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建築における調達・倫理・ローカリティ──ネットワークと設計

増田圭吾(構造設計者、ラケンネ)

2020年末、コロナ禍における物流の混乱と停滞に端を発するウッドショックと呼ばれる構造材の輸入の不足は、私たちのような実務者にも少なからず影響を与えた。材料や仕様の変更を余儀なくされ、工期の遅延など多くの問題を発生させたことは記憶に新しい。

ウッドショックのみならず、昨今のロシア・ウクライナ情勢も大きく影響し、半導体をはじめ多岐に渡る物流の停滞は建設業界に大きな影響を及ぼしていることは疑いがない。

しかし、建設業界自体の印象として、一方で足元の住宅着工数や建設そのもののペースはそれほど大きな影響を受けることもなく推移しているどころか、マンションや不動産の価格は上昇の一方である。

筆者は元々文系の出身であるが、慶應義塾大学(SFC)の大学院の修士論文で日本の伝統的な木造建築を扱ったことをきっかけとして木質構造に興味を持ち、ヘルシンキ工科大学(現アールト大学・フィンランド)建築学部ウッドプログラムに留学をした。現在は、木質構造を中心とした構造設計者として5年前に起業しているが、文系である出自でありながらこのような形で設計を続けていることはよく周囲から面白がられる。しかし、振り返ってみれば演劇や日本の伝統芸能に興味を持ったこと、木質構造に興味を持ちフィンランドという国で学ぼうと思って行動したことは、後々の自身の思考や行動を考えれば必然であり必要だったようにも思われる。

現在では、ハウスメーカーの規格化された住宅の住宅性能評価の取得のための設計もあれば、ディベロッパーの収益用の集合住宅の設計、伝統的建築の耐震改修、そして建築家とアイデアを出しながら設計を進めていくものまで、住宅・商業ビル・公共施設などジャンルを問わず、また地域も北海道から沖縄まで全国各地で取り組んできた。単純に会社の経営的にいただいた仕事をお断りするような立場ではなかったという経緯もあるが、相手や場所を問わず幅広く業務を行うことで強く感じたことがあるので、以下に述べたいと思う。

建築における材料の調達

昨今の建築は、規模・用途に問わず、世界中のあらゆる場所で生産されているさまざまな素材が用いられる。このことは昨今の物流の混乱のような事態があると、入手困難による供給不足や価格高騰など大きな影響を及ぼす。

そもそも上述のウッドショックについても、国内で流通する多くの集成材、特にオウシュウアカマツやスプルースなどは、原材料のラミナなどがその名の通り北欧やロシア原産のJAS工場で作られたものが主流となっており、その供給が滞ったことが混乱の主たる原因だったと言われている。ロシアのウクライナ侵攻で顕著となったのは、床や壁に用いられる構造用合板の原料となる単板の供給不足であり、これはロシア原産のものに頼っていたことが一因だったようだ。

それらの調達の混乱は建築業界に少なからず影響を与えたが、構造設計の実務上に限って言えば、構造的な要件を満たす代替品があればよく、調達可能な材料の種類がわかれば、数字を入れ替えて計算をし直し、それを満たすように断面などを微調整すれば問題がなかったため、やり直しの手間はあったにせよ一時的なものであった。多少は国産材の利用を促す良いきっかけともなったであろう。

その瞬間の市場において、最も安価で性能が良い材料を扱わざるをえなくなるという調達における事実は、建築の工程のなかで言うところの「上流から下流」における下流、すなわち製造側で決められることが多い。上流側(設計・開発)で行われる価格のコントロールのなかで、製造原価は同等の性質のものであれば安価なものを選ぶことはつねである。これは現在ではVE(バリューエンジニアリング)などと呼ばれるが、近代以前からずっとそうであったし、物流の速度が遅かった頃は、手に入りやすい材料は当然近くで調達したほうがよく、各地での地産地消は自然なこととして行われていた。

今まで当たり前に使っていた材料が使えなくなるという事実は、瞬間的にはネガティブな要因として浮かび上がってきたが、これまでわが国がどうやって建築を作ってきたかを振り返り、その時に調達できる適切な材料を選択し、また混乱をできるだけ最小限にして効率的に作っていく仕組みを考え直す良いきっかけにするべきだ。

建築における職業倫理

フィンランド建築家協会(SAFA)では「建築家のための職業倫理の原則(Arkkitehdin Ammattieettiset Periaatteet)」(2020)★1を定めており、最初の項目に職業倫理の重要性がうたわれている。建築家の主な倫理的目標は、職業の信頼性であり、重要なのは建築家が職業として生活環境や質や快適さなど特定の価値観に従って行動し、その行動に責任を持つことであるとしている。また、持続可能性は最初の価値として言及されており、このことは建築家が人々の生活条件や環境の質を損なう任務を受け入れたり、プロジェクトに参加したりしてはいけないことを示しているといえる。

近年、わが国では都心部を中心として、次々と再開発やマンションや新しいビルの建設が行われている。オフィスの需要も居住の需要もいずれ減りゆくことは自明ながらも、投機的な価値は依然として高く、同時に解体・設計・建設行為によって建設産業に仕事が供給される。耐震・住環境性能やSDGsなどの文言が書き連ねたパンフレットを見るたびに見ると、空恐ろしい何かを感じるのは私だけではないだろう。

都心に乱立するタワーマンションや再開発による超高層ビルが各人の職業倫理のもとに本当に必要とされ、望まれるものなのだろうかと疑問に思うことも多い。特に昨今の神宮外苑の再開発の議論★2に見られるように、巨額の費用を要する再開発では、さまざまな検討が行われ、かつ有識者による委員会などで調整が図られながらも、多くの人が関わるがゆえに意思決定も計画ありきでなし崩し的に進められてしまう場合が多い。

わが国では旧来より培ってきた伝統建築の歴史がある。それらに防災上、耐震上、性能上における建築的な欠点が多くあることは明らかであるし、密集した地域で剥き出しの木造建築群を見ると、耐震性、または延焼など災害への危険度を考え本当に心配になる。しかしよく手入れをされた古民家や京都の古い町屋などは今でも高い価格で取引をされているのを見ると、登記上の不動産価値だけではなく、その建物が持っている魅力が愛され、多くの人が価値を認めていることがわかる。

ところがたとえ皆に愛されていても、所有者にとって価値や利益を生み出さなければ、結果として古い建物は、老朽化という名の下に解体を余儀なくされる。個人所有のものはおろか、公共建築などは議会・行政が決定してしまえばなかなかそれを覆すことは難しい。ニュース等で流れる「築年数」「耐震性が不足」などの文言も見るたびに何とも言えない気持ちになる。経済的・機能的なメリットについて、既存の耐震改修と新築とで比較した場合では、新築に軍配の上がる可能性のほうが圧倒的に高いからだ。

東京や大阪のように過密都市から地方に移住する動きはコロナ禍で加速し、テレワークなどの仕組みも従前より随分進んだ。今後、都市がどのように整備されるべきか、次世代に残す遺産は何か、それは大小問わず建築に携わるすべての設計者の職業倫理観に委ねられているように思う。当然、立場や主義主張、善悪はひとつではない。それぞれが異なる正義を持っており、意見の異なる他者と議論するなかで相対的にそれぞれの倫理観は形成されるはずであり、その精度を上げて高めていくことが高等教育にできる重要なことのひとつであるはずだ。

建築におけるローカリティ

私は富山県という地方で高校卒業まで過ごしたという地縁もあり、地元の建築家を中心に構造設計のお手伝いをさせていただいている。多くの地方都市は高齢化・人口減少に伴う衰退を辿っているが、一方で空路の整備や新幹線の延伸などによりマイクロツーリズムもより盛んになっている。

富山県と岐阜県の県境近くの山中に利賀村という場所があり、富山在住の建築家、本瀬齋田建築設計事務所が意匠設計を行った、Cuisine régionale L'évo(消滅集落のオーベルジュ)というレストラン・宿泊棟の構造設計を担わせていただいた。ここでは、建築家と施主である料理人との対話によりプロジェクトがスタートして、建築の施工者はもちろん、造園者、陶芸家、家具職人やアーティストなど地域の人々が協力して手を取り合い、さまざまな問題を乗り越えながら実現され、そのプロセスのなかで新たな有機的な繋がりが生まれたことに充実感を感じた。

レヴォ外観(レストラン棟)

レヴォ外観(レストラン棟)
以下、特記なき写真はすべて筆者提供

地元の食材を使った料理

富山出身の作家・釋永維氏による皿に盛られた地元の食材(ホタルイカ)を使った料理
提供=釋永維

富山県では数十年に渡り継続して面的な街づくりも行われている。路面電車の整備などコンパクトシティで有名であるが、その北側に向かう終点にある岩瀬町という港町は30年ほど前、私が子どもの頃までは特に観光資源があるようなこともない港町であった。

現在は酒造を中心として古い街並みを生かし、角打ち的な酒造があったり、ハイエンドなレストランやビアバーがオープンし、陶芸家が居住してアーティストレジデンス的に街を形成して賑わいを見せている。

岩瀬の街並み

岩瀬の街並み

蔵を改装したビール醸造所兼パブ(コボ ブリューパブ)

蔵を改装したビール醸造所兼パブ(コボ ブリューパブ)

蔵を改装したレストラン(カーヴ・ユノキ)

蔵を改装したレストラン(カーヴ・ユノキ)

私も飲食店巡りを趣味としているところもあり、富山という地方で工芸や食文化などの観光資源を軸として、建築家・陶芸家・料理人など各々の専門性が有機的に連なるなか、自分もその一員として都市づくりに職業人として関わることができることは非常に楽しくやりがいに満ちていると感じる。

建築に携わるということ──ネットワークと設計

上述した、建築における材料の調達、職業倫理、ローカリティの問題から気付かされることは、グローバル社会から一気に鎖国のような状況に押し戻されるなかで、職業人としての個々人がどのように振る舞うかということである。コロナ禍によってテレワークやオンライン化が進み、住み方、働き方など世の中は大きく変革された。ともすれば、どこにいても仕事ができ、プロジェクトの最初から最後までプロジェクトに関与する関係者の顔を見ずに仕事をすることも少なくなくなった。

一方で私はこの期間を通し、建築に設計者として関わるということは、プロジェクトの規模を問わず建築や都市づくりというものは人が諸問題を乗り越えながら、対話をし、繋がりを持って予期せぬ関係性が構築されていくということだと感じた。都市環境や建築の質の向上に寄与できる楽しさこそが職業人としての仕事のやりがいだと思うし、好きだと思えるからこそ専門外のことにも興味を持って挑戦していけるのだと思う。少なくとも私は構造設計者としてその関係性のなかの結節点でありたいということを常に心がけている。

その関係性のなかで設計者としてできることは、それぞれに倫理観の向上を目指し、建築、計画、材料、構造、施工、工法に至るまで専門的な領域に関する知識を深めることを怠らず、さらには社会的な環境や他分野への興味、尊敬を忘れず、いかなる状況に対しても常識を疑いながらもなおその専門的な知性において柔軟に対応する知恵を蓄えることだけだ。




★1──フィンランド建築家協会ホームページ
https://www.safa.fi/wp-content/uploads/2021/02/arkkitehdin_ammattieettiset_periaatteet_2020.pdf
★2──神宮外苑地区におけるまちづくりの都市計画決定の告示について、その再開発の内容をめぐり日本イコモスから樹木伐採回避の提案が提出された

増田圭吾(ますだ・けいご)

1982年生まれ。構造設計者。早稲田大学第一文学部演劇映像専修、慶應義塾大学SFC大学院(環境デザイン専攻)を経て2007年ヘルシンキ工科大学(現アールト大学)建築学部ウッドプログラム修了。有限会社インテンショナリーズ、株式会社ストローグ一級建築士事務所などを経て、現在株式会社ラケンネ代表取締役。一級建築士。愛知産業大学非常勤講師。http://www.rakenne.co.jp

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公開日:2022年06月22日