住宅をエレメントから考える

水回りを開放する──住宅の水回り総集編

貝島桃代(建築家)×髙橋一平(建築家)×増田信吾(建築家)

『新建築住宅特集』2021年12月号 掲載

自身の実践とこれからの実践

増田

最近、私は事務所から帰る途中の銭湯に入り、水風呂と熱風呂を行き来することで身体の調子を整えています。「リビングプール」(JT1502)は、最終的にはプールと名付けましたが、設計時は風呂を想像していました。予算がないプロジェクトだったので、単板ガラスの既存窓は残しつつ、それでも快適性のある住宅にするため床を下げ足元を温めることで、体は暖かいが頭は冴えている半身浴のような環境を目指していました。「庭先のランドマーク」は、公園に接した小さな住宅のリノベーションです。害虫と湿気により住空間が結果的に閉じてしまい、倉庫のような佇まいでした。計画では水回りを森側に寄せ、建物から独立するようにバルコニーを設けました。バルコニーの床を一部盛り上げ腰掛けとしてあり、座るとちょうど手摺りが邪魔にならない高さで公園の自然が感じられます。立派なテラスとすると椅子やテーブルでも置くと、1、2時間と滞在すると意気込むような居場所になってしまう。そうではなく、すぐ横に水回りがあるので、風呂から上がったり、洗濯物を干した後の1分でもここに座れれば、この敷地に暮らす価値があるだろうと思ったのです。

髙橋

増田さんたちの建築をようやく理解できた気がする一方で、その話を聞かなければ、設計意図を読み取り切れません。誇張された基礎やベランダなど、誌面には映らないものが突如存在感を晒し出すという、予定調和ではない建築の原始的なあり方を感じます。理由から建築をつくってしまうと明快すぎて、面白さを想像させる予感が消えてしまいますからね。

増田

また、水回り空間を軸に考えていたプロジェクト「北側のセカンドハウス」(JT1701)では、水回りを除いた住居空間を簡素に建ち上げ、水回り空間を北側に寄せて独立させる計画でした。建主の要望は、単に住宅を広く使いたいということ。水回り空間は使われていない時間の方が長いので、独立させて居室に対して開放していくことで、住居空間に還元できるのではないかと考え始めたわけです。風呂も開放的にして、湿度の流れなども操作できれば、乾燥する冬場には有効に働くのではないかなどいろいろ考えていたのですが、だんだんと水回りをいかに開放的な空間として設計するかが主題になって、水回りの本質や、そこでの人の行動の本質には至らず、まったく別の着地をしたので課題が残っています。

増田信吾+大坪克亘「リビングプール」2014年

増田信吾+大坪克亘「庭先のランドマーク」2019年

増田信吾+大坪克亘「北側のセカンドハウス」(JT1701)

貝島

水回りのエレメントがそれぞれに独立化してひと繋がりの空間となることは、新たな可能性を示唆しているように思います。建築の内側に取り込まれて断片化していたものをかき集めて、空間として引き剥がした。住宅のエレメントのコンパクト化が進む中、前近代的に要素を解体することで、生活やデザインが入り込めることを示した作品ですね。

髙橋

僕が設計した「casa O」(JT1412)は、木造密集地に四周を囲まれた小さな住宅の改修プロジェクトです。1階をキッチンだけ、2階を風呂だけとして設計しました。この住宅密集エリアに1歩踏み入れた瞬間から、自分の家が始まる感覚を生み出したいと考えていました。周囲の住宅すらも自分の家の一部で、家の中にいても、常に街の中にいると感じられると生活感覚の射程は広がります。「アパートメントハウス」(SK1808)は、8㎡程度の部屋が8戸入った、単身者8人の家です。各部屋はそれぞれ、あるひとつの生活シーンに特化していて、風呂にゆったり浸かるためだけに帰ってくる部屋、ご飯を調理して食べるのを楽しむ部屋など、家に求める価値がこれまでの住宅とは異なる住人が集まることを想像しています。風呂の部屋とキッチンの部屋をシェアすることで、ひとつの家になることもあります。自分がもつ小さな価値をほかの人と一緒に集めることで大きな世界になっていくという考え方です。
人間は動物的な身体感覚をもっていて、都会にはまるでホームレス同然の人がいます。道端で車座になって飲食する人、電車の中で寝ていたり化粧を始めたりする人、携帯電話をいじる人など。そういう人たちを観察していて、この人たちが住宅に求める価値はそれぞれ違うのだと思いました。エレメントだけでも住宅は成り立ってしまうのです。どちらのプロジェクトもそのような意味では、エレメントから住宅を建て、人間によるコンティニュアスな経験世界に建築を沿わせることを実践しています。

髙橋一平「Casa O」2014年 ①撮影:Antoine Espinasseau

髙橋一平「アパートメントハウス」2018年

髙橋一平「アパートメントハウス」2018年

貝島

アパートなどの小規模集合住宅では、建物の規模に比べて空間に住宅の機能が反復され、設備が重装備になりがちです。日本では水回り設備を単なる道具と扱わず、自分のもの、自分のテリトリーとして囲い込む傾向がありますね。フランス人の建主から、「日本人はトイレに行き過ぎだ。ひとつの家にトイレはひとつで十分だ。」といわれたことがあり、体の構造の違いもあると思いますが、日本人との水回りに対するとらえ方の違いを感じました。公・私の線引きも文化や人によって異なります。髙橋さんの作品は、その境界線の多様性を主題にしたのですね。

増田

髙橋さんは、近代の価値観を引きずる人とは違う新しい人間の生き方をベースに設計のスタートにしている印象をいつも受けます。今普通とされている生活から価値観が更新された生き方を想定している。たとえば風呂はもともと共有するものだったのに、平等性を推し進めたら1世帯ひとつになり、優先順位の価値観が多様になると、もはやいらないという人も現れてきた。これは新しい切実性です。僕たちは今ある生活や環境の中の対話を繰り返して設計しています。これまで取りこぼしてきた事象や、意外と重要な事柄を引き上げてかたちにした時に結晶化のようなことが始まる。それがエレメントとして顕在化し、建物に対して批評的な存在になることが、事象を汲み上げて設計する価値なんだと思います。そうすれば全体もその部分に対して批評することにもなり、ようやく全体と部分みたいな価値観から逃れて、設計すべきことに集中できるのだと思います。そもそも全体というのは勝手に一旦決める枠であって、もっと世界は広いですよね。

貝島

私たちは食やキッチンを社会的な道具立てとして提案してきました。「野菜のキオスク」(1992年)は、郊外住宅地に隣接する畑の畦道を繋ぐように建てられた野菜の無人販売所です。木筋を木のせき板で囲み、畑の土を詰めて、版築した門型の建物のトンネル部分に穴を開けて収穫した野菜を入れて販売、その後はまた土に還っていく建築です。「PKO(パブリックキッチンオペレーション)」(1994年)では、先に述べた先輩の木賃学生アパートのキッチンや当時の代々木公園で毎週末開かれていた、イランの外国人労働者が集まるフリーマーケットで彼らと日本人の若者たちとの交流を目撃した体験から、食をつくり食べることを通して、さまざまな国の人が交流する屋外装置を提案しました。中国、深圳での「Fire Foodies Club」(SK2012)では、鉄板でできた煙突の天蓋を鉄骨から吊って、調理と飲食のための居場所をつくりました。また現在、シカゴ建築ビエンナーレでも市内の空き地で野菜を育て食育を行っているNPOのために、40人が同時に調理、会食ができる食卓を設計しました。
食べること、料理をすることの有機的なふるまいを考えていくと、キッチンは住宅に納まっていなくてもよいのではないかという結論に至ります。ふるまいはエレメント同士を繋ぐ有機的な関係ですから、ほかのふるまい、あるいはエレメントとの関係を呼び込むこともできます。エレメントの関係性から建築を考えることは、開かれた設計手法といえるのではないでしょうか。

髙橋

「Fire Foodies Club」は、建築が建てられた意図がプログラムや平面計画からは想像できず、大きな天蓋のかたちが先に建築の意味をいっています。同時に発表された「Bridge Sprout」(SK2012)も興味深くて、川の端から少しだけ飛び出し始めた橋ですが、これは一体何だ、という問いかけがある。エレメントから建築が建てられる、ひとつの表れではないかと思います。

アトリエ・ワン「野菜のキオスク」1992年 提供:アトリエ・ワン

アトリエ・ワン「PKO」1994年 提供:アトリエ・ワン

アトリエ・ワン「Fire Foodies Club」2017年 提供:UABB

アトリエ・ワン「Bridge Sprout」2020年 撮影:Christoph Knoch

エレメントから考える住宅の可能性

髙橋

先ほど増田さんから「新しい人間の生き方をベースにしている」と指摘がありましたが、僕が想像している人間像は生物的な、昔からあるものです。近代住宅が人間の生活感覚を捩じ曲げただけともいえます。つまり僕は、人がこうだと決めて生きてきた価値観に揺さぶりかけることに、可能性や未来を感じます。貝島さんたちと増田さんたちの建築に未来を感じるのは、これまでの文脈から少し飛躍があって、なぜそのかたちになったのか理由を想像したくなるような建ち現れ方をしています。堂々と立ちはだかっていると、何となくそこに秘められた価値観が説得されやすいですね。

増田

今新しいと感じるだけでなく、もっと本質的な人間性に向き合って揺さぶりをかけているということですね。私は、イメージを掲げて強い空間表現をつくり上げるために収束させるような設計ではなく、あくまでも実情と本質を繰り返し擦り合わせていく創造性を設計したい。その結果、未だ見ぬものになったり、逆に古い時代の何かのような立ち現れをするのが建築の本質的な価値だと思います。貝島さんや髙橋さんの作品だけでなく、膝を打つ建築は切実さを孕んでかたちが訴えてきます。何かを引っ張り上げているといってもよい。「北側のセカンドハウス」が最後までかたちに落とし込めなかったのは、水回りのもつ切実な問題に当時辿り着けなかったからです。
たとえば風呂は、身体の衛生だけでなく、心身をリラックスさせるためにも求められますが、そもそもリラックスとは何か。血流をよくするとか、体温を上昇させることで睡眠が深くなるとか、そのバイアスを称して語られています。盲目的にこれが気持ちよかろうと風呂空間を目指したところで、イメージのバリエーションに還元されるだけで建築としては何も前に進まない。近代以降いかに安く平滑に提供するかに注力した結果、製品単体で開発した方が効率的で、結果その寄せ集めが都市をつくっていくことになった。人間の身体に対する具体的な効果や変化から理解して組み立てた提案にならないと、魔法瓶に閉じ込めたような建築の集合になってしまいます。

髙橋

住宅は機械ではないということを僕は近頃強く思います。たとえば最新機能が詰め込まれた水回りより、ポンペイ遺跡で発見された、ただの穴だけのトイレやキッチンの方が何かを想像させ、自由な水回り空間の可能性を感じます。水回りのかたちは、衛生面や環境性能の面で洗練されてきたものではあると思いますが、それだけでは限界が訪れると思います。

貝島

建築は、環境の中に人間の暮らしのための内部空間をつくる、技術であり文化です。空気、水、光、熱は、私たちが生きていくのに必要な資源ですが、それが当たり前になってしまった現代においては、これらをもう1度限られた資源として共有していることを実感できるような空間をデザインする必要性を感じています。「奥のない家」(1994年)で入子空間の中心部の水回りやキッチンが、都市インフラに接続するもっとも外部的なインターフェースであることで、奥が打ち消されること。「アニ・ハウス」(JT9608)で、半地下、2階の空間に水回りの箱を独立して配置したバッテリープラン。水回りは、私たちの暮らしと資源を繋ぐエレメントです。資源管理の観点から、都市やコモンの意味が問い直される現代において、個人と社会のインフラの境界も今後見直すことが求められるでしょう。

増田

住宅の中の水や熱のフローと一緒に、人間が必要なエネルギーと人間がもっているエネルギーをそのフローに入れて、今までの暮らしを見直しこれからの暮らしを考えてみたいです。人間の身体性を平均化して一旦脇に置いてしまうから高気密高断熱のような話にしかならないんだと思います。そうではなく、建築を更新する可能性がここにあるはず。自分自身もエレメントのひとつとして取り込むことで豊かさを発見してみたいです。

髙橋

未来のかたちを構築していく時に、何をどのように掬い取るのか、どのような価値観で抽象化し、姿やかたちへ表していくのか、誰もが人間として同じ土俵で生きている中、プロフェッショナルとして、個々の感性や知恵も試されている気がします。

貝島

水回りを設備だけの問題ではなく、資源を共有する場としてとらえて議論していく意味と可能性を再発見できました。またふたりの取り組みが、現代住宅に求められている利便性から生まれている、住宅が都市や環境と繋がっていることが見えづらくなっている閉塞感への批評と提言であることが共有できました。私たちは、こうした問題を実直に社会と共有する空間の提案から作品をつくってきましたが、ふたりがそれを理解してくれたうえで、空間の詩的力を強めた作品を示すことで、利便性に代表される産業社会的な価値観に揺さぶりをかけようとしていることにも共感しました。10年後、またお互いの作品の水回りについてぜひ議論したいと、今から楽しみになりました。

(2021年10月20日、新建築社青山ハウスにて 文責:新建築住宅特集編集部)

  • ※特記なき撮影:新建築社写真部

トイレを「ケ」から「ハレ」の空間へ
INAXタンクレストイレ「SATIS Stype」

株式会社LIXILは、INAXタンクレストイレ「SATIS Stype」を5年ぶりにフルモデルチェンジ、2021年6月1日より全国で発売開始した。「世界最小・満足最大」をキャッチコピーにしたタンクレストイレ「サティス」初代モデルが発売されたのは2001年。今年で誕生20周年という節目を迎えての変革となった。(*2001年発売当時)
特徴は、初代から継承している前出寸法650mmの奥行きである。発売当時、従来のタンク付きトイレより140mmも短いこのコンパクトサイズは、トイレ空間に革新を与えた。奥行き1,200mmの空間であれば、自由に動けるスペースが約35%も広がるのだ。日本の住環境に多い狭小空間にも設置しやすく、別途で手洗器を設けたり、子供と一緒にトイレに入っても世話ができたりと、トイレ空間でできることが増えた。現代では、もてなしの空間としてトイレを位置付けているものも多く、それまで「汚い、臭い、怖い」の3Kとして隅に追いやられていたトイレを、居心地のよいプライベート空間として昇華させたのである。
今回のモデルチェンジでは、便器陶器部をLIXIL初となる直線を基調とし、横からの見た目、便フタ接合部分など、どの角度から見ても建築空間にすっきりと溶け込むシンプルなデザインとした。新型コロナウイルス感染症の影響により在宅時間が増加する中、トイレは考えごとをしたり、気持ちを落ち着かせたりと、個人の貴重な居場所になっている。今、世界中で住環境をさらに豊かにする動きは加速している。トイレに留まらず、これまで陰に隠されていた場所やエレメントを再考することで、新たな住環境の創造に繋がるだろう。「SATIS Stype」のシンプルかつコンパクトな佇まいは、今後さらに多様化するトイレ空間の進化に必要不可欠なプロダクトになるかもしれない。

雑誌記事転載
『新建築住宅特集』2021年12月号 掲載
https://japan-architect.co.jp/shop/jutakutokushu/jt-202112/

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公開日:2022年04月20日