パブリック・トイレ×パブリック・キッチンを提案する 6

プライベートの先──戻らないトイレ

増田信吾+大坪克亘(建築家)

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結局トイレはプライベート

トイレはたいていにおいて場や施設の奥のほうに配置され、そして行き止まりで、また使用後は引き返さなければいけない。すると体験として次へと展開することがないトイレ空間は先のどこにもつながらない、いわば経験のなかでの淀みのような立場になり、忘れ去られやすく、存在に広がりがまったくない。ゆえに過剰なプログラムやインテリアのデコレーションに力を入れるか、いかに快適にするかという技術的進歩が目的化され、建築のなかで別の完結した存在になる。
個人所有であろうが、シェアだろうが、公衆だろうが、施設内だろうが、トイレは最終的に個室もしくは個人の領域であり、セクシャリティも関係なく、どう頑張っても切り離されたプライベートにならざるをえない。

オープンエンドなスペースに付随するトイレ

そういえば、打ち合わせで行ったオフィスビルで出入り口が両端にあるトイレ空間を体験する機会があった。オフィスビルのトイレ空間は、エレベータ・ホールを挟んで両サイドに広がる廊下の両方からアクセスできるような効率的な計画がされていた。廊下をつなぐ細長いトイレ空間は、両側の入り口付近に手洗いとハンドドライヤーがあり、反対側へ抜ける片側に小便器が並び、逆側には個室が並ぶ、とても整理されたトイレの配置だった。

廊下の両方からアクセスできるオフィスビルのトイレ空間

廊下の両方からアクセスできるオフィスビルのトイレ空間
以下、すべて筆者作成

本サイトの「国内トイレ×キッチン・サーベイ 4」(岩崎克也「パブリックとトイレをつなぐもの/あるいはその間にあるものを探ること」)で発表されている大学キャンパス内の女性トイレは、両サイドに出入り口があり通り抜けられるようになっていて、通路の片側に個室、もう片側には手洗いと鏡がズラーっと並び、身だしなみを整えるためのパウダー・コーナーになっているそうだ。記事によるとその構成は防犯対策上も理にかなっているという。たしかに奥がないため逃げる際に有効である。見通しもよい。これは公園のトイレなんかでたまにみる通り抜けられる構成とよくよく思い返してみれば一緒である。

ただここで一度立ち止まりたい。これは通り抜けられる、行き止まりのない「トイレ」なのだろうか。どちらかというと両端を入り口とした廊下的スペースに手洗いやミラーやハンドドライヤーなどの付随するプログラムや機能が配列された、いわば通り抜けられる空間の横に個室やプライベートな領域のトイレを併設したという捉え方ができてしまう。周囲に開かれた広がりのある体験を実現している、もしくはそれが可能な構成になっている範囲は、あくまでもパウダー・コーナーまでであり、トイレはその脇にあり、行き止まりで、やはり奥に取り残されて存在している。考えてみればこのように周辺環境と切り離されて関係性が断絶していることによって、いつも蚊帳の外扱いになってしまうからトイレはブラックボックスのままなのかもしれない。

通り抜けられる、シークエンスのなかの「トイレ」

ところで明治神宮前駅(東京メトロ千代田線、東京都渋谷区)の5番出口付近のエレベータ専用口をご存知だろうか。ちょうど東急プラザ横に上がってくるエレベータである。ここには両側出入り口タイプのエレベータが導入されている。混雑時の人の流れの整理や計画上の制約など、おのおのの場所でそれぞれの導入理由があるはずだが、僕はこのエレベータでは、ただのフロア間移動にとどまらず、かといって大きな吹き抜けをスケスケのエレベータで移動するアトラクション体験とも違った、乗る前と降りた先、その前後を、連続した階段に近い上下移動のシークエンスとして体感できた。フロア間を上下にただつなぐエレベーターは入って同じところから出ることを繰り返す体験になってしまい、記憶のなかで出て入ることが帳消しになってしまうというイメージがあって、前後の体験に連続性がなく、よほどの事件が起こらない限り忘れ去られる空間、もしくはエレベータの中を完全な異空間として捉えていた。そのこと自体はとてもおもしろい現象でもあるが、それでは周辺環境から切り離された閉じたインテリアだ。そしてそれはトイレにとても似ている。もちろんトイレは動線や移動が目的ではなく排泄が主な目的なわけだが、トイレは行き止まりで世界とは出入り口からしか通じていない。安直だが、ふと、両側出入り口タイプにするだけでエレベータでの経験が変化するのであれば、まずはいっそのことトイレの個室に扉を2つ付けてみて、「通り抜けられるトイレ」にしてみるとどうなるのだろうかと思い立った。鍵は多目的トイレにみられる電子錠やセンサーなどを併用し運用することとしておく。

「通り抜けられるトイレ」のイメージ

「通り抜けられるトイレ」のイメージ

「トイレ」の境界を明確にする

そこでまず一般的なトイレ空間に関して、先ほど述べた抜けられる方法を用いて「通り抜けられるトイレ」を考えてみた。まずは入り口と出口を設定し一方通行にしてみた。するとトイレ空間である範囲が手洗い場やハンドドライヤーを含む全体ではなく、明確に個室である「トイレ」だけになる。すると手洗い場はトイレ空間の中の手洗い場ではなく、それもまた独立した明確な手洗い場となり、シークエンスのなかで「トイレ」の先に配置されることになる。

行き止まりのトイレから「先のあるトイレ」へ

行き止まりのトイレから「先のあるトイレ」へ

トイレと抱き合わせられ人目につかない場に配置されざるをえなかった要素がその領域から放たれ、これにより利用したい人はわざわざトイレ空間に入る必要がないためそれらの要素はトイレのイメージを引きずらずにすみ、過剰なデコレーションがされなくとも清潔なイメージが保たれる。またそれはただトイレ空間が出入り口から染み出した状態とも違って、あくまでも「トイレ」が終わった出口へ配置されたことになるので、「トイレ」と周辺をつなぐ要素としても、施設全体の場を構成する存在としても働き始める。

トイレ空間の多目的化

最近、ショッピング・センターや百貨店や駅などのトイレ空間が大変充実している。大概はパウダー・ルームや休憩スペース、待ち合わせスペースなどのプログラムを付加することで多目的化し、インテリアを飾り付け、施設全体のイメージ向上を図る。例えば東京メトロは、移動する際のストレスを軽減する方法のひとつとして、各駅のトイレを清潔かつラグジュアリーなものにリニューアルしている。たしかに、トイレをよくすることで、その場所全体の顔としようとする考え方は体験的に理解できるし、間接的に利用増につなげる意図があるのだろう。しかし、ショッピング・センターや百貨店のトイレも含めて根本的な問題がある気がしてならない。どれだけトイレ空間が充実しても、そしてそこがいくらすてきな場所になったとしても、それは結局トイレ空間の一部を操作しているにすぎない。いずれも施設の奥にあり、周辺と切り離された閉じたインテリアになってしまっているため、体験は連続的でなく、効果は最大化されていないと感じたので、さきほどの「通りぬけられるトイレ」を適応してみる。
奥にあったトイレをフロア中央部に配置してみるのはどうだろうか。両脇を男性トイレと女性トイレにすると休憩スペースや水場がフロアの中心になる。海外ではうっかり入った的な犯罪を抑止する観点から、男性トイレと女性トイレの出入り口は極力離す傾向にあるらしい。「通り抜けるトイレ」になればそれぞれの入り口を遠くに離していながらも出口で合流し待ち合わせることなども可能になる。休憩スペースや水場はトイレ空間から切り離され、周囲との連続性が生まれる。

百貨店フロアの中心に配置される「広場への入り口になるトイレ」

百貨店フロアの中心に配置される「広場への入り口になるトイレ」

サイトスペシフィック・トイレ

個室に入ってその先にある扉から出るという一方通行への変更で「トイレ」の前後にあるプログラムとの関係が密接になる。全体にとって裏の空間としてまとめられてしまっていたトイレ空間が入り口と出口が別々にあることで表と裏の認識に変わり、周辺とどのように接続し関係していくか問われることになる。

それぞれの「トイレ」が固有の広がりをもつ公園のトイレ空間

それぞれの「トイレ」が固有の広がりをもつ公園のトイレ空間

そうすると場所それぞれでそこ特有の「トイレ」のあり方が立ち現われ、ただのユーティリティ・スペースとして「解く」対象を超え、切実な役割をもちながら、全体に響きわたるシークエンシャルな空間的存在になっていくのではないだろうか。ブラックボックスでもなく、インテリアの断片でもなく、広がりのある場所全体をつくっていくためにトイレは開かれるべき重要な対象である。

増田信吾+大坪克亘

増田信吾と大坪克亘による建築家ユニット。2007年から東京を拠点として共同で設計をはじめる。主な作品に《躯体の窓》(2014)、《リビングプール》(2015)、《始めの屋根》(2017)、《街の家》(2018)などがある。

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