築地本願寺 × LIXIL

伊東忠太の空間を生かす─復原タイルへの挑戦

長澤輝明(株式会社三菱地所設計)

本堂1階ラウンジで復原された腰壁のレリーフタイル

本堂1階の広間は、今回“終活”のワンストップサービスのラウンジとして改修され、一般に開かれた空間になりました。仕切っていた壁を無くし、ガラスの間仕切りに変えるなどして、見通しの良い空間が誕生しました。この空間を強く印象づけているのが、白壁にあしらわれた腰壁のレリーフタイルです。年月を経るなかで、建立時と異なるタイルを使用した面が混在した状態になっていました。
このレリーフタイルを建立時の姿に再現するため、三菱地所設計からLIXILへ、タイル復原の相談があったのは2015年のことです。まずは、オリジナルタイルを既存壁で確認し、以下6つの特徴がわかりました。
1) メインのレリーフタイルは、二丁掛サイズ(227mm×60mm)、白壁の見切り材としてボーダータイル(227mm×40mm)が採用されていること
2) 二丁掛レリーフタイルの模様は1種類であること
3) 模様を形作る成形方法は乾式プレス成形であること
4) 面状の模様は、網代模様に近いが、模様のラインが曲線で構成されていて、単純な網代模様でないこと
5) 網代模様のリブトップが焦げたような色合いになっていて、かつ微妙に黒味の中に色幅があること
6) 全般に微妙な色幅があり、リブの凹凸も含めて、光沢、艶感にもバラつきがあること

タイルを復原するにあたっては、オリジナルタイルを分析することがしばしばあります。タイルの吸水率、かさ密度、釉薬および原料の元素などを分析することにより、製作当時の原料や焼成温度などが特定でき、現在の原料で再現した場合の問題点をあらかじめ洗い出すことができるからです。本案件は、国の重要文化財ということもあり、既存タイル採取後に分析することができず、目視による想定での再現となりました。
現地で丁寧に剥がしたタイルをもとに、図面化し、金型を作成し、試作を開始しました。当初の想定では、オリジナルタイルの釉薬は、1種類で、網代模様を構成しているリブの凹凸とその凹凸に掛かる釉薬の重量差と焼成温度によって、微妙な色幅や光沢感、特にリブトップの黒味加減ができあがっていると考えました。釉薬の種類、タイルに施す釉薬の量、焼成温度を調整しながら試作を続けましたが、画一的で、きれいになり過ぎてしまい、とても復原できたといえる仕上がりにはなりませんでした。試行錯誤の末、釉薬1種類を用いての窯変では再現できないと判断。結果3種類の釉薬を、生産ラインによる機械的な手法ではなく、次にように、すべて手作業で施すことになりました。
1) 網代模様のリブトップに黒味の釉薬を施す
2) 下地となる釉薬を全体に施す
3) 色幅となる釉薬を部分的に施す
こうした時間のかかる手仕事によって、3種類の釉薬が微妙に重なり合い、オリジナルタイルが持つ色幅と光沢感、経年変化による雰囲気を表現することができたのです。復原に要した試作期間が約3ヶ月、試作回数はトータル10回におよび、種類にすると約50種類の試作品を作成しています。そして今回納品されたタイルはおよそ3000枚となりました。
LIXILでは、文化事業の一環として、1997年に開設した「世界のタイル博物館」のコレクションタイルの復刻をはじめ、歴史的に貴重な建築物のさまざまなタイルの研究、復刻を行ってきました。こうした企業の矜持が、今回のタイル復原を成し遂げる原動力となっています。

本堂1階改修後のラウンジ空間。赤色で示した部分が復原タイル施工箇所(資料提供:三菱地所設計)

1階ラウンジ腰壁のレリーフタイルは、オリジナルを復原して補修し、竣工時のイメージに近づけている。また、タイルに合わせた色調のタイルカーペットを敷き、空間全体を落ち着いた雰囲気にしている。タイルカーペットはLIXILグループの川島織物セルコンの製品

細かく空間を仕切っていた間仕切り壁を取り払い、見通しの良い空間に改変。柱まわりはすべて復原タイルが施されている。空間のイメージを損なわないよう、照明をペンダントライトに換えた

2階に向かう階段は、伊東忠太のデザインがもっともよく現れており、続くラウンジ空間にもインパクトを与えている

1階ラウンジと2階を結ぶ階段空間。壁をガラスに換えたことで、左右一対の階段が見通せるようになった

左が復原タイル、右がオリジナルタイル。試作を繰り返すことで、オリジナルと見分けがつかない仕上がりになった

現場で施工箇所をチェックしながら、オリジナルタイルを採寸。採取されたタイルにナンバリングを施す作業(3点とも)

タイル復原に挑んだ工場内風景

築地本願寺本堂1階に使われた二丁掛レリーフタイルの金型と乾式プレス機

ボーダータイルは断面の厚みに差があることから、圧が均一となるよう工夫が必要だった

二丁掛レリーフタイルの図面

ボーダータイルの図面

オリジナルタイルの詳細。網代模様のリブトップが焦げたような色合いになっている

昭和初期の美術タイル

伊東忠太によって築地本願寺が設計された昭和初期、その頃のタイルを取り巻く状況は大きく変化しています。大正期から建築が洋風化し、近代建築の勃興に伴って、内外装ともにタイルの需要が高まっていました。タイルの機械生産が本格化し、大量生産に切り替わっていきます。そんな中で、焼き物独特の窯変美をもつ手工芸的な技を科学的アプローチで解明し、工場生産に活用していこうとしたタイル製造会社があります。その一つが、瀬戸の「山茶(つばき)窯製陶所」です。この頃に作られたタイルは“美術タイル”といわれ、現在、東京都庭園美術館になっている旧朝香宮邸にも山茶窯製陶所のタイルが使われています。
1929年開業の阪急百貨店(現・阪急百貨店うめだ本店)は、阪急梅田駅に併設された世界初のターミナルデパートで、設計は竹中工務店、阿部建築事務所です。1932年に阪急梅田駅コンコースが増築されますが、ドーム空間の意匠やモザイク壁画は伊東忠太によって行われました。
阪急百貨店うめだ本店の大食堂の柱回りに施されたタイルは、当時流行した網代模様の“美術タイル”で、山茶窯製陶所であることがわかっています。同時期の築地本願寺本堂で採用されたタイルもこれとよく似ていますが、山茶窯製陶所のものかは不明です。当時の設計図には、二丁掛タイルのデザインがスケッチとして残されていますが、このデザインが伊東によるものなのか、タイル製造会社のオリジナルなのかはわかっていません。しかしながら、大量生産による画一的なタイルではなく、焼き物の味わいがある”美術タイル”が採用されたことは事実で、伊東が手工芸的なタイルの意匠に魅力を感じていたことは間違いありません。
今回の改修で施工された復原タイルが、手工芸的な作業によってしか生産できなかったことは、結果的に伊東が望んだ意匠、昭和の“美術タイル”を再現することになったのではないでしょうか。

左・右:1929年開業の大阪・阪急百貨店の大食堂に施されたレリーフタイルは、3重施釉でムラを表現した網代模様の“美術タイル”と呼ばれるもの。昭和初期に山茶窯製陶所で生産された

左:タイルの裏面に施された山茶窯製陶所のマーク。山茶窯製陶所は、中国古代陶磁器を研究していた小森忍によって1928年に創設されたが、わずか6年で閉鎖された。築地本願寺の旧広間のレリーフタイルも、同様のランダムな網代意匠であることから、山茶窯製陶所のものと推測されるが、採取したタイルのモルタル部を剥がすことができず、判明していない
右:新築された大阪・阪急百貨店12Fの”祝祭ダイニング”の柱に施工された復原タイルは、LIXILによるもの