ものづくりの熱を伝え続けて──INAXライブミュージアム 窯のある広場・資料館リニューアル レポート1

『コンフォルト』2019 October No.170掲載

  • facebook
  • twitter

煉瓦造の煙突、石炭窯と建屋の保全工事のために2016年から休館していた「窯のある広場・資料館」が、2019年リニューアルオープンしました。
やきもののまち、常滑のスピリットを宿し、INAXライブミュージアムのはじまりとなった施設を再生する過程には、大きな発見と幸運な出会いがありました。

保全工事を行った「窯のある広場・資料館」の全景

「窯のある広場・資料館」は、煙突の復元と煉瓦造の石炭窯(両面焚倒焔〈りょうめんだきとうえん〉式角窯、1921~71年)の建屋外装の改修が完了。10月のリニューアルオープンに向け、内装工事と展示計画が進む。

改修後の煙突。高さ22m。煉瓦を解体し、鉄筋コンクリート造の躯体を構築。表側に元通りに煉瓦を積み上げた。

劣化して再使用できなかった屋根瓦を撤去し、兵庫県淡路島のカワラマン・山田脩二さんが伝統的なだるま窯で焼き、ストックしていた「いぶし瓦」7000枚に、新規に淡路のメーカーに焼いてもらったいぶし瓦2000枚を加えて葺き直した。自然な色ムラが美しい。

窯のある広場の北側には三重県伊賀上野の工場から移築したトンネル窯(1975~2005年)がある。この窯で焼成したタイルは、80年代に盛んにビル建築に採用された。ここでは近代と現代の両方の窯を知ることができる。

INAXライブミュージアムの原点を文化財として安全に保存する

日本各地で大規模な地震が多発するなか、自治体や企業では既存建物の耐震診断と安全対策が進められている。LIXILが運営する文化施設の1つ、愛知県常滑のINAXライブミュージアムも調査の結果、6つの構成施設のうち「窯のある広場・資料館」に耐震改修・メンテナンスなどを実施することになった。
「窯のある広場・資料館」の前身は1921年(大正10)、現在の位置に片岡勝製陶所が創建した「土管」などを焼く製陶工場だった。石炭窯と、それを覆う建屋が立ち、排気が地下の煙道を通って煙突に抜ける構造である。土管は明治時代以降の都市・町づくりを支える上下水道など、インフラを構築する材料で、近代の常滑は高性能の土管を供給する主要産地として発展していた。
片岡勝製陶所の工場は、71年(昭和46)まで操業し、その後86年に常滑の地に初の文化施設「窯のある広場・資料館」として開設された。INAXライブミュージアムは、まさにここを原点とし、今日の6つの館からなる姿がつくられた。
「一般的な建物の耐震改修工事と違って、煙突と窯・建屋は文化財です。それにふさわしい保存計画を立て、どのような工事を行うか、思案のしどころでした」と保全プロジェクト担当・後藤泰男さん。「窯のある広場・資料館」は97年に国登録有形文化財に登録、2007年には経済産業省の近代化産業遺産に認定された。
基本計画・設計案をもとに実施設計と監理を担当したのは建築家・日置拓人さんだ。Ⅰ期工事として煙突の改修工事が16年11月~18年5月の工期で完了し、その後19年10月初旬までⅡ・Ⅲ期工事の建屋・窯の工事が行われた。

煙突の復元工事の様子

左/改修前の煙突の状況(2015年)。1921年(大正10)に創建。当初から煉瓦積みを保護していた鉄のアングルに、93年(平成5)、ブレース(斜め材)を取り付けて補強した。右/煙突の立面図(部分)。高さ22m。44年(昭和19)に起きた東南海地震、45年の三河地震で被害を受け、煉瓦積みに生じた亀裂を補修した跡が南面と北面に見られる。137段より上は崩壊し、新たに積み直されたことが今回の改修工事でわかった。写真:INAXライブミュージアム

「窯のある広場・資料館」となった片岡勝製陶所

1953年(昭和28)の伊奈製陶分工場全景。左下に隣接する煙突と建屋(赤円内)は片岡勝製陶所(当時、71年まで操業)の一角で、86年に常滑の地に初の文化施設「窯のある広場・資料館」として開設された。『伊奈製陶株式会社30年史』より

煙突解体で実証された災害の記憶

INAXライブミュージアムを訪れるとき、一番に目を引かれるのが懐かしい表情をもつ赤煉瓦の煙突だ。改修は煉瓦を一旦解体し、構造躯体を鉄筋コンクリート造で立ち上げたうえで、表側の煉瓦を再利用し、元の配置に忠実に積み直した。煙突4面の復元保存である。「個々の煉瓦を元の位置に戻す意味を建設会社に伝え、番付けし解体、保管し、ケレン(クリーニング)をしました」と日置さん。後藤さんは「煉瓦を1つずつ外して解体したからこそ、大きな発見があったんですよ」と煙突への愛着でいっぱいの笑顔になった。
常滑はかつて2度の大地震に見舞われた。第2次大戦終戦まぢかの1944年(昭和19)12月の東南海地震と、45年1月の三河地震である。
「そのときに煙突が壊れ、兵隊さんが修理に来たという言い伝えが地元にはあったんです。でも、具体的な記録は残っていませんでした。それが今回、煉瓦積みの職人さんが解体してみて、137段までは本職の仕事、それより上の先端326段までは素人の手で積まれていると言うんです。考えられることは、煙突に亀裂が入り、先端が崩れたので、復旧に来た兵隊さんが積み直したということでしょう。言い伝えが具体的に確認されたわけです」。ものづくりのスピリットを後世に伝えるだけでなく、煙突に刻まれた災害の記憶が75年を経て明らかになった。

足場を組み、煉瓦に1個ずつナンバリングしてから解体された。

ケレンの工程。解体した煉瓦の汚れを洗浄後、煉瓦に付着しているモルタルを手作業で削り落とし、保管。

鉄筋コンクリートで煙突の躯体を施工。

躯体にアンカーを打ち込み、煉瓦の目地を固定。表側の煉瓦を元通りに積み上げる。イギリス積みで、亀裂を埋めたモルタルも再現。ブレースは取り外した。

4点写真:INAXライブミュージアム

瓦を求め、山田脩二さんのもとへ

木造の建屋は2003年(平成15)に耐震補強工事が行われており、構造強度については問題なかったので、傷んだ外壁の羽目板を交換した。創建当時の建屋には防腐効果の高いコールタールが塗られていたが、日置さんは環境に配慮し、タールフリーの黒色塗料で仕上げた。壁や屋根を断熱、窓サッシをペアガラスにするなど温熱環境も改善した。
問題は屋根瓦だった。屋根下地を補修し、瓦を再利用したかったが、劣化していて不可能だった。「新規の瓦で葺くことを想定し、もとの色ムラのあるいぶし瓦と同じ仕上がりにと要望して、数社にサンプルを焼いてもらいました。各社ともJIS規格の瓦を製造する工場で、工夫して焼き色を変えてくれたのですが、サイズ感や色合いに違和感がありました」(日置さん)。建屋のいぶし瓦は昔の窯で焼かれ、長い年月により変化したもので、屋根の表情が落ち着いて見える。サイズも、建屋の瓦は64(枚)/坪の大きさだが、JISでは53(枚)/坪のラインが主流で、大型になってしまう。日置さんも、後藤さんも小振りなサイズを変えたくなかった。

左から改修の実施設計を担当した日置拓人さん。いぶし瓦を製作した淡路のカワラマン・山田脩二さん、INAXライブミュージアムの保全プロジェクト担当・後藤泰男さん。

「行き詰まって相談しているうちに、後藤さんが淡路の山田脩二さんの焼いたいぶし瓦を使えないかと言いだしたんです」。すばらしいアイデアだが、必要な数量は9000枚にのぼる。「手間暇かけて焼く瓦なので、実現はむずかしいと思いました」と日置さん。山田さんは42歳で建築写真家(カメラマン)から瓦師(カワラマン)に転身。山田さんがつくる味のある敷瓦などが、建築家を引き付けてきた。日置さんは20代に淡路で仕事をし、山田さんと知り合っていた。ともあれ、淡路の知人からストックがあるようだとの情報が入り、これはいけるかもしれないと山田さんに電話すると、「とにかく、見に来いよ」という一言。プロジェクト一行はすぐに淡路へ向かった。そこにはラックに納まった7000枚のいぶし瓦が待っていた。

伝統的なだるま窯で焼いた瓦

「正直びっくりしましたね。7000枚全部使うというので」と山田さん。1カ所で単体の切妻屋根に葺かれるのは初めてのことだという。この瓦にも、ものづくりのスピリットが込められていた。2008年、山田さんの本拠地である淡路の瓦生産集落・津井(つい)で、製瓦業を営む長老と若手の有志が協力し、伝統的な「だるま窯」を新たにつくった。8年ほど稼働し、その間に試行錯誤しながら50回ほど焚いたうち、残してあったものが今回の瓦である。

だるま窯でいぶし瓦を焼く

山田脩二さんの本拠地、兵庫県淡路島の津井に、2008年山田さんと地元の瓦製作者有志がつくっただるま窯。1950年代中頃、淡路では150基ほどのだるま窯でいぶし瓦を焼いていたが、効率よく大量に瓦を製造する単窯へ移行し、だるま窯は姿を消していた。写真:山田脩二

焚口から炎が吹き上がる一瞬。焚口は窯の両側に設けられている。1回の焼成で1000枚の瓦を焼く。写真:山田脩二

2019年3月、資料館の屋根葺き工事を見守る山田さん。だるま窯で焼いた土の味のする屋根瓦が活かされた。写真:INAXライブミュージアム

そのきっかけは阪神淡路大震災で、瓦屋根の家屋の倒壊がクローズアップされ、瓦が使われなくなったことだった。「瓦を消滅させないためには、均一に大量生産する工業製品の瓦をつくるばかりでなく、限定でも使ってもらえるように、もう一度、本来のよさをもつ瓦を見直したい。そのためにだるま窯をつくりたいと思い続けていました。かつての瓦を焼く技術も少しは残したいと思ってね」と山田さん。1950年代で消えただるま窯のつくり方、窯の焚き方から皆で覚えていったという。「長老も燃料を薪だけで焚いた経験はなくて、石炭や重油焚きが多い。薪はまず集めることから大変で、また焚いたことがないから温度を上げるのが大変。皆の気分だけは上がるんだけどねー」と山田さんの話に思わず笑いがうずまく。「すると窯の中に温度差ができるでしょう。それは焼きムラができること。無駄も多い。なんだかんだ言って10回ぐらい焼いたときに、まあまあの出来の瓦が焼けだしたんです」。
窯の中のどの位置に詰めるかによって焼け方がどう違うかを知るために、容量に合わせて敷瓦(しきがわら)、64(枚)/坪の屋根瓦のほか、いろいろなものを焼いた。「64(ろくし)は以前、この地域の民家の瓦の標準だったからね」。瓦のサイズも建屋に合致する。
保管しておいたいぶし瓦、合計7000枚。「手間暇をかけて焼いた瓦を理解してくれる施主を探していたわけですよ。そこに現われましたね!」。山田さんの顔もほころぶ。
常滑のものづくりの熱を未来に伝える場所と、共通の思いでつくられた屋根瓦が絶好のタイミングで出会った。葺き上がった屋根は、時間を感じさせるいい表情である。

取材・文/清水 潤 撮影/梶原敏英(特記をのぞく)

山田脩二?Shuji Yamada

山田脩二 Shuji Yamada

1939年兵庫県西宮市生まれ。桑沢デザイン研究所修了。グラフィックデザイナーを目指しつつ写真家として活躍。82年に淡路・津井で瓦の製造技術を2年間学び、瓦師(カワラマン)として独立。伝統的ないぶし瓦をつくり、現代に活かす活動をする。

山田脩二 淡路かわら房
兵庫県南あわじ市津井1787-1
fax 0799-38-0209

見学時の様子。

日置拓人 Takuto Hiki

1969年神奈川県生まれ。早稲田大学工学研究科修士課程修了。学生時代左官・久住章氏のもとで学び、自然素材を活かした有機的な建築設計を行う。INAXライブミュージアムでは「土・どろんこ館」「建築陶器のはじまり館」を設計。

南の島工房一級建築士事務所
東京都調布市上石原3-14-6
http://minaminoshimakobo.com

山田脩二さんが撮影した昭和30年代の常滑の写真を展示

山田さんは20代前半、1963年から2年間常滑に通い、土管や甕(かめ)を焼く人々とまちを撮影した。まちの光景は山田さんを魅了し、42歳でカワラマンとなるきっかけになった。2019年10月にリニューアルした窯のある広場・資料館では、山田さんによる常滑の写真を常設展示している。

上2点写真:山田脩二

「やきものの街、常滑 昭和38-39年 山田脩二」

日時|2019年10月5日(土)より ※展覧会終了
会場|INAXライブミュージアム「窯のある広場・資料館」(※2019年10月5日リニューアルオープン)

開館時間|10:00am ~ 5:00pm(入館は4:30pmまで)
休館日|毎週水曜日(祝日の場合は開館)、年末年始
共通入館料|一般700円、高・大学生500円、小・中学生250円(税込、各種割引あり)
所在地|愛知県常滑市奥栄町1-130
TEL:0569-34-8282 FAX:0569-34-8283
https://www.livingculture.lixil/ilm/
INAXライブミュージアムはLIXILが運営する文化施設です。

雑誌記事転載
『コンフォルト』2019 October No.170掲載
https://confortmag.net/no-170/

このコラムの関連キーワード

公開日:2020年08月26日

  • facebook
  • twitter