これからのパブリックのトイレを考える──オルタナティブ・トイレが可能にする豊かさ

永山祐子(建築家)×門脇耕三(建築家)×南後由和(社会学者)

『新建築』2020年3月号 掲載

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新建築2017年5月号掲載の特別記事「これからのパブリックのトイレを考える」では、門脇耕三氏を監修者として、永山祐子氏、萬代基介氏、羽鳥達也氏の3名の建築家にテナントオフィスビルの「これからのトイレ」を提案していただきました。この時に永山氏が提案された「ラバトリーのすゝめ」をベースとして設計された「オルタナティブ・トイレ」が、2019年11月LIXILの新社屋「HOSHI」棟に完成しました。本特別記事では永山氏、門脇氏、南後由和氏を招き、完成したオルタナティブ・トイレを見学いただき、これからのパブリックのトイレのあり方についてお話しいただきました。

パブリックトイレの課題に潜む「ひとり空間」

──この企画は、トイレを通して現代社会のさまざまな動きを考えることを主題としており、今回は社会学者の南後由和さんにも参加いただきました。まず前回の企画が(新建築2017年5月掲載)どのような経緯によるものだったのか、門脇さんからご説明いただけますか。

門脇耕三(以下、門脇)

2017年にニューヨーク市で、共有スペースのない公共トイレはすべてオールジェンダー(性別不問)にすることが法律で義務付けられたというニュースがあり、それが発端でした。ニュースを見て、トイレのあり方は人の倫理観や人間観にも影響を及ぼし、その常識が変わることでビルディングタイプにも影響を与えかねないのではないかと考えたのです。たかだかトイレの話題ではなく、広範な議論が必要ではないかと考え、LIXILにご賛同いただき前回の企画が立ち上がりました。

南後由和(以下、南後)

私は社会学を専門にしています。建築に関しては主にユーザー視点で考察したり、SNSやスマートフォンの普及が空間の経験にどの様な影響を与えるかなどについての研究をしています。以前出版した『ひとり空間の都市論』(ちくま新書、2018年)でトイレについて考察する機会がありました。近年の日本では、ひとりカラオケ、ひとり焼き肉が流行し、ラーメン屋「一蘭」のひとり用カウンター席に代表されるように「ひとり空間」が増えています。この調査では、商業空間/公共空間、間仕切りがある/なし、という軸で世の中の「ひとり空間」を分類したのですが、そのほとんどが商業空間におけるものでした。一方、公共空間での「ひとり空間」はトイレくらいしか見当たりません。トイレは、家族で暮らしていようと、会社や学校にいようと、帰属集団から一時的に離脱し、ひとりの時間が確保される場所です。現代は、SNSで常に誰かと繋がっている常時接続社会と言えます。裏を返せば、いつでもどこでも監視されているとも言え、それが人にとってストレスにもなり得ます。少子高齢化や単身者の増加と並行し、単身者でなくともひとりになりたいという個別化・コミュニティからの切断への欲望が「ひとり空間」を生んでいます。他方、シェアやコモンスペースなどの共有化も起こり、個別化(ひとり)と共有化(みんな)という二極化が進んでいます。しかし、これを二項対立として捉えず、互いを行き来できる境界をデザインすることが重要です。
このようなことを考えていたこともあり、前回の企画はとても興味深く感じました。まず、3名による提案はどれも一次的機能と二次的機能が等価であるという共通点がありました。一次的機能とは従来のトイレ機能(用を足す場所)のことで、二次的機能とは休憩や打ち合わせをするなど本来の機能とは異なる別の機能のことです。トイレ空間に付随する洗面などの機能が個室内部に集約される一方で、二次的機能がトイレ回りにまとめられているなど、集中と分散が同時に起きているように思いました。社会学とは、規範がどのように形成されているかを問う学問ですが、例えばLGBT(主に、トランスジェンダー)について考えた時、トイレは興味深い研究対象となります。しかし、この記事の建築的提案を見て、私自身が規範的な見方に縛られており、トイレを考える際に便器などの衛生機器を中心に考えていたことに気付かされました。仮にこれを一次的機能の重視=便器中心主義と呼ぶなら、前回はそうではない二次的機能に注目すべきであることが論じられており、大変共感できました。
「ひとり空間」の話に繋がるのですが、アメリカの人類学者のエドワード・ホール(1914〜2009年)は、日本人は視線を合わすのが苦手であるという指摘をしています。例えば、カフェでは互いに目を合わせず、目が合ったとしても挨拶すらしない。これは日本人特有の性格だと言っています。前回提案された3案とも視線や音など、さまざまな空間要素を扱っていましたね。また、3案とも動線についての提案をしていました。例えば、萬代さんの案はフロア間の関係性を問い直すものであり、オフィス全体でトイレがどのように位置するのか、そこまでどう辿り着くのかを考え直すものでした。この視点を建物の外にも広げれば、都市や人の日常生活の中で、トイレがどう位置しているかという地理学的な話にも繋がる点が面白かったです。
また、世の中には多種多様なトイレがある中で、オフィスのトイレに着目して検討された点も興味深かったです。オフィスは住宅よりもプライベートの度合いは低いですが、ショッピングセンターや駅などの公共施設よりは高いですよね。プライベートとパブリックの中間に位置するオフィスのトイレを題材としたことは、さまざまなビルディングタイプへの応用可能性があると思いました。多機能型トイレが普及した大きな契機のひとつが、1980年代に松屋銀座本店に設けられた「COMFORT STATION」(当時、INAXと共同)です。これはバブル景気や男女雇用機会均等法(1986年改正)による、女性の社会進出や共働きの増加という時代背景がありました。そして現代はLGBTへの注目の高まりや、東京オリンピック・パラリンピックの開催など、規範概念が書き換えられつつある過渡期にあると言えます。かつて、デパートから多機能型モデルのひとつのプロトタイプが発信されたのならば、オフィスにおける永山さんの「ラバトリーのすゝめ」は、今日のジェンダーを巡る問題や少子高齢化、障がい者などの社会参加を解くプロトタイプになることを予感させ、その手法や歴史的背景が読み取れる記事になっていたと思います。

座談会風景。 以下撮影:新建築社写真部(特記を除く)
座談会風景。 以下撮影:新建築社写真部(特記を除く)
見学時の様子。
見学時の様子。

門脇

オフィスや学校には日常的に顔を合わせる人がいるので、むしろ自分のセクシュアリティを知られるのは心理的に負担が大きいということが知られており、オフィス環境におけるトイレ空間を考えることになりました。議論を進めるうちに、トイレにまつわる社会問題は、突き詰めると「ひとり空間」の問題であることが分かってきたのです。オフィスは会社、住宅は家族という共同体のための空間です。住宅では1970年代後半に個室整備の議論が進み、子どもでも個室が与えられることが一般的となりましたが、オフィスにはまったく「ひとり空間」がなく、トイレはこれを担う重要なものだと気付いたのです。また、排泄などの生理的行為については、テクノロジーで効率的に処理したいというのが基本的な考えとしてありますが、それだけを突き詰めてトイレ空間を考えると人間性が欠落してしまいます。高多機能型トイレだけが並ぶ今日の男女別+多機能トイレは効率化を求めた結果でしょうが、これからの時代において考えるべきトイレはその様なものではなく、人の生活を豊かにするものであるべきではないかという議論になりました。

永山祐子(以下、永山)

そうですね。議論していくなかで、トイレの個室内でお弁当を食べる人がいるということを知りとても驚きました。それだけ切実に「ひとり空間」が求められており、現代ではトイレという概念がもう少し拡張しているのではないかという話になりましたね。

門脇

羽鳥さんは、家族や恋人などにプライベートな電話ができる空間がオフィスにはないということも指摘していました。勤務時間中、常に誰かと一緒にいること自体がしんどいという意見もあるので、2時間に1度くらい「ひとり空間」で周囲をシャットアウトし、リラックスするという用途もあり得るのではないかと仰っていました。つまり、これはジェンダーの問題というより、私たち個人の問題なのではないかと結論付けされたのです。

南後

前回の企画では、先に指摘した通り機能の集約化についても議論がされており、バラバラになっていた行為が集約されることで空間がどう変わるのか、その可能性を見て取れるものでした。

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公開日:2020年07月29日

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