帝国ホテル 東京本館"孔雀の間"のディテール
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1923年竣工した帝国ホテル旧本館は設計者がアメリカの建築家フランク・ロイド・ライトであることから"ライト館"と称されました。帝国ホテル旧本館のために彼が建築材料として用いたスクラッチ煉瓦(スダレ煉瓦)、テラコッタなどの製造は愛知県常滑市に設立した帝国ホテル煉瓦製作所(帝国ホテル直営)が担当し、その技術顧問には寺内信一や伊奈長三郎(大正13年に伊奈製陶(株)を創業)が迎えられました。 そして建設工事のテラコッタ装飾、施工には多くの時間と大変な労力を要しました。フランク・ロイド・ライトが設計した数少ない日本における建築物のひとつ帝国ホテル旧本館は現在、エントランスの一部が愛知県犬山市明治村に移築されています。ライトが設計した帝国ホテル旧本館のスクラッチ煉瓦(スダレ煉瓦)、テラコッタはINAXが再現したものを、"帝国ホテル 東京"の宴会場『孔雀の間』で見ることができます。
帝国ホテルの概要
帝国ホテルは1890年(明治23年)、海外から重要な賓客を迎える「日本の迎賓館」としての役割を果たすべく開業しました。新たに1923年(大正12年)竣工した旧本館は当時、帝国ホテルの支配人であった林愛作が、以前面識のあったフランク・ロイド・ライトに設計を依頼をした二代目の建物で、"ライト館"と呼ばれていました。建物は構造が複雑で詳細部のディテールは非常に緻密で装飾的でした。素材として大谷石やレンガタイル、テラコッタが外装、内装にふんだんに使用され、日本的な様式も感じさせる建物でした。1919年9月に着工し、4年の歳月を要し竣工しました。この旧本館は、鉄筋コンクリート及び煉瓦コンク リート構造の地上5階(一部)、地下1階、延床面積1万535坪、客室270室のホテルでした。(写真1)(写真2)(写真3)
旧帝国ホテル全景
写真1
旧帝国ホテル全景

エントランス
写真2
エントランス
正面玄関
写真3
正面玄関
テラコッタの概要
1970年に竣工した本館は、新しい建築思想の元で設計され、フランク・ロイド・ライトのデザインしたテラコッタは使われることはありませんでした。その後1983年に実施された"孔雀の間"の大改修では、ライトの流れを汲むことが設計の基本となりました。ここに納められたテラコッタは、大きく二つに分けることができます。ひとつは通常の粘土が主体の土色のテラコッタで、もう一つは耐火性を高めたるために粘土とアルミナを原料とし、大谷石を模したテラコッタです。土色のテラコッタには帝国ホテルの平面図を図案化したとも言われる透かしの入ったデザインのもののほか、合計6、7種類のものが制作されました。もう一方のテラコッタは、ライトの設計では大谷石を削りだしたものです。これを耐火性や耐久性に優れたやきものでつくることにしたもので、約30種類にものぼる多くの形状のテラコッタが製作されました。これらのテラコッタの成形にあたっては、圧力鋳込みという現代の新しい製法が駆使されて、継ぎ目のない一体成形が可能となり、見栄えが格段に向上しています。また寸法精度も原料にシャモットや耐火度の高いものを利用することによって成形寸法から焼成後寸法まで通常の約半分の5.5%の収縮に抑えることに成功しました。同改修では、テラコッタのほかにスクラッチタイルも復元されています。使われたテラコッタと同様に、直線が基調になっています。(写真4)(写真5)(写真6)


基本設計/山下設計 実施設計/清水建設
東京都千代田区内幸町1-1-1
1989年(平成元年)新装オープン
帝国ホテル 東京 ”孔雀の間”全景 帝国ホテル 東京 ”孔雀の間”全景 写真4
帝国ホテル 東京 "孔雀の間"全景
”孔雀の間”タイルとレリーフとテラコッタの内壁 ”孔雀の間”タイルとレリーフとテラコッタの内壁 写真5
"孔雀の間"タイルとレリーフとテラコッタの内壁
透かしテラコッタのディテール 透かしテラコッタのディテール 写真6
透かしテラコッタのディテール
成形
成形は、高濃度の泥漿(でいしょう):粘土原料等を水で溶解し たものにシャモット(陶磁器を粉砕したもの)を固形分比で、約30%と大量に混ぜたものを石膏型に流し込む圧力鋳込み方法が採用されています。泥漿の水分はこの圧力により石膏型をとおして外部に排出されます。石膏型は上型と下型があり、脱型の時の抵抗で変形や切れを生じさせないために型の一部は数個の駒を組んで一つの形を形成します。一般に、大型のテラコッタは、窯に入れた焼く上での制約あるいは一方向に脱型できない入り組んだ形状のために、小さい部材に分解して焼成後接着するという手法がとられますが、ここではできるだけ一体成形を採用しています。 軟らかい粘土を石膏型に押し付けるいわゆる型押しと比べて、泥漿を使うために各部位が均一に充填されていくため変形などは起こりにくいが、脱型がスムーズにいかないとそれが原因で亀裂を生じることがあるのですが、脱型に配慮した型作りのノウハウが活かされ、どのテラコッタも狙ったとおりのシャープなラインや角度がきれいに再現されています。なお、このテラコッタ成形に使われる石膏型による鋳込みは、衛生陶器のような中空の素地を形成するものではなく、完全充填されたものです。(写真7)(写真8)
透かしテラコッタの成形工程
写真7
透かしテラコッタの成形工程

透かしテラコッタの成形工程
1923年竣工の旧帝国ホテルに使用された透かしテラコッタ
”孔雀の間”改修用のテラコッタのモックアップ
写真8
"孔雀の間"改修用のテラコッタのモックアップ
表面処理
大谷石をやきもので再現するために、様々な工夫がされています。成形して乾燥した素地の表面を、たわしで擦って小さな粗めの砂粒などをはじき出したり、酸洗いをして石灰粒などを溶かしだすなどの工夫をして、「ミソ」と呼ばれる大谷石独特の虫食いを表現しています。また、石をカットしたときの断面のシャープさを出すために、表面の微粒分の洗い出しも行なわれています。また、飲食物がこぼれても汚れないように撥水系の樹脂コーティングが施されています。(写真9)
”孔雀の間”改修用のテラコッタ:大谷石を”やきもの”で表現 ”孔雀の間”改修用のテラコッタ:大谷石を”やきもの”で表現 写真9
"孔雀の間"改修用のテラコッタ:
大谷石を"やきもの"で表現
寸法・色・吸水率
透かしテラコッタの寸法は、新しく改装した柱型への納まりという設計の意向を考慮して制作寸法が決められた結果、ライトの設計時より若干小さめに制作されています。また、色合いもあらためて様々な試作品の中からオリジナルよりも赤味のある色で決定されました。大谷石に相当するテラコッタの色は大谷石の再現というよりは、新しい素材でという意味合いから今回はやや赤味のある灰色という独自の色決めがなされています。焼成温度は一般的な1200℃前後で、土色のものは約2%の吸水率、灰色のものは約7%の吸水率を示します。(写真10)
石の彫刻のディテール 石の彫刻のディテール 写真10
"孔雀の間"改修用のテラコッタ3種と製品図
”孔雀の間”タイルとレリーフとテラコッタの内壁 ”孔雀の間”タイルとレリーフとテラコッタの内壁
部材取付
工場で制作された種々のテラコッタ部材を、現地で効率よく組み上げるために、例えば柱型だと同じデザインのものを何段にも重ねていくために、その1段分をL字型のステンレス板にボルトや接着剤、番線などであらかじめ固定して組み込んだものを出荷し、施工現場ではそのセット品を1段ずつ積み上げて仕上げるという方法が取られました。モルタルを使わないいわゆる乾式施工です。(写真11)
石の彫刻のディテール 石の彫刻のディテール 写真11
テラコッタの取り付け
■帝国ホテル建造物関係略歴(参考資料「帝国ホテル百年の歩み」)
1890年(明治23年)11月3日 帝国ホテル開業(設計:チーツェ、メンツ・・・ドイツ人)
1906年(明治39年)8月31日 別館竣工
1923年(大正12年)8月末 新館(ライト館)竣工(設計:フランク・ロイド・ライト)
1923年(大正12年)9月1日 新館竣工披露準備中に関東大震災発生
別館復旧困難のため取り壊し
1954年(昭和29年)12月2日 第1新館オープン(設計:高橋貞太郎建築事務所)
1958年(昭和33年)7月末 第2新館竣工(設計;高橋貞太郎建築事務所)
1967年(昭和42年)12月1日 ライト館解体工事開始
1970年(昭和45年)3月6日 新本館竣工(設計;高橋貞太郎建築事務所)
第1新館→「別館」、第2新館→「東館」と改称
1979年(昭和54年)12月25日 インペリアルタワー起工(設計:山下設計)
1983年(昭和58年)3月7日 インペリアルタワー竣工
1985年(昭和60年) ライト館正面玄関及び前庭部分を明治村に移築完了
1989年(平成元年)10月1日 本館「孔雀の間」大改修竣工
改修の設計:山下設計
帝国ホテルのホームページ http://www.imperialhotel.co.jp
INAXタイル博物館のホームページ http://www.inax.co.jp/museum/

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