社会と住まいを考える(国内)15

Zoom化していた実空間からの再考

小林恵吾(建築家、NoRA)

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社会課題と実空間の価値

連日のように何かしら世間を騒がしていたオリンピック関連の話題もようやく落ち着き、世の中がほんの少しだけ平穏を取り戻しつつあるように感じている。いろいろな意見があるなかで、私が思う東京オリンピック2020による最大の恩恵は、この国の抱える数々の課題が、世界のスポットライトの中で浮き彫りになったことではないだろうか。「アンダーコントロール」という言葉とは裏腹に、女性軽視やいじめ、差別や国際的常識の欠如など、これまで表に出てくることが少なかった日本の社会の抱える隠れた課題が次々と露呈し、また国民の間で議論されたことに、とても重要な意味があったと思っている。

その一方で、2020年の12月、延期されたオリンピックの準備が進む影で起きていた、とある事件がとても印象に残っている。68歳の母と42歳の娘の2人が、大阪のマンションで餓死していたという事件だ。周囲の人は誰もその異変に気づくことなく、また本人たちからのSOSもなく、数カ月もの間、誰にも気づかれずに亡くなっていたそうだ。この時代、この国において、私と同い年の大人が、誰にも気づかれずに餓死していたという事実は、信じられなかった。貧困の加速や孤独死、幼児虐待などもしかり、果たして今のこの社会は平穏だと、自信を持って言えるだろうか。政治や制度といった仕組みに頼るだけでなく、私たちの住まう環境や空間自体のあり方を通じて、微力ながらもこうした課題に向き合うことはできないだろうか。

コロナ禍を経て、私なりにひとつの大きな発見があった。それは、実空間の重要性は、対面するためのみならず、「対面しない」を許容できることにある、という気づきだった。Zoomのようなオンライン会議内では、画面越しではあるものの、つねに誰かと面と向かって話すこととなり、それが長時間続くと負担も大きい。カメラをオンにするかオフにするか、という距離の取り方でしか、他者との距離感の調整ができないことに違和感を持った人も多いのではないだろうか? 一緒にいるけども話していない、話しているけど向き合っていない、見えないけど聞こえている、といった多様な他者との接し方や距離感の取り方は、デジタル環境下では難しい。そのため、対面せずとも、気配などを介して、ともになんとなく空間と時間を共有することができることこそ、実空間が持つ重要な価値だと改めて気づかされた。繋がっている、もしくはいつでも繋がることができる、という状態は、人に安心感を与え、誰であれ、そこに自分の居場所があると感じさせてくれるのではないだろうか。

住まいにおけるオンとオフの二極化

コロナやオリンピックと並行して、一軒の住宅の設計を行っていた。小さいお子さんがいる親子3人家族のための30坪ほどの住まい。旗竿形状の敷地は、北側の何も生産していなさそうな生産緑地を除き、周囲を同規模の住宅で囲われている。日当たりの良い2階にリビングルームを広くとり、そこへオープンキッチンを併設して、そのほかの水まわりや個室は、北側や1階に、それぞれ最小限の閉じた空間として配置する、というプランがすぐに想像できるが、それには懐疑的だった。戦後の成長過程のなかで、住まいは食寝分離を導入し、その後は核家族化が進むにつれて、各自のための個室が設けられた。リビングルームは、おそらくその反動で生まれ、オープンキッチンが同居することで、対面する空間と、対面しない空間とが、明確に分離されてしまった。前述したオンライン会議の話と同様、実空間であるにもかかわらず、私たちの住まい空間の多くは、オンかオフかの二項対立化を加速させてきてしまったのではないだろうか。

オンの空間では、キッチンがリビングと繋がることにより、料理をつくる人と、脇で寛いでいる人とがともにいる構図が強調されることにもなっている。また、リビングの広さ確保のための犠牲となってきたキッチンや浴室の狭さは、複数人で同じ行為に従事する可能性を減らし、家事の不平等をも促進してきたところもあるのではないだろうか。一方、オフの空間は、その閉鎖的な個室群が住まいのなかでの孤立や分断を助長してきており、その影響はすでに多くの人が指摘している。

住まいとその周辺地域との関係においても、このオンとオフの二極化は、スケールを変えて広がっているように思う。防犯やプライバシー、気密性の確保といった住まいが閉じることのメリットが重視されることで、住まいから周辺環境への緩やかな繋がりは起こりにくくなっている。実空間の重要な価値であるはずの、対面しないかたちでの他者との繋がりを担保していたはずの、曖昧な状態や空間の余白は、いつの間にか社会全体において大きく欠落しているように見える。その結果が、先に述べたような悲惨な事件や問題をも、起こりやすくしてきてしまったのではないだろうか。

実空間のデザインを介して曖昧な接続空間を確保する

そのため、設計したこの住まいでは、対面のオンとオフの二極化を可能な限り避け、多様な空間の断片が、互いに隔たれつつも、曖昧な領域によって繋がっている状態をつくっている。具体的には、1階の中心にある十字形の壁によって、調理ができる場所や浴槽がある場所、天井が高い場所や床が上がっている場所などに4分割し、それらを回廊や吹き抜け、スキップフロアによる床のズレなどによって繋げている。2階は主に寝室としての利用のために、一続きの空間を、開け閉めが可能な遮音性に長けたテキスタイルによって、個別の空間へと緩やかに分割ができるようにしている。壁と扉によって閉じるのではなく、ちょうどいい閉じ具合や繋がり具合を、各自が調節することができるようにしている。

以下すべて撮影=野村健太郎

住まい手は、あらゆる好きな場所を選び、互いに見えなくても、つねに他者の気配を感じられ、いつでも簡単に繋がることができる状態におかれている。この接続性の確保は、そのまま都市やデジタル空間に散在するほかの居場所へともシームレスに連続することができるかもしれない。かつてリビングルームの象徴であったテレビは、もはやその求心性を失いつつあり、電子機器を使用すれば、誰でもどこでも情報を得ることができる。寛ぐことも、働くことも、家事も、あらゆる場所で行えることで、住まい空間内や外部との間のヒエラルキーのようなものから解放されるかもしれない。

曖昧な空間や状態というのは、その性質ゆえに、的確に定義したり、その価値を説明することが難しい。また、デジタル環境が整い、あらゆることがバーチャルでも行われるようになることで、逆に実空間での体験価値は上がることが予想できる。一方で実体験や実空間の活発な消費は、ますます曖昧な空間や余白の排除への加速に繋がってしまうかもしれない。いかにして実空間のデザインを介して、こうした曖昧な空間による多様な繋がりのあり方を、人々のコモンズとして共有できるかが、大きく問われているように思っている。

小林恵吾(こばやし・けいご)

早稲田大学、ハーバード大学大学院を卒業後、2005〜12年レム・コールハース率いるOMA/AMOのロッテルダム事務所に所属し、主要プロジェクトに参加。主に中近東や北アフリカの大規模建築や都市計画プロジェクトを手掛けた。2016年より早稲田大学准教授。2018年にゴードン・マッタ=クラーク展の会場デザインを担当。NoRA共同主宰。

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公開日:2021年10月20日

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