国内トイレ×キッチン・サーベイ 1

パブリックの手触りを探して

田中元子(グランドレベル代表取締役/mosaki)

コーヒーなどをふるまう様子

建物の1階軒先や公園、オフィスビル街など、さまざまな場所に屋台を出しコーヒーなどをふるまってきた
以下、特記なきものはすべて写真提供=グランドレベル

ガーベラの花を道行く人々にふるまうパーソナル屋台

マイパブリックをつくるワークショップも全国へ展開。写真はワークショップ参加者のひとり。ガーベラの花を道行く人々にふるまうパーソナル屋台

マイパブリックの快楽

路上や軒先、公園などに自前の屋台を出し、看板には「FREE COFEE」と書いて、不特定多数の人々に無料でコーヒーをふるまうことが、私の唯一の趣味である。どんな身なりの誰が来ようと、一杯のコーヒーを手渡す。公共施設でもなく公共空間でもないけれど、屋台を出すひとときは、私自身が“公共”になりきっている。まちでなにかをふるまうことを通して、個人が公共になれること、人々と公共的な関係が築けることを、私は「マイパブリック」と呼んでいる。
マイパブリックは、じつに刺激的な趣味だ。動機はまちのためでも人のためでもない、完全に自分の楽しみである。一方でこれは自己完結の趣味ではなく、家族や友人といった特定の関係でもなく、まったく知らない第三者が介入して、はじめて成り立つ。第三者にはなんの期待もないから、毎回、驚く。自分と関係が少しでもある相手だと、自分に近いモラル、自分に近い常識を当然もち合わせているという無意識の期待があるが、第三者にはそれがない。だから、ありがとうと言われただけでも、とびっきりうれしい。不思議そうに眺めている人、長々と話し込む人、時には図々しい人もいるが、それもそれで、こんな人もいるのか!という発見でしかない。他人とはいつもいつでも、想像を超えている。それを実体験で思い知ることが、この屋台を通して得られる一種の快楽なのだ。

他人というものは、地球の裏側まで行っても、じつは自分とほとんど変わらない生き物だ。夕暮れを見て醜いと言う人はいないように、やわらかいものが気持ちいい、やさしくされるとうれしい。そういった理屈抜きの本能的な反応に近い感覚をだいたい共有している。その一方で、たとえ家族であろうと、違う人間とはこうも異なるものかと愕然とさせられるのもまた他人だ。他人にとってかわって物事を感じ取ることなどありえない。彼/彼女らは、まったく違う感覚をもって、この世の中を生きている。私はマイパブリックを通して、この両極端な相違のある他人というものに、改めて興味をもった。公共に興味をもつことと他人に興味をもつことは、イコールだと思う。

パブリックサーカスの様子

2017年、2018年に渋谷の公開空地で、マイパブリック仲間を集めたイベント「パブリックサーカス」を開催。さまざまなふるまいによって、それぞれのマイパブリックが生まれた。観者と演者とがたびたび入れ替わり、受動と能動の境界が取り払われていく

屋台を出しながら、マイパブリックをしながら生まれる、想像を超えた驚くべき他人のありのままのふるまいが見られることこそ、あるべき公共の状況ではないかと考えた。日本における既存の公共施設、公共空間では、ほとんどそのようにはならない。公共だけじゃない。商空間も、もはや家ですら、互いに他者を管理しようとしている。一度定めたら引っ込めることの難しいルールや禁止事項は、年月を経るにつれて増えていく一方だ。私たちが公共に触れるとき、自由どころかなにかを禁止されるところに身を置くように感じているとしたら、公共とはもはや愛すべきもののイメージではない。そうであれば、既存のトップダウン的な公共ではなくマイパブリックのほうが余程、公として愛されるものになりうるのではないだろうか。私は次第に、公園や公民館といった「公」のつくものを、自ら私設でやってみたくなった。そんな折、洗濯機やミシン、アイロンのある喫茶店「喫茶ランドリー」を開業する機会がやってきた。

喫茶ランドリーという自由

「喫茶ランドリー」外観

「喫茶ランドリー」外観。築56年の建物の1階がリノベーションされた
写真=阿野太一

自由とは、いい具合の補助線があることだと思う。真っ白な画用紙の前では戸惑うけれど、補助線的なきっかけが見つかると、そこから描けていくように。私は「喫茶ランドリー」を、人々がもつ潜在的な能動性を発揮できるような、まちの補助線にしたいと考えた。お客さんが「客」という匿名の存在で終わらず、いきいきとした個人としての面を見せてくれるような空間を目指したい。屋台で見てきた、一人ひとりに対する新鮮な驚きこそが、店を構えるモチベーションだった。実際マーケットとしても、もう物や情報を受けとったり消費したりする機会しか得られないことには、飽きられているのではないだろうか。逆に、自分の考えで動ける自由の機会こそ、求められるものではないか。そもそもそれこそが、公共においてもあるべき姿ではないだろうか。

「喫茶ランドリー」内観

「喫茶ランドリー」内観。喫茶ランドリーは基本、イベントなどの自主企画は行なわず、使い方はすべて利用客に委ねる。人々は空間を吟味しながら、自分なりの使い方を考える
写真=阿野太一

洗濯機を置いたのも、それを実現するためだ。喫茶という一本の補助線では、客層が限られていく。そうではなく、できるだけさまざまな人々のさまざまなコンディション、さまざまな動機を受け容れたい。きっかけという補助線を複雑にすることで、この場を客それぞれが自由に読解し、その結果、各々が自分なりに使いこなしてくれると思った。

まちの家事室の様子

洗濯機だけでなく、ミシンやアイロンもある“まちの家事室”で、ご近所のママさん主催のイベント「ミシンウィーク」を開催。初心者から上級者まで、それぞれにつくりたいものを持ち寄り、楽しそうに教え合っていた

開店から半年が過ぎたが、このような考えがこれほどのスピードで具現化されることは、想定外だった。黙って本を読む人もいれば、洗濯機を回す人もいて、傍らで子どもたちがじゃれ合っている。友人同士が寄り合って談笑したり、町内会のメンバーや会社員が打ち合わせに使う姿もある。ベビーカーが来たら、お客さんが入店を手助けしていたりする。みんながそれぞれに、楽しそうにしている。気付くとここは、自分が許容されていると感じられる、よろこびの場になっていた。

地元のおじいさん、おばあさんたち

DJがBGMを流してくれているなか、地元のおじいさん、おばあさんたちが集まってきた。奥には子連れのママたち、パソコンで仕事をする人も

許容することは、無法地帯をつくることではない。よろこびの場だからこそ、人々はルールがなくても秩序をもって、大事に使ってくれている。こちらもそれに応えるように、店をつくり続けている。このやりとりはデザインだけでも、人の力だけでも生まれない。「喫茶ランドリー」という私設公民館は、頭ごなしになにかを禁ずるルールではなく、許容をキャッチボールし合う、終わらないコミュニケーションによってつくられているのだと思う。

地元の子どもたちがママと一緒に遊びにくるのがいつもの光景

午後3時をすぎると「ただいま!」と地元の子どもたちがママと一緒に遊びにくるのがいつもの光景。“まちの家事室”はひととき、子どもたちのワークスペースとなる

田中元子(たなか・もとこ)

1975年生まれ。グランドレベル代表取締役/mosaki。建築に関する執筆、企画編集の傍ら、ワークショップ「けんちく体操」、遊休地活用と新たなかたちの観光活動「アバンキャンプ」、まちを自分の手でいますぐ変えるためのふるまい「パーソナル屋台」など、都市や建築への関心を喚起させるため、さまざまな活動を展開。2016年に株式会社グランドレベルを設立。2017年から東京都墨田区千歳にて「喫茶ランドリー」を企画運営。著書に『マイパブリックとグランドレベル——今日からはじめるまちづくり』(晶文社、2017)など。