DTL建築セミナー 空間・素材・建築 ―令和時代の建築作法

第3回「伝統・継承・創造──外装タイルとデザイン」

宍道弘志(建築家、坂倉建築研究所)

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DTL建築セミナー 宍道弘志「伝統・継承・創造──外装タイルとデザイン」

大阪・四ツ橋筋にある「INAXタイルコンサルティングルーム大阪」を会場に、5回シリーズで開催されるDTL建築セミナー「空間・素材・建築──令和時代の建築作法」の第3回目。数々の名建築をつくってきた坂倉建築研究所の大阪事務所長、宍道弘志さんを講師に迎えた。

坂倉準三後の坂倉建築研究所が創造するもの

宍道弘志さんがテーマに選んだ「伝統・継承・創造」は、坂倉準三が1941年にシャルロット・ペリアンを招聘して開催した展覧会タイトル「選択・伝統・創造」に倣っている。坂倉準三が創設した坂倉準三建築研究所の伝統を継承し、株式会社坂倉建築研究所としてあたらしい価値観を創造しているのだ、という意味を込めたのだという。
ル・コルビュジエの弟子としても知られ、1937年のパリ万博日本館でデビューを果たし日本のモダニズムに大きな功績を残した坂倉準三。坂倉準三建築研究所は1940年に、大阪事務所は1948年に開設された。1969年に坂倉氏が亡くなり、事務所は株式会社坂倉建築研究所となった。彼を直接には知らない世代として1986年に入所した宍道さんは、2008年より大阪事務所長を務めている。
レクチャーで宍道さんは、1990年代から現在までに携わった改修を中心とした仕事を紹介しながら、歴史をどのように継承し伝えていくかが重要であると同時に、それが未来を創造することにもつながっていくのだと思う、と語った。

坂倉準三とル・コルビュジエ(国立近現代建築資料館所蔵) 坂倉準三とル・コルビュジエ(国立近現代建築資料館所蔵)

銀行から図書館へ、そして登録有形文化財へ

「打出教育文化センター・芦屋市立図書館打出分室」は、もともとは明治の中期から後期頃に大阪市内に銀行の店舗として建てられた。昭和のはじめに松山與兵衛氏が購入し、大阪から芦屋へと移築。その後、市が購入して図書館として活用されていた。
その図書館移転に伴って、今度は文化センターとして改修・増築する際に関わったのが、坂倉建築研究所だ。1990年当時、入所して3、4年目の宍道さんにとってこれが保存改修を手がけた最初の仕事だったという。移築のときにすでにRC造+石張りに手が加えられていたが「それだけではとても大きな地震がきたら保たない」と判断し、さらに内側にRC補強をした。たびたびの用途変更で内装の復原は難しかったが、一部の建具をインテリアに生かすなどの活用ができ、なによりも情緒ある外観の佇まいを残すことができた。さらに、1995年の阪神・淡路大震災では木造の門扉が倒壊したが、建物本体は無事だった。2005年に景観形成重要建造物に、2009年には国の登録有形文化財に登録された。

打出教育文化センター(撮影・宍道弘志) 打出教育文化センター(撮影・宍道弘志)

重要文化財をめざした保存再生

1999年から2002年にかけては、大阪中之島にある「大阪市中央公会堂」の保存再生に関わった。保存と取り壊し新築の両面からのさまざまな議論を経て大阪市が保存を決定したのが1988年。最初から重要文化財をめざしての保存再生計画で、その目標の通り、竣工した2002年には国の重要文化財の指定を受けた歴史的建造物だ。
1911(明治44)年に株式仲買人の岩本栄之助氏が公会堂建設資金を大阪市に寄付し、翌年の設計競技で岡田信一郎案が当選したものの、そのさらに翌年に辰野金吾と片岡安による実施設計で着工、1918年に完成した。2002年の保存再生では、その本来の姿を取り戻すことが求められた。
「竣工から保存再生工事がはじまる約80年の間には、外観上の変遷がだいぶありました。免震化をして安全性を高めると同時に、昔の写真を参考にしながら彫像を復原したりスロープを階段に戻したり。外壁のタイルも補修しましたが、タイル目地は東京駅丸の内駅舎と同じ覆輪目地になっていました。この仕事をしたことで保存が面白いと感じるようになりました。」

大阪市中央公会堂(撮影・宍道弘志) 大阪市中央公会堂(撮影・宍道弘志)

事務所の精神を継承する保存復原

宍道さんが近年に保存復原を手がけたふたつの建物は、どちらも坂倉建築研究所と強い関わりがありながらその成り立ちは少し異なっている。
ひとつは、「神奈川県庁舎」の耐震改修工事。「キングの塔」の愛称で親しまれる1928年竣工の本庁舎の横に坂倉準三の設計による新庁舎が竣工したのが1966年、さらに1993年に建てられた第二分庁舎も坂倉建築研究所の設計だ。
地下にあった機械室を津波に備えて地上に移し、空いた地下空間に免震装置を入れて最終的には駐車場にした。
新庁舎の外壁はもともとタイル張りで、アルミルーバーとの対比が特徴だったが、剥落と欠損の補修のために見本焼きをしながら張り替え用のタイルを新たにつくった。
「もともとは窯変タイルで焼きムラによって外壁に表情が出ていましたが、いまは焼きムラというのがあまり出ないらしく、いろいろな色をたくさんつくってそれを混ぜて貼るという方法で外壁イメージの復原をしています。欠けた部分を補っただけで、残っているタイルは浮きを抑えるコーティングをしてそのままにしています。タイルは年月を経ても色があせない、素材感が損なわれない外壁材だと感じました。」
事務所が過去に設計した建物を改修し残すだけではなく、当時の設計者が活用することを決めた建物をさらに使い続ける手伝いをすることもある。そのひとつの例が、「佐倉市立美術館」のエントランスホールであるレンガ造の建物。
佐倉市立美術館本体は、1994年に坂倉建築研究所が設計し、その際、そこにあった古い建物をエントランスホールとして生かした。大正時代に銀行の支店として建てられ、町役場と市役所として使われた後、中央公民館に、その後は図書館から資料館に。そして、美術館のエントランスになっていた。宍道さんが担当したのは東日本大震災の被害を受けての2017年の耐震補強で、耐震診断の結果、補強のため内部は全面的に手を加えることになった。
「たび重なる改装でもとの仕上げは残っていなかったけれど、下地を見るといろいろなことがわかりました。工事前と見た目の印象が変わらないように心がけて改修と補強を行いました。」

神奈川県庁舎新庁舎(撮影:小川重雄) 神奈川県庁舎新庁舎(撮影:小川重雄)
佐倉市立美術館エントランスホール(撮影・宍道弘志) 佐倉市立美術館エントランスホール(撮影・宍道弘志)

建物を残すことの難しさ

戦後につくられた多くの名建築が存亡の危機に直面してる現在、保存改修された神奈川県庁舎新庁舎は注目すべき事例だろう。なぜ保存されることになったのだろうか。
「改修保存をするかどうかは、建物によって事情が異なります。神奈川県庁の場合は、建替えや移転などと比較して、改修して使い続ける方が合理的という判断がありました。ただ、県庁の場合のように耐震改修して使っていく、という判断にならないケースも多いと思いますし、建物が元の役割を終える場合もあります。今日ご紹介したようなレンガ造建物も昔は普通に壊されていましたが、数が減ってくると、その価値が再認識されて、残していこうという流れに変わったように思います。その場合も、建物がどう利用できるか、建物がもつ価値を見出せてこそ、残していけるのだと思います。近代建築の場合も、そこは同じだと思いますが、近代建築への一般の方の関心はあまり高くないですし、そうした愛着をもってもらえる建物は未だ限られているように思います。近代建築の価値が、一般の方にも共有されるようにならないと、状況は変わらないと思いますが、それにはもう少し時間が掛かりそうに思います。」
(古屋 歴|青幻舎 副編集長)

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公開日:2019年12月25日

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