海外のパブリック・スペースから 8

フィンランド、ヘルシンキ──パブリック・サウナから考える公共性のあり方

中島生幸(九州大学大学院修士課程)

1.フィンランド、ヘルシンキについて

フィンランド、ヘルシンキに留学して5カ月が経過した。

北欧諸国の一国であり、人口は約550万人で国土は33.8万km2と日本より少し小さいぐらいの国土である。筆者自身、留学前のフィンランドに対する知識は、建築家アルヴァ・アールトやマリメッコ、イッタラなど、シンプルかつ美しいデザインが特徴的であることぐらいであったが、ヘルシンキで暮らすなかで、フィンランドには特有のパブリック・スペースのあり方とその精神性があることに気がついた。

その事例としてパブリック・サウナを取り上げる。

2.パブリック・サウナの歴史

そもそも、パブリック・サウナとは何か。概略すると、洗身を第一の目的としつつ、他者と時間を共有し、心身ともに癒やされるための公共の場所である。日本で例えるならば、銭湯に近い存在であり、辿った歴史も似ていた。

18世紀ごろの個人サウナ2例

18世紀ごろの個人サウナ2例、左:The East-Finnish sauna 右:The saunas of the Häme-SW Finish type 当時は入浴機能だけでなく脱穀乾燥など日々の雑用をする場としても利用されていた
出典:The Building Information Institute The Finnish Building Centre・Helsinki / Finnish Sauna Design, Construction and Maintenance / Rakennustieto Oy / 1994 / p.19

サウナのそもそもの起源は、場所・時代ともに不明であるが、ある種の古代サウナと思われるものは6000〜7000年前より存在していた。今回は、パブリック・サウナに焦点を当てるため、サウナ自体の歴史やその形式の変遷過程は割愛する。

パブリック・サウナとは、19世紀以降にフィンランド都市部で流行した、サウナをメインとした民営の公衆浴場のことである。

パブリック・サウナの起源を辿ると、元々数世帯ごとに共同利用されていたサウナが、18世紀半ば、衛生面や火災事故などの問題から減少していき、富裕層は自宅にサウナを持つようになった。その後、富裕層以外の人々も安全に洗身を行える施設が求められ、ロシアからパブリック・サウナ(ロシア語ではバニャ)のシステムを輸入したことから始まる。これは、労働者階級の人々でも安価で洗身やサウナ浴を行なえるシステムであった。

19世紀後半からパブリック・サウナはヘルシンキで増え、第二次世界大戦前後をピークにその数を減らしていった。これは、技術の発達により、安価で自宅・集合住宅内にサウナを置けるようになったことや、1970年代にはオイルショックの影響もあり減少したとも考えられる。ピーク時には100軒を越えていたが、1985年には7軒にまで減少していた。

しかし、フィンランドのパブリック・サウナは、最近の10年間ほどで増加し、再活性化が行なわれている。ここ最近の日本での銭湯ブームにとても似ている。

ほとんどの住宅にサウナが常備されているという状況のなかで、わざわざパブリック・サウナが活性化している理由は、人々が自分から交流や会話の場所を求めているのではないか? ただ冷えた身体を温めるという生理的目的ではなく、家・職場以外での気軽なコミュニケーションの場所としてのパブリックサウナのあり方が再評価されているのではないであろうか?

3.パブリックサウナ「Sompa Sauna」

パブリック・サウナの事例として、ヘルシンキにあるSompa Saunaを取り上げる。新興開発中の島の隅にゲリラ的に位置するSompa Sauna はフィンランドの中でも特に特殊なパブリックサウナだが、最もフィンランド的とも言える特徴がある。

Sompa Saunaの位置関係。中心部から北東の開発地帯の端(筆者作成、Google Earthに加筆)
Sompa Saunaの位置関係。中心部から北東の開発地帯の端

Sompa Saunaの位置関係。中心部から北東の開発地帯の端(筆者作成、Google Earthに加筆)

Sompa Saunaは、人を信じること、「性善説」の下につくりあげられたパブリック・スペースである。このサウナには、特定の管理者がおらず、営利目的ではなく、純粋にサウナを楽しみたいという人たちによる共同自治で成立している。そのため、使用料は無料で、必要な薪や水は各々持ち込むか、ボランティアの手で補給されている。また、日本だと考えられないが、サウナのほかには更衣室やロッカーも無く、野ざらしのコート掛けがあるのみである。水着の着用は義務ではなく、常連客のフィンランド人たちは気にせず裸になっている。また、男女でサウナを分けることもなく、皆でサウナを純粋に楽しむという雰囲気がそこにはあった。

Sompa Saunaのサウナ小屋と、野ざらしのコート掛け(以下すべて筆者撮影)
Sompa Saunaのサウナ小屋と、野ざらしのコート掛け(以下すべて筆者撮影)

Sompa Saunaのサウナ小屋と、野ざらしのコート掛け(以下すべて筆者撮影)

筆者自身、現在まで5回訪れているが、毎回さまざまな年齢・国籍・人種の人々がいた。体感として、ユーザーの半数はフィンランド在住の常連という感じだ。サウナに入り温まっていると、常連客から「出身はどこだい?」と聞かれて、「日本から来ました」と伝えると、彼だけでなく、サウナにいる皆が会話を英語に切り替え、私を会話に入れてくれて、一緒にサウナを楽しむことができた。パブリック・サウナは、けっしてフィンランド人のためだけではなく、サウナを好きな人が皆を認めて、楽しむ場所という姿勢がそこから感じられた。皆と会話を楽しみ、2時間ほどサウナを楽しんだが、野ざらしにしていた荷物が盗まれることはなかった。文化の発展した都市ほど、パブリックな空間のセキュリティは厳しくなると考えていたので、ここまで人を信じ切ったパブリック・スペースというものに驚きを隠せなかった。

サウナで温まった後は、近くのベンチに座ってビールを飲みながら談笑したり、そのままサウナ小屋の裏の海へ浸かりクールダウンする
サウナで温まった後は、近くのベンチに座ってビールを飲みながら談笑したり、そのままサウナ小屋の裏の海へ浸かりクールダウンする

サウナで温まった後は、近くのベンチに座ってビールを飲みながら談笑したり、そのままサウナ小屋の裏の海へ浸かりクールダウンする

Sompa Saunaの起源については、はっきりとした典拠は無く、サウナ好きが勝手に建てたことが始まりとされている。サウナ好きの人々によって自由に利用されるようになったが、法的な許可を取っていないため市から強制撤去が行なわれた。その後、合法的なパブリック・サウナにするために、2013年Sompa Sauna協会という非営利団体が発足し、2014年の夏には、協会主導の正式なサウナ小屋が建てられた。つまり、その始まりは、ただ純粋に場所と交流を楽しむためのパブリック・スペースであった。

サウナの資材や燃料の薪はボランティアによって賄われ、管理されている
サウナの資材や燃料の薪はボランティアによって賄われ、管理されている。

サウナの資材や燃料の薪はボランティアによって賄われ、管理されている。

現在も、厳しいルールは無く、セクシャルな話・行動などは禁止という張り紙があるのみで、人々の善意に任せたパブリック・スペースの管理が行なわれている。私は、Sompa Sauna以外のパブリック・サウナもいくつか訪れているが、どの場所においても共通している考え方は、「サウナの中では皆平等であり、国籍・人種関係なくその場所を一緒に頼むことを尊重する」ということである。男女が一緒に入る場所でも、お互いを尊重し、けっして淫らにならないという、ただ身体を温める場所というよりも神聖な公共空間として考えているように思えた。

サウナの入口にある張り紙と看板。注意書きとしてはこれがすべてであった

サウナの入口にある張り紙と看板。注意書きとしてはこれがすべてであった

4.サウナから学んだ、フィンランドの公共性に対する精神性

フィンランドでは、サウナ以外にも性善説に基づいたパブリックのシステムが多くあるように感じる。例えば、公共交通機関には、切符を改札に通す仕組みはなく、チケットの購入は善意に任せている(※時々車両内チェックがあり、購入していない場合80ユーロを支払う)。また、大学で学ぶうえでもルールの少なさを感じる。学びたいことを自分で考え・選択して学ぶことが推奨され、規制を強いられることは少ない。日本にいたときは、パブリック空間において、治安を守るために多くの規制・ルールが必要であるという考えが普通であった。例えば、公園ではボール遊びの禁止、交通機関は切符を買っていなければ、改札に入ることができないなど。つまり、システムによって、パブリックは管理されるべきであるという考え方であった。

しかし、フィンランドのパブリック・サウナでの考え方には、皆が使う場所であることを各々が理解して配慮し行動できることを「信じること」が根底にあった。パブリック・スペースという、誰が何をするか想定できない環境において、そのような認識を共有していることを信じるのは容易なことではない。それは、フィンランド、ヘルシンキという、人口が少なく教養の高い場所だからできるとも言えるだろう。

現代の日本における数多くのシステムや規制で縛られた窮屈なパブリックス・ペースを考えると、そのような思想は日本において目指すべき新しい指標になるのではないかと考えた。

参考文献
こばやしあやな『公衆サウナの国フィンランド 街と人をあたためる、古くて新しいサードプレイス』(学芸出版社、2019)
The Building Information Institute The Finnish Building Centre・Helsinki, Finnish Sauna Design, Construction and Maintenance , Rakennustieto Oy, 1994

中島生幸(なかしま・たかゆき)

1995年生まれ。九州大学大学院芸術工学府修士課程在籍。2019年9月よりフィンランドのアールト大学交換留学中。

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公開日:2020年02月27日