中小オフィスビルのトイレとこれからの働く環境

トイレ・水回りから働く場を豊かにつくりかえる

神本豊秋×金野千恵(建築家)×門脇耕三(建築学者)×石原雄太(LIXIL)

『新建築』2023年11月号 掲載

LIXILと新建築社では、姉妹誌『新建築住宅特集』にて住宅の玄関、間仕切り、水回り、窓について企画を立て考察してきました。『新建築』では2017年にオフィスビルのトイレについて、その公共性について議論しました(SK1705)。第2回となる今回は、2000年以前に竣工した中小規模のオフィスビルのストックにおいて、これからの働き方や人の価値観に寄り添ったトイレ・水回りのリノベーションとはどうあるべきかについて考えます。監修者は前回に引き続き明治大学准教授の門脇耕三氏を迎えます。提案は建築家の神本豊秋氏、金野千恵氏の2名にお願いしました。

  • ※文章中の(ex SK1705)は、雑誌名と年号(ex 新建築2017年 5月号)を表しています。
門脇耕三(かどわき・こうぞう)
1977年神奈川県生まれ/2000年東京都立大学工学部卒業/2001年同大学院工学研究科修士課程修了/東京都立大学助手、首都大学東京助教などを経て、2012年明治大学専任講師/2012年〜アソシエイツ設立・パートナー/現在、明治大学准教授、スイス連邦工科大学チューリッヒ校客員講師、東京藝術大学非常勤講師/第17回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展日本館キュレーター/博士(工学)

「私」を回復するための空間

働く場におけるトイレの役割は、ますます大きなものになりつつある。
そもそも、近代的な意味での「労働」とは、財産を持たない人が、自分自身の自由な時間を売って所得を得る、その方法である。この時人びとは、自身の時間の「主人」であることを奪われてしまう。人間は、時間を切り売りするような労働によって、自分の人生から疎外されてしまうのだ。
しかし、もちろんこのような労働観は、前時代的なものである。現代における労働は、「自分らしさ」や「人生の豊かさ」などと切り離して語られるべきではない。現代の労働は「無私」ではありえないのである。そして、働く場において、人びとが「私」を回復するための重要な空間として期待されるのが、トイレをはじめとする水回りにほかならない。
オフィスにおけるトイレは、単なる排泄のためのスペースではもちろんない。仕事からしばし離れて、身だしなみを整えたり、自分の気持ちや体調と向き合って、リフレッシュするスペースでもある。トイレは、オフィスにおいては「ひとり」になれる貴重な場なのであり、その意味では、「公」の立場から離れて、「私」へと戻れる場であるという意味合いを持っている。
その逆の役割もある。トイレで起こるちょっとした会話は、普段とは違った関係性を育むこともあるだろう。トイレは、思いがけない出会いを生む社交の場でもあるというわけだ。さらに「トイレ」を「水回り」へと拡張すれば、その可能性はさらに広がっていく。トイレをはじめとする水回りは、現在、オフィスにおけるウェルネス空間としての役割を期待されているのである。

中小規模のオフィスビルにおけるトイレの多様性

最近では、こうした認識は大きな広がりを見せつつあり、大規模なオフィスにおいては、さまざまなチャレンジが行われるようになってきている。高齢者や身体に障がいのある方はもちろん、LGBTQへの配慮なども進みつつあり、多様な働き手を受け入れられる水回りの整備が進んでいる。
一方で、中小規模のオフィスビルでは、こうした動きはまだ十分ではない。フロア面積が相対的に小さい中小ビルは、そもそも、トイレなどの水回りの面積が潤沢ではないという問題もある。
しかし、だからといって、手をこまねいていてよいわけではない。労働人口の減少にともなって、中小企業でも高齢者をはじめとする多様な働き手の雇用が進みつつあるし、ベンチャーやスタートアップなど、これまでにない業態の中小企業も増えている。水回りはむしろ、中小規模のオフィスの快適性を高め、多様化する企業や働き手を惹きつけるための、鍵となる空間なのである。
以上のような認識のもと、今回の企画では、ふたりの建築家をお招きして、10階建て程度の既存の小規模オフィスビルを対象に、トイレを中心とした水回りの改修の提案を行うこととした。提案に挑むのは、神本豊秋と金野千恵。神本は建築再生のエキスパートで、現実的な枠組みの中での驚くような再生の提案には定評がある。金野の活躍の場は住宅から公共まで幅広いが、最近では、福祉やケアの分野でも意欲的な実践を重ねつつある。今回の企画にはぴったりの布陣である。
改修の対象とするオフィスビルは、「新建築データ」を活用して収集・選定した。ここで改めて感じたのは、中小のオフィスビルの多様さとユニークさである。『新建築』に掲載された作品だということもあるのだろうが、どの事例もそれぞれに工夫を凝らした個別的な設計がなされている。こうしたユニークな既存のオフィスビルの水回りが、建築家・オーナー・ユーザーによる新しいアイデアによって生まれ変われば、これからの日本の「働く場」を支える個性あふれる魅力的なインフラになるに違いない。水回りについてのアイデアが集積されれば、中小のオフィスビルのストックは、働くことの豊かさを増大させる可能性の沃野へと姿を変えるのである。

このコラムの関連キーワード

公開日:2024年02月27日