「建築とまちのぐるぐる資本論」論考5

歌い踊れる舞台はいかに可能か──ヘルシンキ中央図書館Oodiから考える

森一貴(東北芸術工科大学デザイン工学部コミュニティデザイン学科専任講師)

物語に触れる拠点・Oodi

私は2021年から2年間、フィンランドのアールト大学デザイン修士課程でデザインを学んだ。北欧は多様なものたちを巻き込む参加型デザインやコ・デザインと呼ばれるデザイン領域のメッカで、そこでは「ともにデザインする」ことへの関心や態度を共有する、多くの研究者たちに囲まれて過ごすことになった。
フィンランドはまた、デザインの知見が建築にもよく反映されている国だ。そんな建築のひとつが、ヘルシンキ中央図書館Oodi(オーディ)である。そこは勉強をしに、友人とお茶しに、子どもと遊びに、あるいは暇つぶしにさえ訪れることを許してくれる、私にとってもお気に入りの場所だった。Oodiはフィンランド独立100周年を記念した国家事業として2018年に生まれた図書館である。壮麗に波打つ木質のファサードを特徴とする建築はALAアーキテクツによるもので、今やここはフィンランドを代表する公共建築のひとつだ。

Fig.1・2: Oodiの外観。

大きく開けた1階にはカウンターとレストラン、映画館が配されている。2階は打って変わって暗く内省的な空間で、階段状の交流スペース、3Dプリンタなどを持つファブスペース、音楽スタジオ、ミーティングスペースが集積しているほか、テレビゲームを借りて遊んだりすることもできる。3階まで上がれば、そこが図書館だ。柔らかい光が差し込むなか、本を読んでいる人たちはもちろん、勉強している学生たち、カフェでお茶をしている女性たち、赤子を遊ばせる家族たちが同じ空間に同居する。Oodiに来ると、同じ空間に複数の機能が埋め込まれているがゆえ、歩いているだけで思わず新たな興味関心が引き出されてしまう。
2023年、私はOodiを案内してもらえる機会を得た。2階のスタジオの中では、子どもたちが肩を寄せ合うようにしてテレビゲームに夢中になっている。私が「図書館でゲームをされるのは複雑な気持ちにはなりませんか、やはり本を読んでほしいのではないですか」と尋ねると、司書のサンナ・フットゥネン氏は笑って「確かに本は私たちの核になるものです。でも、ゲームをすることも、映画を見ることも、ものをつくってみることも、物語に触れるあり方のひとつだと思いませんか」と答えた。
図書館が本を通じて偶発的な学びを提供する場だとするなら、Oodiはその思想を拡張し、多様な媒体を通じた学びを生み出す場だと言える。しかし、こうした豊かな景観を生み出しているのは、物理的な空間、つまり建築の力だけに依るものではない。このことを考えるために一度、デザインに関する議論を経由してみることにしよう。

Fig.3・4・5・6: Oodiの内部。多様な空間と人々の活動がある。

謙虚さへ向かう参加型デザイン

デザイン研究家であるエツィオ・マンズィーニは近著『ここちよい近さがまちを変える ケアとデジタルによる近接のデザイン』(Xデザイン出版、2023年、原著『Livable proximity : ideas for the city that cares』)において、近接の都市というコンセプトを詳らかにした。「近接の都市」というコンセプトは、日本でもコンパクトシティという概念が知られているように真新しいキーワードではない。しかし本書の慧眼は、都市や空間は多様なものたちが相互依存し合い広がる、関係性の網の目なのだ、という実相を捉えたことにあった。
マンズィーニの議論を構成する文脈のひとつが、1970年代の北欧で生まれた参加型デザインやコ・デザインと呼ばれる領域だ。それは端的に言えば、デザインの影響を受ける人々をデザインのプロセスに巻き込み、「ともに」デザインする実践のことである(★1)。より踏み込んで言えば、参加型デザインは特権としてのデザインに反抗する営みだ。デザインにおいてはこれまで専門家、つまりデザイナーや建築家こそが知識や技術をもっており、それゆえ専門家が専制的にそのプロセスを担うことが当然だと考えられてきた。「ユーザー(使い手)」という呼び名は、この考えを明確に示すものだ。それに対し参加型デザインは、デザインが行われる過程においてデザイナーはもちろんのこと、デザインが行われる環境や道具、ユーザーやクライアント、私たちを取り巻く歴史や文化など、数え切れないほどのアクターがデザインの行く先に影響を与えているということを明らかにする。つまりデザインとは、多様な要素が絡み合い、応答し合い、影響し合いながら進んでいく過程であり、デザインにおいてデザイナーは、その唯一独占的なエージェントではないのだ(★2)。
そしてこのような絡み合いはまた、関わるすべてのアクターが場に影響を与えることができることを明らかにしている。言い換えればユーザーは、プロセスに深い影響を与えるデザイナーの側にいる。今や誰もがデザイナーなのであり、そしてここでの専門家デザイナーの役割とは、こうした「デザイナー」たちが自らのデザイン能力を発揮できるような環境を耕すことにあるのだ(★3)。
こうした多様なものたちは、ある対象をデザインするプロセスに留まらず、まさに建築空間や都市の中でも蠢き、絡み合っている。マンズィーニはこうした議論を下敷きにして、いわゆる「ハードとソフト」という二項対立の議論を超えた、都市における多様なアクターたちの、繊細で深い絡み合いを捉えた。
再度Oodiを見返してみれば、それを建築や機能の側からのみ捉えてしまうと重要な点を見落としてしまうことに気づく。冒頭の記述に続いて、この関係的な側面に視点を向けてみたい。

Oodiの絡み合う空間と関係

国を代表する公共建築となることを目指したOodiは、実は同時に、参加型デザインの世界的なリーディングプロジェクトになることを目指してもいた。建築の計画プロセスと並行して2012年から2015年までに10の参加型プロジェクトが実施されたが(★4)、このうちのいくつかを振り返ってみよう。
まず第一にOodiは2012年の計画段階で「夢の木(Tree of Dreams)」キャンペーンを行った。これは、市民たちが理想の図書館像を紙に書いて貼り付けることで「夢の木」をつくるというもので、結果として2,300件の"夢"が集まった(★5)。こうした「意見を聞く」プロセスは昨今の大規模建築では当たり前の試みだが、このプロジェクトは既存の図書館利用者ではない多くの人々にもリーチを試みた点が特徴で、行政職員自身が自転車に乗って多様な場所に出かけながら声を集めたそうだ。こうして集まった声を分類したなかには、「仲間との学習」や「家族との時間」、「ワークショップやDIY」といったキーワードが含まれていた(★6)。これに加えて専門家らを巻き込んだワークショップも実施され、そのなかから映画上映や、子どもたちの遊び場を提供するといったアイディアも提案され、いずれもが大なり小なりOodiに反映されることになった。前出のサンナ氏が端的に述べたように、「Oodiは、市民たちの意見をすべて形にした」場所なのだ。
続いてOodiは、フィンランドで初めての参加型予算イニシアティブでもあった。「参加」という字面を見て、マンション建設の際の住民説明会のようなものを思い浮かべる人は少なくないと思う。しかし古くから知られるシェリー・アーンスタインの「参加のはしご」によれば、こうした「意見を伝える」だけの参加は名ばかりでしかないし、ましてやそれが「気をなだめる」ためのものならそれは参加ではない(★7)。これに対し彼女が参加の最上段に位置づけるのが、市民たち自身が意思決定権を持っている状態、つまり「市民によるコントロール」だ。参加型予算はこの考えを実装するもので、一定の予算に対して、市民たち自身が何にどれだけ予算を使うかを決定することができるというアイディアである。Oodiにおいては、市民は10万ドル(現在の為替で約1,600万円)をどう使うかの選択を委ねられた。このために2013年に3回のワークショップが開催されたが、そこではまずOodi側から夢の木で集まったアイディアのうち8つの"夢"が候補として提示され、多様な背景をもつ市民たちがその提案と予算使途について検討。その結果、「リラックスと集中のための空間」「家族と子どものための絵本誕生日パーティ」など4つのプロジェクトが選択され、2014年に実現することになった(★8)。このプロジェクトはまた、ヘルシンキおよびフィンランドに参加型予算が一挙に広がる契機にもなった。
さらに興味深いのは、アールト大学のデザイン専門家などが主導し、28人が参加した「中央図書館の友(Friends of the Central Library)」という市民コミュニティだ(★9)。これは長期的な関わりを通じて使い手のニーズを深く理解しつつ、また多様な人々を巻き込むことで図書館に実験的な文化を形成することを目的としていた。一連のワークショップからはより良い発展のためのコンセプトや、移民・観光客のニーズに応えるアイディアなどが生まれたが、重要だったのはその過程における当事者意識の醸成だ(★10)。参加者のひとりは、インタビューに対しこう答えている。「私はまちに当事者意識を持ち始めました。人生で初めて、自分がヘルシンキの住民だと実感したのです」(★11)。事実、多くの参加者がプロジェクト終了後も「このプロジェクトへの参加を続けたい」と回答し、このコミュニティは現在、図書館の顧客審議会へと発展している(★12)。この動きはいわば、図書館に関わる人々を「ユーザー」にしてしまうのではなく、市民自身が図書館を維持し育んでいく当事者なのだという意識を育む、民主主義的な側面をもっていたのである。
この動きは当然空間とも深く絡み合っている。3Dプリンタや大型プリンタ、音楽スタジオの存在は言わずもがなだが、Oodiの広い勉強スペースはトークイベントの会場に使うことができるし、子どもスペースや階段の上にある広いスペースはヨガの会場などとして使われている。こうした使用可能な──それも単に制度上使えることになっているのではなく、実際に多様に使われていて、自分でも使えると確信できるような──空間こそが、訪れる人々の実践を後押ししているのだ。
それだけではない。Oodiの平たい階段は、他者と触れ合うことを可能にする。奥まったすぼみはひそひそ話を可能にする。1階にある、はしごでしか登れないロフト上の空間は、子どもたちだけの特別な秘密基地だ。そしてそれらがひとつの空間をシェアしているからこそ、そこには生態系が生まれ、偶発的な繋がりの可能性が芽生える。
こうして見てみれば、Oodiでは多様な関係者が協働し、空間的な側面から関係的な側面に至るまで、計画の時点から使用の時点に至るまで、その生態系全体に対してホリスティックな関与が行われてきたことがよくわかる。そしてその結果、冒頭で見たような、多様で複雑でいきいきとしたOodiの景観が生まれるのだ。
参加型デザインは、「ともに」デザインすることについて考えるデザイン領域であったが、その過程でデザイナー自身を、多様なものたちと並ぶ謙虚な協働者のひとりとして位置付け直してきた(★13)。そしてまた同時に、これまでの「ユーザー」や、デザインの枠組みの外側に置かれてきたアクターたちは今や、ともに行動し応答し合うひとりのデザイナーになるのだった。
しかしこのとき、これまでの専門家デザイナーは、どんな役割を果たせばいいのだろうか。エツィオ・マンズィーニは、この問いにも明快な回答を与えている。彼によれば専門家デザイナーの役割とは、多様なものたちのそれぞれの関心や懸念をもち込み、関係し合いながらやりたいこと・ほしいものを実現させることができる、そのための「好ましい条件」をデザインすることである(★14)。それはいわば、「うつわ」をつくるようなものだ。それは多様な興味を集め、偶発的な関わりや実践を可能にするうつわ、そこに集い、関わり合い、ともに踊ることができるようなうつわである(★15)。

「さばえまつり」の試み

留学から帰国した私は今、自身のフィールドである福井県鯖江市で「さばえまつり」という新たな祭りを立ち上げようとしている。さばえまつりは鯖江駅にほど近い松阜神社まつがおかじんじゃとその周辺の商店街を舞台に、多様な背景をもつ人々が関わり合い、自分たち自身で企画を立ち上げて形にしてゆくプロジェクトである。その背景にある意図は、既にここまでの議論を通じて見てきたとおりだ。つまりさばえまつりは、多様なものたちの応答の織り合わせとしてプロジェクトを捉えつつ、その応答と協働のうちから「なにか」が生まれる、そのための舞台をつくろうとする実験的な試みである。

Fig.7: さばえまつりの現段階のロゴ(デザイン:寺田千夏)。

お祭りは私にとって、多様なものたちが複雑に絡み合うアッサンブラージュの最たるものだ──それは地域の歴史や文化、今そこに生きている人々の記憶や感情やアイデンティティ、期待やしがらみ、行政の思惑と政治、ここに挙げきれない無数のものたちが交渉し合い互いを揺さぶり合う、巨大な集積物だ。私がさばえまつりで試みているのは、その異質で多様なものたちを可能な限り認識し、引き受けることである。そしてその引き受ける行為は既に述べたように、デザイナーとしての私自身の特権やコントロールを手放し、その代わりに多様なものたちのエージェンシーが応答し合い、「なにか」が偶発的に生み出される舞台を生み出すことにつながる。
こうした多様なものたちが集う舞台として位置付けているのが「寄り合い」だ。寄り合いは月に一度開催される、さばえまつりに関わる人々の集いだ。これは高校生、デザイナー、地域おこし協力隊、大学生、地域の高齢者、地域活性化団体のメンバー、自治体職員、飲食店経営者などが集まり、それぞれの関心や懸念、やりたい企画、もっている知識、かつての思い出を持ち寄り議論しながら、「なにか」を形にしていくための場である。これは端的に言えば、あるデザイナー(プロデューサーやプランナー、あるいは建築家と言い換えてもいい)が企画を特権的にコントロールして実現するあり方への反抗だ。関わる人々は誰もがフラットに意志をもち、新たな関係と協働とを生み出すデザイン能力をもっている。ここで試みられているのは、「デザイナーである私」がなにかをデザインするのではなく、集まる人々の関わり合いから思いもよらないなにかが発露する、そのための舞台をどう生み出せるかを探索することなのだ。

Fig.8・9: 初めて開催された寄り合いの風景。

こうした営みは困難なものだ。出入りと発言に開かれた寄り合いは、すぐさま異質でコントロール不可能でわけのわからないもので溢れることになる。炊き出しをやりたい、新しい音頭をつくりたい、綱引きをやりたい、子どもたち自身が売り子になるマーケットをやりたい。こうした多様な着想が湧き上がる。それとまったく同時に、それぞれが自由に声をあげられるからこそ、地域や団体同士のいざこざやしがらみとか、これは何年続くつもりなんだとか、本当に地域によって良いことなのかといった、できれば向き合いたくない懸念が表出したりもする。そうしたなかで、自分の特権性を手放しつつも、バランスを取り続け、熱意を耕し続けること。それは終わりのない、あまりに泥臭い過程だ。それでも私は、そうして多様なものたちが絡み合い応答し合うことでこそ、思いもよらないなにかに触れることができると信じている。

デザイナーの役割

私の議論を簡単に振り返っておこう。デザインは今、ハードとソフトといったわかりやすい二項対立を揺さぶりつつ、多様なアクターたちが相互依存しながら絡み合うアッサンブラージュの総体を引き受けた実践に取り組もうとしている。そしてこれは、これまでのデザイナーの特権を脱中心化し、関わるアクターたちのエージェンシーを尊重する行為である。そしてこのとき専門家デザイナーの役割とは、こうして多様なものたちが自分自身の関心や懸念を持ち寄って形にしていく、そのための「好ましい条件」をつくり出すことであった。
その実験として取り組んでいる私の試みは見ての通り、極めてソフトな実践に偏ったものではある。しかし、ここまでの議論は建築にも共鳴するものであるはずだ。建築という行為、あるいは建築がもたらす空間は、多様な人々が集まるきっかけを生み出すという意味で、さばえまつりと同様にマンズィーニの言う「関係的オブジェクト」である(★16)。建築家は既にその意味で、多様なものたちの懸念や関心が集う、その集積点をまざまざと垣間見てきたはずだ。だとするならば、建築家が(比喩的な意味での)開かれた舞台をつくり、その上で多様なものたちとともに「建築」していく、そんなことはできるだろうか。建てられた建築自体がしなやかに、多様な人々に使われながらその舞台そのものを変化させていく、そうしたプロセスをデザインしていける可能性はあるだろうか。
マンズィーニは、デザインとは歌を歌うようなものだ、と述べた。誰でも歌うことができる。けれども私たちが歌い踊り出すためには、踊りの文化と、いい音楽と、そして素敵な舞台が必要である。私たちは、この舞台を生み出し耕していく役割を果たすことができる。

  1. ★1──Robertson, T., & Simonsen, J. (2012). Participatory design: An introduction. In Routledge international handbook of participatory design (pp. 1-17). Routledge.
  2. ★2──例えば、Suchman, L. A. (1987). Plans and situated actions: The problem of human-machine communication. Cambridge university press(邦訳:ルーシー A.サッチマン 著、佐伯胖・水川喜文・上野直樹・鈴木栄幸 翻訳『プランと状況的行為: 人間‐機械コミュニケーションの可能性』産業図書、1999年)、Escobar, A. (2018). Designs for the pluriverse: Radical interdependence, autonomy, and the making of worlds. Duke University Press(邦訳:アルトゥーロ・エスコバル 著、水野大二郎・水内智英・森田敦郎・神崎隼人 監修『多元世界に向けたデザイン:ディカルな相互依存性、自治と自律、そして複数の世界をつくること』ビー・エヌ・エヌ、2024年)、Wakkary, R. (2021). Things we could design: For more than human-centered worlds. MIT press
  3. ★3──Manzini, E. (2015). Design, when everybody designs: An introduction to design for social innovation. MIT press、Manzini, E. (2019). Politics of the Everyday. Bloomsbury Publishing. (邦訳:エツィオ・マンズィーニ 著、安西洋之・八重樫文 訳『日々の政治:ソーシャルイノベーションをもたらすデザイン文化』ビー・エヌ・エヌ、2020年)、Manzini, E. (2021). Livable proximity: Ideas for the city that cares. EGEA spa. (邦訳:エツィオ・マンズィーニ 著、安西洋之・山﨑和彦・本條晴一郎・森一貴・澤谷由里子・山縣正幸 訳『ここちよい近さがまちを変える ケアとデジタルによる近接のデザイン』Xデザイン出版、2023年)
  4. ★4──Hyysalo, S., Hyysalo, V., & Hakkarainen, L. (2019). The work of democratized design in setting-up a hosted citizen-designer community. International Journal of Design, 13(1), 69-82.
  5. ★5──Oodi. Service design. https://oodihelsinki.fi/en/what-is-oodi/service-design/当時のヘルシンキ市の人口は約60万人。
  6. ★6──小倉祥子, & 宮下十有. (2021). 公的施設への市民参画・社会活動についての考察. 『椙山女学園大学研究論集 社会科学篇= Journal of SUGIYAMA JYOGAKUEN UNIVERSITY Social Sciences』, 52, 1-14.
  7. ★7──Arnstein, S. R. (1969). A ladder of citizen participation. Journal of the American Institute of planners, 35(4), 216-224.
  8. ★8──Helsinki City. Helsinki Central Library Oodi. https://design.hel.fi/en/design-stories/central-library-oodi/、Haavisto, T., Lipasti, P., & Sauli, A. (2017). Working with the citizens: Planning the new Helsinki Central Library. BiD: Textos Universitaris de Biblioteconomia i Documentaci, 38.
  9. ★9──Ood. Service design. https://oodihelsinki.fi/en/what-is-oodi/service-design/
  10. ★10──Hyysalo, S., Hyysalo, V., & Hakkarainen, L. (2019). The work of democratized design in setting-up a hosted citizen-designer community. International Journal of Design, 13(1), 69-82.
  11. ★11──Oodi. Service design. https://oodihelsinki.fi/en/what-is-oodi/service-design/
  12. ★12──Helsinki City. Helsinki Central Library Oodi. https://design.hel.fi/en/design-stories/central-library-oodi/
  13. ★13──Wakkary, R. (2021). Things we could design: For more than human-centered worlds. MIT press.
  14. ★14──Manzini, E. (2015). Design, when everybody designs: An introduction to design for social innovation. MIT press、Manzini, E. (2019). Politics of the Everyday. Bloomsbury Publishing. (邦訳:エツィオ・マンズィーニ 著、安西洋之・八重樫文 訳『日々の政治:ソーシャルイノベーションをもたらすデザイン文化』ビー・エヌ・エヌ、2020年)、Manzini, E. (2021). Livable proximity: Ideas for the city that cares. EGEA spa. (邦訳:エツィオ・マンズィーニ 著、安西洋之・山﨑和彦・本條晴一郎・森一貴・澤谷由里子・山縣正幸 訳『ここちよい近さがまちを変える ケアとデジタルによる近接のデザイン』Xデザイン出版、2023年)
  15. ★15──公共とデザイン 著『クリエイティブデモクラシー 「わたし」から社会を変える、ソーシャルイノベーションのはじめかた』ビー・エヌ・エヌ、2023年
  16. ★16──Manzini, E. (2021). Livable proximity: Ideas for the city that cares. EGEA spa. (邦訳:エツィオ・マンズィーニ 著、安西洋之・山﨑和彦・本條晴一郎・森一貴・澤谷由里子・山縣正幸 訳『ここちよい近さがまちを変える ケアとデジタルによる近接のデザイン』Xデザイン出版、2023年)

撮影:森一貴
サムネイル画像イラスト:荒牧悠

森一貴(もり・かずき)

1991年山形県生まれ。東京大学教養学部卒業。東京のコンサルティング会社勤務を経て、2015年福井県鯖江市のプロジェクト「ゆるい移住」に参加し移住。2023年アールト大学大学院デザイン修士課程修了。2024年から東北芸術工科大学デザイン工学部コミュニティデザイン学科専任講師。

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公開日:2024年04月26日