「建築とまちのぐるぐる資本論」取材 7

風の人から掘る人へ──HAGISOと谷中周辺の10年間

宮崎晃吉(聞き手:連勇太朗)

Fig.1:オープンから10年を経た「HAGISO」。

建築の設計だけでなく運営に取り組む建築家が日本各地で増えている。そうした新しい建築家像のパイオニアとして知られるのがHAGISOの宮崎晃吉さんと顧彬彬コ・ピンピンさんだ。起点となった「HAGISO」ができてから10年以上が経った今、アルバイトを含めて約80名のスタッフを抱え、東京都台東区谷中エリアを中心とした徒歩圏内に飲食店や宿泊施設を10店舗運営する。それほどまで事務所を成長させた彼らのモチベーションについて伺った。

パートナーと共に立ち上げた最小文化複合施設「HAGISO」

連勇太朗(以下、連):

どのようにして谷中に出会い、「HAGISO」という拠点を築いていったのかお伺いできますか。

宮崎晃吉(以下、宮崎):

僕は群馬県の出身で、2001年に東京藝術大学で建築を学ぶため上京しました。大学2年生の時に設計課題の敷地であった谷中を後輩がフィールドワークしつつ宗林寺の前でタバコを吸っていたら、住職の奥さんに注意されてしまい(笑)。そこから世間話が始まって、どこかこの辺りに住むところがないかと尋ねたところ、境内に隣接して1955年に建てられた木造2階建ての賃貸アパート「萩荘」を紹介してもらえました。その後輩が中心となって男連中5人が2004年に萩荘に転がり込み、アトリエ兼シェアハウスとして使い始め、僕も2年目から仲間入りしました。それが現在「HAGISO」として使われている建物です。
転機は2011年3月11日の東日本大震災です。少しずつ手を入れながら修築していた萩荘ですが、次に何かあった時には耐えられないのではないかという大家さんの心配から、解体が決められました。僕は当時も萩荘で暮らしていたので、既に7年間もお世話になった萩荘の「お葬式」をやらせてくださいと大家さんにお願いしました。ちょうど、僕も独立を決断したタイミングでした。モニュメンタルな建築物を布で包んだり、大規模な屋外作品をつくっていたクリストとジャンヌ=クロードに学生の頃から憧れていて、大学院時代には台東区と藝大が谷中の路地を丸ごと美術館にするプロジェクトにとてもやりがいを感じていました。そうして、総勢20名以上の作家が萩荘のあちこちに作品を展示する「ハギエンナーレ2012」(2012年2月25日〜3月18日)を当時の住人たちと開催し、1,500人の来場者を迎えることができました。想像を遥かに越える盛況ぶりは大家さんの心を動かすほどで、それから半年ほどかけて話し合い、最終的には僕と同じ六角鬼丈研究室出身で今は妻である 顧彬彬 コ・ピンピンが事業主となって借り受けて運営することになり、萩荘は解体を免れました。

連:

今日、日程の都合でピンピンさんをお迎えできませんでしたが、ピンピンさんとHAGISOの関係についても教えてください。

宮崎:

そもそもピンピンがいなかったら、HAGISOの運営はやっていません。今も、僕がもし離婚するようなことになれば、会社を辞めるという人が社内に沢山いるでしょうね(笑)。
僕らは「ハギエンナーレ2012」以降、様々なイベントを開いていますが、ピンピンの貢献がとても大きいです。ピンピンはわくわくするようなアイデアを沢山出すのが得意で、その見せ方や実行力に長けています。普通のアパートではやらないようなことを全部試してみようと、ファッションショーや映画の上映会、町内会も巻き込んだイベントなど、年間数十のイベントを打ってきました。
ただ、ふたりにとっても事業の立ち上げは人生で初めてのことでした。今でこそ会社の数字を管理している僕も、大学院修了後から3年間勤めた磯崎新アトリエでは契約金額や設計料も知らずに設計していました。広瀬郁さんの『建築プロデュース学入門―おカネの仕組みとヒトを動かす企画』(彰国社、2012年)を参考に、事業計画を練り始めました。
2013年3月、大家さんと一緒にお金を出し合い、1階がカフェとギャラリー、2階がヘアサロンとイベントスペースの最小文化複合施設「HAGISO」を開店します。最初は客足がいまいちで、人件費が資金を逼迫し、メニューなどの試行錯誤を繰り返しました。半年が過ぎた頃、ようやく軌道に乗り始め設計依頼もぼちぼち入ってきたので、設計事務所「HAGI STUDIO」として会社を設立しました。

Fig.2・3・4・5: 「HAGISO」(2013年)。6畳の居室が廊下に面して14室並ぶ木造アパートの改修。スパンを保ったまま吹抜けをつくり、1階にカフェとギャラリーを設けた。2階は当初HAGI STUDIOのほか、テナントとして美容室が入居していたが、現在は「hanare」のレセプション兼ショップと整体やアロマのサロンになっている。

点から面へ──地域の大家さんが事業拡大を後押し

連:

HAGISOの後は、どういう流れで谷中エリアにプロジェクトを展開したのでしょうか。

宮崎:

HAGISOをつくった頃はお金もなかったので、ピンピンとHAGISOの2階事務所内に寝泊まりしている状態でした。お風呂はなく、キッチンも1階のカフェと共有で、普段は銭湯に行き、近くのお店でご飯を食べていました。ふたりのポジティブな性分のせいか、ワンルームマンションに住むよりも随分豊かなこの暮らしを、宿泊に置き換えたらおもしろくなるのではと盛り上がり、宿泊事業を考え始めました。ちょうどHAGISOの目と鼻の先に誂え向きの空き家があったので、大家さんを探しました。不在地主だったため苦戦しましたが、法務局で登記を調べて手紙を書いたり、近所の方々や不動産屋さんにも尋ねたりして、やっと見つけた大家さんはとてもいい方で、僕らの話に乗ってくれたのです。
共同出資でリスクを分散させながら、10年の定期借家契約で借り上げてリノベーションし、2015年11月には宿泊棟第1号「hanare」のオープンに漕ぎ着けます。また、hanareの開業と同時に「母家」となったHAGISOでは、食材を通して旅の醍醐味を味わってもらう「旅する朝食」を始めます。
そんなことをやっていると、徐々に谷中の物件情報が耳に入るようになりました。歴史的な寺町である谷中は、お寺さん含め代表的な大地主が何人かいます。そのうちのひとりが、僕らがHAGISOを自主施工している時に「おもしろそうなことをやっているね」と突然入ってきた方です。一緒に銭湯に行き、近くで飲む会を続ける仲となり、「そんなボロ屋ならうちにもあるよ」と物件を紹介してくれました。
一度は設計がまとまりかけたものの、谷中銀座商店街のすぐ脇という好立地で建物自体も魅力的でした。人に貸すのがもったいないと思うようになり、1階の奥の路面を僕ら自身で借りることにしました。それが2017年6月に竣工した3件目のプロジェクト、定食屋「TAYORI」です。TAYORIの前身は、旅する朝食を通して飲食部門マネージャーの北川瑠奈が知り合った生産者の食材だけでつくるお惣菜屋で、半年ごとに場所を変えて営業していましたが、全国にネットワークが拡大したタイミングで店舗をもつことができました。店舗がオープンして間もなく、TAYORI店長の工藤伶華が焼き始めたクッキーは瞬く間にキッチンの手が回らないほどの人気を呼びました。困っていると、先ほどの地主さんが徒歩圏内にある別の平屋を案内してくれたので、焼き菓子工場「TAYORI BAKE」を2019年11月につくりました。

Fig.6・7・8: まち全体をホテルに見立てた宿泊施設「hanare」(2015年)。8室の居室とふたつの共同トイレからなる2階建て木造アパート「丸越荘」を改修し、4畳半の部屋4室と6畳の部屋1室、さらに旅館業法に適応するため各階にシャワールームを新設した。レセプションと食事はHAGISOが担う。清掃も自社によって行われている。海外からのお客さんが大半。

連:

この辺りから設計という枠を超えて、飲食ビジネスを急速に拡大させていますね。

宮崎:

そうなんです。でも、最初から明確な戦略や勝算があったわけではなくプロジェクトがプロジェクトを呼びました。色々な情報が入るようになったと同時に、口コミで僕たちの存在を知ってくださる方々も増え、様々な出会いに恵まれました。
この頃、僕らのオフィスが入居している鉄筋コンクリート造の物件にも巡り合いました。千駄木駅前にあり、元々はカラオケスナックと雀荘として使われていましたが、2017年から事務所の一角を「KLASS(クラス)」と呼んで、近隣の花屋さんによるワークショップや料理教室など、まちに開かれた教室を運営しています。
2018年にジェイアール東日本都市開発から声がかかりました。西日暮里駅のすぐ脇の物件で、再開発の予定でいつかはなくなるけれど時期が決まっていないのはかえっておもしろいと思い、丸ごと借りてみました。それが複数の店舗が集まった小規模商業複合施設「西日暮里スクランブル」(2019年)です。半分転貸している時期を経て、100%自社での運営に切り替え、2023年11月にクレープ屋さんをオープンしました。
鶯谷のホテル「LANDABOUT」(2020年)は新築の設計プロジェクトとしてスタートし、1階に飲食店を提案したところ、誰がやるのかという話になり、僕らが運営することになりました。HAGISOの開業から10年、クライアントワークと自社の運営事業がより密接になっていることを実感します。

Fig.9・10: 谷中銀座から1本路地を入った奥にある「TAYORI」(2017年)。内庭をアプローチに変え、路地を拡張した。HAGISOが運営する飲食店が入居し、各地の生産者からの食材をお惣菜や定食などに調理して提供する。お昼時は行列ができるほど賑わっていた。

Fig.11・12: 焼き菓子などを調理・販売する「TAYORI BAKE」(2019年)。新設したウッドデッキに続く座敷は地域の集会所として活用される。

コロナ禍、社会課題を受け止める

連:

とても順調に見えますが、トラブルや苦労はなかったのでしょうか。

宮崎:

西日暮里スクランブルやLANDABOUTを始めた2019年末、オリンピックに向けてアクセルを全開にした瞬間、新型コロナウイルス感染症の流行によって急ブレーキを踏まざるを得ませんでした。倒産かと思い、Facebookでも惨状を吐露し、活路を模索しました。2020年3月25日の小池都知事の会見で週末の外出自粛が決まると、いよいよ他の飲食店も困り果て、宅配ビジネスをやらなければ潰れるという話になりました。そこから3日間、寝る暇を惜しみ「谷根千宅配便」を自分たちの手でゼロからつくり上げました。「tokyobike」に自転車を無償で借りて、みんなの携帯に位置情報サービスアプリをインストールし、ウェブサイトの制作、チラシのポスティング、HAGISOは集配の本部となり、地域の有志と共に社会の変化に対応しました。
一方で、HAGISOの大家さんの宗林寺が、墓地の脇の空き家の借り手を探していました。自粛の最中で借り手がなかなか見つからなかったので、募集を手伝っていた僕らが手を挙げることにしました。それまで補助金を受けたことはありませんでしたが、事業再構築補助金を活用しました。飲食スタッフが長く勤められる環境をつくりたいという話から製造業やECに目をつけ、生産者からはフードロスについて聞いていたのでロスのないものを考えて、冷凍すれば賞味期限が延長できるジェラートの提供に到達します。こうして「assatte」が生まれました。

Fig.13・14・15: ジェラートなどを提供する「asatte」。既存の石塀の一部を撤去し、隣家との間に路地をつくり、ポップアップショップが展開される裏庭へと導く。廃棄予定の食材を集めて加工するセントラルキッチンの機能も備えている。

建築設計を目的にしない

連:

現在の会社の規模や状況について教えてください。

宮崎:

会社は2022年に設計事務所HAGI STUDIOから名称変更した株式会社HAGISOのひとつです。正社員は約30人でアルバイトが50人います。正社員のうち、設計スタッフが6人、グラフィックデザイナーがふたり、企画と呼んでいるまちづくり担当がひとり、宿泊施設マネージャーがひとり、その他に20人ほどが飲食に従事しています。複数の拠点を回すには人手が必要ですし、50人のアルバイトもほとんどは飲食ですから、社内の大半は飲食スタッフです。売上げも飲食が最も大きく、粗利率は設計が高いです。
役員は僕とピンピンのふたりで、フィールドを分担しています。僕は設計、営業、経理に重点を置いていて、ピンピンは飲食やグラフィックデザイン、広報、スタッフのケアなどです。ピンピンはそれぞれの仕事やスタッフに寄り添いながら、クオリティの番人として会社で信頼されています。

連:

社内ではプロジェクトのチームをどのように編成しているのでしょうか。

宮崎:

プロジェクトごとに専門性をもったメンバーを割り当てています。基本的に社内のコミュニケーションはSlackを使っているので、Slackのチャンネルがそのままチームに該当するイメージです。
例えば、駅前で地域の人を巻き込んだ催事の年間計画を立てる仕事では、出店してもらう地域のお店のディレクションやイベントのグラフィックデザインが必要なので、企画とグラフィックのスタッフが中心となり、ブースが必要になれば設計スタッフ、飲食を考えるならば飲食スタッフに声をかけます。
純粋な設計のプロジェクトでも、飲食店の設計であれば飲食スタッフの助言をもらいます。企画は言わずもがなですが、サイン計画やブランディングにも関わってくるグラフィックデザインは設計と職域が隣接しています。設計と他の事業はすべて地続きです。

Fig.16: 宮崎晃吉さん(左)、連勇太朗さん(右)。

連:

多様な事業を手掛けるなかで、建築設計はどのようなモチベーションに基づいているのでしょうか。

宮崎:

僕らは雑食なので、様々なビルディングタイプの設計をしていますが、どのプロジェクトにおいても目先の損得に囚われず、長期的な視点を提供したいと考えています。最近設計しているクリニックでは、ある種の公共性や地域性を考えることが事業においても長期的なメリットになるとクライアントに話していますし、プライベートな個人住宅でも、地域に対して何かしら貢献できることを提案します。個人の利己的欲求だけを満たすことは、結局その人自身のデメリットになりかねないと思います。
僕らは設計を目的に仕事をしているわけではありません。仮に誰からも設計の依頼をされなくても構わない、という立場でいたいです。下請けになるのが我慢なりません。自分たちが正しいと思うようにやりたいし、それで評価されなければ実力が足りなかったと認めるだけです。
建築家にとって、設計契約しかキャッシュポイントがないことは弱点です。地域の会合でも、建築家として参加すると営業目当てだと見なされてしまい、正論が通りません。もちろん専門性を担保することは重要ですが、自分の食いぶちを守るために誘導的なソリューションを人様に押し付けることはもってのほかだと思います。

連:

そう思うようになったきっかけや、影響を受けた建築家はいますか。

宮崎:

やはり六角鬼丈先生の影響が大きいです。大学1年生の時から、建築家のソリューションが建築だけ、建築でしか提案が出せないのはダサい、と耳にタコができるほど聞かされていました。仮に設計の仕事にならなくても、ちゃんと答えが出せなければならないと。建てないという答えももっているべきで、建てるだけの姿勢では社会から信頼されません。

連:

設計した施設を自ら運営する建築家も増えていますが、宮崎さんはそうした昨今の状況をどう見ていますか。また、宮崎さん自身は設計事務所の傍らで運営もやるという状態ではなく、運営もビジネスとして成立させ、飲食で大きく収益を伸ばしています。ご自身の立ち位置をどのように捉えていますか。

宮崎:

設計者が運営を考えるというのは、確かに建築業界においては一種のトレンドになっていますが、ハードとしての床が飽和している日本においては必然的だと思います。一方で飲食業界ではこれまでも場所づくりについて取り組んできたわけですから、当然のことをしています。
自分の立ち位置について答えることは正直難しく、自問自答しています。これから、国外の状況やアカデミックな文脈でも考えてみたいですが、最終的には自分をどう見せたいかということに尽きると思います。ディレクションを建築家の役割と呼んでもいいですし、それを違うと言う人がいても構いません。解決すべき課題が山積みされているなかで、目の前に困っている人がいて、その解決策を考えるならば、建築でしか回答しないのは不誠実でしょう。僕の場合、先に自分がこうなりたいという理想があるのではなく、そう見えるなら、そう期待されるなら応えたいと思い、仕事をしています。
僕らHAGISOの強みは、悩み相談を受けられることです。仮に建築の一生として、企画、計画、設計、施工、それから運営が長く続きますが、僕らは一通りすべて対応できるので、企画と設計と運営を分け隔てなく扱い、価値を循環させることができます。漠然とした段階からでも、物件を収益化させつつ、単に収益物件だけでも終わらせないよう大事なことを一緒につくり上げていくことができます。

Fig.17・18・19: 西日暮里駅に隣接する「西日暮里スクランブル」。再開発を待つ雑居ビルで、飲食店や複数人が棚に参加する書店を設計・運営。2023年11月には1階に「asatteのクレープ」をオープン。

ひとつのまちを縦に深堀りする

連:

これまで「建築とまちのぐるぐる資本論」で行った鼎談では、二極化について議論してきました。 野澤千絵さんと高橋寿太郎さんとは宅地のスプロール化と空き家のスポンジ化の同時進行について、 また、吉良森子さんと加藤耕一さんとは巨大資本の再開発と小さな実践についてです。宮崎さんはこうした状況についてはどう思われますか。

宮崎:

当然、大資本の動きとの距離はありますが、自分たちの存在にも可能性を感じています。例えば、第2回目を企画中の「西日暮里エキマエピクニック」では、行政や電鉄会社、地主、再開発組合など多数のステークホルダーに声をかけ、都市計画についての議論の場をつくろうとしています。僕らはある種、遊撃的な立場だから、あちこちに顔を出して同じテーブルにみんなを集めることができます。所属や立場のあるサラリーマンには難しいことでしょうし、儲かる道筋が明らかだった一昔前でもできなかったと思います。逆に今は、誰も儲かる確証がもてないからこそ、正論が通る時代、理念やビジョンが力をもつ時代です。しがらみから解放された立場でいることが非常に重要だと思います。

連:

地域の当事者であり、飲食経営者で設計者、多様な顔をもつ宮崎さんが言うと説得力があります。月並みな言葉ですが、二極化の構造を乗り越えていく時、コラボレーションは改めて意義がありますね。

宮崎:

大切なのは、請負ではなく対等な関係でいることです。

連:

確かに事務所経営として、建築設計の請負でしか仕事ができないというのは根本的な問題ですね。この10年を振り返り、谷中での一連の実践は普遍的な方法論として考えることが可能でしょうか。

宮崎:

現場で起きているおもしろいことは記録して共有した方がいいと思うので、2024年に本を出版する予定です。ただ、誰かがつくった方程式に当てはめられるのは僕自身が嫌ですし、実際に起きたリアルな出来事として誰かを勇気づけられるものであれば十分だと思います。ゴードン・マッタ=クラークがアーティストたちと「フード」というレストランを運営していたことに僕はとても勇気づけられました。

連:

以前にも似たような質問をしたことがありますが、宮崎さんはスケールさせることや同じようなことを他の地域へ展開していくことに興味がない、ローカルで奇跡を起こすことに興味があるとおっしゃっていました。

宮崎:

ローカルは一生かかっても捉えることができないくらい奥深いものです。でも、ローカルのおもしろさを突き詰めている建築家は意外と少ないように思います。建築家はいわば、様々な場所を通過する「風の人」で、案外すぐに諦めてしまう人、飽きてしまう人が多い印象です。
パンデミックを契機にカズオ・イシグロは、地域を超える「横の旅行」ではなく、同じ通りに住んでいる人がどういう人かをもっと深く知る「縦の旅行」が必要だと言っています(★1)。僕もコロナ禍にみんなが地域に釘付けになる現象が世界中で起きたことがおもしろいと感じ、「まちまち眼鏡」というローカルメディアを立ち上げました。
地球の真反対にあるブラジルまで掘ることでグローバルにつながるかもしれないと夢想してしまうほど、汲めども汲めども汲みきれない魅力を僕はローカルに感じています。

Fig.20・21: 3世代2世帯が同居する宮崎さん・ピンピンさんの自宅「谷中の公園のとなり」(2020年)。敷地の南側に面した公園との間には塀を設けず植栽を配置する。内部から連続するベンチが突き出す玄関土間まわりは時々解放して、様々なイベントを行う。


★1──「カズオ・イシグロ語る「感情優先社会」の危うさ 事実より『何を感じるか』が大事だとどうなるか」、「東洋経済オンライン」2021年3月4日
https://toyokeizai.net/articles/-/414929

文責:服部真吏 富井雄太郎(millegraph)
撮影:富井雄太郎
サムネイル画像イラスト:荒牧悠
[2023年12月22日 宮崎晃吉さんと顧彬彬さんの自宅「谷中の公園のとなり」にて]

宮崎晃吉(みやざき・みつよし)

群馬県前橋市生まれ。2006年東京藝術大学美術学部建築科卒業。2008年東京藝術大学大学院修士課程六角鬼丈研究室修了後、磯崎新アトリエ勤務。2011年より独立し建築設計やプロデュースを行うかたわら、2013年より自社事業として東京・谷中を中心エリアとした築古のアパートや住宅をリノベーションした飲食、宿泊事業を約10拠点ほど運営。hanareで2018年グッドデザイン賞金賞受賞/ファイナリスト選出など。
https://hagiso.com/

連勇太朗(むらじ・ゆうたろう)

1987年生まれ。明治大学専任講師、NPO法人CHAr(旧モクチン企画)代表理事、株式会社@カマタ取締役。主なプロジェクト=《モクチンレシピ》(CHAr、2012)、《梅森プラットフォーム》(@カマタ、2019)など。主な作品=《2020/はねとくも》(CHAr、2020)、《KOCA》(@カマタ、2019)など。主な著書=『モクチンメソッド──都市を変える木賃アパート改修戦略』(学芸出版、2017)。
http://studiochar.jp

公開日:2024年01月29日