ウイルス・都市・住宅──変革の今、建築と人がもつべき想像力

西沢大良 × 乾久美子 × 藤村龍至

『新建築住宅特集』2020年8月号 掲載

これからの住宅・都市像の仮説

藤村:

コロナ以前以後では、住宅や都市の姿にどのような変化が現れると思いますか。

西沢:

今年4月頃にニューヨークでいきなり感染爆発が起きた時、密度が問題なのではないかと感じました。公衆衛生の分野では人口密度と感染実数の相関についてまだ調査されていないようですが、密度の影響が非常に気になっています。東京圏の場合、人口は世界一ではあるとはいえ、人口密度は低いですよね。東京圏は小田原あたりから日光くらいまで途切れずに広がっていて、面積が広大すぎるので、人口密度は高くない。ところがニューヨークはマンハッタン島の人口密度も、個々の街区の人口密度も、個々の建物の人口密度も、非常に高いです。物流や商品の密度もそれに応じて高いでしょう。こうした密度の問題が、今回の感染拡大にどこまで影響したのか知りたいです。ただ、マンハッタンの密度を安全と見る専門家はいないでしょうから、今後はより中密度、ないし低密度の都市の姿が模索されるかもしれません。

藤村:

ニューヨークは世界でも極端な例かもしれませんが、ヨーロッパの新市街地が、中層の集合住宅が都市基盤と一緒に整備され一定の密度やスケールを保っているのに対して、東京は基盤と一体になった都市型住居の発展が中途半端なまま人口が急増し、敷地が細分化を繰り返しながら個別に建築物の更新が行われて独自の住環境をもたらしています。東京のような、周囲に隙間をもつ戸建て住宅でできている大都市には、テレワークやソーシャルディスタンスにふさわしいあり方が議論される今、新しい可能性が発見されるかもしれません。

乾:

外出自粛期間中、昼間に外出することをためらい、真夜中に自転車をこいで運動不足を解消していました。当時は車の出もほとんどなかったので信号を気にしないでノンストップで自転車で走っていたのですが、行けども行けども住宅だらけということがよく分かりました。無限に住宅地が繋がっていくのが東京なのだと改めて実感したのです。また、そうした住宅の海の中に働く場や小規模の市街地が散在していることも東京の特徴でもあります。なので、あえて遠い郊外に拠点を移さなくてもよいのではないかと思ったりします。また、私が留学していたイェール大学のあったアメリカのニューヘブンは、大学しかないという街でしたが、大学と中心市街地が一体となった都市環境は魅力的でした。ナイン・スクエアと呼ばれる中心部以外はアメリカらしい郊外の風景が広がり、戸建ての住宅が豊富にありました。それを学生がシェアしながら住むというのが一般的で、日常的に庭でバーベキューを楽しむ、のんびりした郊外の暮らしと高度な教育環境、そして大学を中心とした都市性とが一体となっていました。こうした一種のハイブリッドな文化は長い時間をかけて生まれたものですが、日本でもゾーニングを超えた混在が進み、文化を感じさせるところまでいくと面白いように思います。

藤村:

商業を考えてみても、コロナ禍以前、東京・台東区の谷中銀座や原宿のキャットストリート、川越の一番街商店街など住商混在地域に賑わいがありましたが、それらの魅力は、もともとは住宅と商業の近さが生み出していました。しかし途中から観光地化が始まり、その賑わいを支えていたのは、SNSなどのメディアの影響が大きく、インバウンドなどの交流人口によるものが多かったのだと実感しました。そうした交流人口に頼っていた店舗は、このコロナによって淘汰されてきました。しかし、谷中で知られている宮崎晃吉さんの設計による「HAGISO」(SK1601)などを見ていると、近隣住民などコミュニティに支えられている店はテイクアウトや配達などに切り替えてもお客がついてきていたようです。

西沢:

どの駅前にも同じように出店してきた全国チェーン系の店舗も、淘汰されるかもしれないですね。川越などの観光スポットと同じく、駅前というのもひとつの集客地で、そこにぶら下がっているだけで商売になるという、一種の便乗商法の集積地でもありました。そうした店舗は、移動や通勤が制限される新型ウイルスの影響下ではやっていけないでしょう。不特定多数のポピュレーション(通行客)を当てにするのでなく、特定のパーソンの目的地になることを目指した方が、商売のレジリエンスは高いと思います。

地方と都市のこの先

藤村:

もう少し大きなスケールで考えてみたいと思います。地方から東京圏への人口流入の歴史を振り返ってみると、戦後から増えていき1962年でピークを迎え、その後地方都市が2次産業の発展と共にいったん落ち着き、1980年代から再び増加。バブル崩壊により一時期減るも、現代まで都心一極化が続いています。戦後から一貫して増加していたわけではなく、時に政策が功を奏して地方に人口が分散する時代もありました。1988年に制定された「頭脳立地法」は東京に集まってしまう「頭脳の分散」を目指すというもので、今見ると面白い取り組みだったと思います。全国に「テクノポリス」と呼ばれる田園都市をつくり、知の拠点を分散させようという政策で、2000年に開学した山本理顕さんの設計による「はこだて未来大学」(SK0009)などはその成果とされています。都心のオフィスタワーではない場所でイノベーションを起こす国土のグランドデザイン像の提示も、今こそ建築家が取り組むべきに課題のひとつかもしれません。

西沢:

国土レベルでいうと、1960年代から今日まで、東京圏だけでなく地方も変質したと思うんです。国連のデータによると、今の日本の都市人口比率は90%を超えていて、国民の9割が東京圏であっても地方であっても都市化された場所、つまり住宅地や業務商業地などに住んでいます。ですから地方へ移住する場合も、その地方における住宅地や業務商業地へ移住することになるでしょう。人口移動としては「都市A→都市B」という図式です。これに対して、日本の1960年代にピークを迎えた人口移動は、今の中国のように都市人口比率50~60%の時期なので、人口移動としては「農漁村→都市」という図式でした。今でも農漁村を目指そうとする移住者の方々もいるとは思いますが、集落のキャパシティは小さいので、地方の住宅地でシティファームをやることになるケースが多いと思います。つまり、今の日本はどこへ移住しても大小さまざまな都市圏だという状況です。ですから、個々の都市圏の特殊性や可変性が、非常に大事になってくると思います。ちなみに、もともと近代都市計画は、どの国でも都心と郊外という2点を整備してきました。都心においては業務エリアや商業エリアを整備して、郊外において住宅街(ベッドタウンやニュータウン)を整備するという両面作戦です。欧米や中国はこの2点の隔離が明快で、両者の間に緑地や自然が残されています。ところが日本の都市域、特に東京圏の場合、2点の間に緑地や空地はなく、空地があってもすぐにミニ開発で埋め尽くされてきました。東京圏では都心と郊外が二極化するような図式ではなく、むしろ都心と郊外の間にいろんなハイブリッドがつくられてきたといえます。この特殊性が、今後において可能性として注目されるかもしれません。たとえば職住近接などは、欧米よりは実現しやすい構造になっています。

乾:

全国的に見て、地方に余っている空き家などを有効活用しようという動きは、今後より活発になるように思います。今後もテレワークを日常の一部にしようとする人たちが、地方に移り住むケースは考えられそうです。
ところで、緊急事態宣言中、AMOの『Koolhaas. Countryside, A Report』(2020年、TASCHEN)のいくつかの章を読んでみました。その中に、ドイツやイタリアで破棄されたような旧市街地や旧集落が、難民によって居住地として息を吹き返す様子がレポートされており、非常に面白いと思いました。イタリアの山岳都市などに多様な宗教、肌色の人びとが集まりながら、いきいきと新しい集落を形成しているのです。日本でも、限界を超えた都市や集落、農村の可能性を新しいまなざしでとらえて、使いこなそうとする人はもっと出てくると思います。コロナの問題が、そうしたまなざしを強化するかもしれません。

西沢:

つまり一度は廃墟になった場所が、想定外の再生をする例ですね。日本の地方は道路密度の高さもひとつの特徴で、国土面積に対する道路網の長さは世界有数で、地方の山裾まで道路や上下水道や電気が敷かれています。北米では仮設の地上インフラを老朽化したインフラに接続して再利用する事例も出てきています。上水や用水といったインフラがないと農業もできないわけですから、インフラのある場所の転用方法は今後増えていくと思います。

藤村:

日本では2011年に根本祐二氏が著書『朽ちるインフラ』(日本経済新聞出版)で、自治体が保有する公共施設やインフラが財政的に維持できなくなると警鐘を鳴らし、総務省が全国の自治体に号令をかけて保有する公共施設のリストアップとマネジメントの方針を立てさせました。私も「鶴ヶ島・未来との対話プロジェクト2013」(SK1404)がきっかけになり、東京都目黒区や神奈川県相模原市、葉山町、千葉県松戸市、茨城県高萩市などいくつかの自治体で計画の策定に関わりましたが、どの自治体も状況が逼迫していて、この10年くらいで明確に方針を打ち出せるかが勝負となりそうです。単なるコストカットの議論になりがちですが、今のうちに将来像を描くことが大事なので、建築家の役割が大きいと感じました。

ポストコロナにおける都市と住宅のあり方

藤村:

今後考えてみたい具体的な建築・都市像についてお聞かせください。

西沢:

私は、住宅や集合住宅を設計したいと思うようになりました。コロナ禍において住宅は最後の砦でしたが、その家の中で感染しているようではお手上げです。家族間や隣人間の感染リスクを少しでも低減できるような工夫が必要です。特に気になっているのは共用スペースで、独立住宅における玄関や廊下やサニタリー、集合住宅におけるエレベータホールや階段室や共用廊下などです。これらはもっぱら機能的な場所として設計されてきましたが、それだと感染を助長するだけなので、根本的な設計思想の変化が必要です。その意味では、複数の住宅が共用してきたような施設、たとえば福祉施設や集会所についても、非常に関心をもつようになりました。

藤村:

これまで住宅の一部を開いてカフェにしたり、公園や街路などのパブリックスペースで飲食物を提供しようとした時に最初にぶつかる壁は保健所でした。コロナ禍で改めて、医療機関の少し外側にある保健所のあり方が注目されたと思います。これまでうまく活用されておらず、建築関係者にとっては飲食店を設計する時に行くところ、というイメージでした。建築行政や都市行政も、普段から厚生行政と密に連携を取れていたら、今回期間限定で実現した路上に飲食店を広げるといった対応(新型コロナウイルス感染症の影響に対応するための沿道飲食店等の路上利用に伴う道路占用の取扱いについて〈令和2年6月5日付け国道利第5号〉)などももっと早く実現できたかもしれません。

乾:

今回のコロナ禍で、アメリカの老人ホームで大量の死者を出したことがショッキングな事件として報道されていました。日本と同様の慢性的な人手不足が感染拡大を進めてしまったようで、施設型のリスクが如実に現れたということだと思います。ですが、こうしたケアや医療の現場を、単に住宅に戻せばよいとはならないでしょう。なぜならこれまでの感染の歴史を見ていくと、ウイルスにより家族全員が感染し死亡するということもあったわけで、昔の大家族的なものとは違う仕組みや構えをもたなくてはいけないからです。たとえば日本の福祉は、訪問介護などの居宅サービスが充実するようになりましたが、そうしたサービスを受けることは一種の家びらきをするような側面があるかと思います。それは受動的なものといえますが、家を家族だけのものではなく外部へと開かざるを得ないところに、可能性を見出すこともできるかもしれません。家が開かれた構えになっていて、若い時期には介護ではなく別の使われ方をされるといったことなどが考えられます。

藤村:

テレワーク的な想像力に後押しされて、第1種低層住居専用地域の兼用住宅の規制が緩くなると、郊外の可能性がぐんと広がります。非住宅部分の床面積は50㎡以下に限られていますが、たとえば100㎡程度までとなれば建築設計事務所のような少人数のチームにとっては都心部とは異なる規模が得られるのでオフィスとしての活用が広がりそうです。また郊外では、たとえば今関わっている埼玉県鳩山町の鳩山ニュータウンでは、かつて1億円以上で販売されていた住宅が1,000万円で売り出されていたりするので、それならば、1億円かけて都心に200㎡のオフィス兼用の住宅を建てるよりは、半額の予算で郊外に100㎡の住宅を2軒3軒と所有した方がよいと考える人も出てくるのではないでしょうか。1980年代までの郊外ニュータウンにはインフラ整備に莫大な投資が注ぎ込まれて、緑地や空地など非常によい環境が整っています。これまで、都心の高密度な環境下における狭小住宅の提案や、地方の空き家改修で見られる土間や縁側に対しての提案が多くある一方で、その中間にある郊外のポテンシャルにこれからさまざまなな実践が出てくると思います。

西沢大良氏

乾久美子氏

藤村龍至氏

※上記3点撮影:新建築社写真部

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公開日:2021年05月26日