鼎談 4

インフォーマルな領域から立ち上がる居場所・ものづくり・社会

連勇太朗(建築家、CHAr)+小川さやか(文化人類学者、立命館大学教授)+樫村芙実、小林一行(建築家、テレインアーキテクツ)

流動的に働き、偶然居合わせた人が助け合う社会

今、終身雇用制も崩壊しつつありますし、自分の思いと巨大な社会システムとのギャップに葛藤するなど、メンタルヘルスの不調を患う若い人が増えています。個人の生きづらさの増大は先進諸国の共通の問題であり病だと思うのですが、タンザニアはこうした状況とは異なるコミュニケーションやセーフティネットがインフォーマル経済とうまく絡み合いながら築かれているのでしょうか。人々はどのように人間関係をもとにしたセーフティネットをつくっているのでしょう。

小川

まずインフォーマル経済に関しては、じつはヨーロッパやアメリカ、先進諸国を含めて成長しているんですよ。退職後の社会保障が十分でない場合の小商いであるとか、ローカルなコミュニティが再起してできた地元民向けの小規模な市場や無人の野菜販売所も一種のインフォーマル経済と言えます。また多くの人が利用するインターネットのオークションやフリーマーケットでの売買も、じつはインフォーマルなビジネスに近いんです。そのような意味では日本でもインターネットを介したインフォーマル経済は増加しています。

ただ、働くことに着目すると、タンザニアの商人たちは私たちと全然違う生計のモードなんだと思います。彼らは会社で雇用される働き方を否定しているわけではなく、それもひとつの手段だと考えている。だけど必ずしも「安定的で良いもの」とは思っていない。そもそもあらゆる仕事に対して長期的にうまくいくことを最初から期待していないんですよね。頑張ってもどうにもならないことは起こるし、国や銀行のような大きなシステムも人間関係も思うようにいかないことはある。自分に対しても100%のやる気と体力で走り続ける信頼はない。
このように、全方位的に少しずつ「うまくいかない」を前提とすると、どんどん生計を多様化させ、リスクを分散させるモードになります。そうすると可動力も高くなり融通も利く。

一方彼らも資本主義経済で成功し、自分がなし得たことについては評価される欲望は持っています。一つひとつが不安定なため小さい仕事をいくつも持つことで、ひとつの仕事が失敗しても別の仕事でカバーする。そして儲かれば次の仕事に投資する。この流動性が合理的なサバイバル戦略なんです。しかしそうした有象無象の集団のなかで、あなたは私にとって「ちょっと」大事な人だから、という関係性を広くみんながつくっている。この「ちょっと」が重要で、相手に依存するわけではないんです。馴染みの露店で「家計が大変なら安くしとくよ、いつもお世話になってるから」、「家賃の更新が近いんだから、そんなに買わないほうがいいんじゃないの?」という感じで、優しさとお節介をもって瞬間的に他ならぬ「あなた」として承認してくれる人が周りにたくさんいるんですよ。偶然居合わせた人たちが気が向けば助けてくれる、缶コーヒー1個を奢っただけでもう友達、という絶対的な安心感のあるセーフティネットがある。

頑張れば、能力があれば、物や財産を所有すれば評価される社会とは違い、タンザニアは、何者でもなくても「あなた」として承認してくれる人がそれなりにいるんですね。ただし人間関係も流動的であるぶん、見返りはないかもしれないし裏切られることもある。それでも承認を満たしつつ、誰かが困っているときには助けてあげる。こうした両面性を持って社会が築かれているのです。個人の力ではなく、おそらくそれは集合的に、みんながつくっていくことだと思います。

樫村

SNSの普及で、さまざまな場所との繋がりを持つ人も増えていて、こっちではうまくいかないけど別の場所ではうまくいくといった可能性を、日本でも比較的持ちやすい状況にあるのかなと思います。

コロナ禍を経て、改めて対面で磨かれるコミュニケーションへの意識が変わりました。例えば建築業界に残るお歳暮を持って直接足を運ぶ文化も、ひとつのセーフティネットなのではないかと思い直したんです。またウガンダの人を見ていると、ずっとスマホを見ているけれど対面でのコミュニケーションがすごく上手です。ジョークを言うのが好きだし、すぐ「Hi my Friend!」とか言って距離を縮めてくる。なかなか時間通りには来ないんだけど、集まるのはやはり大事なんですよね。

小川

そうなんですよ、お歳暮のあいさつのように致し方なくやっている義務的贈与って、非効率で無駄だと思いがちです。でも、お互いざとなったときに助け合う状況をつくる仕掛けにもなっていて、そこにもインフォーマルな領域があると思います。

スマホやSNSの使われ方は最近の関心なのですが、タンザニアの人はスマホに向かってよく喋っています。テキストでのやりとりが面倒になって音声メッセージや電話に切り替えているんですね。一方日本のSNSの使い方はドキュメント性が高く、喋っているよりも圧倒的に書いている。さらに、しっかり推敲したメールを相手に伝え、相手も返すという共通理解がありますよね。私たちが普段行なっている会話のコミュニケーションには適当な余地がいっぱいあるのに、トレーサビリティの高いドキュメントを使って間違いがないようなコミュニケーションをするほど、相手と距離ができてしまう。

小林

コミュニケーションのあり方や、集まることの話を聞いて思い返したのですが、ウガンダには公園のような明らかに人が集うための場所というものはほとんどなく、昼夜問わずお店の周りに人がワッと集まっていたり、日常的に路地に人がいます。建物の多くは窓も小さく室内が暗いので快適な場所が少ない、というのもその要因ですが、とにかく外に出て人と話したり、裁縫をしたりしている。何もしなくとも外に出ているので、顔見知りはもちろんだけれど、知らない人同士でも声の掛け合いが起こりやすいんですよね。

場所と目的に固定されない建築

《キオスク》や《ゲートキーパーズ・ハウス》で、形態的に同じものを文脈の異なる場所でつくるという実験をやられていますね。2つの場所でつくることで見えてくるコミュニケーションや人の違い、環境の違いについて、より詳しく教えていただけますか?

樫村

《ゲートキーパーズ・ハウス》は、ウガンダに行って建てたものを踏襲して、日本でもつくったわけですが、形態を同じくしても状況や環境の違いがにじみ出ました。例えば材料の違いと施工する人たちの違い。ウガンダで使ったのは乾燥したユーカリの木で、細くしなりやすいですが、加工はしやすい。日本では敷地となる公園の間伐材を使ったんですが、生木は湿っていて重たく、扱いにくい。
ウガンダでの施工中、周囲から人が集まり手伝ってくれましたし、トラックで運搬する際も材料が道にはみ出ていてもべつに構わない。日本でも手伝ってくれますが、まさに責任を回避してか、赤いカラーコーンを置いて、遠くから見ていることが多いですね。できあがった後、そこに座って見わたす環境も、足元の傾斜や凸凹に繋がる大きな地形も異なります。つくること自体の違いはあまりないですが、過程やできあがって見える景色から、違う場所であることが実感できます。また、形態は同じと言いましたが、制作物の小さな部分にたくさんの違いが現れています。ジョイントの方法、座面の勾配、背板や梯子の間隔。これらは環境の違いをすくいとって現場で判断されたデザインです。

もともとこのワークショップは、遠く離れたアフリカという場所を多くの人が知らないなかで、その場所らしい建築って何によって判断されるのだろうという疑問から始まっています。建築は場所を変えても同じ形をつくることが可能です。まずは日本とウガンダで同じ形を目指すところから始めて、少しずつ環境や材料、人や状況の違いを観察していく。最初から日本とウガンダの違いを前提にするよりも健康的な過程ではないかと思います。

小川

面白いですね、ぜひ実際に使うゲートキーパーの話を聞いてみたいと思いました。実際強盗も襲ってくることがあるし、アフリカでゲートキーパーをするのってかなり緊張感のある仕事だと思うんですよ。

樫村

じつは最初にインタビューをして、いかに真面目に勤務しているかという話しか聞きだせなかったのですが、彼らの1日を遠くから見ていると、庭木の手入れやおしゃべりしていたり、ラジオを聴きながら半分寝ていたり。全然働いていないじゃないかと思ったけれど、この働いていない時間のほうが重要で、建築はそこに対してどれくらい寄り添うことができるのかを考えました。

学生は卒業で入れ替わってしまいますが、われわれは継続的に関わりながら、何かあれば修理し、ゲートキーパー自身も手を入れて使ってもらえると嬉しいですね。同時に10年スパンで劇的に変容するペリフェラル・ゾーンの記録をしたていきたい。
また、《ゲートキーパーズ・ハウス》も《キオスク》も、何か明確な目的のためにつくられているようで、観察しているとゲートキープする場所なのに誰もいなかったり、日陰に合わせて移動しているキオスクがあったり、目的も場所も固定されていないのが面白いんです。太陽の動きや木陰の場所よって勉強する場所を変えていくように、自分で場所を探したり空間をつくり変えたりする能力は誰にもあるはずです。こうした建築のあり方を大いに学びました。

ものをつくることのプロセスを通してその場の微細な違いを感じとる、それはとても面白いトレーニングの方法ですね。「健康的」という言葉のニュアンスにもとても共感しました。言語とは違うルートからその場や人を理解していくというのは、まさに建築をつくることの可能性のひとつなのかもしれません。

システムを乗り越える個人のコミュニケーションの力と失敗しない建築

レム・コールハースがハーバード大学で行ったリサーチスタジオで、ナイジェリアの都市ラゴスを扱っていますが、そこではモダニズムの価値観では評価できない「都市」のあり方が議論されています。例えば、ラゴスでは道路ひとつとっても渋滞が常態化しており、西欧的価値観では機能破綻しているとみなされ「計画の失敗」ということになってしまいますが、レムたちはそうした状況をあえて肯定する。道路を迂回することの可能性が議論されている(笑)。

今日のお話を聞いていて、近代的な空間や仕組みが外部から導入されても、人々のコミュニケーションはそれを超えていく「たくましさ」を持っているのかなと思いました。導入されるシステム、構造、制度に支配されず、つねに道具として捉え扱うようなメンタリティやコミュニケーションの強さがある気がしました。SNSひとつとっても似たことが言えそうです。日本の場合は、プラットフォームの力や特性にわれわれのコミュニケーションが引きずられ、場合によっては飲み込まれるような局面があると思うのですが、タンザニアやウガンダの人たちには個人のコミュニケーションが優位にあって、SNSはリアルなコミュニケーションを強化する道具として使いこなされている。

一方、別の話ではありますが、レヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』(中公クラシックス、2001/原著=1955)には、環状集落を築いてきた部族に対し、宣教師が集落の配置を平行状に変えることで彼らの儀礼空間を破壊し、次第にキリスト教を浸透させていったという歴史が書かれています。空間の力によって人々のふるまいや認識が良くも悪くも変わってしまうということは起こりうるわけですが、今後、アフリカ諸国でもどんどん近代的な空間やツールが導入されても、人々はそれを乗り越えるたくましさを持ち続けることができるのでしょうか。それもとも近代化は急速に進んでしまい飲み込まれていく部分があるのでしょうか。肌感覚としてはどうですか?

小川

そうですね、例えばタンザニアの街はポイ捨てや喫煙が当たり前の空間だったのですが、2019年からはすべてのビニール袋の輸入、製造、保管を禁止したりと、街からゴミを減らすよう政策が舵を切っています。ところが街がきれいなものに変わっても、インフォーマルなコミュニケーション領域は場所とかたちを変えて絶えず形成される。SNSだって最初は行き場のない感情を発露させるコミュニケーションのためのインフォーマルな空間として出てきた面もあったはずです。人間はフォーマルな場所だけでは満足できないのでしょう。

ただ、やはりタンザニアもそうですが都市の中心街が急速に発展して地価が高騰すると、同じペースで都市が拡張して周縁地域や郊外も急速に発展していきますよね。傾向として、発展に伴い最初につくられるのが、富裕層向けの高級ショッピングモールです。地価は上がり、居住する層が明確に固定される。バラバラな人が集う雑多なショッピングモールだったりすると、いろんな層が引っ越してきますよね。その意味で、建築家にはとても可能性があると思います。

樫村

小川さんのお話を聞いていて、そもそもわれわれが「インフォーマル」と名付けているだけであって、流動的な状態に後から勝手にフォーマルが乗り込んできたのではないかと思いました。それでもウガンダの人たちはわれわれのような外から来た外国人とも一緒に働くことに寛容です。そして公共建築にしても住宅にしても、自分たちの場所をつくっているという意識が強く、壊れても自ら直し、建物を使いこなせる能力が失われずにある。もちろん建築家として最低限、安全性を担保するなどすべきことはあるものの、使い方を啓蒙するのではなく、前提として有象無象で流動的な社会構造であることの良さを引き出せるものをつくりたいですね。

小林

人はそれぞれ承認欲求や劣等感があると思います。ウガンダの人々はときに僕たちにはわかり得ない承認欲求や劣等感を持っていると感じることがあります。《AU dormitory》で使った手製のレンガやそれらを積んでいく技術は僕たちからするととても魅力的なのですが、地元の人のなかには貧相で、後進的なものだと考えている人も多くいる。そういう感情やものを近代化という枠組みに入れたり、対比させて否定するのではなく、そこにあるものを丁寧に評価してこれからの使い方を提示する。そういうことが人々のこれまでの認識を分断せずに誇りを持って繋いでいく手段になりえるのではないかと思っています。

ありがとうございました。インフォーマリティの概念は、立ち位置によっても変わるし相対的なものであることを学びました。そして、今日のみなさんの話から概念的に「失敗してもいい建築」というのを構想できるのではないかと思いました。インフォーマリティは地域の違いに関係なく、つねに社会のなかで現れてくるものだと思うのですが、日本でも当然たくさんあるわけですよね。今回の鼎談は、アフリカはインフォーマリティの領域があって日本はない、という話をしたかったわけではないわけですし。制度のなかで成立する設計士として、責任問題は当然あるけれど、「失敗してもいい」という領域を、実践のなかでさまざまなかたちでつくっていくことができるのではないかと思いました。それはわれわれの態度の問題でもあり、コミュニケーションの問題でもありますね。そういう些細なコミュニケーションの積み重ねは、なにか窮屈な社会を少しずつ解いていくための可能性も孕んでいるのではないかと思いました。





[2023年1月30日、テレインアーキテクツにて]



連勇太朗(むらじ・ゆうたろう)

1987年生まれ。明治大学専任講師、NPO法人CHAr(旧モクチン企画)代表理事、株式会社@カマタ取締役。主なプロジェクト=《モクチンレシピ》(CHAr、2012〜)、《梅森プラットフォーム》(@カマタ、2019)など。主な作品=《2020/はねとくも》(CHAr、2020)、《KOCA》(@カマタ、2019)など。主な著書=『モクチンメソッド──都市を変える木賃アパート改修戦略』(学芸出版、2017)など。
http://studiochar.jp

小川さやか(おがわ・さやか)

1978年生まれ。立命館大学大学院先端総合学術研究科・教授。専門は文化人類学、アフリカ研究。京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科一貫制博士課程指導認定退学。博士(地域研究)。主な著書に『都市を生きぬくための狡知──タンザニアの零細商人マチンガの民族誌』(世界思想社、2011、第33回サントリー学芸賞)『「その日暮らし」の人類学──もう一つの資本主義経済』(光文社新書、2016)『チョンキンマンションのボスは知っている―アングラ経済の人類学』(春秋社、2019、第51回大宅壮一ノンフィクション賞、第8回河合隼雄学芸賞)ほか。

樫村芙実(かしむら・ふみ)

1983年生まれ。テレインアーキテクツ/TERRAIN architects代表、東京藝術大学准教授。2005年東京藝術大学美術学部建築科卒業、2007年東京藝術大学美術研究科建築専攻修了。八島建築設計事務所、Boyd Cody Architectsを経て2011年テレインアーキテクツ設立。

小林一行(こばやし・いっこう)

1981年生まれ。テレインアーキテクツ/TERRAIN architects代表、東京都市大学非常勤講師。2006年武蔵工業大学(現東京都市大学)工学部建築学科卒業。2009年東京藝術大学美術研究科建築専攻修了。藤木隆男建築研究所を経て2011年テレインアーキテクツ設立。

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公開日:2023年02月22日