これからの暮らしの実践者を訪ねる

建築とアートが交わるところ

石井孝之(タカ・イシイギャラリー 代表)× 平田晃久(建築家)

『新建築住宅特集』2017年9月号 掲載

建築はアートか

1階ギャラリー前から見上げる。

石井:

私は建築はアートだと思っています。全てとはいえないから、建築がアートの部分も持ち合わせてるというのが適当かもしれません。とはいえ今の時代、そこを明確に区別したり仕分けたりしなくてもいい。もともと写真ってアートとは全く違うものとされてきたのに、今はかなり一緒になっています。建築もすでにアートの一部になってきていると思います。この家なんか、どこまでがアートでどこまでが建築か分からなくなっていませんか。

平田:

アートの語源はラテン語の「アルス(ars)」。内在する原理を正しく理解した上で何かを為す能力を含めたら、技芸とか手仕事とかさまざまなものを巻き込みます。だからこそ、何かつくる方法まで含んでいかないといけない。アートピースとして売ったり買ったりされる一方で、石井さんはアーティストと一緒に何かをつくっていてその総体がアート、出来事としてのアートになっていると思います。そういう全体像として捉えられると、いろいろなことがひとつにインテグレートされる時が来る気がします。

石井:

確かに、だんだんごちゃごちゃと混ざってきていますよね。杉本博司さんみたいに写真家として活動していても、建築をつくっている時は建築家と言ってる人もいる。建築家でも塚本さんや貝島さんのように建築とは別にアートプロジェクトもやって、アートの分野で扱われることもありますよね。建築自体がアート作品だと言う人もいる。それは個々いろいろあると思います。仕分ける必要がないのでしょうね。

平田:

作品として捉えられない建築というのは、中身はあるけど外観がないことに近いとも思います。いろいろな関係性や機能があるけど、何かまとまりを欠く。閉じた状態でなくもっといろいろなことを巻き込んでいて、あるいは変わっていっても全然構わない。そういう状況として捉えられれば僕はむしろこれは作品でないということの方が不自由だと思います。だけど、建築である以上、全く他のものを受け付けないというのは違う。建築はそういうものではないです。それは石井さんが日々作家と強い結び付きで一緒につくっていくことにもとても近いものを感じますし、全体として生きている感じが面白いです。

石井:

言葉にするのは難しいけれど、作家とは一心同体になって育てるという感覚に近いです。もちろん対立もするし長い付き合いになるので、相当気が合う人でないと難しいんですよ。結婚生活に近いのかもしれません。建築家の人たちも表現者ですよね。依頼をその通りかたちにするだけではなくて、自分の思いや信念を形にする。そこから生まれる建築は、私の知っているアートそのものですよ。

平田:

生きていく時に全て必要に駆られて行動していくのではなくて、あぁこうゆうこともあるんだと発見しながら生きた方が楽しい。建築はそういうものを開発することにあると思うから、そういう意味ではすごくアートである思います。でも、作品として自立するかというと、建築はその場所の特定の関係性の中でしか意味を持たない。別のところに作品として持っていけないという側面もある。それは建築特有なのだと思いますが、より広い文脈でアートと捉えた方が面白いです。逆に、石井さんのギャラリーでオブジェクトを展示させていただいた時は、意識的に「建築をつくっているんだ」と思い続けていたことを思い出します。ギャラリーに展示するなら、絵を描いている作家たちには全然太刀打ちできないことが大きい。自分ができることを考えたら、建築なるものではないと全くクオリティに達さないから、逆に建築家であることを意識させられました。

東側立面を見上げる。
施工時ヒダを取り付ける様子。_2点提供:平田晃久建築設計事務所

屋上テラスからの見下ろし。混在する街を浮遊するように移動する。

石井:

確かに、アートピースや作品でなくて、建築だと言っていましたね。アートって作家自身の思いをかたちにするのだから、それが特別になる。思いを形にビジュアル化する。それが特別だという意味です。現代では、みんな非日常と日常がよく分からない暮らし方をしているからか、特に今は骨董やもっといえば埴輪や土器とか出土品など、そういうものがコレクションとしても見直されています。現代美術の中でもそこに目が向いているものも多くあるんです。何でも情報が溢れているから、コンテポラリーアートって割と日常になっている。そうすると、新しいものよりも古いものに関心がいく。古いものってどうしても神聖に感じます。だから私も、現代美術館は仕事で行くけど個人的に行くのは博物館。古いものを見て、そこに新しいものを感じるのは今とても多いはずです。でもまた将来、転換期みたいなものがくるような気がします。それは何かはまだ分からないですけど。

平田:

建築も時間性の入り方というか、たとえば模型でも3Dプリンターだと一気にできてしまってほとんど無時間的であまり魅力を感じないんですよね。過程が入り込んでいる状態に、建築にも模型にもアートにも魅力を感じます。

石井:

そうですね。これだけ人工知能のような技術が進んでも、アートとしてはコンピューテーショナルなプロセスのものは最近人気がないんですよ。機械的で人工的な匂いのするものより、人の手が入っていて、ぼろぼろでもその痕跡に魅力を見出す。建築模型も思考を繰り返した痕跡が継ぎ接ぎして残っている模型の方が断然インパクトがありますよ。

平田:

時間が重なってるものと捉えて、それをどうつくるかということに結びつけることは建築の設計でも感心が深まっています。だからリノベーションというものも少し前の時代のリノベーションよりもうちょっと普遍的に見える。新築でもリノベーションはある。リノベーションとイノベーションがそんなに矛盾しないような状況になっていると思います。時間をかけないと獲得できないものを一度壊してしまったら全て失われる感覚が強くなっています。

石井:

今の日本もそんなつくり方で、これからの都市計画をしっかりやってほしいと思います。今、OMAがアメリカでFacebookのオフィスをつくっていますが、歩行か自転車だけの広大な街をつくろうとしている。今まで見たことのない壮大な都市計画を建築家が主導していますよね。日本だとなかなか出てこないけど、東北の状況などを見ていると、本当はやって然るべきですよね。建築家はいろいろな人たちと協働できる能力があるのだから、日本でそれができていないことが残念ですよね。

平田:

1960年代に建築家は社会との接点をつくることに失敗して、結局全部ゼネコンや大手組織にその役回りがいってしまいましたよね。丹下健三さんの時代から現代までそれが続いてしまっています。実践で東北もやっぱり土木中心で、シビルエンジニアリングとその建築が分かれちゃってるからですよね。日本の建築を根本的に見返さないといけない時期とも言えます。アーティストとか建築家が、社会からはみ出した部分を持っているからこそ逆に、新しい社会を切り拓くきっかけを提示できるのだと示していきたいですね。

(2017年8月2日、石井邸にて。文責:『新建築住宅特集』編集部)

写真撮影:新建築社写真部(特記を除く)

INAXライブミュージアムで「『土』見本帖 Sourcebook of Soils」展

LIXILが運営する土とやきものの魅力を伝える文化施設「INAXライブミュージアム」(愛知県常滑市)で、「『土』見本帖 Sourcebook of Soils」と題した展覧会が開催されている。
古来、土は人の生活に欠かせないものであった。絵の具として使われたり、土器として焼かれたり、布を染めたり、家の壁に使われたりしていた。LIXILの製品であるタイルや衛生陶器も土からできている。
今回は、国内外から約300点の土が集められ、土に触れることで、色や粒子の違いなどの違いが比較できる展示になっている。南部鉄器の鋳型に使われた岩手県北上川の土、手漉きや唐臼など昔のままの製法を続ける沖縄県読谷の民芸の土、桂離宮や京都御所の土壁に使われている京都西陣の聚楽土、帝国ホテル旧本館のすだれ煉瓦になった愛知県知多半島の土など、さまざまな土を体験できる。(編)

会期
7月1日(土)〜 11月26日(日)_※展覧会終了
10:00 〜 17:00(入館は16:30まで)
会場
NAXライブミュージアム「土・どろんこ館」
企画展示室(愛知県常滑市奥栄町1-130)
休館日
水曜日(祝日の場合は開館)
観覧料
一般:600円、高・大学生:400円、小・中学生:200円(共通入館料にて観覧可)

雑誌記事転載
『新建築住宅特集』2017年9月号 掲載
https://japan-architect.co.jp/shop/jutakutokushu/jt-201709/

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公開日:2018年03月31日