「建築とまちのぐるぐる資本論」取材 1

土地・隙間・人々のアソシエーション ニシイケバレイ

須藤剛、深野弘之 (聞き手:連勇太朗)

 

人口減少時代の大家サバイバル戦略、個性的な物件づくり

連:

深野さんが深野家の不動産経営に携わるようになったのはどのような経緯でしょうか。

深野:

2019年に父が亡くなりましたが、その3?4年前から経営に携わるようになりました。物件の活用を考えるなか、実は連さんたちのモクチンの活動にも関心をもっていました。

父が経営していたMFビルは都民住宅としてスタートし、自動運転的に採算が取れていたので心配はありませんでしたが、中野区上高田に所有している4階建て賃貸マンションは苦労もありました。従前の賃料では中々借り手が決まらなくなっていく状況で、5,000円単位で賃料を下げるなど試行錯誤を繰り返しました。そのなかで、リノベーションに費用をかけ内装や間取りに工夫を凝らしたことが功を奏し、賃料を1万円上乗せすることができました。床を無垢のフローリング仕上げにするなど、物件の個性を強めることが、他との差別化に結びついていくことがわかってきました。

また、豊島区でおもしろい活動をしている人の話を聞くサロン型イベント「としま会議」には開始当初の2014年から参加していて、そこで賃貸や大家の世界にも多様なことがあることを確信しました。

連:

今のニシイケバレイにはどうつながっていくのでしょうか。

深野:

都会でも顔の見える関係性をつくりたいと思っていました。これは今も変わらない思いです。おそらくその原点は、最初に勤めた会社「大地を守る会」にあると思います。今は、オイシックスに経営統合された会社ですが、有機農産物の流通団体で、生産者、消費者、それらをつなぐ流通の3者において顔の見える関係をつくろうとしていました。「この大根は川越の吉沢さんがつくったんだ」というような、顔の見える関係が共感や関心、想像を生むと思います。そこでの体験がニシイケバレイでやりたいことにつながっています。

隣の家への関心がなければ、まちに対する関心も薄いでしょう。想像ができないことが、結局は投票率の低下などにも連鎖していきます。周りへの想像力がなくても都市ではまったく問題なく生きていけますが、想像できた方がより豊かでおもしろくなると私は思います。

Fig.4:チャノマでのインタビュー風景。須藤剛(左)、深野弘之(中)、連勇太朗(右)Fig.4:チャノマでのインタビュー風景。須藤剛(左)、深野弘之(中)、連勇太朗(右)
 

仲間が増えていくなかで、敷地の個性に気がついていった

連:

深野さんと須藤さんはどのように出会われたのですか。ニシイケバレイのチームはおふたりの他、コンサルタントの木本孝広さんやインテリアデザイナーの日神山晃一さん、エリアマネージャーの鈴木英嗣さんなど合計7名から構成されています。

深野:

確か須藤さんとは2015年のとしま会議の会場で最初にお会いしたと思います。会場でお声がけして、一度うちを見に行きませんかとお誘いしました。見に来てもらった時は「何かできたらいいですね」というところで終わりましたが。

須藤:

そうですね。当時、僕はとしま会議を主催している中島明さん、公共R不動産で活動している飯石藍さんと、一時的にまちづくり活動に取り組んでいた頃でした。

深野:

相続が発生する前から、私は顔の見える関係をつくりたいという気持ちがあったので、池袋から一駅の椎名駅でまちづくりをするシーナタウンのメンバーにプロデュース的なことをお願いしようと声をかけました。日神山晃一さんや木本孝広さん、シーナタウンの皆さんとこの平屋で打ち合わせを重ねましたが、まだまだ父の意向もあったことで一旦見送ることになりました。

それから数年後、父のガンが末期になり相続発生が見えてきたところで、同じ大家業を営む木本さんにサポートしてもらい、事業承継の専門家と税理士を招いて、どうしたら永続的に安定して経営できるかという観点から相続のスキーム作りを始めました。そして父が亡くなった3ヶ月後の2019年10月頃からは主に日神山さん、木本さん、私の3人で、どこから、どのようにまちに開く場をつくっていくかを考え始めました。

そこで、ここの強みは私道も含めて敷地が面で繋がっていることから、平屋単体でまちに開くことを考えるより、もっと「面」で考えていった方がおもしろいという話になり、全体のデザインを考えられる人として日神山さんが須藤さんを紹介してくれました。

須藤:

日神山さんに声をかけてもらって「こういう物件があるんだけど」と言われた時、「あの深野さんのところだ」と思い、4年ぶりにつながりました。

当時、日神山さんは椎名町商店街のなかでトンカツ屋をリノベーションし宿泊施設に転用した「シーナと一平」をやりながら、内装デザインやエリア開発に力を入れていましたが、建築設計ができる人として僕が呼ばれたように、その都度必要な人が集まってきて、RPGみたいにプレイヤーが増えてきました。ポンとできたのではなく、徐々に積層していくようにチームが立ち上がりました。

面的リノベーションへ、キーは塀・敷地内通路・境界

深野:

須藤さんが入った段階がブレークスルーだったと思います。不動産価値の本質は「敷地に価値なし・エリアに価値あり」という清水義次さんの名言がありますが、エリア全体の豊かさが増していくような仕組みを展開した方がきっとおもしろい。それに準じて物件の価値も上がるだろうという話を当時していました。

連:

マスタープランのようなものはあったのでしょうか。建築設計はどのように進んでいったのですか。

須藤:

プログラム的な、マスタープラン的なものは僕が入る前からありました。日神山さんがこの場所にこういうコンテンツを入れたらいいんじゃないか、この場所は使えるんじゃないかという大枠を考えていました。例えば、木造アパートをシェアオフィスにしようとか、平屋をカフェやイベントスペースにしたらいいんじゃないかなど。庭の塀の撤去もアイディアとしては話が出ていましたが、具体的な建築や空間の形にコンテンツを落とし込まれていたわけではありませんでした。建物同志は関わり合うことなく建っている状態でしたから、単体のプログラムをどうするかということではなく、全体をつないでいくことが、必要なのではと考えました。最初の段階では、平屋の改修、平屋に隣接する塀の撤去、西側と南側の敷地内通路や舗装を含む外構を計画しました。一見、道路に見えますが、調べてみると建築基準法上の道路ではないことがわかりました。アスファルトは、公共性やパブリックな記号性を帯びています。そこに手を入れること自体が、まちをハックしている感覚なのです。深野さん個人が所有しているものだから、普段なかなか手が出せない公的な領域に手を入れることができると思いました。

連:

実際に訪れてみて、メディアで発表されているのと異なる印象を受けました。メディアでは、建物単位のリノベーションにフォーカスされていたようですが、来てみると、建物の間の通路や建物と建物をつなぐ緑がとても印象的です。それがとても重要なコンセプトだと思いました。

須藤:

そうですね。プロジェクトを説明するとなると、「ここを改修して、次にここを改修しました」というような話し方になってしまいますが、連さんがおっしゃるように、ひとつひとつの改修と同じくらい改修した場所と改修した場所の「間」が大事です。それによってまだ改修していない場所自体の見え方も変わってくると思います。

寸法には気を遣いました。家具に使ったスケールを建築に展開したり、見慣れたものと見慣れていないスケール感をどう隣接させているか、境界のあり方は検討を重ねています。

連:

須藤さんたちから、塀を取ったり、敷地を横断していくような操作の提案があった時、深野さんはどういうふうに受け取られましたか。スムーズに納得できたのでしょうか。

深野:

須藤さんたちから「塀を取ったら絶対、間違いなく良くなる」と言われて、最初はびびりました(笑)。元々塀に囲まれたなかで20年ほど暮らしていたので、あけすけになってしまうと外部侵入なども心配でした。ただ、私もアイディア自体はおもしろいと思っていて、できればそうしたいなという気持ちもありました。父なら聞く耳を持たないと思いますが(笑)。

Fig.5: 西側敷地内通路Fig.5: 西側敷地内通路
Fig.6: 西側敷地内通路男Fig.6: 西側敷地内通路
Fig.7: 改修前の西側敷地内通路。提供:須藤剛建築設計事務所Fig.7: 改修前の西側敷地内通路。提供:須藤剛建築設計事務所
Fig.8: 改修前の平屋。提供:須藤剛建築設計事務所Fig.8: 改修前の平屋。提供:須藤剛建築設計事務所

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公開日:2023年05月31日