、何も機能をもたないがらんどう的な──いわばアブダクション的な手法で設計するのは難しいですよね。

ホールを思いがけない形にしてみる、何にでも使える形にしてみる、ホールとしてみなす、というのはまだパラダイム的なのかと思います。

音楽ホールは特に難しい相手だと思いますが、私はハンス・シャロウンの《ヴォルフスブルクの劇場》(ドイツ、1973)のようなものには可能性があると思っています。ホールの外にホワイエがあるという既成概念を崩して、ホールのなかに幕間の余韻を楽しめるスペースがあるんですが、あのような空間や機能のあり方を見ると、まだ音楽ホールにもやれることは考えられると思います。

浅子

ヴォルフスブルクの劇場は僕も大好きです。乾さんが言うように、幕間に歓談している様子や、公園に隣接した楽屋の気持ち良さなどがプランを見ているだけでも目の前に浮かんでくる、想像を掻き立てられるプランですよね。

音楽ホールは演奏だけではなく、ホールを中心にさまざまな出来事が生まれていますよね。そうしたものを一連のストーリーとして仮説を立ち上げていくことが大切なのかなと思っていて。それがプログラムでもパラダイムでもないということなのかもしれません。また、浅子さんの《八戸市美術館》では、「ジャイアント・ルーム」という、これまでにない名前の部屋をつくっています。プログラムを表すわけでもないような、それでいて可能性を感じるような名前をつけることは、これまでにない新しい建築の立ち上げ方なのかと思います。これも一種のアブダクションなのではないでしょうか。

中川

かつてはビルディングタイプや解決すべき問題など、明確な指針・目的のもとに設計ができたわけですが、今はそこすらおぼつかず、建築家は使い方もデザインしなければなりません。私の世代はカフェ・ギャラリーといった多目的空間の席巻を学生時代に経験していることもあって、もはやビルディングタイプはなきものと捉えている風潮があるように思います。

建築は多様性をいかに受け止めるのか

浅子

正直、当時は地味な展示だと思っていたのですが、今振り返ってみると、乾さんの展覧会「小さな風景からの学び」(乾久美子+東京藝術大学乾久美子研究室、TOTOギャラリー・間、2014)が与えた影響はとても大きかったなと思います。通常なら建築家は、作品展として自作の写真や模型を展示したりインスタレーションをするのですが、乾さんは都市のリサーチの研究成果として2,000枚もの「小さな風景」の写真を展示した。これを機に、建築界ではあらためてリサーチと設計が重要視される流れが生まれることになる。一方で、単なるリサーチでは街の風景をつくっている制度や規律を強化してしまう、という指摘もあります。こうした意見についてはどうお考えですか?

リサーチで得られる街のタイポロジーをそのまま信じてよいのか、という問題提起は、ご指摘の通りだと思います。リサーチはあくまでリサーチで、問われるべきは、その結果をいかに使うかということではないでしょうか。もちろん街並みを壊すような建物をつくることは避けたいので周辺の風景や文脈を調べるというところが出発点なのですが、新しく建築をつくる以上、何らかのかたちで新しい要求が入ってくるものです。その要求は現状に問題があるからこそ生まれてくるものなので、規律を取り込みながらも、新しい挑戦をするモーメントは必ずもっていなければならないと思っています。ただ実際には、多くの街で活力が失われたてきていたり、これまでの規律にほころびが生じており、そこにある規律だけでつくることに現実性が失われていることもあります。そうしたなかでは、どこかを新しくせざるをえないという状況もあるのではないでしょうか。

浅子

新しい挑戦は必用だという言葉を乾さんから改めて聞けて、とても満足です。最後にまったくトピックスが異なりますが、パブリックトイレについて乾さんのご意見を伺えたらと思います。本シリーズを遡れば、まずは身近なところからと、4年前にパブリックトイレからスタートした経緯があるのですが、最近、パブリックトイレの設計に長年携わってこられた、小林純子さん(設計事務所ゴンドラ)にお話を伺ったんです。

小林さんは、女性が衛生面や安全面に不安を抱いていた男女共用の公衆トイレの改善に努めてこられたのですが、最近、海外のLGBT向けのトイレのプランニングに意見を求められ、それが、個室が1列にずらっと単に並んでいるプランだったそうです。小林さんから見ると、女性のトイレを安全で清潔にするために苦心されていたのに、すべてリセットされている。なので、多様性を尊ぶことがはたして全員の幸せにつながるのか、これは非常に悩ましい問題だと思っています。

小林さんのことは存じ上げていて、《延岡駅周辺整備プロジェクト》でもトイレをデザインしてくださっているわけですが、今の小林さんのお話は非常にセンシティブで難しいですね。 ロンドンにある現代美術家のダミアン・ハーストのギャラリーのトイレが、まさにそのような感じでしたね。授乳スペースが設置されていたり、車椅子に対応しているけれども、1列に並んだトイレは男女兼用で、扉には男女両方のピクトグラムが描かれていました。

《延岡駅周辺整備プロジェクト》トイレ施工図

《延岡駅周辺整備プロジェクト》トイレ施工図(設計=設計事務所ゴンドラ)
提供=上田工業

浅子

小林さんのお話によると、男女共用のパブリックトイレのアンケートをとったところ、不快感を示して要望を出すのは、9割9分が女性だそうです。これを聞いて僕はおおいに反省するものがあって、たとえ男にとっては機能的で不満のないトイレであっても、女性にとっては不衛生で危険な場所という、女性への配慮を欠いたまったく別の視点で空間を見ていたということです。パブリックトイレに限らずこうした問題は日常のそこらじゅうにはびこっていて、たとえば家事分担にしても、男性はやっているつもりでも、女性にしてみれば、まったくなっていないという話もよく聞きます。

不平等を是正することは重要だと思う一方で、性差をキャンセルしてすべてを平等にすることが、社会全体の幸福につながるものなのか。女性と男性では身体の生理的な働きも異なりますし、違うことを認めたうえで、皆が幸せになれるやり方はないものか。パブリックトイレはその象徴のような気がするのです。

中川

ダミアン・ハーストのギャラリーのトイレでは男女両方のピクトグラムが示されていますが、トイレは利用者の個別のニーズにていねいに対応しようとすればするほど、ピクトグラムが増殖していきます。男と女、LGBT、車椅子、授乳コーナー、オムツ替え、ベビーカー置き場、更衣室など、増えれば増えるほど、便利になっているはずが、当事者にとってわかりにくいものになっていく……。従来の機能に対してすべて1対1対応の場所を与えると手のつけようのない複雑な複合空間になりかねないし、やがて限界を迎えてしまう。ホスピタリティとしてはかえって貧困にもなってしまう。多様性に対する新たな対応方法が必要なのでしょうね。

トイレとジェンダーの平等性の話を聞いていて、村上春樹の『海辺のカフカ』(新潮社、2002)を思い出しました。主人公のカフカ少年が通う図書館に2人のフェミニストがやってきて、図書館の男女兼用トイレであることだったかな、とにかく、トイレのあり方が女性のことを考えていないといってクレームをつけるんですね。それに対して司書である大島さんという登場人物が、問題ないといって押し問答になるのです。結果として、大島さんが、自分の体は女性だけれども意識は男性であるトランスジェンダーであり、さらに男性に対して性的嗜好を抱くというようなことを言ってフェミニストの2人を黙らせるのです。そして、フェミニストたちが去った後で、本当に怖いのは「想像力を欠いた狭量さ、非寛容さ、硬直したシステム」だと、カフカ少年に言うんですね。

今すぐに明解な答えは出せませんが、LGBTという共通仕様をつくっても、中川さんの指摘のように永遠に細分化された共通スペックをつくり続けることになってしまうので、意味はないのではないかと思います。そんなことより、大島さんのように、トイレを用意する側の意思が見えることのほうが、大切なような気がしますが……。

浅子

なるほど。ただ私設の美術館や図書館ならオーナーの意思が示せるかもしれませんが、顔の見えない、ある意味で公のものである公衆トイレはどうすればいいのか。小林さんによると、パブリックトイレの整備は憲法第25条により、国が公衆衛生の向上につとめなければならないことにも起因しているとのことだったのですが、ジェンダーに対応するのは国なのか、自治体なのか、あるいは事業主となるのか、そこもモヤモヤしているところなんです。

公共というものが、顔が見えない人が管理することの限界を示しているようにも思えます。大規模な公共施設でも指定管理者制度などで、もう少し柔軟なシステムがつくられるようになってきているわけですし、パブリックトイレも管理する顔が見えているほうが課題に応えられるのかもしれませんね。

浅子

以前からショッピングモールの研究を続けているのですが、民間で事業者がいるけれど、結果的に公共財になっているというものに可能性を感じているんだなと改めて気づかされました。

もうひとつ、メインテナンスもキーワードになると思っています。メディアで扱われる建築は、時として、清潔で使い勝手がよいという普通のことから離れがちで、竣工写真を撮る時がベスト、とみなすビジュアル重視の風潮もありますよね。けれども建築は何十年と長いスパンで使われるものですし、パブリックトイレの改修維持費って相当な額になるので、数十年使い続けなければならないんです。建築家がメインテナンス会社と最初からタッグを組み、メインテナンスすることを組み込んだ設計にするというのも、ひとつの手としてあるのかもしれないと小林さんはおっしゃっていました。

メインテナンスという言葉は、パブリックトイレに限った話ではなく、これからの社会において、いっそう大切な意味をもつと思いながら今のお話を聞いていました。今日はコロナで話がスタートしましたが、コロナ禍では、テレワークがある程度普及して自宅で過ごす時間が増えたことにより、精神と肉体のメンテナンスがないがしろにされていたことが浮き彫りにされたようなところがあります。建築も人も、メインテナンスが大切だと言える世の中に変わりつつあるということなんでしょうかね。

中川

メンテナンスを前提とした設計を突き詰めることは、建築のモノとしての側面だけでなく、時間としての側面を扱うことにつながります。そのことが、ひいては建築における美しさの概念も変えていくのかもしれません。あらかじめ美しいのではなく、メンテナンスをすることによって美しくなる、とか、美しさを重ねられることこそ合理的、という建築が生まれてくるかもしれません。これまでは美しいとみなされてこなかった美しさの発見ともいうのかな。現代における建築の美しさとは何かについて、このシリーズで、ぜひまた近いうちに議論してみたいと思います。ありがとうございました。




[2021年8月2日、乾久美子建築設計事務所にて]



乾久美子(いぬい・くみこ)

1969年生まれ。建築家。乾久美子建築設計事務所主宰。横浜国立大学大学院Y-GSA教授。主な作品=《みずのき美術館》(2012)、《品川区立障害児者総合支援施設》(2019)、《厳島港宮島口旅客ターミナル》(2020)など。2012年、第13回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展日本館「ここに、建築は、可能か」(伊東豊雄、藤本壮介、平田晃久、畠山直哉と協働)にて金獅子賞受賞。主な著書=『建築をそっとおいてみると』(LIXIL出版、2008)、乾久美子+東京藝術大学乾久美子研究室『小さな風景からの学び』(TOTO出版、2014)、『Inui Architects 乾久美子建築設計事務所の仕事』(LIXIL出版、2019)ほか。

中川エリカ(なかがわ・えりか)

1983年生まれ。建築家。中川エリカ建築設計事務所代表。2007?14年オンデザイン勤務。2014年中川エリカ建築設計事務所設立。主な作品=《ヨコハマアパートメント》(2009)、《コーポラティブガーデン》(2015、以上オンデザインと共同設計)、《株式会社ライゾマティクス オフィス 2015-2019》(2015)、《桃山ハウス》(2016)ほか。著書=『中川エリカ 建築スタディ集 2007-2020』(TOTO出版、2021)。

浅子佳英(あさこ・よしひで)

1972年生まれ。建築家、ライター。2010年東浩紀とともにコンテクスチュアズ設立、2012年退社。2021年出版社機能を持った設計事務所PRINT&BUILD設立。作品=《gray》(2015)、《八戸市美術館》(2021)(共同設計=西澤徹夫)ほか。共著=『TOKYOインテリアツアー』(LIXIL出版、2016)。

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公開日:2021年09月22日