海外トイレ事情 25
先入観で見えなかったもの ── ロサンゼルスのトイレ
堀井義博(建築家、AL建築設計事務所)
たまたま約1年間、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス市内(以下LA)で生活することになった人間による、LAのパブリック・トイレに関する話です。
そんなに多くはないけど、これまでの人生で各国の街を訪問したことがある私の中には、日本の外で日本の公衆トイレと同等な清潔さや利便性を求めるのはほぼ無意味であり望み薄であるという、ある種の諦観が形成されていた。この諦観は、その中でも比較的マシだと言えるスイスのチューリヒに1年半住んだ後にもあまり変化することはなかった。確かにチューリヒはまだ良かった。有料のことも多かったが、チューリヒには清潔な公衆トイレが確かにあったから…(★1)。しかし、チューリヒからちょっと外に出て、例えば同じスイス国内でもイタリア語圏の街に行くと状況が極端に悪化するということがしばしばあった。時には言葉ではとても言い表せないような状態の公衆トイレに遭遇したこともある。ロカルノ、本当にいい街だったんだけどなぁ…スイス国内で一番好きな街かもしれないのに…(泪)。
そういう経験がいくつか重なった結果、私の中では、先に書いたような諦観が既に確立してしまっていて、人生で初めて来ることになったLAなんかで公衆トイレが綺麗だなんてあるワケないよなぁ…きっとサイアクなんだろなぁ…などと予防線が張られていた。というのも「ダーティハリー(1971)」とか「ターミネーター(1984)」とか「ダイ・ハード(1988)」みたいな、主として70〜80年代の犯罪映画やSFアクション映画なんかを観て育った私の中では、カリフォルニア州=アメリカ西海岸という土地の先入観はロクなものではなかったからだ。すなわち、私の中で形成されていたLA像というのは、交通渋滞による大気汚染の街、貧困と犯罪と暴力の街、それと相反するような能天気さと妙な楽観主義とが同居したある種のディストピアという感じだった(★2)。
また、ネットで流れている一部の情報だけを見ていると、この街では暴動が「しょっちゅう」起こり、略奪や破壊行為が「そこかしこで」発生していて、ホームレスや麻薬中毒患者が「そこらじゅうに」徘徊している…そういう切り取り方がされているような印象を受ける。それらはそういう個別の事実があるから「切り取られ」てるワケだが、これらの「切り取り」が先の先入観と相まってディストピア像が具体化されるような気がしていた。そしてディストピアのパブリック・トイレが清潔なはずがないのである。
ただ当たり前の話なんだけど、べつに社会の全体がそんな風に荒んでいるとか、社会がそれらの暴力や悪で支配されているとかいうワケではなく、ほとんどの大多数の人々は普通に生活しているワケです。ネット社会というのは、とかくものごとを針小棒大に言いすぎる/見せすぎる/見えすぎる傾向があるように思います。
既にイントロが長くなりすぎた気がするので、結論まで一気に飛ぼうと思いますが、こういった先入観と諦観は基本的に無意味であり、単なる杞憂であったことが既に判明しています。ロサンゼルスよ、すまぬ。本当にすまぬ!深く反省しています。
で、パブリック・トイレの話です。
繰り返しになるけれど、私には、良からぬ固定観念と、それに基づく諦めが先行してあった。でもそれはいい具合に裏切られた。日本ほどの清潔さ…はないかも知れないが、まずもって、こちらのトイレは断然広いのである。量は質に転化されるという言い方がいろんな分野でなされることがあるが、大きさ/広さというのはしばしば質に転化されるのではないかと思う。具体的に考えてみよう。不特定多数が利用するトイレである以上はどうしても汚れが発生する。女子用には入ったことがないので、あくまで男子用だけを利用した範囲での推論だけど、男子用だとどうしても飛沫があるワケですが、これ、トイレそのものの面積が大きいと、相対的に飛沫は「減る」のです。これは大真面目に書いているつもりなのですが、飛沫の量はさして違わないため、けっきょく、トイレが広ければその分だけ飛沫が汚す範囲が相対的に「狭まる」のです。男子トイレの小便器まわりに尿がこぼれているのは日本でも同じで、狭い日本のトイレで見るそれと、だだっ広いこちらのトイレで見るそれとでは、こちらで見る方が相対的に「少ない」。あくまで真面目に書いてますよ。広さは正義なのだと感じます。
個室ブースもそうです。こちらの公衆トイレの個室ブースは、日本の公衆トイレの個室ブースほど細かい装備が満載ということはないものの必要十分な装備は備えているし、日本で言うところの多機能トイレに限らず、一般的な男子用トイレの個室ブースでさえ、車椅子使用者が利用できる程度の十分な広さがあるように思います(手すり等が無い場合もあるので、実際には車椅子の方の利用は現実的でない場合が多いですが、あくまで広さの比較)。ADA 米国障害者法(★3)で規定された具体的な寸法基準などを調べると、数字の上では日本の基準とあまり違わないように見えますが、現実に施工されているブースの寸法は断然大きい。これはおそらく、日本では基準寸法のギリギリを狙って空間を切り詰めて設計する傾向があるのに対し、こちらはそうではないからだろうと思われます。特に個室ブースが並んだ一番奥のブースなんかは、通路部分が加算されることになるため、3m x 4m くらいの広さになっていることが多いです。マジです。
もう一つの空間的な特徴は、ブースのアンダーカットが大きいことです。日本人の感覚からすれば、一瞬「こんなのブース丸見えじゃん!」と思うほどです(実際にはわざわざ覗き込まない限りは見えないので丸見えというほどではありません)。これは車椅子を利用する人の足先が当たらないようにするためらしく、最低でも9インチ(=228.6mm)とされていて、現実のトイレブースのアンダーカットは300mmくらい取ってあることも多い。これもまた、法定寸法のギリギリを狙う傾向がない。どうも、決められた基準寸法のギリギリスレスレを狙う日本人の傾向は貧乏くさいというか、基準さえ満たしゃいいんでしょ!的な不遜さというか、そもそも基準寸法というものが何のために設定されているのか、その精神を無視したただのゲームになってしまっている気がします。
LAに限らず、いまのところ、アメリカ国内で便座の無い便器に出会ったことはありません。冗談で書いているのではなく、これは別の国に行くとしばしばあるのです。便座が無く、もちろん蓋も無く、ただポツンと便器だけが設置されていることがしばしばあるんです。一体どうやって用を足せと言うんでしょう?そんなところに座れませんよね…っていうか、百歩譲ってそれが自宅のプライベートなものだったとして、そこに座ったらお尻が便器にハマってしまいます。フツーに考えて無理ですよね。でも、どの国どの街とは言いませんが、実在するのです 。ハッキリ言って怖いです。
で、LA市内でそういうトイレに出会ったことはありませんし、アメリカ国内の他の都市でも今の所そういう状況に遭遇したことはありません(ホッ)。アメリカ国内で典型的に困るポイントがあるとしたら、それは紙です(キッパリ)。日本のものと比べると確実にゴワゴワしていますし、かつ、どういうワケか、一般的にロールの幅が狭いです。何故だ!!日本と比べて何もかもが膨張ぎみにデカいこの世界にあって、何故そこだけ小さいんだ!!!
さて。
外出中にトイレで本当に困った時には、マクドナルドやスターバックスなど大手の飲食店チェーン、TARGETなどの生活雑貨量販店などを中心に、その店で消費しない客であっても、ほとんどの場合に「トイレを貸して下さい」と言えば気楽に貸してもらえることが多いと感じます。マナーとしてあまり良くないとは思いますが、背に腹は代えられない緊急事態というのも現実にはあります。日本だと、客ではない来訪者に対して店側が気安くトイレを貸すような習慣は、遥か昔のいにしえの時代に消滅してしまった(★4 )気がしますが、こちらにはまだあります。この差が発生する理由は、日本では現場の従業員たちが経営者の立場を代理する(=店側に付く)傾向があり、こちらでは客の立場を代理する(=客側に付く)傾向があるということじゃないかと思います。労働者は経営者の考えや立場を代弁したりしない、とでも言いますか…。
それはそうと、再び最初の先入観の話に戻るのですが、どうせ LA の人たちはトイレで用を足した後には手も洗わないんだろう、などと勝手な先入観を抱いてたのですが、現実は全く逆に、かなり入念に洗浄する人がとても多い事実に驚いています。これはコロナ禍が彼らをそうさせたのか、もっと以前から清潔好きだったのか私には分かりませんが、洗面所に設置された石鹸を使って入念に手を洗う人が多いです。この事実は、用を足したあとに多くの人が手を洗うには洗うが、あくまで水洗いするだけの人が多い日本の状況に比べると、遥かに「几帳面」で「清潔好き」であるように見えます。もちろん全員が全員そうやっているとは言えないんですが、とにかく、とても多くの人が非常に入念に自分の手を洗浄している場面を頻繁に目撃するので、私は驚いています。その結果、私自身も彼らを真似て石鹸で入念に洗うことが増えました(笑)。来る前には予想だにしなかった、ナゾなLAっ子ナイズが進行中なのであります。
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公開日:2024年12月24日