穴が開くほど見る
── 建築写真から読み解く暮らしとその先 (第6回)

石上純也(建築家) × 保坂健二朗(東京国立近代美術館主任研究員)

『新建築住宅特集』2020年3月号 掲載

  • facebook
  • twitter

理念が先行するということ/「最小限住居(自邸)」 増沢洵

「ゲーリー自邸」 フランク・O.ゲーリー「最小限住居(自邸)」 増沢洵(1952年、東京都渋谷区) 提供:増沢建築設計事務所

保坂:

続けて2枚目は、増沢洵さんの「最小限住宅(自邸)」のキッチンとダイニングを2階から見下ろしたものです。1952年に渋谷区大山に竣工したこの住宅の床面積は「住宅 No.3」とあまり変わりませんが、こちらには2層分の吹き抜けがあります。写真を見ると庭側にコンロとシンク、その隣におそらくは冷蔵庫置き場があり、それらの背面に調理台があります。コンロと調理台の間から外が見えますが、これはいわゆる勝手口でしょう。この住宅は3間グリッドで構成するという理念が先行しているため、キッチンが家の角とも言えるこの場所に収められているのは必然的な配置と言えますが、もしコンロと調理台とがコの字状に繋がっていればフランクフルトキッチンのような機能性を確保できたはずです。でもそうなってはおらず、しかも少し距離があるので料理がちょっとしづらそうです。写真右側のすのこ敷きのところが事実上の玄関になっていたはずなのですが、となるとダイニングテーブルの位置も本当にここでいいのか、と疑問が出てきます。実はこのテーブル、別の写真を見るともう少し室内寄りに置かれています。でも図面ではこの写真と同位置に描かれている。つまりこの写真は、建築家のある種のエゴというか、この住宅建築が持つ理念的なあり方を表そうとしているわけです。
2階に見えるミシンは奥さんのためのスペースです。現代はミシンを日常的に使うことは少ないけど、下にキッチンが見えることもあって、この写真に写っているのは女性の場所なのだというマニフェストすら感じさせます。でも実際には、ミシンのある場所の左側には書斎兼居間があってそこには製図台が置かれています。つまり増沢さんの仕事場もきちんとあるのです。そこで、1枚目と同様に撮影時のつくり込みの話をすると、僕はこの写真からとてもフィクショナルな雰囲気を受け取りました。シンクに置かれたタワシやぶらりと垂れた配線などからは確かに生活の匂いが漂っています。でも、ダイニングのテーブルには空のティーカップが2客置かれているにもかかわらず、ポットや砂糖もありません。ここで思い出されるのはこの住宅で有名な2階書斎のテーブルの写真で、そこにはワインボトルとグラスが置いてあるのですが、増沢さんの御息子である建築家の増沢幸尋さん曰くお父様はお酒を飲まなかったそうです。きっと増沢洵さんには、この住宅での理想的な生活にはこういうものがあるはずだというアイデアがあったのでしょう。だから実生活とは繋がっていないものも意図的に写真に入れたのではないか。設計をする人がこの写真を見た場合には、この住宅で用いられている1.5m、75cm、34.75cmというモジュールの使い方に目がいったりすると思うのですが、僕には、増沢さんがこの住宅で提示したかった理念を「理想的な生活像」という切り口から読み解きたくなるわけです。

石上:

僕がこの写真に一番興味をもつのは、建具による表現です。増沢さんが巧みにデザインした吹き抜けのリビングに組み合わせた建具によって、空間にバリエーションを出しています。また、こうしてふたつの住宅のキッチンを並べると、リビングと玄関との関係に日本らしさを感じます。日本の民家では、土間や台所の空間がエントランスで、その奥に居室がある。古民家に見る田の字型のプランは日本の暮らしを体現しています。海外の近代の建築家がつくった住宅でリビングとキッチンが一緒に写っている写真は少ない。
たとえばミース・ファン・デル・ローエの「ファンズワース邸」のキッチンは、ワンルームのコアにありリビングとは繋がっていません。先ほどの「ボルドーの住宅」はエントランスを入るとキッチンがある特殊な事例ですが、やはりリビングとは接していません。水場はバックスペースという考えが欧米の建築の源流にあるため、玄関やリビングはキッチンと直接繋がることがないのでしょう。だからこそ、レムはバックスペースを大事に設計しているようにも思います。それがレムらしい。キッチン・リビング・ダイニングが同時に見えているという状態に空間の質としての日本を感じます。

保坂:

キッチンが土間にあった時代は、基本的に水道はなかったので、水をためた水瓶から水を汲んでいました。水道が住宅に整備されるとキッチンをどこに配置するかが問題になります。その頃の日本は「男児厨房に入るべからず」という概念に対する女性たちの抵抗が始まっていた時代。先ほど触れた浜口ミホさんは、中国の大連に生まれ、煉瓦造りの洋風の家で女中もいる生活をしていた方でしたが、日本に帰国後、寒くて劣悪な環境であった日本のキッチンを見て改革の重要性に気が付いたと言われています。浜口さんはその後、サンウエーブ工業とキッチン用のステンレス製の流し台を開発していくことになるわけですけど、増沢さんによるこの住宅が竣工したのはその少し前。ですから、当時の社会時流の只中で増沢さんが台所をどこに配置するかと考える時に、機能性から出発するのではなくて「理想的な生活を三間グリッドの空間の中に実現させる」という理念から考えていたと推測できることがとても面白い。ちなみに、雨戸をなくすことも家事の手数を減らすという意味で、住宅における女性解放の手法のひとつだったらしいですが、池辺さんの「住宅 No.3」を見ると、リビングに面した引き戸の方はまだ雨戸が残っています。そのあたりが過渡期を感じさせますね。そんな池辺さんは『新建築』が1948年に住宅のコンペを開催した際、28歳の若さで審査員をしています。当時はまだ実作がなかったにもかかわらず、年上の建築家が応募してきた作品に対して「機能的ではない」「もっと女性を解放しろ」という理念でバッサリと切っていました。

石上:

建築家が戦後ようやく建築作品をつくれるようになった時代に、この小さな敷地で自分の理念を表現しようとする気持ちは同じ建築家としてよく分かる。その時どきの社会状況の中で、自分の理念をどうやって建築で表現するのかを僕たちは相当考えるわけで、その結果、建築に時代性が生まれる。それと同時に、若手が躊躇なく新しい価値観を理念として唱え、時代を更新しようとすることはひとつの使命だったかもしれません。現代は価値観が多様で、建築家の表現が自己表現に終始してしまう場合も多くありますが、自分の理念を表現することが社会に対しての使命、とはっきりと言えたこの時代は幸せだったかもしれませんね。

強い自然の中の建築からの視座/「サラバイ邸」 ル・コルビュジエ

「吉阪隆正自邸」 吉阪隆正「サラバイ邸」 ル・コルビュジエ(1951年、インド、アーメダバード ) 撮影:新建築社写真部

石上:

僕の2枚目はインドのアーメダバードにあるル・コルビュジエの「サラバイ邸」です。コルビュジエがヨーロッパでつくった建築は基本的に明るく、ガラスの透明性によって開放感が示されていましたが、僕はコルビュジエの作品が一番似合う気候はインドだと思います。もっと言えばコルビュジエだけでなく、近代建築は南国に合うのではと。おそらく、寒い地域に比べて設備の制約が少ない南国は建築がつくりやすいから、理念のローカル化がうまく表現できている。この「サラバイ邸」ではそれを特に感じます。まず、コルビュジエの連続する横窓は引き戸であることが多いですが、この住宅の窓はこの写真正面に見えるようにすべて木製の回転窓。閉じるとこのヴォールトの木の仕上げと連続し壁のような状態になる。日常生活ではほとんど開けた状態で使っていたと思いますが、コルビュジエが目指していた屋内外の繋がりを、壁を開放するという具体的な開く行為によって表現したことが分かります。また、写真の外にとても明るいインドの気候が見えますが、それを強調するように内部が非常に暗いですよね。ヴォールトは3つしか写っていませんが、実際は10個反復する構成で、空間の分節がヴォールトによってつくりだされています。家具をよく見ると、イスやテーブルは足を切り座面の高さは30cmほど。「サラバイ邸」のような豪邸であれば、普通の感覚だと家具は大きい物を置くはずですが、日本の住宅と同じようなスケールを感じさせます。この低い家具に対してこの梁なので、高さが相当低く抑えられていることが写真から読みとれます。照明計画もすべてコルビュジエによるものだと思いますが、僕が現地に行った時は住宅全体の照明をコントロールできるようになっていて、壁の裏側に調光のつまみが並ぶごつい基盤がありました。庭に生茂る植物から分かるように「サラバイ邸」は南国の豊かな自然に囲まれています。当時から室内を調光していたとしたら、屋外の明るさとのコントラストをつけることへの意識が、この家で実践されていたと想像します。1950年代当時、ここまでの調光を備えた住宅は、なかなかないでしょうね。
少し話が逸れますが、ルイス・バラガンの住宅もこの家と同様にすべての家具が低く設えてあります。室内外の明るさの激しいコントラストによって、カラフルな色彩は派手にならずピンクが茜色に見えるくらいに落ち着きます。日本の伝統建築に使われた金箔が、暗い中にあるとボアっと浮かび上がって見えるのと似ています。だからこそ、コルビュジエもこの家の明るさにはこだわっていたのではないでしょうか。

保坂:

外にこれだけ自然があるからか、インテリアには植物を入れていませんね。今の建築家はインドアに植物を入れたがる気がしますが、この住宅は植物によって建築が守られているとも感じます。

石上:

南国は自然の力が強すぎるので、どんな人工物をつくろうとも自然が建築にかみついてくる。インド、特にアーメダバードにある階段井戸は特殊で、下っていくと寺院のようになっている。ものすごく人工的でも、何かしらの自然が感じられます。

保坂:

「かみついてくる」というのは、どういう意味でしょうか。

石上:

深い自然の中で住むためには、自然の力の強さを前提に建築をつくらなければならないという意味です。南国には建築を受け入れる力がある気がします。この地域は1年の半分くらいが雨季で、僕が現地を訪れたのは乾季でした。雨季の頃の「サラバイ邸」の方が、雨の音なども加わって自然の強さを体感できるかもしれないと、改めてこの写真を見て思いました。

建築をとらえる抽象度と象徴性のあり方

京都市にある「京都もやし町家」で行われた公開対談風景。京都市にある「京都もやし町家」で行われた公開対談風景。 撮影:新建築社編集部

保坂:

石上さんがなぜ「サラバイ邸」を選んだのか気になっていましたが、今の発言で腑に落ちたと同時に、建築家がひとつの写真から何を見ているかということから、普段何を考えていて、これから何をやりたいのかまでが見えてくる気がして、ちょっと感動すらしています。改めて考えると、今回石上さんは、リビングを外から見た写真と中から見た写真を選ばれたわけです。美術史を学んだ立場からすると、あるモチーフについて異なる作家がどのように取り組んでいるのかを検討する「比較」という手法はやはり有効で、僕は今回その建築を代表してきたわけではないキッチンの写真をあえて使い、それをためつすがめつ見ることで、建築家の理念を確認しようとしたわけです。

石上:

1枚の写真だけを見て喋るというのは頭を使う難しいゲームのようですね(笑)。僕は実物を見た感想も交えてしまいましたが、改めて写真をぐっと見ていくとそこでの体験や知識が補正、補完されるのが面白いです。そして、つくった建築家本人が選ぶべくして選んだ写真に目を凝らして、あらゆることを読み取ろうとする姿勢は大切にするべきだと感じました。建築の印象は写真によって植え付けられる場合が多くて、よくも悪くも僕たちは操作されていると言っていい。写真で見てよく知っていると思っていた建築を実際に見ると、操作されずにいた部分が鮮明に目に映ることになります。それは、写真を読み込まずに見た時には得られない視座だと思います。冒頭でも話した通り、建築写真が誰にでもどのようにでも簡単に撮影され、誰も建築家が選んだアングルなんて気にもせず、たくさんの写真を瞬間的に拡散できるようになった現代という時代についてもう少し考えなければならないはずです。それは、今なら2次元の図面を読み込まずとも、建築のデータを3次元化して、コンピュータの中でくるくる回したり拡大縮小しながら、プロダクトを手にとって眺めるように建築を見渡すことができるようになったようなこととも関連がある。つまり、建築をとらえる抽象度とか象徴性のあり方が変化し始めているとも言えます。建築家が吟味してひとつの写真を選ぶこと、建築家が精魂込めてさまざまな図面にその建築のあらゆる哲学と理論を注ぎ込むように描ききること。その意味をそろそろ考え直さなければならない。それは現代の建築メディアのあり方にも繋がるはずです。この先の未来、どのように建築が伝えられていくのか。その可能性はどんなものなのか。それによって建築がどのように変わっていくのか。そういうことを考えるとワクワクしてきます。

(2019年11月2日、京都市にある「京もやし町家」にて 文責:新建築社編集部)

INAXライブミュージアム「窯のある広場・資料館」4点画像提供:LIXIL

INAXライブミュージアム「窯のある広場・資料館」

愛知県常滑市に設けられた株式会社LIXILが運営する土とやきものの魅力を伝える文化施設「INAXライブミュージアム」。その一角にある「窯のある広場・資料館」が2019年秋にリニューアルオープンした。
常滑は日本六古窯のひとつに数えられる900年以上の歴史を持つやきものの街で、明治に入ると土管などの生産が始まる。この「窯のある広場・資料館」も1921年に操業し土管、焼酎瓶、タイルなどの製造を開始する。常滑市内にある窯の中でも最大級であったが1971年に操業を終え、1986年にINAXが資料館として一般公開。1997年には国の登録有形文化財(建造物)に登録されたが、煙突の耐震や窯の煉瓦の劣化があり2015年に調査を開始し、その後、保全工事が行われ創建時の外観が蘇った。
登録有形文化財であるため保全工事は慎重に進められた。高さ22mの煙突は、煉瓦すべてに番号をつけて解体し、内部をRC造につくり替え、元の位置に張り直す作業が行われた。煉瓦造の窯は、耐震性能の向上に有効な手段を講じることが困難だったため、窯自体の耐震補強をあきらめ、内部に鉄骨フレームによる安全領域を確保し、見学スペースとした。屋根瓦も劣化が激しいため再利用できず、土葺きから桟葺きに替えて軽量化を図った。現在汎用しているサイズでは合わなく表面の色むらも趣があることから、淡路島で昔ながらの製法で瓦を焼いている山田脩二氏の協力による7,000枚の瓦が使われた。
煙突の保全工事中に地震による倒壊と復旧の痕跡が見つかるなど、建物維持に対する情熱が垣間見えたこともあり、ここで働いていた人たちのものづくりに対するスピリットがここかしこから伝わってくる。ぜひ足を運んでいただき「ものづくりの熱」を体感してほしい。

煉瓦造の窯内部。プロジェクションで窯焚きの工程を再現している。

煉瓦造の窯内部。プロジェクションで窯焚きの工程を再現している。

1階展示室。職人たちの様子をスコープの中に映像で再現している。

1階展示室。職人たちの様子をスコープの中に映像で再現している。

所在地:愛知県常滑市奥栄町1-130
tel:0569-34-8282
営業時間:10:00 ~ 17:00(入館は16:30まで)
休廊日:水曜日(祝日の場合は開館)、年末年始
入館料: 一般700円、高・大学生500円、小・中学生250円(税込、ライブミュージアム内共通)
※その他、各種割引あり
web:https://www.livingculture.lixil/ilm/

雑誌記事転載
『新建築住宅特集』2020年3月号 掲載
https://japan-architect.co.jp/shop/jutakutokushu/jt-202003/

このコラムの関連キーワード

公開日:2021年04月21日

  • facebook
  • twitter